お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

 そう言ってクロードは返事も聞かず、さっさと出て行ってしまった。

 私も彼から言われて、はたと気が付いた。

 今着用しているような貴族令嬢が着るドレスは、狭い洗面所でなんて着替えられない。ふんわりと膨らんだスカートの下にはバッスルがあって、一旦これを外さなければいけない。

 このドレスは特別製で一人でも脱ぎ着出来るものだけれど、クロードが出て行かなければ私は彼の前で着替えることになっていたのだ。

「……気が利くんだから。それとも、優しいから? 幼い時からずっと、優しかったけど」

 そう呟きながら、私はひとつひとつ留め具を外し、洗える箇所は綺麗に畳み、洗えない箇所には消臭で霧吹きをかけた。

 そして、久しぶりに髪をひとつにして高い位置に括り、なんのへんてつもないワンピースに着替えた。

 堅苦しくもないゆったりとしたつくりの服に、ほうっと息を吐く。

 貴族令嬢のドレスは美しいけれど、重いし苦しい。何も締め付けられていない状態が、驚くほどの解放感だった。

「お疲れ様。やっぱり君は、何着ても可愛いね。シュゼット」

 大きな紙袋を手にして戻って来たクロードは、私の着替えた姿を見て頷いた。

「クロード! お帰りなさい」

「うん。何でも食べたいもの選んで」

「まあ! ありがとう……何にしようかしら」

 私は彼に渡された食料一杯の紙袋を覗き込んだ。

 お金のない私には縁のなかったご馳走ばかりで、とても美味しそう。

「……シュゼット。泊まって良い?」

「え? けれど、眠る場所ないわ。クロード。宿屋の方が良くないかしら」

 私は部屋の中を見回したけれど、ベッドはひとつしかないのだ。それも、クロードのような身体が大きな人が使うようなベッドではない。

「いや、俺は床で良いよ」

「床は駄目よ」

「シュゼットが寝心地を心配しているんなら、俺はどこでも眠れそうな寝袋出せるんだよね。ほら」

 クロードは『どこか』へ手を伸ばし、次の瞬間、寝袋は床に落ちていた。

 寝袋は驚くほどふかふかとしていて、なんなら、私のベッドよりも寝心地良さそう。

「まあ……すごいわ。クロード。それなら、別にここに居ても良いわよ。眠る場所さえ大丈夫なら」

「よくこれで、今まで……無事だったね。驚くよ。シュゼット」

 私が微笑んで許可を出せば、クロードはしみじみとした口調で言った。

「何を言ってるの? クロードは、幼なじみでしょ!」

「うん。それは、まあね。間違いないね」

 クロードは寝袋を調整しはじめたので、私はテーブルの上に食事を並べることにした。

 私はベッドの上、クロードは小さな椅子に腰掛けて、晩ご飯を食べる。

「美味しい……ありがとう。クロード。飛空挺に乗っている時の食費は出してもらえるけど、普段の生活でなかなかこんな物食べられないもの」

 肉汁たっぷりのサンドイッチにかぶりつく私を見て、クロードはしみじみして言った。

「なんだか……変わったね。前は、どこからどう見ても、育ちの良いお嬢様だったけど」

 お嬢様は手掴みで食事することなんて、絶対にありえない。それは、クロードの言う通り。

「変わらなければ、生きられなかったのよ。仕方ないわ」

「そっか……これまで、大変だったね」

 クロードは窓の外に目を向けて、そう言った。赤い夕日が沈む。もうすぐ、本格的な夜がやって来る。

「一人で生きるって、快適よ……」

「そっか」

 詳しいことを知りたいだろうクロードは、私の話を聞いて相づちを打ってくれるばかりになり、それからは何も聞かなかった。


 ふと目が覚めて瞼を開ければ、寝袋で就寝していたはずのクロードは窓の外を見ていた。

「……あ」

「シュゼット。起きたの?」

 ぼんやりと夜景を見ていたクロードは、私が起きたことに驚いたらしい。

「ええ……眠れなかったの……?」

「うん……シュゼットと会えて、興奮して嬉しくて眠れない。今が夢かもしれないと思うから」

 私は身を起こして、彼に近付き背中をさすった。クロードは驚いた表情を浮かべて、私を見た。

「小さい頃こうしてたら、すぐ笑顔になった」

「……いや、子ども扱いはやめてよ。ひとつしか変わらないんだから」

 苦笑いしたクロードはもう一度、窓の外へと視線を戻した。

 私だって彼と会わなくなって色々あったけれど、クロードだって同じことかもしれない。

「お使いに行って来た次の日は、休みなの。朝になったら、観光でも行く?」

 ノディウ王国の王都は、住民はあまり行かないけれど、観光出来る場所も多い。

「ああ……明後日から、仕事?」

「そうよ。私の本業。こういうお使いは、本当に、たまにしかないの。特別報酬が貰える、おいしい仕事だけどね」

「……ふーん」

 クロードはなんとも言えない表情をしていた。言いたいことがあるけれど、それを我慢しているという顔。

 私が何も言わないでって言ったせいね。

「そういえば、クロード。魔王を倒した仲間たちは、どうしてるの?」

 話を変えようと、彼側の話を聞くことにした。

 勇者といえば、パーティーを組むことで有名だ。通例でいくと、彼だって勇者以外四人の仲間が居るはずだった。

「あ……うん。そうだね。気になると思うけど、邪魔だったから、俺以外追放したんだ。だから、魔王を倒したのは、俺一人なんだよね」

「つ、追放? ……出来るんだ」

 私は思わぬ話題の流れに驚いた。全員追放しても魔王に勝ててしまうなんて、凄すぎる。

「うん。俺一人の方が動きやすかったし……シュゼットを早く探しに行きたかったから」

 とんでもない話をなんでもないことのように語り、私はため息をつくしかない。

「クロードって、なんだか、すごいわ」

「そう? 一人の方が気楽って、シュゼットも言ったと思うけど」

 それは、一人暮らしだと気が使わなくて楽だし、一人分だけ稼いでいればなんとかなる……そういうつもりで言ったんだけど……クロードとはあまりにも意味は違い過ぎるわ。

「……そうね。それは、否定しないけど……っ」

 不意に、通信機の音が鳴り響いた。

 これはローレンス侯爵家で貸与されるもので、少量とは言え通信魔法に魔石を使うため、とても高価な物だ。

 私は旅に出る時は必要ないと置いて行ったので、久しぶりに聞く呼び出し音だった。

「もーっ……こんな真夜中に」

 きっと……あの人だろうなと思う。これまでに何度もあったことで、私はそれに何度も出て居るんだから。

「はい」

『シュゼット! 元気にしているのか? そろそろ仕事に戻ってくるんだろう?』

 私は仕事を掛け持ちしているけれど、もうひとつの雇い主が期間限定を望んでいて、その人とローレンス侯爵は懇意であるという……設定。

「ええ。ドレイク。夜中に電話しないでよ。驚いたわ」

 今日は不意に目が覚めてしまっていたけれど、ぐっすり眠っているところを起こされるなんて絶対嫌。

『けど、こうして起きているじゃないか。良かったら酒場に出てこないか。近くなんだ』

 がやがやとうるさい周囲の音を聞けば、彼は酒場で飲んでいるようだった。

 ……また、酔っ払って私を呼び出そうとしたのね。

「それは……」

 私が手にしていた通信機は、次の瞬間、クロードの右手の中で壊れていた。

「クロード!」

「誰」

「もうっ……これ高価なのよ。しかも、仕事で使うもので……」

 壊れてしまった通信機を手に弁償しないといけないと青ざめた私の前で、威圧的な空気を醸し出すクロードはもう一度同じ言葉を重ねた。

「誰」

 ああ……もう……いえ。これは、ドレイクが悪いわよね。

 だって、私たちもう別れているんだから、夜中に酔って連絡するなんておかしいのよ。

「今さっき通信をして来た人はドレイク……ローレンス侯爵邸での使用人の先輩で付き合ってすぐに浮気して別れたの。今では何もなくて、ただの仕事仲間よ」

 そうなのだ。なんならドレイクはキスすらする前に、私を裏切り、同僚の一人とそういうことをしていた。

 ドレイクは世慣れしていて頼りになる人だし、一人で生きて行くなんて難しいとは感じていた。

 けれど、そんな場面を見せられてしまったら、いくら謝罪されても、絶対に許せなかったのだ。

「言っただろう。シュゼット。もう仕事なんて、する必要はない。その男とも、会う必要もない」

 クロードは怖い顔をしている。けれど、私にだって守りたいプライドがあった。

「私は……私は、仕事を辞めるのが嫌なの! もう……一人では何も出来ないって、そうなってしまうのが絶対に嫌なの!」

「シュゼット」

「やっと手に入れた、私の仕事なの! そんな私のことが嫌なら、もうここから出ていって!」

 やっとの思いで就くことの出来た仕事を、自分がお金を出すから簡単に放り出せと言われてしまい、私はどうしても嫌だった。

「……ごめん」

 ドレイクに嫉妬したことを隠さなかったクロードは我に返ったのか、悲しそうな表情になった。

「せっかくこうして、一人でも生きていけるようになったの……だから、私を好きだと言うなら、今の私を理解して欲しいの……一方的に欲求を押し付けないで……私のことも、わかって欲しいの」

「ごめん。確かに……俺が悪かった。泣かないで」

 その時に、私は自分の頬に触れて、そこに涙が走っていると気が付いた。

「クロード」

「悪かった。急ぎすぎた……再会して間もないから、シュゼットがそう思うのも無理はない。ごめん」

 クロードはちゃんと謝ってくれた。彼のこれまでの話を聞けば、ドレイクとの関係を聞いて嫉妬してしまうことだって考えられる。

 けれど、私は今の仕事を手放すことに、どうしても抵抗があった。

 一人でお金を稼いで、一人でも生きていける……そう思うことで、自分の中にある土台を必死に積み上げて来たからだ。

 ……お金がなければ、暮らせない。

 お腹がすいているのに食べる物も買えないなんて、あんなみじめな思いは、もう二度と味わいたくなかった。