クロードはさも当然のようなことを言ったけれど、お姫様は国で一番と言えるほどに周囲から大事にされて育って来たはずだし、そうなってしまうのかもしれない。
「そっか……それは、確かにそうだよね」
「そうそう。自分を嫌いな人は、自分のことを嫌いな人を選ぶようにね……自分を好きって良い事だよね。自分の幸せ最優先で、常に動くようになるしさ。俺はそれは良いと思う。それって、自分勝手でもなんでもないよ」
「なんだか……誤解してて、恥ずかしい」
私は両手で顔を覆った。ただ二人が会っているのを見ただけで、勝手に勘違いして、良くわからないやきもちを妬いていたことになる。
「どうして、可愛かったよ。シュゼットは、俺のこと好きなんだなーって」
「そんな!」
私が顔を上げると、思ったより近くにクロードの顔があった。
「違うの?」
「私。用があるから!」
私はその場から慌てて立ち上がり、とにかくすぐに扉から出ることにした。
そして、扉の前で財布も何も持っていないことに気が付く。
「シュゼット。ごめん。揶揄った。こっちにおいでよ」
間抜けにも私はクロードに手を繋いでもらって、元の位置に戻ることになった。
なんて、恥ずかしい……。
「ごめんごめん。あまりにも可愛くて変なことを言ってしまったけど、いくらでも待つよ。シュゼットの気持ちが落ち着くまで」
「私……クロードのことが好き」
いくらでも待つと言ってくれたクロードに対し、私の唇からはそんな言葉がこぼれていた。
「うん。俺も好きだよ。シュゼットしか好きじゃない」
真剣な眼差し……そうだ。私は彼のことがすごく好きだから、テレーズ姫のことが誰だか気になってしまっていた。
「あの……私、家出してから一人で生きて来て、誰かに頼ることは抵抗があった。けど、クロードのことを少しずつ頼るようにする」
「嬉しいよ。シュゼット。俺はそれで良いよ」
そう言ったクロードと見つめ合い、私たちは長い時間互いの心を探っていたように思う。
私はクロードのことが好き。彼も好きだと言ってくれる。
これは、両想い。だから、彼を拒む理由なんて、ある訳ない。
……私がノディウ王国ローランス伯爵邸で働いていた理由は、一人でも生きて行くためだった。
クロードと二人で生きて行くなら、もう必要ない。
それを認めるのに、時間が掛かってしまった。
「……けど、仕事は最後までやりたいの。後任の人への引き継ぎもちゃんと終わらせて、これまでにお世話になった人たちに迷惑を掛けるような辞め方をしたくないの」
「良いよ。さっき言っただろう? 俺ならいくらでも待てるって。シュゼットが気が済むまで、したいことをすれば良い」
クロードは私の意志を出来るだけ、尊重してくれる。それこそが……彼からの愛を感じる。
だって、勇者になったクロードはその気になれば私の意志なんて関係なく、ここから連れ出すことだって、とても簡単に出来るもの。
私は雇い主のローランス侯爵へと、メイドの仕事を辞めたいと自分でお伝えしようと思った。
執事やメイド長には、先んじてお伝えした。残念そうにはしてくれたものの、ローレンス侯爵邸の使用人は給金も良ければ待遇も良い。すぐにでも、私の後釜は見つかるはずだ。
けれど、ローランス侯爵は行き倒れになりそうだった私を救ってくださった方で、大事な命の恩人だ。
特別報酬のあるお仕事もくれる方で、彼に挨拶もなく辞めてしまうことは躊躇われた。
ここに来る時は、あの仕事を頼まれる時くらい。
おそるおそる扉を叩くと、中から入るようにと返事があった。室内へと入り、私は使用人の礼をした。
「……おお。シュゼット」
「失礼します。ローレンス侯爵」
私が顔を上げると、白髪を撫で付けとても優しそうな笑顔を見せてくれた。ジョン・ローランス侯爵はひょろりとした身体であまり背が高くない。
一見頼りなさそうに見えるのだけれど、ノディウ王国でローランス侯爵家は裕福な貴族として権勢を誇っていた。
「ローランス侯爵。私……その、実は辞めさせていただくことになったんです。侯爵様には大変お世話になりましたので、最後のご挨拶に」
「おお! そうなのかね。シュゼット。どうしたんだい。何か仕事場に不満があるのかい?」
ローレンス侯爵は寝耳に水だったのかとても驚いた表情になったので、私は慌てて首を横に振った。
「そんな! ローレンス侯爵邸の仕事に、不満なんてありません。皆様良くしてくださいますし、やり甲斐を持っております。ですが、あの……そろそろ私も結婚を……」
仕事を辞めてクロードと出て行くということは、そういうことだ。言葉にしてしまうと急に恥ずかしくなり、顔が熱くなって来た。
……いえいえ。何の恥ずかしいこともしていないはずよ。先方にとっては使用人が結婚して仕事を辞めるなんて、良くあることのはずだもの。
「そうか。シュゼットもそんな歳なんだね。月日が流れるのも早いものだ」
私が家出してかた2年の月日が経ち、ここで雇ってもらい仕事にもようやく慣れた。多忙な月日が流れるのは早く、ローレンス侯爵も同じように思って居るようだった。
「……ええ」
「だが、すまない。最後にこの一回だけ、リベルカ王国へのお使いを頼まれてくれるかい?」
「あ。ええと……」
実は、クロードには危険だからもうあの仕事は請けない方が良いと言われていた。
けれど、私から言わせると貴族令嬢の振りをして、手紙を届けるだけなのだ。どうしてそんなに警戒しているのだろうと、不思議だった。
「シュゼット。辞めたいと言っているところ悪いけれど、すぐに君の代わりを見付けるから。この一回だけだよ。頼む」
ローレンス侯爵の都合もあるだろうし、いきなり仕事を辞めると言い出したのは、他ならない私だ。後任がすぐには見つからないから、これだけはと言う気持ちも理解出来る。
どうしようかとは心の中で葛藤した。クロードにはもうやってはいけないと言われているけれど、彼はきっと私の意志を尊重してくれるだろう。
そうよ。ここまで何回も引き受けたって、危ないことなんてひとつもなかった。
ローレンス侯爵には……今までとてもお世話になっていたもの。
これだけは、引き受けよう。
「……わかりました。お引き受けします」
「ありがとう……! シュゼット、助かったよ……」
一度大きく頷いた私はローレンス侯爵に手を握られて、彼には最後の恩返しをしようと思った。
◇◆◇
ローレンス侯爵から頼まれた最後の特別な仕事となる行きの往路。
……飛空挺内は、とても暇だった。
私はいつも通り偽名で乗船し、貴族令嬢の格好で日々を過ごす……仮病を使って先に仕事に向かってもらったクロードには、部屋に置き手紙をして。
だって、彼には絶対に反対されると思った。ローレンス侯爵から指定された日程的に、言い争う時間がなかったのだ。
すぐに帰ることが出来るから、説明すればわかってもらえると思う……クロードにはすっごく怒られてしまうだろうけれど、それでも良い。
私の気持ちではこのお仕事だけは、絶対にしておきたかったもの。
いかに様々な術を使うことの出来る勇者クロードとあろうとも、先に出発してしまった飛空挺にたどり着ける訳はないはず。
私は手紙を渡して渡されてトンボ返りすれば良いだけの話だし、そんなに難しい仕事ではないのだから。
そろそろ、リベルカ王国に到着するといういつもの放送が鳴った。
……はーっ……短時間だけれど、そろそろ地上に立てるのね。やはり、空の上に居ると平衡感覚が狂う気がする。
これでこの仕事もすることもないしもう終わりなのねと思えば、なんだか寂しい気もした。
特別報酬は美味しかった……一人暮らしとなると何かと物入りで、臨時収入があれば急な出費にも安心でメイドには贅沢品だって買えたからだ。
私はいつも通りに用意されていた馬車に乗ろうとした時、背後から誰かに抱きつかれ鼻に布をあてられて薬品を嗅がされた。
遠くの方でいくつもの声が聞こえる。
……あった。あった! これだ! これさえあれば、俺たちは一生安泰に暮らせる。
……あの女は、どうするんだ。用無しだし、売っても殺しても良いと言われたが。
……売れば良いだろう。高価なドレスを着て貴族令嬢に化けられる女が、平民であるはずがない。どうせ没落した上流階級の女だ。売れば良い値がつく。
……おい。夢見が悪くなることは良そう。どうせこの宝石があれば、唸るほどの金になる。女を売るにしても、売り先を探したりと時間がかかる。依頼人の元に行くのが先だ。置いて行こう。
そこで複数の足音が混ざり合い、遠ざかって行った。
◇◆◇
「! ……はあっはあっ……え?」
久しぶりに悪い夢を見ていた私が荒い息で目を開けば、そこは暗黒の世界だった。
何も見えない。
目をまだ閉じているのかと思って何回か瞬きをしても、見えないままだった。
慌てて手探りしても何もないから、おそらくは光の届かない地下……それか、洞窟の中に居る。
「う、うそでしょう……」
私は飛空挺から降りた時に、誘拐されてしまった。
しかも、何も見えない。手の当たるようなところにも何もない。床は触った感じは、少し湿っぽい石に思える。洞窟の中なのかもしれない。
「どうしよう……! クロード……!」
「……はい」
私が半狂乱になりかけて彼の名前を呼んだ時、クロードのやる気のない声が聞こえた。
何……? 幻聴にしては、やけにはっきりしていたわ。
「……クロード?」
「はい。俺の忠告を完全無視したシュゼットさん」
クロードだ! 本当に、クロードの声だった。
「どうして……ここに居るの?」
「シュゼットを助けに来たからに決まっていると思うけど」
それはわかるけれど、どうやってここにまで来たの……? 彼はノディウ王国に居るはずなのに。
「違うわ。私は飛空挺に乗って、リベルカ王国に来たのよ。どうして、クロードがここに居るの?」