月曜の朝。万全じゃない体調のせいか、あやうく寝坊するところだった。
午後から雨になりそうな空模様。
傘を持っていく必要がありそうだと思ったが、朝の仕度を整えていた僕はそれどころじゃないことに気がついた。
「ピアスが……ない……?」
奏汰と交換した末にもらった、あのカッコいいピアス。普段は小さなケースにしまってブレザーのポケットに入れていたのだが、体育祭の日はジャージだったので、ハーフパンツのポケットに入れて持ち歩いていた。
(もしかして……どこかで落とした……!!?)
体育祭の当日は動き回るし、ダンスにも出る。持ち歩くのはやめようとも思ったけれど、お守り代わりにしていたそれがないと何だか落ち着かなくて、ついポケットに入れてしまったのだ。
(やっぱり、やめればよかった……!!!)
いくら悔やんでも、過ぎた失敗は取り返せない。
念のために色んなところを探してみたが、当日持って行った斜めがけのバッグにも、通学用の鞄にも、制服のどのポケットの中にも入ってはいなかった。
家にないということは、おそらく学校だ。
(探さなきゃ……!!!)
僕は急いで家を出て、学校へと向かった。
昇降口の近くに、忘れ物を保管する棚がある。
うちの学校では、校内で落とした物はすべてここに集められ、しばらくのあいだ保管されるようになっていた。
ピアスを入れていたのは、ギターのピックのような形をした革のケースだ。濃い藍色で、ピアスがひとつ入るだけの小さなもの。たまたま部屋にあったものを使っていたのだけれど、珍しいデザインだから見ればすぐにわかるはずだった。
(ない……。届いてないんだ……)
学校にないとすれば、他を疑わなきゃならない。
通学路や駅の構内、電車の車内。
(警察署と駅の忘れ物センターか……。あとで問い合わせてみよう)
そう考えながら、教室のドアを開ける。
机の中にも見当たらなかったので教室の中を探していると、立花から声をかけられた。
「姫委員長! おはよっ」
「おはよ、立花」
「体調、もう大丈夫なの? 表彰式のときいなかったからすっごい探したんだけど」
「そうだったんだ……ごめん。急に具合悪くなっちゃったんだけど、もう平気だから」
立花は「ならよかった!」と安心したように笑っている。
「……で、さっきから何か探してるみたいだけど……忘れ物でもした?」
「ああ、うん……。消しゴムより少し大きいくらいの三角のケースなんだけど、中にピアスが入ってるんだ。……立花、どこかで見なかった?」
立花はしばらく腕を組んで考え込み、首を静かに横に振った。
「見てないなー。いつ失くしたの? それ」
「たぶん、体育祭のときだと思う」
「姫委員長がその日、立ち寄ったところって?」
「えーっと……生徒会室、教室、グラウンド、体育館近くのトイレ、保健室……とかかなぁ」
思いつく限りの場所を挙げてみる。
考えてみると、その日だけでも色々なところに行っていた。
「そっか。……見つかるかわかんないけど、そこに行くまでの道とか、あたしも通るときは見てみるよ」
「いいの!? ありがとう、立花!」
「もっちろん。焦ってるところを見ると……大切なものなんでしょ?」
無邪気に聞いた、立花の言葉が胸に刺さる。
大切なもの……。本当にそうだった。
同じデザインのピアスならまだ売っているかもしれないが、あれは世界にひとつしかない替えのきかないものだ。
奏汰が僕にくれて、奏汰と仲良くなるきっかけになったピアス――。
もちろん、友達として仲が良くなったとはいえ、あんな高価なものを受け取るのは未だに気が引けている。そういう気持ちがあるからこそ、ちゃんと探して取り戻しておきたかった。
「うん。……好きな人にもらった、大切なものなんだ。見つけたら教えてほしい」
「好きな人ぉ!? 委員長、その話詳しく……」
立花に肩を組まれた時点でチャイムが鳴った。
担任がクラスに入ってくる数秒前に「間に合った!」と奏汰が教室のドアを開ける。
「……また今度ね」
「わかった」
どうして、立花にこんなことを話す気になったのかはわからない。けれど……。
(あのピアスだけは、絶対に失くすわけにはいかないから……)
誰かの好意に甘えてでも、必ず見つけ出したい。
そう強く思いながら、僕は自分の席に戻り担任の話に耳を傾けた。
授業は体育祭の余韻を引きずったまま気だるげに始まり、あっという間に昼休みになった。
生徒会室、体育館近くのトイレ、保健室を順に見て回る。駅の忘れ物センターにも電話をかけてみたが、同じ形状のものは届いていないようだった。
ふたたび授業が始まり、放課後のチャイムと同時に教室を出る。グラウンドを隅から隅まで見て回ったものの、ケースはどこにも見当たらなかった。
(ここも、ハズレか……)
太陽を隠す黒い雲。
雨がぽつぽつと降り始めている。
シャツが濡れるのも気にせずグラウンドを歩いていると、砂を蹴る音がして後ろを振り返った。
奏汰だ。走ってきたのか、派手に息を切らしている。
「……こんなところにいた」
「奏汰」
「立花に、探し物してるって聞いたから」
「……何かあった?」
「体育祭のこと……。ちゃんと謝りたいのもあるし、ちょっと話せないかなって思って」
奏汰と話したかったのは自分も同じだった。
二つ返事でうなずく。
「ありがと。……こっち。ふたりで話せるとこ、行こ」
奏汰に手を取られて歩き出す。
その仕草に、体育祭のときのような強引さはなくて……。
奏汰はいったいどんな話がしたいんだろう、と思いながら足を進めた。
グラウンドから校舎裏まで、雨に当たりながら走った。
校舎裏の一角には旧校舎へと続く古い渡り廊下があり、この時間に人が通ることはほとんどない。
僕は奏汰に手を引かれ、渡り廊下の端にある旧校舎側の狭いスペースに身を寄せた。辺りはしん、としていて、ホワイトノイズみたいな雨音だけが耳にうるさい。
「ごめん……雨、当たっちゃった」
焦ったように言って、奏汰はシャツについた水滴を払ってくれる。
「これくらい平気」
「具合、悪くならない?」
「週末ゆっくりしてたし、もう大丈夫だと思うよ」
なるべく明るい口調を心がけて言った。
「……そっか」
気まずそうに呟く奏汰。
繋いでいた手がそっと離れた。
「さっきも言ったけど……体育祭のときのこと、謝りたくてさ。……本当にごめん」
ぺこりと頭を下げる奏汰に、僕は慌てて言った。
「あ、謝んないでよっ! 僕も……帰り際に変なこと聞いちゃったし。気分悪くしてたら、ごめん」
「それは……真紘が悪いわけじゃないよ。俺、あのときちょっと拗ねてたから……」
「拗ねてた?」
「うん」
ふい、と目を逸らして、小石を足で蹴っている。
その姿が叱られた子どもみたいで、ちょっとかわいい。
「イライラして、真紘に当たった。……ホントごめん」
「その……どうして、とか……聞いてもいいの?」
「……あの借り人競争のとき、生徒会長が真紘に抱き着いてんの見て……何かすごく嫌だった。……たぶん俺、会長に嫉妬したんだと思う」
いつもは涼しげな瞳が、熱っぽく僕の方を見ていてドキリとする。
金縛りのように動けなくなった僕に、奏汰はゆっくりと近づきながら続けた。
「……体育祭、すげー楽しみにしててさ。クラスのみんなともそうだし、真紘ともまたひとつ楽しい思い出が作れるんじゃないかって思ってて……。でもあれを見た瞬間、たまらない気持ちになった。真紘は友達で、俺のものなんかじゃないのに、『勝手に触らないでほしい』って思って……」
その気持ちには、僕にも心当たりがあった。
奏汰が金原さんと仲良くしているとき、同じように感じてしまったことがある。
そのことを伝えたくて口を開こうとすると、奏汰にそっと髪を撫でられた。
「真紘はさ……本当に好きな人っているの? 会長のこと、恋愛的な意味で好き?」
首を激しく横に振って、否定する。
奏汰が小さく笑った。さらに距離が近くなる。
抱きしめられているとわかったのは、背中に手が回った後だった。身体が密着して、奏汰の心臓の音が聞こえてくる。
「じゃあさ、俺……真紘に好きになってもらえるように、頑張ってみてもいい?」
「……それって……」
「真紘の特別になりたいってこと。……俺、真紘のことが好きみたいだから」
好き……みたい。
言われた言葉が頭の中で反芻される。
特別になりたい。
それって、つまり……『両想い』ってことでいいんだろうか?
僕が奏汰のことを独り占めしたいと思っている……この気持ちと同じってことでいいんだろうか?
奏汰のものなのか、僕のものなのかはわからないけれど、鼓動がうるさい。奏汰が何かに気づいたように、ぱっと身体を離した。
「真紘は、俺に触られるの……嫌?」
「い、嫌じゃない」
「本当に?」
「……うん」
「じゃあ……もう一回、抱きしめてもいい?」
小さくうなずいただけ。
「うん」と言わないうちに、奏汰は僕の背中に手を回していた。
今度はぎゅっと強く抱きしめられる。
(……奏汰の匂いがする)
そう思いながら僕は、自分があまり器用な性格じゃないんだろう、と心の中で自嘲した。
自分の気持ちをうまく伝えられない。
言葉や行動が、誤解されてしまうことも多い。
それでも、今だけはこの気持ちがちゃんと伝わればいいと思いながら……僕はそっと奏汰の背中に手を回した。
腕に力を込める。奏汰の温もりが心地よかった。
「真紘」
名前を呼ばれる。
しばらくそうして抱き合った後、奏汰は名残惜しそうに身体を離した。
僕の方はといえば……何だか急に力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
「え、な、何っ!?」
奏汰が突然のことにうろたえていた。
当然だ。僕は力なく笑いつつ、弁解をする。
「ご、ごめん……。何でもないんだけど、ちょっと……ほっとしちゃって」
「えっ」
「僕も奏汰と話したいって思ってはいたんだけど……もしかしたら、嫌われたのかなって思ってたから」
「お、俺が嫌うわけないだろ」
「怖かったんだよ。……また失望されたんじゃないかって思って」
過去に叔母のことも泣かせてしまったし、たぶんクラスのみんなや小木の期待も裏切ってしまった。
これ以上、大切な誰かの期待を裏切って、見放されるのが怖かった……。
そんな気持ちが伝わったのかどうかはわからなかったけれど、奏汰はしゃがみ込んだ僕にそっと手を差し伸べてくれた。
「誤解させて……ごめん」
「奏汰が悪いわけじゃないよ。……気持ち、伝えてくれてありがとう」
奏汰の手を取って立ち上がる。
雨音がさっきよりも穏やかに聞こえた気がした。
勇気を出して口を開く。
「僕も、ちゃんと奏汰に返事がしたくて」
「うん」
「でも、その前に……僕の探し物を手伝ってもらえないかな? 失くしちゃいけないものを失くしちゃって……。ちゃんと取り戻してから、言いたいから」
「探し物」
「うん。三角形の小さなケースなんだ。大切なものが入ってて」
奏汰はそわそわした様子で「ふぅん」と言うと、こっちに向き直って言った。
「わかった。……じゃあ、その後で答え聞かせてほしい」
「ごめん……ありがと」
返事の代わりに、奏汰がいつものように耳のあたりの髪を触る。その仕草が戻ってきたことが、泣きそうになるほど嬉しかった。
僕が奏汰を好きなように、奏汰も僕を特別だと思ってくれていることが嬉しいし、今まで通りに仲良くできることも死ぬほど嬉しい。
早く自分の気持ちも伝えたいと思ったけれど、あのピアスがどこにあるのかだけが気がかりだった。
ホント、どうして体育祭の日に持ち歩いてしまったんだろう……。
「……で、その探し物って……どの辺りにありそうなの?」
奏汰が首を傾げた。
「それが問題なんだよね……。体育祭の日、お守りみたいにずっとズボンのポケットに入れておいたんだけど、気づいたらなくって」
「グラウンドは?」
「探した。生徒会室、教室、保健室……校内は全部探したし、駅にももう問い合わせてる」
「あとは……どこだ?」
「校舎周りかな……。朝、奏汰とはち合わせたあの辺りとかは、まだ探してなかったかも」
「じゃ、行ってみるか」
「うんっ」
渡り廊下から校舎に入るのかと思いきや、奏汰は「雨やべー」とはしゃぎながら飛び出していった。
「ちょっ……濡れるって! 冷たいし」
僕もそんな風に叫びつつも、内心では浮かれていて……。
「あっち! 探してみよ」
奏汰に追いつき、その手を取って、校舎の周りを走り出していた。
午後から雨になりそうな空模様。
傘を持っていく必要がありそうだと思ったが、朝の仕度を整えていた僕はそれどころじゃないことに気がついた。
「ピアスが……ない……?」
奏汰と交換した末にもらった、あのカッコいいピアス。普段は小さなケースにしまってブレザーのポケットに入れていたのだが、体育祭の日はジャージだったので、ハーフパンツのポケットに入れて持ち歩いていた。
(もしかして……どこかで落とした……!!?)
体育祭の当日は動き回るし、ダンスにも出る。持ち歩くのはやめようとも思ったけれど、お守り代わりにしていたそれがないと何だか落ち着かなくて、ついポケットに入れてしまったのだ。
(やっぱり、やめればよかった……!!!)
いくら悔やんでも、過ぎた失敗は取り返せない。
念のために色んなところを探してみたが、当日持って行った斜めがけのバッグにも、通学用の鞄にも、制服のどのポケットの中にも入ってはいなかった。
家にないということは、おそらく学校だ。
(探さなきゃ……!!!)
僕は急いで家を出て、学校へと向かった。
昇降口の近くに、忘れ物を保管する棚がある。
うちの学校では、校内で落とした物はすべてここに集められ、しばらくのあいだ保管されるようになっていた。
ピアスを入れていたのは、ギターのピックのような形をした革のケースだ。濃い藍色で、ピアスがひとつ入るだけの小さなもの。たまたま部屋にあったものを使っていたのだけれど、珍しいデザインだから見ればすぐにわかるはずだった。
(ない……。届いてないんだ……)
学校にないとすれば、他を疑わなきゃならない。
通学路や駅の構内、電車の車内。
(警察署と駅の忘れ物センターか……。あとで問い合わせてみよう)
そう考えながら、教室のドアを開ける。
机の中にも見当たらなかったので教室の中を探していると、立花から声をかけられた。
「姫委員長! おはよっ」
「おはよ、立花」
「体調、もう大丈夫なの? 表彰式のときいなかったからすっごい探したんだけど」
「そうだったんだ……ごめん。急に具合悪くなっちゃったんだけど、もう平気だから」
立花は「ならよかった!」と安心したように笑っている。
「……で、さっきから何か探してるみたいだけど……忘れ物でもした?」
「ああ、うん……。消しゴムより少し大きいくらいの三角のケースなんだけど、中にピアスが入ってるんだ。……立花、どこかで見なかった?」
立花はしばらく腕を組んで考え込み、首を静かに横に振った。
「見てないなー。いつ失くしたの? それ」
「たぶん、体育祭のときだと思う」
「姫委員長がその日、立ち寄ったところって?」
「えーっと……生徒会室、教室、グラウンド、体育館近くのトイレ、保健室……とかかなぁ」
思いつく限りの場所を挙げてみる。
考えてみると、その日だけでも色々なところに行っていた。
「そっか。……見つかるかわかんないけど、そこに行くまでの道とか、あたしも通るときは見てみるよ」
「いいの!? ありがとう、立花!」
「もっちろん。焦ってるところを見ると……大切なものなんでしょ?」
無邪気に聞いた、立花の言葉が胸に刺さる。
大切なもの……。本当にそうだった。
同じデザインのピアスならまだ売っているかもしれないが、あれは世界にひとつしかない替えのきかないものだ。
奏汰が僕にくれて、奏汰と仲良くなるきっかけになったピアス――。
もちろん、友達として仲が良くなったとはいえ、あんな高価なものを受け取るのは未だに気が引けている。そういう気持ちがあるからこそ、ちゃんと探して取り戻しておきたかった。
「うん。……好きな人にもらった、大切なものなんだ。見つけたら教えてほしい」
「好きな人ぉ!? 委員長、その話詳しく……」
立花に肩を組まれた時点でチャイムが鳴った。
担任がクラスに入ってくる数秒前に「間に合った!」と奏汰が教室のドアを開ける。
「……また今度ね」
「わかった」
どうして、立花にこんなことを話す気になったのかはわからない。けれど……。
(あのピアスだけは、絶対に失くすわけにはいかないから……)
誰かの好意に甘えてでも、必ず見つけ出したい。
そう強く思いながら、僕は自分の席に戻り担任の話に耳を傾けた。
授業は体育祭の余韻を引きずったまま気だるげに始まり、あっという間に昼休みになった。
生徒会室、体育館近くのトイレ、保健室を順に見て回る。駅の忘れ物センターにも電話をかけてみたが、同じ形状のものは届いていないようだった。
ふたたび授業が始まり、放課後のチャイムと同時に教室を出る。グラウンドを隅から隅まで見て回ったものの、ケースはどこにも見当たらなかった。
(ここも、ハズレか……)
太陽を隠す黒い雲。
雨がぽつぽつと降り始めている。
シャツが濡れるのも気にせずグラウンドを歩いていると、砂を蹴る音がして後ろを振り返った。
奏汰だ。走ってきたのか、派手に息を切らしている。
「……こんなところにいた」
「奏汰」
「立花に、探し物してるって聞いたから」
「……何かあった?」
「体育祭のこと……。ちゃんと謝りたいのもあるし、ちょっと話せないかなって思って」
奏汰と話したかったのは自分も同じだった。
二つ返事でうなずく。
「ありがと。……こっち。ふたりで話せるとこ、行こ」
奏汰に手を取られて歩き出す。
その仕草に、体育祭のときのような強引さはなくて……。
奏汰はいったいどんな話がしたいんだろう、と思いながら足を進めた。
グラウンドから校舎裏まで、雨に当たりながら走った。
校舎裏の一角には旧校舎へと続く古い渡り廊下があり、この時間に人が通ることはほとんどない。
僕は奏汰に手を引かれ、渡り廊下の端にある旧校舎側の狭いスペースに身を寄せた。辺りはしん、としていて、ホワイトノイズみたいな雨音だけが耳にうるさい。
「ごめん……雨、当たっちゃった」
焦ったように言って、奏汰はシャツについた水滴を払ってくれる。
「これくらい平気」
「具合、悪くならない?」
「週末ゆっくりしてたし、もう大丈夫だと思うよ」
なるべく明るい口調を心がけて言った。
「……そっか」
気まずそうに呟く奏汰。
繋いでいた手がそっと離れた。
「さっきも言ったけど……体育祭のときのこと、謝りたくてさ。……本当にごめん」
ぺこりと頭を下げる奏汰に、僕は慌てて言った。
「あ、謝んないでよっ! 僕も……帰り際に変なこと聞いちゃったし。気分悪くしてたら、ごめん」
「それは……真紘が悪いわけじゃないよ。俺、あのときちょっと拗ねてたから……」
「拗ねてた?」
「うん」
ふい、と目を逸らして、小石を足で蹴っている。
その姿が叱られた子どもみたいで、ちょっとかわいい。
「イライラして、真紘に当たった。……ホントごめん」
「その……どうして、とか……聞いてもいいの?」
「……あの借り人競争のとき、生徒会長が真紘に抱き着いてんの見て……何かすごく嫌だった。……たぶん俺、会長に嫉妬したんだと思う」
いつもは涼しげな瞳が、熱っぽく僕の方を見ていてドキリとする。
金縛りのように動けなくなった僕に、奏汰はゆっくりと近づきながら続けた。
「……体育祭、すげー楽しみにしててさ。クラスのみんなともそうだし、真紘ともまたひとつ楽しい思い出が作れるんじゃないかって思ってて……。でもあれを見た瞬間、たまらない気持ちになった。真紘は友達で、俺のものなんかじゃないのに、『勝手に触らないでほしい』って思って……」
その気持ちには、僕にも心当たりがあった。
奏汰が金原さんと仲良くしているとき、同じように感じてしまったことがある。
そのことを伝えたくて口を開こうとすると、奏汰にそっと髪を撫でられた。
「真紘はさ……本当に好きな人っているの? 会長のこと、恋愛的な意味で好き?」
首を激しく横に振って、否定する。
奏汰が小さく笑った。さらに距離が近くなる。
抱きしめられているとわかったのは、背中に手が回った後だった。身体が密着して、奏汰の心臓の音が聞こえてくる。
「じゃあさ、俺……真紘に好きになってもらえるように、頑張ってみてもいい?」
「……それって……」
「真紘の特別になりたいってこと。……俺、真紘のことが好きみたいだから」
好き……みたい。
言われた言葉が頭の中で反芻される。
特別になりたい。
それって、つまり……『両想い』ってことでいいんだろうか?
僕が奏汰のことを独り占めしたいと思っている……この気持ちと同じってことでいいんだろうか?
奏汰のものなのか、僕のものなのかはわからないけれど、鼓動がうるさい。奏汰が何かに気づいたように、ぱっと身体を離した。
「真紘は、俺に触られるの……嫌?」
「い、嫌じゃない」
「本当に?」
「……うん」
「じゃあ……もう一回、抱きしめてもいい?」
小さくうなずいただけ。
「うん」と言わないうちに、奏汰は僕の背中に手を回していた。
今度はぎゅっと強く抱きしめられる。
(……奏汰の匂いがする)
そう思いながら僕は、自分があまり器用な性格じゃないんだろう、と心の中で自嘲した。
自分の気持ちをうまく伝えられない。
言葉や行動が、誤解されてしまうことも多い。
それでも、今だけはこの気持ちがちゃんと伝わればいいと思いながら……僕はそっと奏汰の背中に手を回した。
腕に力を込める。奏汰の温もりが心地よかった。
「真紘」
名前を呼ばれる。
しばらくそうして抱き合った後、奏汰は名残惜しそうに身体を離した。
僕の方はといえば……何だか急に力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
「え、な、何っ!?」
奏汰が突然のことにうろたえていた。
当然だ。僕は力なく笑いつつ、弁解をする。
「ご、ごめん……。何でもないんだけど、ちょっと……ほっとしちゃって」
「えっ」
「僕も奏汰と話したいって思ってはいたんだけど……もしかしたら、嫌われたのかなって思ってたから」
「お、俺が嫌うわけないだろ」
「怖かったんだよ。……また失望されたんじゃないかって思って」
過去に叔母のことも泣かせてしまったし、たぶんクラスのみんなや小木の期待も裏切ってしまった。
これ以上、大切な誰かの期待を裏切って、見放されるのが怖かった……。
そんな気持ちが伝わったのかどうかはわからなかったけれど、奏汰はしゃがみ込んだ僕にそっと手を差し伸べてくれた。
「誤解させて……ごめん」
「奏汰が悪いわけじゃないよ。……気持ち、伝えてくれてありがとう」
奏汰の手を取って立ち上がる。
雨音がさっきよりも穏やかに聞こえた気がした。
勇気を出して口を開く。
「僕も、ちゃんと奏汰に返事がしたくて」
「うん」
「でも、その前に……僕の探し物を手伝ってもらえないかな? 失くしちゃいけないものを失くしちゃって……。ちゃんと取り戻してから、言いたいから」
「探し物」
「うん。三角形の小さなケースなんだ。大切なものが入ってて」
奏汰はそわそわした様子で「ふぅん」と言うと、こっちに向き直って言った。
「わかった。……じゃあ、その後で答え聞かせてほしい」
「ごめん……ありがと」
返事の代わりに、奏汰がいつものように耳のあたりの髪を触る。その仕草が戻ってきたことが、泣きそうになるほど嬉しかった。
僕が奏汰を好きなように、奏汰も僕を特別だと思ってくれていることが嬉しいし、今まで通りに仲良くできることも死ぬほど嬉しい。
早く自分の気持ちも伝えたいと思ったけれど、あのピアスがどこにあるのかだけが気がかりだった。
ホント、どうして体育祭の日に持ち歩いてしまったんだろう……。
「……で、その探し物って……どの辺りにありそうなの?」
奏汰が首を傾げた。
「それが問題なんだよね……。体育祭の日、お守りみたいにずっとズボンのポケットに入れておいたんだけど、気づいたらなくって」
「グラウンドは?」
「探した。生徒会室、教室、保健室……校内は全部探したし、駅にももう問い合わせてる」
「あとは……どこだ?」
「校舎周りかな……。朝、奏汰とはち合わせたあの辺りとかは、まだ探してなかったかも」
「じゃ、行ってみるか」
「うんっ」
渡り廊下から校舎に入るのかと思いきや、奏汰は「雨やべー」とはしゃぎながら飛び出していった。
「ちょっ……濡れるって! 冷たいし」
僕もそんな風に叫びつつも、内心では浮かれていて……。
「あっち! 探してみよ」
奏汰に追いつき、その手を取って、校舎の周りを走り出していた。


