お呼び出しを申し上げます。お客様の中に世界を救ってくださった勇者様はいらっしゃいませんか?

 けれど、ローレンス侯爵に拾われなければ堕ちるところまで堕ちていたか、死んでいたと思う。何も持たない一人の女の子が、何もなく生きて行けるほど、この世の中は甘くはない。

 利用されたとしても、救われたことは、間違いない。

 私はあれから知り得た情報から自分なりに考えた結果をクロードに報告すると、彼は大きく息をついた。

「……うん。まあ、そんなとこだと思う。もし万が一シュゼットが捕まったとしても、知らないで済ませるつもりだったんだろうな」

「そうよね」

 飛空挺のロビーの窓から見える雲海は、次々に流れていく。常に変化し続けるしかない、私たちの人生のようだった。

 出来れば、信じていたかった。私を救ってくれたローレンス侯爵を、良い人だと思ったままでいたかった。

 過去にした判断を、決して間違いにしたくはなくて。

「私は……これまでずっと、騙されていたのね」

 ぽつりと言った言葉に、クロードはなんとも言えない顔で頷いた。彼だって私を傷つけたくないはずだ。

 けれど、これは誤魔化しようもない真実だった。

「どうしたい? シュゼット。俺は君が知らずに犯罪に関与させられていたという事実は許し難いものではあるけれど、君の考えを支持するよ」

 これまでに、ローレンス侯爵邸でお世話になった人たちの顔が浮かんだ。彼らは何も知らずに働いているだけだ。私が何も出来ない新人だった時も、とても優しくしてくれて良くしてくれた。

 私がローレンス侯爵の犯罪を告発すれば、彼らの仕事を奪ってしまうことになる。

「……ノディウ王国を離れて、少し考えてみる。いきなり沢山のことが起こったから混乱してて、今の私は上手く判断が出来ないと思う」

 両親たちの話を聞いてしまった時だって、そうだった。

 衝撃的なことが起こって、衝動的に行動してしまったけれど……一人で暮らして働いて、今ならば両親たちの気持ちもわかる。

 お金がないと心にもないことを言って、関係を悪くしてしまうことは、誰にだってあると思う。

 だって、お金がないと食べ物も買えないし家も確保出来ない。何も出来ない。

 お金がない自分も嫌になって気持ちが暴れ出して、あんな酷い言葉を互いにぶつけてしまうことだってあるかもしれない。

「俺はさっき言った通り、シュゼットの言葉を支持するよ。確かにそうだ。あまりにも色々なことが起こりすぎた。今すぐには、未来後悔しない選択が出来るとは思えない……時間を置こう」

「うん……退職の届けは済んでいるから、荷物を持って、一度ノディウ王国を離れましょう。私が無事だとわかれば、ローレンス侯爵に何をされるかわからないもの」

 彼は私の言葉に頷いた。出来れば後任への引き継ぎもちゃんとしたかったけれど、これは非常事態だった。

 ……ローレンス侯爵を信じていた。私を救ってくれた人だったからだ。けれど、それは宝石の密輸を私にさせるためだっただけだ。今はそれがわかってしまった。

 私はあの彼のことを、一体、どうしたいんだろう。



 私とクロードはノディウ王国へと戻り、引っ越しの準備をすることにした。

 クロードには帰り道の途中で、住んで居る集合住宅の大家へと解約手続きを頼んだ。出来るだけ一刻も早く、この国から出て行きたかったからだ。

 私は階段を駆け上がり、部屋へと戻って荷物の準備をする。

 どうしても持って行きたいものだけを選別して、クロードの空間収納魔法ですぐに出て行くつもりだった。

 部屋の中はいつも通り、長く窓を開けていないために篭もった空気だった。

「ふう……」

 私は一旦荷物を置いて、貴族令嬢のようなドレスを着替えようと思った。

 ……けれど、クロードの話によると、私が家出したトレイメイン伯爵家は厳しい金銭難を切り抜け既に復興しているらしい。

 だから、私は今でも一応……トレイメイン伯爵令嬢シュゼット。ということになるのかもしれない。

 ふとその時、テーブルの上に目をやれば、そこには一通の手紙があった。

 私がここを出て行く時には置いていなかったし、もしかしたら、追い掛けて来たクロードがすれ違った時用に私宛に置いて行ってくれた手紙なのかもしれない。

 何気なく手紙を持ち上げ、その宛名を見て愕然とした。

 『リズ・キングレー』……私があの、特別な仕事の時に使っていた偽名だった。

 慌てて手紙を開く。封筒には封がなく、まるで、誰かが手紙を読んだ後のような……。

 手紙の内容はリズ・キングレーという女性に向けて、宝石の密輸を頼んでいる『誰か』からの手紙だった。

 飛空挺のチケットも同封していると書かれており、決してこれが最初の依頼ではないと読み取れるもの。

 ……ああ。

 私は大きく息をついて手紙を胸に抱き、悲しく辛い絶望的な気持ちになった。

 これをここに置いた人物。それは、ローレンス侯爵に他ならない。

 私は宝石を密輸していた、『誰か』に雇われた工作員。ローレンス侯爵とは無関係で、ただ人の良い彼は私に騙されていたことになるのだろう。

 救ってくれた、優しくしてくれた、私に必要なものを与えてくれた。

 ああ……私という人間を最後まで、利用するために。

「……ああ。シュゼット。戻って来たのかい」

 その声を聞いて背中に緊張が走った。そうよ。この部屋に手紙があるという事は、いつ何があっても私を犯人に仕立てようとしていた。

 彼が居ても何もおかしくない。

「ローレンス侯爵」

 ゆっくりと振り向いて、思って居た通りの人物の名前を呼んだ。

「心配したんだよ。シュゼット……逃げ出したようだね。あれは腕の良い奴らとは聞いていたが、結果を見ればそうではなかったようだ」

 にっこりと微笑んでいる。いつも彼が使用人たちに見せるような、優しい笑顔。

 けれど、どうしてだろうか。ローレンス侯爵の目から、底の見えない深淵のような暗闇を感じてしまうのは。

「……あの人たちに、私を誘拐させたんですね。どうして」

 理由は明白だったけれど、私は聞いてしまった。もしかしたら……何かの勘違いであると言って欲しかったのかもしれない。

 そんな訳があるはずもないのに。

「ああ。誘拐はさせたね。今回は手紙を渡して貰う機会ではなかったからね。君を殺すかどうやって存在を消すか。ただ、それを実行する機会だっただけなんだよ」

 謳うように滑らかに吐き出される、信じがたいほど酷い言葉。

「……ひどい」

 声が震えてしまった。私が辞めようとしたから、口封じのために殺そうとしたんだ。

「シュゼット。君は本当に可愛いね。どこからどう見ても、上流階級の出だ。誰も君のことを、平民であるなんて思わない。言葉遣いや所作を見れば、育ちはどうしても出てしまう……君は裏路地で蹲っていたあの時が懐かしいね。私が君をあそこから連れ出さなければ、すぐに売られて娼館行きだっただろうけどね」

 ……それは、その通りだった。私はだから、ローレンス侯爵に感謝して……だけど。

「これまで私に宝石の密輸を、手伝わせていたんですね」

 私の言葉を聞いてローレンス侯爵は、にこにこと微笑んで頷いた。

「ああ。知っていたのか。話が早いねえ。そうなんだよ。どうしても、それは誰にも知られたくなかった。君が私の管理下から離れると言い出すなら、こうするしかなかったんだよ」

「私の口止めのために、こんなにも大がかりなことを?」

 信じられなくて絶句した。

 けれど、それだけ宝石の密輸は儲かる犯罪なのかもしれない。使用人への金払いも良く、裕福なローレンス侯爵。

 違法な犯罪行為で簡単に儲けたお金であれば、使う時にも軽々しくなってしまうものなのかもしれない。

「君を誘拐したあいつらは、頼んだ通りにシュゼットから奪った宝石を私に売りに来たから全員消したんだよ。先に絶対に逃げられないと聞いていたのに、シュゼットは帰って来ているじゃないか。どこからどう見ても可愛らしい貴族令嬢なんだから、殺しても良いし売っても良いと言っておいたんだけどねえ」

 にこやかな黒い目の奥にある、底知れぬ闇。

 どうして私はこれに気が付かず生きて来たのだろうと、ゾッとして背筋に冷たいものが走った。




「……そこまでだ」

 いきなり扉の方から声が聞こえてきたので、ローレンス侯爵は慌てて目の前に居た私を後ろから羽交い締めにした。

「クロード……」

 その時の私の声は、震えていたと思う。けれど、クロードが居れば、なんとかなるだろうと思った。

 こんなにも緊張感溢れる場面だというのにクロードは普段と変わらない様子で、なんなら剣さえも抜いていない。

 何の危険もない日常と変わらないとでも言いたげに。

「お前……ああ。この前に執事見習いで雇った男か! どうして、ここに居る。もしかして、シュゼットと結婚するというのは、そういう……」

 私の背後にがっちりとしがみついたローレンス侯爵は、この状況が信じられないと言わんばかりだ。

「ああ。そういうこと。言っておくけど、あんたが頼りにしている怪しげな男たちなら、さっき俺が全部戦闘不能にした。今頃、医者にでも運ばれている頃じゃない」

「……この女が、どうなっても良いのか」

 私の首には何か、金属製のものが置かれた。

 ……何? 刃物? 私の背中に冷たいものが走った。

「知らないことは公平な勝負ではないから、先に言っておくけど……俺はこの前に世界を救った勇者で、数秒かからずにシュゼットを取り戻すことが出来る」

「何を! 勇者がこんな場所に居る訳がない。リベルカ王国でお姫様とでもよろしくやっているだろう」

「人の言葉を信じないって、なんだか酷いね。密輸に手を染める悪党なだけあるよ。あんたの言葉を、シュゼットは、ずっと信じていたというのに……どうする? シュゼット」

「助けて。クロード」

 すかさず私は、彼に今すぐして欲しいことを伝えた。

 なぜだか、クロードはこの状況を楽しんでいるように思える。それほど余裕のある状況なのかもしれないけど。