目の前にあるのは、クロードの整った容貌だった。こうして間近で見ると、天使のように愛らしかった時の面影がある。
幼い頃にあれだけ可愛かったのだから、男性として成長すれば素敵な人になるはずよね。
不意に唇に熱を感じて、私は驚いて彼の身体を押しのけた。
さっ……さっき、クロード私とキスしたんだけど!!!
「あ。ごめん。そういうことなのかと思ったんだけど」
「違います! だって、そういうのは……その、もう少し時間が経ってからにしましょう」
だって、クロードが私をずっと好きで居てくれたのは知っている。それって、彼の自由意志に基づいているか不安なのだ。
「どうして。俺のことは……もう好きじゃないの?」
ここまで来て何を言い出すのかと不思議そうに言ったクロードに、私はムッとして彼を睨み付けた。
「好きだよ! 好きだけど、私だけ好きでも仕方ないでしょう! クロードは約束を守り続けていてくれているだけなのは、私だって知っているもの」
「好きだよ」
クロードはさらりと言ったけど、すごく嘘くさい。
「うそ」
「嘘じゃないよ。俺は嘘つけないから」
「……そうだった」
勇者は持っている加護の関係で、嘘がつけない。だから、私との約束を守り続けていてくれたはずで……。
「俺たちが今こうしている大前提、忘れないでよ……けど、シュゼットは嘘をつける。それに、実は厳密に言うと嘘がつけない訳ではないんだ。代償として寿命が縮むだけで」
「えっ……それは、嫌」
クロードが嘘をつくと、代償として寿命が削られる。そんなこと、絶対に嫌だった。
「うん。俺はわかってたんだ。嘘は言えないって教えられて、ああ言えばシュゼットのこと、ずっと好きでいられるから」
「私のこと、好きって……信じて良い?」
「再会してから、それをずっと言い続けていたけど、やっとここで信じてくれた?」
もういつ諦められてもおかしくないくらいに分からず屋だった私にクロードは苦笑いしていたけど、急に真面目な表情を見せた。
横抱きしていた私をサッと地面に下ろすと、腰に佩いていた剣を抜き放った。
私が彼がそうした理由を知ったのは、その後のこと。洞窟の中に巨大な黒い影が見えて、クロードはその魔物と対峙していた。
けれど、それは呆気なく終わってしまった。
クロードが剣を薙いだのは、二回ほど。それだけで、重い音をさせて巨大な影は倒れてしまった。
彼のことは勇者だと理解していた。だって、飛空挺での魔物退治も見事なものだったし……けれど、こうして戦っている姿を目の当たりにすると、本当に凄い。
「クロード。どうして、そんなに強いの?」
私はその時、素直に思ったことを聞いた。
凄まじいくらいの強さを持つ、勇者クロード。
彼が大いなる素質を与えられた上に、強くなるための修行を重ねたとしても、それだけでは何か追いつかないように思えるのだ。
「なんだろう……俺は負けると、思ったことがない。これかな。絶対、自分が勝つと思ってるから? ……うん。多分、シュゼットの聞きたいことへの答えなら、それだな」
「絶対、自分が勝つと思って居るから……なのね」
そこで私は、なんとなく彼の言い分を理解をした。
クロードはどんな敵を前にしても、自分は勝てると確信しているから、負けないんだわ。
たとえどれほど劣勢になっても、本人が絶対に勝てると思って居るのなら、どこからか勝利の鍵を見付けることだって、可能なはずよ。
だから、勇者クロードはパーティーを全員追放したって、一人で魔王も倒せたんだわ。
色々と落ち着いた私たちは、一旦ノディウ王国へと帰国することにした。
空飛ぶ飛空挺で、とんぼ返りだ。
仕事としてローレンス侯爵に貰ったチケットは、色々あって乗り遅れたと理由を話せば次の便を取ってくれることとなった。
クロードは『どう考えてもローレンス侯爵が怪しいから、シュゼットの部屋の荷物だけを持ってすぐに逃げよう』と言ったので、私も彼の言い分には同意した。
私を誘拐した誰かは手紙に入っているものは、『宝石』と言っていた。
実はノディウ王国の宝石は、質が高く世界でも有名で、欲しいと思う人は多い。
けれど、出来れば貴重な宝石は自国で流通して欲しいと何代か前の国王によって、輸出される際には、宝石そのものの価値の半額が関税として掛けられることになっている。
そもそも高価な宝石にそれだけの関税が必要となると、それだけ多額の税収入があるということだ。
……私がローレンス侯爵から届けるようにと言付かる、あの固めの封筒には宝石が隠されていてもおかしくはない。
やけに分厚いと思って居たけれど、大事な書類だから枚数も多いのだろうと思って居た。
私はもしかしたら、宝石の密輸に、そうとは知らずに関わっていたのではないだろうか。
ローレンス侯爵邸がやけに裕福な理由。それに、飛空挺は貴族や裕福な商人が多い。
それに、貴族は特権として荷物検査免除なのだ。
……だから、私は『リズ・キングレー』という架空の貴族令嬢になりすまし、宝石を密輸していたということになる。
それに、私は元々貴族令嬢でドレスだって着慣れていたし、自分で言うのもなんだけど礼儀作法だって出来ている。
こうして荷物検査免除が出来る貴族令嬢になりすますのなら、もってこいの人物だったのかもしれない。
ああ……すべてはこれで、筋が通ってしまった。
ローレンス侯爵は、私をこのためにメイドとして雇った。たまに特別報酬のある仕事として『本当に頼みたい仕事』をさせる。
だから、私は……あの時に、彼に拾われたのね……。
けれど、ローレンス侯爵に拾われなければ堕ちるところまで堕ちていたか、死んでいたと思う。何も持たない一人の女の子が、何もなく生きて行けるほど、この世の中は甘くはない。
利用されたとしても、救われたことは、間違いない。
私はあれから知り得た情報から自分なりに考えた結果をクロードに報告すると、彼は大きく息をついた。
「……うん。まあ、そんなとこだと思う。もし万が一シュゼットが捕まったとしても、知らないで済ませるつもりだったんだろうな」
「そうよね」
飛空挺のロビーの窓から見える雲海は、次々に流れていく。常に変化し続けるしかない、私たちの人生のようだった。
出来れば、信じていたかった。私を救ってくれたローレンス侯爵を、良い人だと思ったままでいたかった。
過去にした判断を、決して間違いにしたくはなくて。
「私は……これまでずっと、騙されていたのね」
ぽつりと言った言葉に、クロードはなんとも言えない顔で頷いた。彼だって私を傷つけたくないはずだ。
けれど、これは誤魔化しようもない真実だった。
「どうしたい? シュゼット。俺は君が知らずに犯罪に関与させられていたという事実は許し難いものではあるけれど、君の考えを支持するよ」
これまでに、ローレンス侯爵邸でお世話になった人たちの顔が浮かんだ。彼らは何も知らずに働いているだけだ。私が何も出来ない新人だった時も、とても優しくしてくれて良くしてくれた。
私がローレンス侯爵の犯罪を告発すれば、彼らの仕事を奪ってしまうことになる。
「……ノディウ王国を離れて、少し考えてみる。いきなり沢山のことが起こったから混乱してて、今の私は上手く判断が出来ないと思う」
両親たちの話を聞いてしまった時だって、そうだった。
衝撃的なことが起こって、衝動的に行動してしまったけれど……一人で暮らして働いて、今ならば両親たちの気持ちもわかる。
お金がないと心にもないことを言って、関係を悪くしてしまうことは、誰にだってあると思う。
だって、お金がないと食べ物も買えないし家も確保出来ない。何も出来ない。
お金がない自分も嫌になって気持ちが暴れ出して、あんな酷い言葉を互いにぶつけてしまうことだってあるかもしれない。
「俺はさっき言った通り、シュゼットの言葉を支持するよ。確かにそうだ。あまりにも色々なことが起こりすぎた。今すぐには、未来後悔しない選択が出来るとは思えない……時間を置こう」
「うん……退職の届けは済んでいるから、荷物を持って、一度ノディウ王国を離れましょう。私が無事だとわかれば、ローレンス侯爵に何をされるかわからないもの」
彼は私の言葉に頷いた。出来れば後任への引き継ぎもちゃんとしたかったけれど、これは非常事態だった。
……ローレンス侯爵を信じていた。私を救ってくれた人だったからだ。けれど、それは宝石の密輸を私にさせるためだっただけだ。今はそれがわかってしまった。
私はあの彼のことを、一体、どうしたいんだろう。
私とクロードはノディウ王国へと戻り、引っ越しの準備をすることにした。
クロードには帰り道の途中で、住んで居る集合住宅の大家へと解約手続きを頼んだ。出来るだけ一刻も早く、この国から出て行きたかったからだ。
私は階段を駆け上がり、部屋へと戻って荷物の準備をする。
どうしても持って行きたいものだけを選別して、クロードの空間収納魔法ですぐに出て行くつもりだった。
部屋の中はいつも通り、長く窓を開けていないために篭もった空気だった。
「ふう……」
私は一旦荷物を置いて、貴族令嬢のようなドレスを着替えようと思った。
……けれど、クロードの話によると、私が家出したトレイメイン伯爵家は厳しい金銭難を切り抜け既に復興しているらしい。
だから、私は今でも一応……トレイメイン伯爵令嬢シュゼット。ということになるのかもしれない。
ふとその時、テーブルの上に目をやれば、そこには一通の手紙があった。
私がここを出て行く時には置いていなかったし、もしかしたら、追い掛けて来たクロードがすれ違った時用に私宛に置いて行ってくれた手紙なのかもしれない。
何気なく手紙を持ち上げ、その宛名を見て愕然とした。
『リズ・キングレー』……私があの、特別な仕事の時に使っていた偽名だった。
慌てて手紙を開く。封筒には封がなく、まるで、誰かが手紙を読んだ後のような……。
手紙の内容はリズ・キングレーという女性に向けて、宝石の密輸を頼んでいる『誰か』からの手紙だった。
飛空挺のチケットも同封していると書かれており、決してこれが最初の依頼ではないと読み取れるもの。
……ああ。
私は大きく息をついて手紙を胸に抱き、悲しく辛い絶望的な気持ちになった。
これをここに置いた人物。それは、ローレンス侯爵に他ならない。
私は宝石を密輸していた、『誰か』に雇われた工作員。ローレンス侯爵とは無関係で、ただ人の良い彼は私に騙されていたことになるのだろう。
救ってくれた、優しくしてくれた、私に必要なものを与えてくれた。
ああ……私という人間を最後まで、利用するために。
「……ああ。シュゼット。戻って来たのかい」
その声を聞いて背中に緊張が走った。そうよ。この部屋に手紙があるという事は、いつ何があっても私を犯人に仕立てようとしていた。
彼が居ても何もおかしくない。
「ローレンス侯爵」
ゆっくりと振り向いて、思って居た通りの人物の名前を呼んだ。