お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

「いえ。僕は世界救済の時に案内人として選ばれました。それは、名誉なことです。僕は翼猫の中でもっとも優秀だと選ばれた、そういうことですから。そういった権威ある立場で、民を束ねる王より困りごとがあると頼まれれば、聞くしかありません」

「え? ……ええ。そうね」

 芝居がかった仕草のギャビンは、自分がどれほど困っているかを訴えたいようだ。

「クロードには、とある大臣の不正を暴くように、頼みたいのです。彼は勇者として様々な能力を発現させ、精霊だって使役出来ます。クロード・レムシャイトは世界最強の男と言っても過言ではありません。それを、世のため人のために、役立てて欲しいのです……!」

「それは……確かに、そうね」

 勇者として様々な能力を与えられているのだから、それを世の中のために役立てて欲しいというのは、当然のことなのかもしれない。

「シュゼット。僕は今夜もあいつに頼むつもりですけどね……また、何か良い方法があったら、教えて下さい。クロードを後世も伝説に残るような、良き勇者にしたいのです! 僕が彼の案内人になったからには……」

「ええ……何か思いついたら、貴方を呼ぶことにするわ」

 胸に手を当てて使命感いっぱいの目を向けたギャビンに、私は苦笑いするしかない。だって、クロードがやらないと言っているものを、どうにかさせる方法なんて思いつかないもの。

「あ。噂をすれば……ですね。僕はクロードを説得に行って来ます!」

 道にはクロードの姿が見えて、ギャビンは彼に向かって素早く舞い降りて行った。

 とは言っても、ギャビンの必死の訴えを一応は聞く姿勢を見せてはいるものの、うるさげに右手を振るクロードを見れば勝算は少なそうだわ……。

 案の定、ギャビンはしょんぼりして、力なく翼を動かして飛び去って行った。

 持つ者は持たざる者に施しを与えるべきだと、ギャビンが何を言いたいかはわかるけれど、何をするか何をしないかはクロード本人が選ぶことだものね……。

「……え?」

 ギャビンとは入れ替わりに、そこに現れたのは……フードを被った一人の女性。誰かしら?

 ひと目見れば目を引くほどに、とても美しい女性だった。遠慮がちにクロードに何かを話しているけれど、クロードは両腕を組んで仕方なさそうな表情を浮かべていた。

 一体、何の話を、しているんだろう……。

 いいえ……けど、クロード……私以外、好きにならないって言っていたわよね……?

 だから、彼女とそういう話をしている訳ではないって……ちゃんとわかっているけれど……。

 胸がざわざわする……クロードと彼女とは何もないって、頭では理解出来ているはずなのに。



「クロード」

 私は扉を開けて室内へと入って来たクロードを見て、彼の名前を呼んだ。

「ああ……ただいま。シュゼット」

 クロードは道中で何か買い物でもして来たのか、紙袋を机の上に置いた。

「あの……何か、私に……言うことないの?」

 何をどう言えば良いかわからず、私は彼へと尋ねた。クロードは不思議そうな表情を浮かべていた。

「何が? 俺がシュゼットに言いたいことは、仕事辞めて俺と暮らそうってことだけど」

「違う……ほら、何か、変わったこととか……」

「? 別に……何もないけど」

 クロードは私の質問に首を傾げて答えた。そして、私はそれ以上は何も言えずに、浴室へと移動した。

 ……いえ。女性関係の話を向こうから言ってもらおうだなんて、虫が良い話だったわ。

 せっかく努力して手に入れたノディウ王国での仕事を辞めて、彼と一緒に生きて行くとすぐに言えない私は……ここで、クロードの交友関係になんて口を出すことなんて……出来ない。

 だって、女性関係に口を出すって、そういうことでしょう……彼と付き合って結婚するって、そういう覚悟を決めているとか……もしくは決めて行くというか、そういうことだから。

 私だってクロードのことは初恋だけど、何年も離れて居た人と『すぐに結婚しましょう』なんて、そんな事は言えない! それに、まだ私の中でどういう気持ちなのか整理出来ていないし。

 不意に顔を上げて鏡を見れば赤くなって焦った顔の私が、こちらを見て居た。

 ……クロードのことが、好き? それは、好きなのかもしれない。

 幼い頃は、間違いなく彼のことが好きだった。

 何年も経って再会して……あまりにも、お互いの立場が違い過ぎて……覚悟も決まらずに私はこれからどうすれば良いのか、わからなくなってしまっただけで。


◇◆◇


「あの……シュゼット。何か機嫌悪い……?」

 朝日に照らされて艶めく黒髪に、透き通る青い瞳。整った造形を持つクロードはいつ見ても変わりなく美男で、私ははーっと大きく息をついて首を横に振った。

 昨夜から、彼女が誰かということをすんなり聞くことも出来ずに、私は変な態度をとり続けるしか出来なかった。

「……いいえ。なんでもないわ」

 ちぎったパンを口に放り込みながらそう言った私に、クロードはどうして不機嫌なのかわからずに戸惑っているようだった。

 どうしても気になってまう。あの女性は一体、誰なの……?

 話掛けられた時のクロードの対応からして、知り合いだったわ。

 だって、クロードはこれまでにリベルカ王国居た訳でしょう。ここはノディウ王国。隣国とは言っても一国間の距離は長い。

 普通に王都と王都を行き来すれば、二ヶ月掛かる道のり。

 それを……あの女性はものともせずに、クロードを追い掛けて来たことになるのよ。

「あのっ……」

「ん?」

 あの女性は誰でどういう関係なの? 私のことがずっと好きって、言っていたよね?

 彼に聞きたい疑問が言い掛けて言えなくて、私の口は開いては閉じてを繰り返した。

 ……だって、あの人とのことを詳しく聞きたいって、どうやって言えば良いの……?

 クロードは私のことを……昔した約束のこともあって、好きだって言ってくれていた。

 ただせっかく一人で生きていけているし、クロードが現れたからって、すぐにこの生活を手放したいだなんて思えない。

 ……だって、どんなに愛し合って結婚した男女でも……何かの理由で、別れてしまう可能性がある。

 私たちは再会したばかりだし、付き合って結婚すると定めるのも、お互いを知ってからでも遅くないはずよ。

 私だって、多少は大人になったのよ。

 けど……! けど、気になる……あの女性は、どういった関係の人なのか。

「クロード。あのね……」

「うん?」

 クロードもこう何度も言い掛けては止めてを何度も繰り返され、流石に何か深刻なものがあったのかと私の目をじっと見つめた。

 その時。

 薄紫の毛に覆われた猫の顔が机の上に現れて、私は驚いて後退った。

「わっ!」

 ぽふっと座っていたベッドに倒れた私を、クロードは右手を伸ばして起き上がらせた。

「……ギャビン。いきなり現れるのはやめろって、この前にも言っただろう?」

「失礼。僕は普通にこの部屋へ来ただけのつもりだったんですけどね。今度からはどこかを叩いて音を立ててから部屋の様子をうかがうようにしますよ」

 ギャビンも私の驚きように驚いたのか、胸に両手を当ててほーっと息を吐いた。

「床や壁をすり抜けるのを止めて、窓から入れよ。そうすれば、お前が入って来ることだってわかりやすいから」

「いえ。それは出来ませんね。僕は誇り高い翼猫ですよ? 移動手段に口を出さないでください」

 呆れたようにすり抜ける抗議を口にしたクロードに、ギャビンは身体をくるんと宙に回して意見した。

「だからなんだよ。それに……何の用だ?」

「昨夜にも、させていただいた話ですよ。クロード。昔から、人助けは自分のためと申しましてね……世界救済出来る程度に能力の高い君には、これからも色々とやってもらわないといけないことがあるんですよ」

「俺は勇者の役目は果たしたし、あとは知らない。自由にやってくれ……魔王を倒し世界を救わせておいて、人助けをした方が俺のためになるなんて、二度と言われたくはないな」

「クロード。どうしても? ですか」

「どうしてもだ。ギャビン。俺は勇者としての役目を果たした。それゆえに能力を与えられたことについては事実だが、それはもう自分以外、誰にも使い道を指定させない。俺にはこれからやりたいことがあるんだ。わかったな?」

 静かに圧を掛けるようにクロードは話し、そんな彼の言葉に押されるようにギャビンは何度か頷いた。


 本当に……あの人って、一体誰なのかしら。

 私は高い足場台を使って、手には小さな箒を持ち、玄関ホールに飾られたシャンデリアの蜘蛛の巣を払っていた。

 最初は高い場所が苦手でおそるおそる作業していたものだけど、シャンデリアの清掃は掃除メイドの仕事だし、何度も何度もこなしたら段々と慣れて来た。

 別に怖くないという訳ではなくお金が潤沢にある邸のものなので、落ちないように安全装置はちゃんと付いているし、気を付けて作業すれば落ちることはないし安全だと気が付いたからだ。

 それに、私だってそこまで、運動神経が悪い訳ではない。

 昨夜見た光景が、目に焼き付いて離れない。とても綺麗な女性だった。すっかり大人っぽく成長したクロードの隣に居たら、よく似合いそう。

 それに、よくよく考えてみると『偶然見掛けたんだけど、あの時に一緒に居た女性って誰なの?』と聞くことが、別に私たちの関係を決めなければならないことのようには思えない。

 ……けど、どうしても私は彼を意識しすぎて、聞けなかった。

 私は、クロードのことが好き……なのよね。そうよ。初恋の人だからという話では終われない。でなければ、こんなに気になるなんて、あり得ないもの。

 無心になりパタパタと箒を動かして、私は蜘蛛の巣を払った。

 シャンデリアに飾られた硝子がちょうど良い距離感なのか、蜘蛛の巣が張ってしまうことは避けられない。

 定期的に掃除するしかないのだけど、蜘蛛の糸が粘着質なのでなかなか取れないのだ。

 布で綺麗に拭ければ良いのかもしれないけれど、遠目で見ればわからないので、こうして蜘蛛の糸を払うだけで良いことになっている。

 ……あの綺麗な女の人は、もしかしてクロードのことが……好きなのかしら……。

「っ……わっ」