結局佐倉は、戸波さんとカフェに行ったんだろうか。放課後の図書室で、いつの間にか来週に迫ったテストに向けて勉強しながら、窓の外を見る。ここからは校門が見えるから、帰っていく生徒たちがよく見えるけれど、佐倉と戸波さんの姿は見当たらなかった。
「……あ、会長」
数学の問題集を解いていると、不意に声をかけられて顔を上げる。
「高坂」
高坂もテスト勉強のために図書室に来たらしい。普段は放課後の図書室は人がほぼいないけれど、テスト前は人が増える。高坂は俺の前の席に座って、机の上にノートとテキストと筆記用具を広げる。高坂とはあれ以来、2人きりになるのは初めてだ。生徒会で一緒になることはよくあったけれど、その時は他のメンバーもいたから、何を話していいかわからなくて少し気まずい。
「会長、最近すごい勉強してますね」
俺が戸惑っているうちに、先に口を開いたのは高坂だった。
「まあ、テスト期間だしな」
「テストなんて会長からしたら余裕でしょ」
「いや、今回は絶対失敗できないから……」
手元の問題集に視線を落とす。書き込みがたくさんされたそれは、今までで1番勉強した証拠だった。
「今回は、って……?」
「これで成績落としたら、あいつのせいだって思われる」
あの日、夜の公園で、怒っていた母親の言葉を思い出す。今俺が成績を落としたら、「ほら、あんな不良と夜遊びなんかしてるからよ」と怒られるのが目に見えている。そんなこと絶対に言わせたくない。なにも佐倉のせいにしたくない。そのためにも今回だけは絶対に、失敗するわけにはいかない。だから夜も遅くまで勉強している。これ以上佐倉を誤解されたくない。俺のせいで。
「何があったのかよく分からないですけど……本当に好きなんですね、あの人のこと」
高坂は、寂しそうな顔で視線を落とす。
「……うん、好きなんだ。あいつのこと」
もう叶わないと思うけれど。
佐倉とは話さないまま、ついにテストの日を迎えた。学校の最寄り駅で電車を降りたとき、駅のホームで蹲っている人の姿を見つけた。
行き交う大人たちはみんなちらりと彼を見るけれど、時計を気にしてそそくさと通り過ぎていく。あの受験の日の記憶と、目の前の光景が重なって見える。しゃがみ込んで肩で息をしている男の髪は金色で、髪の間から覗く耳にはピアスが光っていて、そしてブレザーの下に黒のパーカーを着ていた。
「っ、佐倉……!?」
見覚えのある姿に慌てて駆け寄る。しゃがみ込んでいる佐倉は、息を荒くして肩を揺らしている。顔を覗き込むと苦しそうだ。相当辛いのか、顔を上げることもできない様子の佐倉をとりあえず医務室に連れて行こうと思い、もう一度声をかける。
「佐倉、立てるか?」
「沢、城……?」
佐倉はゆっくり顔を上げて、そして俺を視界に入れる。少し驚いたように目を見張ったけれど、体調のせいでいつもの勢いがない。熱があるのか、顔が赤くなっている佐倉を、エレベーターに乗せて駅員のいる部屋に運ぶ。駅員さんは佐倉を見て、医務室へ案内してくれた。ベッドの上で苦しそうにしている佐倉を、見守ることしかできない。佐倉はいつも俺を助けてくれたけれど、俺は何もできないのか、と悔しくなる。
「……珍しいな、お前が体調不良なんて」
ベッドで寝ている佐倉にぽつりと呟くけれど、佐倉には届いていなかった。いつも、体調不良になっているのは俺ばかりだったから、どうしていいかわからない。
佐倉も弱ってる時とかあるんだな、と思っていると、佐倉の持っていたバッグのファスナーが開いていることに気付く。物が落ちたら大変だから閉めておこうと思いバッグを持ち上げると、開いていた口からノートが落ちてしまった。
「え……」
拾ったノートのページがめくれて、思わず声が漏れる。ノートにはぎっしりと書き込みがしてあって、佐倉がたくさん勉強したことがわかる。今回のテスト範囲だ。不思議に思って思い返すけれど、佐倉はいつもテストは下から数えた方が早い順位だったはずだし、勉強もあまりしていなかったはずだ。こんなにテスト勉強をするようなタイプだったか……?
そういえば最近の佐倉は、授業も真面目に出ているし、授業中も寝たりスマホをいじったりしないでしっかり聞いている。何かあったんだろうか。最近仲のいい、戸波さんの影響だったりして、と勝手に想像して、少し気分が落ち込む。
そう言えば、テストもう始まるな……。スマホに表示される時計は、9:30。受験のあの日と被る。あの日助けたのは弟の雪くんだったけれど、今日は兄の方か、と思うと思わず笑ってしまう。でも、迷いはない。佐倉が目を覚ますまでここにいたい。

