頼りにしていた雇われた人たちが来るまでの単なる時間稼ぎだったのかもしれない。よくよく考えればローレンス侯爵は戦闘なんて一度もしたことがなさそうだもの。
……だから、クロードはあんなにも余裕を持っていたのね。
私の命には何の危険はないと思えば、あんな遊びにも思える条件付けにも納得するわ。
「おい……シュゼットを利用して、殺そうとしたんだろう? お前の雇った男たちがあまりに怪しすぎるので、騎士団がここに来るのは時間の問題なんだよなあ。言い残したいことはあるか?」
クロードはまるで子猫を持ち上げているように易々とローレンス侯爵を持ち上げていて、もう逃げられないと悟っているのか顔は青ざめぶるぶると震えていた。
「……クロード。もう」
私はなんだか、可哀想に思えた。これから、ローレンス侯爵は今までの罪を、すべて精算することになる。
「約束だよ? シュゼット」
私の言葉を聞いてクロードはローレンス侯爵を床に落とした。彼は観念したのかうずくまり、身を丸くしていた。
王族が肝いりで関税を掛けている高額な宝石の密輸に、敢えて手を出していたのだ。貴族剥奪は免れず、何もかもを失うだろう。
私たちがここで全てを失うことになる、ローレンス侯爵を責め立てるまでもない。
ここに居る全員が、わかっているもの……悪事に手を染めた彼の末路を。
◇◆◇
「いやあ、これは、すごいことになりましたね!」
新聞を手にした翼猫ギャビンは興奮した様子で飛空挺のロビーでくつろぐ私とクロードにそう言い、紫色の翼を羽ばたかせた。
色々と事騎士団からの情聴取も終わった私たちは、必要な荷物を纏めてリベルカ王国へ帰るところだ。
私は自分がこれまでにしたことを、何もかも正直に洗いざらい話した。そして、疑問を持ちつつも、特別な仕事として、あれをしていたことも。
けれど、騎士団側から見れば、私がただ利用されていたことは、一目瞭然だったらしい。
ローレンス侯爵の日記にも私のことを利用しているとはっきり書かれてあったらしいし、密輸の片棒を担がされている割には、あまりにも生活が質素過ぎると言われた。
何かしら……それは、確かにその通りなのだけれど、えも言われぬ気持ちになってしまう。
だから、騙されていてただ手紙を配達していただけとなった私は、ノディウ王国の司法では晴れて無罪となり、クロードと一緒に私の家出したトレイメイン伯爵家へと向かっている。
……私にはそれでも、あの人を……ローランス侯爵を憎み切る事が出来なかった。家出したのに無事だったのは、あの人が私を一番に見つけたからだ。
その事については、感謝をしている。たとえ利用するためであったとしても、ある意味では救って貰えていたのだから。
そして、新聞で大々的に報道されてわかったことだけれど、ローレンス侯爵が密輸先としていたのは、ギャビンがクロードに『悪事を暴いて欲しい』とお願いした大臣だったのだ。
今はそれが判明し、ギャビンは新聞を見て興奮して騒いでいた。
けれど、勇者の案内人に選ばれし翼猫は、他の人の目から姿を消すことも出来るらしく不可思議な現象も注目されていない。
誰かが目をこらせば、勝手に新聞が浮いていることに気が付く人だって居るかもしれないけれど……人は人のことを、そこまで注目して見て居ないということなのかしら。
「いや、凄いですね。クロード。ちゃんと仕事していたんですね」
ギャビンは興奮気味にそう言い、クロードは飲んでいた紅茶のカップを置いて肩を竦めた。
「それは、結果的に……まあ良いや。ギャビン。これはちゃんと国王陛下に言っておいてよ。俺は世界を救った勇者として、世のため人のために働いているってさ」
「もちろんですとも!」
ギャビンは綺麗に新聞を折りたたみ、まるで騎士の誓いでもするかのように胸に手を当てた。
「まあ……別に俺も人助けしたくない訳ではないし、一番の目的のシュゼットだって見つかったし、これからは出来る範囲で色々やるよ」
クロードがそう言えば、ギャビンは肉球を合わせて目をキラキラとさせた。
「そういう言葉を、待っていました! クロード。ようやく勇者としての自覚が芽生えたのですね! リベルカ王国国王陛下にも、僕からそう報告しておきますね!」
そして、ギャビンは天井に向かって飛んでいなくなった。いつもながら、物体をすり抜けることが出来るって、本当に凄いわ。
今頃は飛空挺より早く飛んで、王様の元に向かっているのかしら。
「あいつ、大丈夫かな。興奮していたから、変な風に伝えないと良いけど……まあ、良いか。テレーズだって、いい加減俺を追い回すのも大変だろうし。俺がちゃんと仕事すれば、彼女の好きな人との結婚だって認められる。ギャビンがシュゼットのことを報告すれば、すべては丸く収まるはずだ」
「そうなの?」
リベルカ王国のお姫様が勇者と結婚することは通例だとは聞いたけれど、クロードが勇者として仕事するようになれば、彼女が他の人との結婚が認められるということ……?」
「うん。勇者としての能力をもって、王族として王国に寄与せよという話だからさ」
「あ……そうか。お姫様と結婚すれば、クロードも王族になるものね」
「そうそう。だから、国王は俺と姫と結婚させたがっているんだよ。王国の治世者の一員となれば、王国のために働くのは当然で、いくらでも無料で使えるから」
クロードはどこか、うんざりしたように言った。それほど、周囲からのテレーズ姫と結婚しろという圧が強かったのかもしれない。
「それは……確かにそうよね」
私は苦笑した。そんな勇者クロードがお姫様との結婚を拒んだ理由は、私との幼い頃の約束だと知ればどんな顔をするかしらね……。
「ねえ。クロードって、どうして、私のこと好きなの?」
これは、私は前々から聞きたかったことだ。クロードほどの人が、私のことをずーっと思い続けてくれていた。
それは嬉しいことだけど、理由があるなら教えて欲しい。
「……好きに理由とかいる? 三歳の頃からシュゼットのことを好きなんだから、本当に一生好きだよ」
クロードは真面目な顔をして、それを言ったし、私は照れてしまって顔を熱くした。
聞いたのは、私のはずなのに……。
「……私、今更貴族令嬢に戻るの?」
トレイメイン伯爵家に戻るということは、そういうことだ。両親が既に貴族として生活しているのなら、私も社交界に戻ることになるのだろうか。
「……けど、俺と結婚するし、どっちでも良いよ。貴族に戻らなくても」
クロードは結婚のことをさらりと言ったから、私の顔はもっと赤くなってしまっているはずだ。
それはそうだし、クロードは再会してからずっと、私との結婚のことを言い続けているんだけど。
「戻っても良いの?」
「良いよ。戻りたいなら、先に婚約はしてもらうけどね」
クロードはいつも通りで、照れた様子もない。本気でそう思って居るし、当然のことだろうと言わんばかりに。
私は窓に目を向けて、流れていく景色を見た。
クロードと再会した時。あの時しか大型魔物と遭遇したことはないので、やっぱり、あれはとんでもない偶然だったのだわ。
「そういえば……飛空挺に私が乗っているかもしれないとわかっていたなら、どうして直接呼び出さなかったの?」
ふとそれに、気が付いた。飛空挺内の放送自体は、割と良くあることで迷子の呼び出しにも使われることがある。
「シュゼットが家出した家の家族に探されてるかもしれないと思って、もう飛空挺に乗らないかもしれないだろう? だから、自然に俺がここに居るってわかれば、出て来てくれるかなって……」
「え?」
これまでのクロードの言葉に引っかかりを感じ、私は眉を寄せた。
だって、それって、もしかして。
「うん。実はあの鳥型の魔物……襲って来るようにして、仕込みだったんだよね。良かったよ。犠牲が二桁の内に見つかって……魔物とはいえ絶滅すると、心が痛むからさー。一応あいつらも生態系のどこかを担っているわけだし」
「え?」
私は理解不能過ぎる言葉に、頭が追いつかなくなった。
仕込み……? あの魔物が? 嘘でしょう。
「うん。あれは俺を呼び出しているようで、シュゼットを呼び出してたってこと。世界一の魔物使いと仲良いから、飛空挺を襲って貰うようにしていた。運営会社上層部にも話を通している」
「信じられないわ……クロード」
私は何も言えず、言葉を失ってしまった。信じられないし、意味がわからない。
けれど、クロードは私を探すためなら、それこそなんでもしていたということなのではないだろうか。
「別に良いよ。俺にとって君は、それだけ大事な存在だってこと。一生、シュゼットを守るよ」
「え? 待って……もうこれで、私たち、一生一緒に居ることにならない?」
だって……クロードは生半可なことで、嘘をつけないはずよ。
「うん。何か、問題でも?」
長い足を組み余裕たっぷりなクロードは、頬杖をついて『問題なんか、ある訳ないよね?』と言わんばかり。
「……あるかも」
なんとなく否定したくなった私がやけに綺麗に見える青空が広がる窓に目を向ければ、彼の弾けるような笑い声が耳に届いた。
Fin