「おはよー」
 「おはよう!」

 次の日。挨拶が交わされる教室に、不機嫌な顔をした佐倉が入ってきた。定額になったと噂で聞いていたはずの佐倉が普通に登校してきていることに、クラスメイトたちも不思議そうな顔をしている。

 佐倉は不機嫌な表情のままつかつかと歩いて、俺の席の前で立ち止まった。怖い顔で、俺を見下ろしている。やっぱり不良なだけあって、金髪やピアスもあいまって、睨む顔には迫力がある。

 「お前、先生たちに何か言っただろ」
 「さあ」

 俺はしらっとした顔で、顔を逸らす。佐倉の眉間の皺が深くなった。

 「おい」
 「……お前の家の事情とかは何も言ってないから安心しろ。ただ、バイトするのにも理由があるだろうし、これから態度を改めて毎日真面目に登校させるから、見逃してくださいって言っただけだ」

 佐倉はチッ、と舌打ちをする。

 「何勝手なこと言ってんだよ」

 佐倉は困ったような、怒ったような顔をしている。
 あの後校長先生に直談判しに行って、「沢城がそこまで言うなら……」と今回は見逃してもらえることになったのだ。

 「……本当に余計なことすんな」

 本気で怒っているらしい佐倉に、困惑する。助けようとしただけなのに。……って、これはただの俺のエゴか?

 「余計なこと、って」
 「俺みたいな奴とつるんでるって教師にバレたら、お前の株も下がるだろ」
 「っ、俺はそんなこと……、」

 そんな風に、俺は一度だって思ったことない。そう言おうとしたけれど、佐倉の冷め切った視線に、思わず言葉を飲み込む。

 「最初からお前とは合わねーと思ってた。もう俺に関わるな」

 低くて、冷たい声で。そう言い放った佐倉は、そのまま自分の席に向かって行った。俺は呆然として、その場に立ち尽くす。

 佐倉はずっと、そんな風に思っていたのか。一緒にいて楽しいと思っていたのは、俺だけだったのか。ずっと?公園で2人で喋ったあの夜も?

 ″最初からお前とは合わねーと思ってた″その言葉が何度も頭の中でぐるぐると回る。俺はそんなこと一度だって、思ったことなかったのに……。

 俺がしたのは余計なことだったんだろうか。佐倉の気持ちを考えられていなかったんだろうか。勝手に「態度を改めて毎日真面目に登校させる」なんて約束をしたのが嫌だったのか?いろいろ考えるけれど、佐倉の気持ちはわからない。授業が始まってからもそのことばかり考えて、全然集中できなかった。

 ……佐倉は俺のことが、嫌いなのかもしれない。



 意外なことに、あれから佐倉は一度も遅刻をしていない。毎朝しっかり登校してきて、サボったりも早退したりもせず、授業中も寝ない。金髪ピアスや着崩した制服は相変わらずだけれど、佐倉の態度の変化には先生たちもかなり驚いていた。

 「さすが沢城だな。どうやって佐倉をあんなに改心させたんだ?」

 きっと俺が「態度を改めて毎日真面目に登校させる」なんてことを言ったからだろう、校長先生にも声をかけられたけれど、俺は何もしていない。むしろ佐倉と喋ってもいないし、佐倉はきっと俺のことが嫌いだ。

 だから佐倉が真面目になったのは決して俺のおかげなんかじゃなくて、佐倉の力で。佐倉がどうしてそうなったのか、俺は何も知らない。少し前まで1番近くにいるような気がしていたけれど、とんだ勘違いだったようだ。佐倉と言葉を交わすことがなくなってからは、佐倉が何を考えているのか、少しもわからなくなってしまった。

 塾の帰りには、毎回佐倉の働いているコンビニの前を通る。通るけれど、中に入ることはできなかった。佐倉としゃべったあの小さな公園を少し遠回りして眺めては、そのまま家に帰ってまた勉強する。俺の生活は、佐倉と出会う前に戻っていた。

 本当は何度も、コンビニに寄ろうとした。甘いものも欲しかったし、佐倉にも会いたかった。それでもその自動ドアの前に立つ勇気が出なかったのは、″もう俺に関わるな″と言った佐倉の冷たい視線を思い出すからだった。

 またあんな顔をされたら、もう俺は立ち直れないかもしれない。俺のことが嫌いなのはわかったから、これ以上あんな顔しないでほしい。そうやって逃げては振り返って、暗い夜道に煌々と光るコンビニの灯りを、ただ呆然と眺めていた。



 「佐倉、ここ行かない?」
 「は?」
 「新しくできたカフェ!一緒に行こうよ」
 「何で俺と……」
 「カップル割って言うのがあるの!男女なら何でもいいっぽいから、付き合ってよ」
 「はぁ?面倒くせぇ……」

 そんな会話が聞こえてくる昼休み。佐倉と喋っているのは、隣の席の戸波さんだ。カップル割、と言う言葉に、食べていたパンを喉に詰まらせそうになった。ちらりと視線を斜め後ろに向けると、窓際の1番後ろの席でご飯を食べている2人。

 机をくっつけて一緒に食べているとかではないけれど、元々の席が隣だから、自分の席でご飯を食べているというだけで2人で食べているみたいになっている。戸波さんはすごく楽しそうだ。新しくできたカフェに2人で行こうと、佐倉を誘っているところらしい。


 ″カップル″か、とふと考える。俺は、佐倉とどうなりたいんだろうか。佐倉と戸波さんを見てモヤモヤするのは、おかしいことなんだろうか。佐倉と、どんな風になりたいんだろうと考える。

 またあの頃みたいに、くだらない話で笑いたい。こっちを見て、わらってほしい。会いたいと思った時に、会える存在になりたい。声が聞きたいなと思った時に、電話ができる理由がほしい。沢城、って呼ぶ声をもういっかい聞きたい。いつも楽しそうに笑っていてほしい。できるだけ傷付かないでほしい。無理せずしっかり休んでほしい。幸せでいてほしい。できれば、叶うなら、幸せにするのが俺だったらいい。佐倉が幸せだって思う瞬間に、隣にいるのが俺だったらいい。

 男同士でこんなことを思うのは、おかしいだろうか。これを思うのが戸波さんだったら何もおかしいことはないのに。何も迷うことはないのに。それなのに俺と佐倉は男同士だから、こんなのはおかしいのかもしれない。でも、じゃあ、俺のおかしいこの気持ちはどうしたらいいんだろう。どこに、消化したらいいんだろうか。


 ──佐倉、戸波さんのものにならないで。

 この醜い気持ちにも、気づかないで。俺のこと、嫌いにならないで。
 こんなに好きにさせたくせに、急に離れていくなんてずるいだろ。