お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?


 朝日に照らされて艶めく黒髪に、透き通る青い瞳。整った造形を持つクロードはいつ見ても変わりなく美男で、私ははーっと大きく息をついて首を横に振った。

 昨夜から、彼女が誰かということをすんなり聞くことも出来ずに、私は変な態度をとり続けるしか出来なかった。

「……いいえ。なんでもないわ」

 ちぎったパンを口に放り込みながらそう言った私に、クロードはどうして不機嫌なのかわからずに戸惑っているようだった。

 どうしても気になってまう。あの女性は一体、誰なの……?

 話掛けられた時のクロードの対応からして、知り合いだったわ。

 だって、クロードはこれまでにリベルカ王国居た訳でしょう。ここはノディウ王国。隣国とは言っても一国間の距離は長い。

 普通に王都と王都を行き来すれば、二ヶ月掛かる道のり。

 それを……あの女性はものともせずに、クロードを追い掛けて来たことになるのよ。

「あのっ……」

「ん?」

 あの女性は誰でどういう関係なの? 私のことがずっと好きって、言っていたよね?

 彼に聞きたい疑問が言い掛けて言えなくて、私の口は開いては閉じてを繰り返した。

 ……だって、あの人とのことを詳しく聞きたいって、どうやって言えば良いの……?

 クロードは私のことを……昔した約束のこともあって、好きだって言ってくれていた。

 ただせっかく一人で生きていけているし、クロードが現れたからって、すぐにこの生活を手放したいだなんて思えない。

 ……だって、どんなに愛し合って結婚した男女でも……何かの理由で、別れてしまう可能性がある。

 私たちは再会したばかりだし、付き合って結婚すると定めるのも、お互いを知ってからでも遅くないはずよ。

 私だって、多少は大人になったのよ。

 けど……! けど、気になる……あの女性は、どういった関係の人なのか。

「クロード。あのね……」

「うん?」

 クロードもこう何度も言い掛けては止めてを何度も繰り返され、流石に何か深刻なものがあったのかと私の目をじっと見つめた。

 その時。

 薄紫の毛に覆われた猫の顔が机の上に現れて、私は驚いて後退った。

「わっ!」

 ぽふっと座っていたベッドに倒れた私を、クロードは右手を伸ばして起き上がらせた。

「……ギャビン。いきなり現れるのはやめろって、この前にも言っただろう?」

「失礼。僕は普通にこの部屋へ来ただけのつもりだったんですけどね。今度からはどこかを叩いて音を立ててから部屋の様子をうかがうようにしますよ」

 ギャビンも私の驚きように驚いたのか、胸に両手を当ててほーっと息を吐いた。

「床や壁をすり抜けるのを止めて、窓から入れよ。そうすれば、お前が入って来ることだってわかりやすいから」

「いえ。それは出来ませんね。僕は誇り高い翼猫ですよ? 移動手段に口を出さないでください」

 呆れたようにすり抜ける抗議を口にしたクロードに、ギャビンは身体をくるんと宙に回して意見した。

「だからなんだよ。それに……何の用だ?」

「昨夜にも、させていただいた話ですよ。クロード。昔から、人助けは自分のためと申しましてね……世界救済出来る程度に能力の高い君には、これからも色々とやってもらわないといけないことがあるんですよ」

「俺は勇者の役目は果たしたし、あとは知らない。自由にやってくれ……魔王を倒し世界を救わせておいて、人助けをした方が俺のためになるなんて、二度と言われたくはないな」

「クロード。どうしても? ですか」

「どうしてもだ。ギャビン。俺は勇者としての役目を果たした。それゆえに能力を与えられたことについては事実だが、それはもう自分以外、誰にも使い道を指定させない。俺にはこれからやりたいことがあるんだ。わかったな?」

 静かに圧を掛けるようにクロードは話し、そんな彼の言葉に押されるようにギャビンは何度か頷いた。


 本当に……あの人って、一体誰なのかしら。

 私は高い足場台を使って、手には小さな箒を持ち、玄関ホールに飾られたシャンデリアの蜘蛛の巣を払っていた。

 最初は高い場所が苦手でおそるおそる作業していたものだけど、シャンデリアの清掃は掃除メイドの仕事だし、何度も何度もこなしたら段々と慣れて来た。

 別に怖くないという訳ではなくお金が潤沢にある邸のものなので、落ちないように安全装置はちゃんと付いているし、気を付けて作業すれば落ちることはないし安全だと気が付いたからだ。

 それに、私だってそこまで、運動神経が悪い訳ではない。

 昨夜見た光景が、目に焼き付いて離れない。とても綺麗な女性だった。すっかり大人っぽく成長したクロードの隣に居たら、よく似合いそう。

 それに、よくよく考えてみると『偶然見掛けたんだけど、あの時に一緒に居た女性って誰なの?』と聞くことが、別に私たちの関係を決めなければならないことのようには思えない。

 ……けど、どうしても私は彼を意識しすぎて、聞けなかった。

 私は、クロードのことが好き……なのよね。そうよ。初恋の人だからという話では終われない。でなければ、こんなに気になるなんて、あり得ないもの。

 無心になりパタパタと箒を動かして、私は蜘蛛の巣を払った。

 シャンデリアに飾られた硝子がちょうど良い距離感なのか、蜘蛛の巣が張ってしまうことは避けられない。

 定期的に掃除するしかないのだけど、蜘蛛の糸が粘着質なのでなかなか取れないのだ。

 布で綺麗に拭ければ良いのかもしれないけれど、遠目で見ればわからないので、こうして蜘蛛の糸を払うだけで良いことになっている。

 ……あの綺麗な女の人は、もしかしてクロードのことが……好きなのかしら……。

「っ……わっ」

 蜘蛛の糸を払うことに夢中になっていた私は、不意に足を前に動かしてしまいぐらりと身体が傾いだ。

 けれど、安全装置として腰には紐が巻いてあったので、大丈夫……な、はずだった!

 無情にも紐と足場台を繋いでいた金具が外れ、私はこのまま落下する! と目を閉じた。

「……シュゼット。大丈夫?」

 そこに私の身体を抱き止めてくれていたのは、真剣な表情を浮かべたクロードだった。

 わ……助かった。同じ邸の中で働いているものね……偶然私の近くにクロードが居てくれて助かった。

「あ……クロード。ありがとう……助けてくれて」

 もし、彼が居なかったら、私はそこそこの高さから無防備に落ちてしまうところだった。

 どうなっていたかを思えば、背筋がゾッとしてしまう。

「いや……あれは、金具が老朽化していたんだよ。執事にすぐに言って、新品に買い換えて貰った方が良い」

 クロードは真面目な顔でそう言い、抱き止めてくれた私を真っ直ぐ立たせた。そして、足場台を畳んで片付けようとしたので、すぐにどこかに行ってしまいそうだった。

「クロード! その、どうして、ここにいたの?」

 今にも執事へ抗議しに行きそうなクロードに、私はごく自然な質問をしたつもりだった。クロードは何かの用事で、玄関ホールに来ていたことは間違いないのだし。

「ごめん。シュゼットのことが心配で……隠れてずっと見ていた」

「え……?」

 彼の言いようがすぐには理解出来なくて、私は固まってしまった。

 何? 何って言ったの? 私のことを仕事中、ずーっと見て居るってこと?

「こわいわ……クロード」

 素直な気持ちが、口を突いて出て来てしまった。私のことをずっと好きなことも知っているし、私だって初恋の人だった。

 けど、仕事中の姿をずーっと見て居ると思えば、こう思ってしまうことも仕方ない。

「そう思われると思って、今まで言っていなかった。だって、何年も会っていないんだよ! 俺はいくらでも見ていたいよ」

「そうなの? 別に……それは、良いけど……」

 正直、少し怖くなってしまった私を見てここは一旦引くべきかと思ったのか、クロードは足場台を持って去って行った。

 クロード私のこと、仕事中もずっと見て居たってこと……?

 そういえば、任せられた執事見習いの仕事自体は、前に言っていた分身がやっているだろうし……クロードはもし、誰かに見られたとしても不審人物ではなくて、執事見習いが居る程度にしか見られない。

 だから、すぐにここへ職を求めたのね。私の傍に居ようと思ったら、そうするのが一番早いもの。

 私はとりあえず掃除道具を片付けようと、箒を持って外へ出ようとした。

 ここまでしてくれて……嬉しいか嬉しくないかで言えば、とても嬉しい……嬉しいけど、クロードは……。

 また考え事をしていたせいか、私は外に出るために小さな階段を踏み外した。

 そこへ、私の身体を支えてくれた太い腕。

 それが、誰のものかすぐにわかって、私は顔を上げた。

「危ない! シュゼット。何考えてるんだ?」

 足場台を届けて帰って来たクロードは、いつになく怒っているようだった。こんなに短時間で二度もこんな風に危険なことになっていたら、当然のことかもしれないけれど。

「あ……クロードのこと」

 その時、真剣な顔をしていたクロードの顔はみるみる赤くなった。

 わ、私も……思っていたこと、そのまま言ってしまった……恥ずかしい。

「えっ……ごめん。強く言いすぎた」

 顔を片手で覆ったクロードは、また私の持っていた箒を持って、掃除用具置き場へと向かっていた。

 そんな姿を見て思った。ここで……それを何処にしまうべきか、聞かなくてもちゃんとわかっているってことは、私のこと本当に良く見てくれていたんだ……。

 仕事から帰り、狭い部屋の中で二人過ごして居るけれど、私たち二人はどこか不自然なままだった。

 ……理由は、わかっている。私がクロードのことを、意識し過ぎてしまっているだけ。私がぎくしゃくしているので、彼も通常状態でいられる訳もなく……。

 クロードは窓辺に座って何か考え事でもしているのか、憂い顔で街の灯りを見つめていた。

 黙ったままでそうしていると、やけに魅力的に見える。クロードは私のことについては執着し過ぎているとは思うけれど、それ以外は完璧と言える男性だもの。

 ……どうしてそこまで、クロードは私なんだろう。私以外好きにならないでと、幼い頃に約束させたから?

 どうして……。

「いた……」

 椅子から立ち上がろうとした私は、足場台から落ちてしまった時に、右足をくじいてしまったらしく顔をしかめた。

 最初は痛みもそれほどでもなく大丈夫だろうとは思って居たんだけど、違和感は増して今では足を一歩でも踏み出すと痛みが走った。

「……シュゼット。大丈夫? 足をくじいたのか?」

 クロードは心配そうな声を出し、私は苦笑いして頷いた。

 もし、あの時に彼が助けてくれなかったら、足の怪我はこんなものでは済まなかったもの。

「そうなの。けど、クロードが助けてくれたから、大丈夫……私もぼーっとしていたから。明日は休みだから医者に行くことにするわ」

 治療費は高くなってしまうけれど、足が使えないと仕事自体が出来ないのだから、死活問題で必要経費でそれは仕方ない。

「医者なんて要らないよ」

「わ!」

「……え!」

 クロードが何気なく手を動かせば、ナイフとフォークを持った中年男性がその場に現れた。私も彼も声をあげて呆然としていて、落ち着いているのはクロードだけだ。

 だ、誰?

「ベネディクト。食事中呼びだして悪いけど、シュゼットの足を治療してあげて貰える?」

 クロードは無表情のままで突然姿を現した中年男性に向けて、私の痛めた右足を指さした。

 ベネディクトと呼ばれた彼は、持っていたナイフとフォークを慎重に机の上に置いた。

 わ……なんて、曇りない美しい銀食器。それだけで、彼が裕福な貴族であることが明確にわかってしまう。

 銀食器は毎日磨かないとすぐに曇り、こんなにも光を弾いて輝かない。それだけ使用人が雇える余裕ある生活をしているという、まぎれもない証拠だった。

「クロード……せめて、予告が欲しいと何度も言ったと思うんですけどね。私は食事中だったんですが」

 ベネディクトは無意味だとわかりつつも言うしかないと言わんばかりに、大袈裟にため息をついた。

「悪かったよ。こんなに遅い時間に、食事を取っていると思わなくて」

 クロードはしれっとそう言ったけど、ベネディクトがして欲しいのは呼び出す前の予告であって、食事中だからという事ではないと思う。

「……もう良いですよ。こちらのお嬢さんですか?」

「あ! シュゼットです。はじめまして」