「……うわ、今何時!?」

 しばらく寝ている佐倉を見ていると、目を覚ました佐倉が突然飛び起きた。

 「うわ、びっくりした」
 「え、沢城?ちょっと待って、今……」

 佐倉は慌ててスマホを取り出して、画面を見て眉を顰める。俺もつられたようにスマホを取り出して時間を確認すると10時過ぎになっていた。

 「テスト始まってるじゃん、なんでお前までここにいるんだよ!?」

 どうして俺が怒られなきゃいけなんだ、とすごい剣幕の佐倉を見て思う。というか、さっきまで倒れ込んでいたくせに、こんなに大きな声が出せるのか。

 「お前が倒れてたからだろ」
 「最悪……今日のテスト絶対受けなきゃいけなかったのに。ていうか沢城まで巻き込んで本当に……」

 頭を抱えている佐倉。俺の手元にある佐倉のノート。きっとすごく勉強したんだろう。それなのにテストが受けられなかったのは確かに辛い。佐倉が体調不良になったのも、テスト勉強を頑張りすぎたせいなのではないかと考える。

 「こんなに勉強したの?」

 佐倉に手元のノートを見せると、佐倉は慌てたように俺の手元からノートを奪い取る。

 「何勝手に見てんだよ」
 「ごめん、鞄のファスナー開いてて落ちたんだよ」
 「……過去1勉強したし、絶対テスト受けなきゃいけなかったのに」

 はぁ、とため息をつく佐倉。俺も今回のテストは絶対に成績を落としちゃいけなかった。佐倉のせいで、と母親に思われたくなかった。今までにないくらいしっかり勉強していた。それでも目の前で倒れた佐倉を、放っておくなんて選択肢は1ミリも浮かばなかった。

 「つーか、ごめん。俺のせいで沢城もテスト受けられなかったよな。今からでも一緒に戻って……」
 「そんな状態でテスト受けても集中できないだろ。体調悪いんだから寝てろよ」

 佐倉は「確かに」と呟いてまた肩を落とす。俺への申し訳ないという気持ちが全面に溢れていて、しょんぼりしている佐倉は少し面白い。なんて言ったら怒るだろうけれど。

 「沢城だけでも戻れよ。学校」
 「……まあ、そうだけど」

 改めて佐倉を見ると、目の下にはクマがある。今まで通りバイトもしながら勉強していたんだろうか。バイトが終わるのが21時過ぎで、それから帰って勉強して、次の日も遅刻しないように早起きして、なんて生活していたら、倒れるのは当たり前だ。人には「無理するな」なんて言っておいて、自分は無理ばかりして。よく言えたもんだな、と思う。

 「今まで、こんなにテスト頑張ってたっけ」
 「いや、全く」
 「じゃあなんで?」
 「……」

 佐倉は、少し考え込んだように沈黙する。そんな、隠すような理由があるのか。

 「テスト頑張るのに言いづらい理由ある?」
 「……から」
 「え?」

 「お前に釣り合うようになりたかった、から」


 佐倉の言葉の意味がすぐには理解できなくて、固まる。佐倉はすっと視線を逸らして、斜め下を見る。耳が赤いのは、熱のせいなのか、それとも。

 「……何とか言えよ」
 「え、いや……え?」

 釣り合うように、って。それって。そんなの、都合のいい勘違いをしそうになる。
 困惑する俺の顔を見て、佐倉はふっと笑う。

 「沢城の隣にいてもいいって、認めてもらいたかったんだよ」

 俺の隣に立つために、そのためにこんなになるまで勉強したのか?どうして、だって、いつもお前に憧れていたのは、俺の方なのに。

 「っ……そんなの、俺の方が助けられて、いつも佐倉に教えてもらってばっかりなのに」

 佐倉の耳が、少し赤い。それは熱のせいなのか、俺のせいなのか。俺のために、俺の隣にいるために、こんなに勉強して、毎日遅刻せずに学校に来ていたってことか?

 手元のたくさん書き込みがされたノートに、再び視線を移す。きっとバイトも休んだりせず行っていたのだろう。それで帰ってから勉強して、でも遅刻しないように早く起きて。そんな忙しい生活を送っていたから、体調を崩してしまったということか。それが全部、俺のためだったっていうのか。

 弱みを見せようとしない佐倉が、目の前で、俺のせいで弱っている。男同士だとか、タイプが違いすぎるとか、他に好きな人がいるんじゃないかとか、今まで頭の中でぐるぐると考えていたことが、急にどうでも良くなってくる。

 そんなことよりも、ただ。
 目の前にいるこの男が、愛おしくてたまらない。

 「なあ、佐倉」
 「何」
 「……好きだよ」

 言葉にすれば、こんなにもシンプルな気持ちだった。ずっと俺を悩ませていた気持ちを口にしたら、思いのほか簡単で拍子抜けする。誰かのために頑張ろうとする、佐倉が好きだ。俺にないものを持っていて、その金色の髪みたいに明るくて眩しくて、そして少し不器用な、佐倉のことが。男同士だとか関係なくて、俺は佐倉という人間が好きで、誰にも渡したくなくて、それで……。

 それで、ずっと隣にいてほしいと思っていた。
 それはただ、佐倉のことが好きだったからだ。

 「俺も好きだよ。沢城のこと」

 佐倉は少し眉を下げて、優しく笑う。その頬にそっと、触れてみたくて手を伸ばすと、佐倉の手が俺の手を包み込んだ。そのまま、佐倉はもう片方の手で俺の頬に、優しく触れる。佐倉の、匂いがする。

 「好き、悠月」
 「っ……」

 ゆっくりと近づく顔。佐倉が、長いまつ毛を伏せる。俺もつられたように目を閉じると、唇に優しく触れた。ドクン、ドクン、と心臓が脈打つ。佐倉の、柑橘系の香水の匂いがふわりと香る。握られた手が、熱い。
 唇が離れて、ゆっくり目を開けると、愛おしそうな顔で俺を見つめる佐倉がいた。ぎゅう、と心臓が締め付けられて、苦しい。

 「さくら、」
 「……凪、って呼んで」
 「っ……なぎ、」
 「ん、なに?」
 「……何でもない」
 「なんだよ」

 佐倉が笑うから、俺も笑う。
 こんなに幸せな気持ちを教えてくれた佐倉のことを、もう一つも諦めたくないと思った。