お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

「……クロード。大丈夫なの?……とんでもない金額になってしまうのではない?」

 確かに彼は浮かれているみたいだけど、平民にとってみれば、とんでもない額を請求されることになる。

「俺を誰だと思っているの? 世界救済の報酬以外にも、さっきみたいな魔物退治で儲けているから、心配無用だから……部屋まで送ろう。シュゼット、部屋番号、何番?」

 機嫌の良さそうににこにこしたクロードとは対象的に、私は釈然としない思いだった。

 クロードのことは、好き。それは、否定しない。

 とんでもない事をこうして明かされたけれど、全く嫌悪感はない。

 今ではあの頃とだいぶ変わってしまっているけど、多分それでも、変わらずに好きだと思う。

 けど、忘れてしまっていた昔の約束を律儀に守り続けてくれているクロードに、素直にありがとうと感謝するには、今の私はあまりにも余計な経験を積み過ぎたのかもしれない。


◇◆◇


「シュゼットが頼まれている……その届け物って、どんな物なの?」

 私を船室まで送り届けてくれたクロードは、私の部屋の中に当たり前のような顔で入って、物珍しそうに内部を見回していた。

 飛空挺は主に貴族が使うと言っても、私が使うここは一番グレードの低い三等室。

 あまり広くなく、眠るためのベッドと小さな机と椅子があるだけ。

 これでも、平民の稼ぐ賃金三ヶ月分はするような、高価な船室なのだ。

 勇者であるクロードはここよりも高い部屋を使用しているだろうし、私の部屋の内部がどういう造りになっているのかが気になったんだろう。

「ああ……これは、まだ言ってなかったわね。もう既に届けた後なの。私はもう届け先から、手紙を貰って帰るだけなのよ」

 私は今、隣国から往復をしていて、帰る復路なのだ。

 私は何も書かれていない蝋で封をされた大きな封筒を、クロードに振って見せた。

「……それだけ? 名前も書いていないけど……」

「それだけよ。そして、これを雇い主に渡せば、私の仕事は完了なの」

「……ふーん。まともな取引なら、宛名くらいあると思うし、俺は怪しすぎると思うけど」

 クロードは私の持っていた固い紙で出来た封筒を取り上げて、灯りに透かすようにした。

 何をするのかと慌てて背伸びした私は、彼から封筒を取り上げる。

「私の雇い主と届け先が、懇意なのだと思うわ。別に宛名を書かなくても良いくらい親しいってことではない?」

「……なんだか、危ない仕事ではないって、自分に言い聞かせているみたいに思えるよ。シュゼット」

「なんですって?」

 私がクロードに言い返そうとしたその時、何かが部屋の中へと飛び込んで来た!

「えっ……!? え? え!!」

 私は驚いた。驚いたとしか言いようがなかった。

 船室内には背中に翼を持つ猫が確かに居るのだけど、上空を飛ぶ飛空挺の船室には窓を開くことなんて出来る訳がないし壁には穴は空いてない。

 けれど、綺麗な羽根を持つ薄紫の猫がそこに居るのは事実だった。

 魔物……ではないわよね?

 ……いいえ。もしかしたら、噂に聞く……魔力を持ち知能の高い獣、魔獣なのかしら。

「良いですか? クロード、落ち着いてください!」

「いや……お前がな。ギャビン。俺に何か用か?」

 猫は流暢に人語を喋り、立ったままで驚いた様子など見せないクロードの目の前で何かを訴えていた。

「……ん? クロード。こちらの|ご令嬢(レディ)は?」

「シュゼットだ。シュゼット。こちらは、翼猫のギャビン。俺が勇者としての役目を与えられた時に、勇者を導く案内人として選ばれた魔獣」

「はっ……はじめまして。シュゼット・フィニアンです……」

 クロードから紹介を受けた私は、条件反射で挨拶して自己紹介をした。

 ギャビンは私をまじまじと見て、綺麗な青色をした目を見開き、器用に頭を下げた。

「僕はギャビンです。勇者パーティを迷わぬように導く役目を持つ。それは、代々違う魔獣が順繰りに選ばれるのですが、今回は翼猫の番で、その中で一番に優秀な僕が選ばれたんです」

 柔らかそうな毛がふわふわな胸を反らした誇らしげにギャビンに、クロードは胡乱げな眼差しで見つめた。

「いや……だから、何の用? 俺は勇者として魔王を打ち倒し、すべての役目を終えただろう」

 嫌そうな表情のクロードに、ギャビンは器用に肩を竦めた。

「何を言うんです。クロード。勇者たる者、民が助けを求めれば、応えるべきだと思いますよ」

「いや……知らない。確かに勇者の剣を抜いてしまったのは、一生の不覚だが、まさか自分が勇者に選ばれてるなんて、思わなかった。最終目的である魔王を倒すまでやり遂げたんだから、その後は放っておいてくれよ」

 クロードはうんざりした口調で言い、柔らかそうな腕を組んでいたギャビンは小さく息をついた。

「まあまあ、少しだけで良いから話を聞いて下さい。僕は別にクロードと、口喧嘩したい訳ではないです」

「わかった……今は邪魔だから、俺の船室にでも待機していてくれ。話だけは聞いてやる」

 その後、クロードが投げやりに部屋番号を告げると、ギャビンは黙ったまま大人しく、上に向かって飛び、天井をすり抜けて行ってしまった。

「翼猫……? 猫に翼がある魔獣なんて居るのね。凄いわ……天井を通り抜けて行ってしまった」

 私が感心して呟くと、クロードは目を細めて頷いた。

「ああ。あれは、翼猫の能力で……いや、それは良いんだ。やっぱりシュゼットは、育ちが違うね。いきなり空飛ぶ猫が室内に飛び込んできても、とりあえず挨拶はするし……生まれや育ちは、どうしても隠せないね」

 クロードが何故か嬉しそうに言ったので、私は不意に痛みを感じた胸に両手を当てて首を横に振った。

「私はもう、貴族令嬢ではないもの……ただの平民よ。皆と一緒だわ」

「……何を言っているの。シュゼットは、他とは違うよ。全然違う。特別な女の子だ」

 再会したクロードはやけに、私を特別視する。

 私が昔、彼にさせてしまったあの約束のせいだと思うけれど。

 これだって、ただの事実……私はもう、貴族ではない。

 お金がなくなり家が没落してしまって、何も持っていない平民の一人。

「同じよ。今はあの頃に持っていたものを、何も持っていないわ。貴族の身分も……何もかも」

 私が顔を上げた、その時の……クロードの表情。

 これまで彼は何を言っても余裕綽々な顔をしていたはずなのに、やけに悲しそうに見えた。

 何なのかしら……どうして、そんなに悲しそうなの。

 私がここでこうして居ることは、クロードのせいでも、なんでもないのに……。


◇◆◇


 翌日、私は体調を崩してしまって寝込んでしまった。

 クロードと再会した昨日には、あまりにも色々なことがあったせいかもれない。

 大型魔物が襲い掛かり、海の藻屑になりそうなところをすんでのところで回避出来たもの。いわば死の危険を免れたばかりで、なかなか

 船室の扉をノックした音が聞こえたので、私はのろのろとした動きで扉を開けた。

「……はい?」

「あ。ごめん。ロビーのどこにも居ないから……どうしたの。シュゼット。具合でも悪いの?」

 そこに居たのは、再会したばかりの幼馴染みクロードだった。ううん。今は世界を救った勇者様だった。

 私は日中はロビーで空を見て過ごすことが多いと言ってあったけれど、今日は居なかったからここまで来てくれたみたい。

「そうなの。なんだか、お腹の調子も悪くて……多分、昨日大きく驚き過ぎたからだと思う。魔物に生まれて初めて襲われて、何年も会っていなかった幼馴染みに再会したから」

 私がお腹を撫でつつそう言うと、クロードは慌てた様子で言った。

「うわ。それって、完全に俺のせいだな。ちょっと待ってて。消化に良さそうなものを作ってもらってくるから」

 私が返事をしない内に、クロードは廊下を走って行ってしまった。

 俺のせいって……変なの。魔物からこの飛空挺を救ってくれたのはクロードなのに。

「……お待たせ」

 私はベッドに戻って横になっていたら、クロードはついさっきの言葉通り消化に良さそうな温かなスープを持って来てくれた。

「ありがとう……クロード」

「熱は?」

 クロードは不意に私の額に大きな手で触れて、私の胸はドキッと大きく高鳴った。

 彼はもう立派な成人男性なのに、家族のように近い距離感は幼馴染みのままだ。

 別に……嫌ではないけれど、刺激が強過ぎるわ。

「だっ……大丈夫!」

「そう? 心配だからそこの椅子に座ってて良い?」

 クロードが指さした椅子は備え付けの物なのだけれど、単にないと便利だろうと必要があって置いてある程度で、実用性はあるけれど快適性はまったくない。

「私の船室、狭いのに! 大丈夫だよ……気にしないで」

「いや、俺が……シュゼットを驚かせたせいだから。うん。責任を感じているだけ。だから、早く良くなってよ」

 クロードはにっこり微笑んで、私は幼い頃と変わらない笑顔をを見て胸がドキドキした。

 ……そうだった。小さな頃も私が風邪を引いたら、こんな風に出来るだけ傍に一緒に居てくれたっけ……。




「……クロード。クロード。早く来て!」

「待って。シュゼット。前を見て走らないと、転んじゃうよ!」

「わ!」

 シュゼットは足を引っかけ見事に転倒し、追いついた僕はすんでのところで彼女の腰を持って、地面に身体を打ち付けるところまでは防げた。

「ほら!」

「うふふ。ごめんなさい! けど、クロードが居たから、大丈夫でしょう?」

 シュゼットは僕が怒った表情を見せても、楽しげに笑うだけだ。

「……それは、そうなんだけど、あぶないよ」

「だから、大丈夫なの。一緒に居たら、私はあぶなくないもん。ずっと私のそばに居てね。大好きよ。クロード」

 僕だけに見せる、無邪気で可愛い笑顔。

 クロードのことが好きだと、子どもらしい独占欲を出せば、それがとても嬉しかったのを覚えている。

 離れるはずはないと思って居た。同じ邸に住み、毎日会って遊んでいる。