お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

 今日は不意に目が覚めてしまっていたけれど、ぐっすり眠っているところを起こされるなんて絶対嫌。

『けど、こうして起きているじゃないか。良かったら酒場に出てこないか。近くなんだ』

 がやがやとうるさい周囲の音を聞けば、彼は酒場で飲んでいるようだった。

 ……また、酔っ払って私を呼び出そうとしたのね。

「それは……」

 私が手にしていた通信機は、次の瞬間、クロードの右手の中で壊れていた。

「クロード!」

「誰」

「もうっ……これ高価なのよ。しかも、仕事で使うもので……」

 壊れてしまった通信機を手に弁償しないといけないと青ざめた私の前で、威圧的な空気を醸し出すクロードはもう一度同じ言葉を重ねた。

「誰」

 ああ……もう……いえ。これは、ドレイクが悪いわよね。

 だって、私たちもう別れているんだから、夜中に酔って連絡するなんておかしいのよ。

「今さっき通信をして来た人はドレイク……ローレンス侯爵邸での使用人の先輩で付き合ってすぐに浮気して別れたの。今では何もなくて、ただの仕事仲間よ」

 そうなのだ。なんならドレイクはキスすらする前に、私を裏切り、同僚の一人とそういうことをしていた。

 ドレイクは世慣れしていて頼りになる人だし、一人で生きて行くなんて難しいとは感じていた。

 けれど、そんな場面を見せられてしまったら、いくら謝罪されても、絶対に許せなかったのだ。

「言っただろう。シュゼット。もう仕事なんて、する必要はない。その男とも、会う必要もない」

 クロードは怖い顔をしている。けれど、私にだって守りたいプライドがあった。

「私は……私は、仕事を辞めるのが嫌なの! もう……一人では何も出来ないって、そうなってしまうのが絶対に嫌なの!」

「シュゼット」

「やっと手に入れた、私の仕事なの! そんな私のことが嫌なら、もうここから出ていって!」

 やっとの思いで就くことの出来た仕事を、自分がお金を出すから簡単に放り出せと言われてしまい、私はどうしても嫌だった。

「……ごめん」

 ドレイクに嫉妬したことを隠さなかったクロードは我に返ったのか、悲しそうな表情になった。

「せっかくこうして、一人でも生きていけるようになったの……だから、私を好きだと言うなら、今の私を理解して欲しいの……一方的に欲求を押し付けないで……私のことも、わかって欲しいの」

「ごめん。確かに……俺が悪かった。泣かないで」

 その時に、私は自分の頬に触れて、そこに涙が走っていると気が付いた。

「クロード」

「悪かった。急ぎすぎた……再会して間もないから、シュゼットがそう思うのも無理はない。ごめん」

 クロードはちゃんと謝ってくれた。彼のこれまでの話を聞けば、ドレイクとの関係を聞いて嫉妬してしまうことだって考えられる。

 けれど、私は今の仕事を手放すことに、どうしても抵抗があった。

 一人でお金を稼いで、一人でも生きていける……そう思うことで、自分の中にある土台を必死に積み上げて来たからだ。

 ……お金がなければ、暮らせない。

 お腹がすいているのに食べる物も買えないなんて、あんなみじめな思いは、もう二度と味わいたくなかった。

 次の日。

 私とクロードはノディウ王国の王都で、観光をすることにした。

 ……今思うと観光なんて、する暇もお金もなかった。私は家出してこの国に来て、生きて行くために仕事をして必死だった。

 だから、なんだか目に入るもの全部が新鮮で……王都に住んでいないクロードよりも、よっぽど、ここに住んで居る私の方が観光客に見えるかもしれない。

「……そんなに可愛くて、大丈夫? 道行く人に、可愛いで目に暴力を振るってないか?」

 私はクロードの言葉を聞いて、はあっと大きくため息をついた。

 クロードが私のことを、好きで居る理由も知っている。嘘のつけない彼に、何も知らない私が約束させたから。

 ……けど、自分でも思う。鏡で見る私って、そう悪くはないと自分では思うけれど……クロードのような美男に両手を挙げて口説かれるような、世にも稀な美女……という訳ではないもの。

「ねえ。クロード。私の……どこが好きなの?」

 約束する前から、クロードは私のことを好きで居てくれたと思う。けれど、私はもう……あの時の私ではない。

 貴族令嬢でもないし、よく手入れされた髪も肌も持っていない。貴族の身分を捨てた、ただの平民の女の子。

 クロードは私の言葉を聞いて、じっと見つめた。

 底で光を放つような、不思議な青い瞳。吸い込まれるように視線を合わせた私に、クロードは顎に手を当てて答えた。

「……わからない。シュゼットのことは、可愛いから好きなのか、好きだから可愛いのか。はじまりは謎だけど、それを考え出したら、ずっとループするから永遠に終わらない。外見もだけど、中身も良い。真っ直ぐで可愛い性格も好きだと思う」

「そ……そう……」

 クロードの話を聞いて、正直、私の笑顔は引き攣っていると思う。

 何。この人……私のことが、好き過ぎて、少し怖い。

 クロードが好きで居てくれる理由はもちろん知っているし、どこに居るかわからなかった私を諦めなかった理由も納得は出来る。

 けれど、ここまでクロードが私を好きで居てくれるという事実が、なんだか受け止めきれない。

 現実感なんてまるでなく、彼の存在そのものが夢の中の出来事のように思えるのだ。

「あ。俺。服を買おうかな……季節的に、そろそろ暑くなって来たし」

 クロードは観光地ならではのお土産物になんて目もくれず、実用的なものを買いたいと言い出した。

「クロード。それでは、高級服屋にでも行く? 三本向こうの通りになるんだけど……」

 彼は勇者として世界救済について莫大な報酬を受け取ったと言われているし、そういう服が必要なのかと気を利かせればクロードは首を横に振った。

「いや、良いよ。古着屋で十分。俺だって時と場合は弁(わきま)えるけど、今買いたいのは普段着るものだから」

「あ……そうなの? そうね。古着屋に案内するわ」

 私は彼の希望に従って、貴族ではなく平民たちが利用する古着屋へと向かった。

 クロードは迷いなく飾り気のない黒い半袖のシャツを選んで、店員に渡していた。

「……シュゼット。良かったら、何か服を買わせてよ」

「え? けど……」

「これは、泊めてくれた宿賃だよ。それならば受け取れるだろう?」

 何もないのに受け取れないと言い掛けた私は、クロードの提案を聞いて思い直した。

 宿屋に泊まる宿泊費を浮かせて、私の部屋に泊まっていると考えると、クロードの言いようは確かにそうだった。

 私がお金を出して借りた部屋を、彼は使わせてもらったのだから、そのお金を払おうと言うのだ。

 それは、正当なる対価であると。

「……そっか。それは、確かにそうよね。受け取ろうかしら」

「うん。良かったら、どうぞ」

 久しぶりに好きな服が買えると私は嬉しくなって、店の中に並べられていた服をいくつか選んだ。

「……どれが良いと思う?」

「元々の素材が良すぎるから、何を着ても似合うから、可愛い」

「ちょっと……そういうのは、もう良いから」

 クロードに『可愛い』と言ってもらえることは、正直に言うと、とても嬉しい。

 けれど、複数の中からどれが自分に似合うかという、客観的な意見が欲しい時に求めているような言葉ではなかった。

「うーん。じゃあ、このドレスは?」

 私が選び出して着ていた服を完全無視して、クロードはとあるドレスを指さした。

 こんな古着屋には似つかわしくない、とても美しい丈の長い白いドレス。もしかしたら、没落した貴族から買い取ったものなのかもしれない。

 いいえ。それは、普段着るようなドレスでも、服でもなく……特別な、あの時にしか着ない服。

「ウェディングドレスなんて……! もう……! 着る訳ないでしょう」

「どうして? もうすぐ隣で着れば良いと思うけど」

 クロードはしれっと言い返し、私は半目になった。

「それ……みんなに言っているでしょ」

 だって、あまりに言い慣れている。おかしい……どうして、こんなに恥じらいもなく、そんな言葉が口から出て来るのか。

「俺が言うわけないよ。好きなのは、シュゼット一人だけだよ」

 クロードは肩を竦めると、私が選んだ服をすべて持って、さっさと会計してしまった。



「こちら、クロード・サイアーズだ。今日から、ローレンス侯爵邸で執事見習いとして務めてもらうことになった……挨拶を」

「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

 長めの前髪を撫で付け白シャツ黒いトゥラウザーズを身につけたクロードが軽く頭を下げると、その場に居た女性の使用人たちが口々に小さく歓喜の声を上げた。

 いつものようにメイド服を着て後方で立っていた私はというと、どうして家で待っているはずの彼がここに居るかわからずに戸惑うしかない。

 ……クロードも掃除メイドの私と同じように、ここローレンス侯爵邸で働くの?

 この邸を一手に取り仕切る執事が解散を告げ、私はそれとなく新入り執事見習いクロードの近くへと寄った。

「あの……どういうこと?」

「俺もね。シュゼットの覚悟が決まるまでは、ちゃんと待とうとは思うんだけど、その間、どうせなら近くに居たいと思って、同じ職場に就職することにした」

 当然のことのように言われて、私は何も言えなくなった。

 ……それは、クロード自身の勝手ではあるけれど……彼は、一生働く必要のない人のはずなのに。

「紹介状は? 偽名で用意したの?」

 もし、貴族の家で使用人として雇われるためには、以前に働いていた邸の主人の紹介状を持って行くことが一番に確実だ。

 逆に言うと主人に逆らったり窃盗を働いたりで紹介状を貰えていなければ、次の就職が出来ない。

 だから、使用人たちは何かの理由で辞めたとしても、その時に、主人からの紹介状を得るためにも真面目に働くのだ。

「追放した一人の神官が、大貴族だから、書いてもらったんだ」

「勇者パーティーから……追放したのに? 紹介状を書いてもらったの?」