お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

「クロード。それでは、高級服屋にでも行く? 三本向こうの通りになるんだけど……」

 彼は勇者として世界救済について莫大な報酬を受け取ったと言われているし、そういう服が必要なのかと気を利かせればクロードは首を横に振った。

「いや、良いよ。古着屋で十分。俺だって時と場合は弁(わきま)えるけど、今買いたいのは普段着るものだから」

「あ……そうなの? そうね。古着屋に案内するわ」

 私は彼の希望に従って、貴族ではなく平民たちが利用する古着屋へと向かった。

 クロードは迷いなく飾り気のない黒い半袖のシャツを選んで、店員に渡していた。

「……シュゼット。良かったら、何か服を買わせてよ」

「え? けど……」

「これは、泊めてくれた宿賃だよ。それならば受け取れるだろう?」

 何もないのに受け取れないと言い掛けた私は、クロードの提案を聞いて思い直した。

 宿屋に泊まる宿泊費を浮かせて、私の部屋に泊まっていると考えると、クロードの言いようは確かにそうだった。

 私がお金を出して借りた部屋を、彼は使わせてもらったのだから、そのお金を払おうと言うのだ。

 それは、正当なる対価であると。

「……そっか。それは、確かにそうよね。受け取ろうかしら」

「うん。良かったら、どうぞ」

 久しぶりに好きな服が買えると私は嬉しくなって、店の中に並べられていた服をいくつか選んだ。

「……どれが良いと思う?」

「元々の素材が良すぎるから、何を着ても似合うから、可愛い」

「ちょっと……そういうのは、もう良いから」

 クロードに『可愛い』と言ってもらえることは、正直に言うと、とても嬉しい。

 けれど、複数の中からどれが自分に似合うかという、客観的な意見が欲しい時に求めているような言葉ではなかった。

「うーん。じゃあ、このドレスは?」

 私が選び出して着ていた服を完全無視して、クロードはとあるドレスを指さした。

 こんな古着屋には似つかわしくない、とても美しい丈の長い白いドレス。もしかしたら、没落した貴族から買い取ったものなのかもしれない。

 いいえ。それは、普段着るようなドレスでも、服でもなく……特別な、あの時にしか着ない服。

「ウェディングドレスなんて……! もう……! 着る訳ないでしょう」

「どうして? もうすぐ隣で着れば良いと思うけど」

 クロードはしれっと言い返し、私は半目になった。

「それ……みんなに言っているでしょ」

 だって、あまりに言い慣れている。おかしい……どうして、こんなに恥じらいもなく、そんな言葉が口から出て来るのか。

「俺が言うわけないよ。好きなのは、シュゼット一人だけだよ」

 クロードは肩を竦めると、私が選んだ服をすべて持って、さっさと会計してしまった。



「こちら、クロード・サイアーズだ。今日から、ローレンス侯爵邸で執事見習いとして務めてもらうことになった……挨拶を」

「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

 長めの前髪を撫で付け白シャツ黒いトゥラウザーズを身につけたクロードが軽く頭を下げると、その場に居た女性の使用人たちが口々に小さく歓喜の声を上げた。

 いつものようにメイド服を着て後方で立っていた私はというと、どうして家で待っているはずの彼がここに居るかわからずに戸惑うしかない。

 ……クロードも掃除メイドの私と同じように、ここローレンス侯爵邸で働くの?

 この邸を一手に取り仕切る執事が解散を告げ、私はそれとなく新入り執事見習いクロードの近くへと寄った。

「あの……どういうこと?」

「俺もね。シュゼットの覚悟が決まるまでは、ちゃんと待とうとは思うんだけど、その間、どうせなら近くに居たいと思って、同じ職場に就職することにした」

 当然のことのように言われて、私は何も言えなくなった。

 ……それは、クロード自身の勝手ではあるけれど……彼は、一生働く必要のない人のはずなのに。

「紹介状は? 偽名で用意したの?」

 もし、貴族の家で使用人として雇われるためには、以前に働いていた邸の主人の紹介状を持って行くことが一番に確実だ。

 逆に言うと主人に逆らったり窃盗を働いたりで紹介状を貰えていなければ、次の就職が出来ない。

 だから、使用人たちは何かの理由で辞めたとしても、その時に、主人からの紹介状を得るためにも真面目に働くのだ。

「追放した一人の神官が、大貴族だから、書いてもらったんだ」

「勇者パーティーから……追放したのに? 紹介状を書いてもらったの?」

 クロードの言いようを聞いて、私は驚いてしまった。だって、パーティーから追放したのに、頼み事が出来るって、一体どういうことなの?

「俺が一人ですべて魔王を倒すっていう大仕事をこなしたってことだから、感謝しているメンバーも居るよ。その一人が、神官。たまに呼びだして、怪我を治してもらう。俺も回復魔法は使えるけど、あまり得意ではないから」

「たまに、呼びだして……怪我の回復をさせるの? それだけのために?」

 勇者クロードのあまりの傍若無人振りに、私はぽかんとしてしまった。

「そうだよ。野宿前提の長旅もしなくて良いし、たまに呼び出されて回復魔法掛ける程度、別に大したことないと思うけど」

「そっ……そうなんだ」

 呼び出して、たまに回復させるためだけの関係ですって……自分勝手過ぎるわ。

 全く想像つかないけれど、私も一緒に遊んで過ごして居た頃には、あんなに可愛くて優しい天使クロードだったのに……時は人を変えるんだわ。本当に残酷。

 私は掃除担当のメイドで持ち場に行かなければいけないので、これから執事見習いとして時を過ごすクロードに手を振って別れた。

「……見た? 今回雇われた執事見習い。背も高くて見栄えするし、素敵よねー!」

「本当よね。以前は、リベルカ王国の公爵の元で働いていたそうよ……どうして、そんな良い職場を辞めて、ノディウ王国に移り住んだのかしら」

「聞いてみたら?」

「嫌よ! 恥ずかしいもの」

 本日のローレンス侯爵邸は、雇われたばかりの執事見習いクロードの話が、そこかしこから聞こえて来た。

 女性に人気ある……そうね。あんなに素敵なんだから、当然のことなのだろうけれど……。

 なんだろう。胸のあたりがざわざわする……クロードが女の子にモテるなんて、幼い頃もそうだったのに。

 私は掃除に使った布を浸けた桶を持って、外に行くことにした。後はこの布を洗って外に干せば、今日の仕事は終わりだった。

 私は大きな槽の中に井戸から水をくみ上げて、洗剤を入れると汚れた布を浸した。

 肌が丈夫な方ではなくて、この洗剤は合わないのだけれど、自分の肌に合わないから洗剤を変えてくれなんて言えるような身分ではなかった。

 ……これも、お金を得るための仕事。たった一人で、生きていくために。

「シュゼット! おかえり。別の仕事は、どうだった?」

「ドレイク……夜中の通信は、もう止めて貰える? 深夜に起こされるのも、迷惑だわ」

 ドレイクは金髪碧眼の従者(ヴァレット)で主人の傍に居る事が仕事だ。見目も良く、口も上手い。メイドとして雇ってもらったばかりの私に言い寄って、付き合ったばかりなのに浮気した。そして、別れた。

 別れたのはもう一年以上前なのに、ああしてまだ連絡して来たりするのだ。距離の詰め方が上手いのだけれど、それは女の子を軽く見ているからと今では理解した。

 つまり、ドレイクはただの女の敵よ。



「ごめんごめん! あの時は少し酔ってたんだよ。もうしないって~!」

「もう。その言葉、何回目なの? いい加減にして」

 私が軽く睨みつけると、ドレイクは無視してにやにやしつつ手を振った。

 こうやって、自分の都合の悪いことは聞かない振りをする。いつもの事なので、私もふーっと息をついた。

 何を言っても無駄なことは、前々から知っているけれど……本当に嫌だわ。

「というか、あれからシュゼットの通信機、使えなくなっているけど……どうかした?」

 あれからドレイクが私へ通信して来ても、受信する側の通信機が壊れているのだから繋がるわけは無く、ずっと不思議に思っていたのかもしれない。

 けれど、あれは仕事の時に使う物で家に居る時に使うものではない。私用での使用は禁止はされていないけれど、私はドレイクからの通信には迷惑していた。

 仕事上で連絡を取り合うこともないのたもから、彼からの通信だけ拒否出来たら良いのに……。

「……壊れてしまったの。通信機は今は、修理に出しているから」

 壊してしまったクロードがお金を出してくれて、今は専門のお店で修理中だ。私も提示された修理代を見て目が飛び出そうになったけれど、クロードはまったく動じずにお金を払っていた。

「え? 何があったの?」

「貴方に関係ないでしょう。ドレイク。いい加減私のことは、放って置いてよ。付き合ったことがあるとは言え、もう別れているんだから」

 彼のことを拒否するために嫌な表情をしてそう言ったのに、ドレイクはにやにやしながら私により近付いた。

「シュゼット~。そんなに嫌がらないでよ。俺たちは一度は付き合った仲じゃないか」

「……付き合って三日で浮気する人なんて、絶対に嫌よ。復縁することなんて、あり得ないからね」

 ドレイクは自らの容姿が良いことを良く知っていて、私に顔を近づけて来た。

 自分のことを嫌がるはずないだろう? 俺のことを悪くは思わないだろう? と、そう言いたげなふてぶてしい表情。

 確かに外見が良い男性に、嫌な気持ちを持つ女性は少ないと思う。

 けれど、私は出会ったばかりの彼に抱いた淡い好意を台無しにされて以降、このドレイクに好意なんて示したことはないはず。

 いつも嫌悪感剥き出しにして対応して、出来るだけ関わらないように避けているというのに、まだ嫌がっているとわかってもらえない。

「またまた~、嫌よ嫌よも好きのうちって言うんだよ。シュゼットには、まだわからないと思うけどね」

 遠ざかる私の腕を親しげに触ろうとしたので、やんわりと押し戻した。

「……私の嫌は、本当の嫌よ。もういい加減にして、ドレイク」

 本当の拒否を言葉に込めて強めに言えば、ドレイクは急に態度を豹変させた。