「佐倉、また遅刻か」
「すみません。寝坊しました」
「さすがに最近、見逃せないくらい遅刻が多いぞ。一時期真面目に来るようになったと思ったのにどうしたんだ」
1時間目の授業が始まって、半分くらい過ぎた頃。教室の後ろのドアが開いて、鞄を持った佐倉が登校してきた。元々遅刻ばかりしていた佐倉が、一時期は毎日ちゃんと登校して、遅刻もサボりもしなくなった。
先生たちはそれに喜んで、佐倉のことを見直したりしていたのに、最近の佐倉は時間通りに来ることの方が少ない。毎日遅刻してきては、先生たちに怒られている。みんなの前で説教が始まるのも珍しいことではなかった。
今までは「またやってるよ、あの問題児」と思っていたけれど、佐倉の事情を知っている今は、バイトが忙しいのだろうかとか、何かあったんだろうかとか、心配な気持ちのほうが大きい。
授業中もよく寝ているし、いつも怠そうだし、昔の佐倉に戻ったみたいだ。心配だけれど、何だか気まずくて、大丈夫かと話しかけることもできずにいた。
「聞いてるのか?本当に反省してるか?」
「はい」
面倒くさそうな佐倉の態度に、先生も眉を顰めている。
「はぁ……もういい。座りなさい。授業を止めるのはみんなの迷惑だから」
呆れたような言葉に、佐倉は軽く頭を下げて自分の席に座った。隣の席の戸波さんが心配そうに佐倉を見ている。自分の席についた佐倉は、気怠そうに窓の外を眺めている。
一時期遅刻しなくなっていた佐倉が最近また遅刻するようになったのは、どうしてか。それを聞くことも今の俺にはできない。大丈夫?最近大変なのか?よく寝れてないのか?って、聞きたいことはたくさんあるけれど。佐倉とは、もう目も合わない。
そんなある日のことだった。
「ねえ、佐倉くんが校長室に呼び出されたらしいよ」
「え、校長室!?何かしたの?」
「さあ……他校の生徒と喧嘩したとかかなぁ」
「えー、佐倉くんってやっぱりそういう感じなのかなぁ。最近なんか実は優しくて真面目なのかも、とか思ってたけど、ちゃんと問題児なんだね」
近くの席の女子たちの会話に、コンビニで見た佐倉の姿が目に浮かぶ。他校の生徒と喧嘩したのか、遅刻のしすぎで呼び出されたのか、それとも……。
いてもたってもいられず、席を立とうとした、瞬間。
「なあ、佐倉、停学になるって……!」
ガラガラと大きな音を立てて空いた教室のドアから、クラスメイトの男子が驚いた顔をして入ってきた。その言葉に、目を見張る。
「え、停学!?なんで?」
「佐倉、何したの?」
みんなも驚いているようで、口々に声を上げる。
「校長室から出て担任と話してるのが聞こえたんだけど、バイトしてたのバレて停学になるらしい」
ドクン、と心臓が鳴った。1番、あって欲しくない理由だった。
「え、佐倉ってバイトしてたの?」
「まあ、隠れてしてるやつ結構いると思うけど、バレると厳しいんだよな。うちの学校」
「停学は厳しいよね。しかもバイトも辞めなきゃいけないだろうし」
みんなの会話が、自分とは違う世界の出来事みたいな感覚に陥る。バイトしてたのがバレて、停学。聞こえた言葉を頭の中で繰り返す。バイトも辞めないといけなくなる……?
ガタッと音を立てて席を立ち、教室を飛び出した。
教室のざわつきを背中に聞きながら、廊下を走る。と、廊下の角を曲がったところで、向こうから歩いてきた佐倉と鉢合わせる。佐倉は決まり悪そうにこちらを見た。
「停学に、なったって、」
あまりにも平然とした顔をしているから、こっちが口篭ってしまう。佐倉は俺の言葉に、なんでもないみたいに綺麗な顔で、へらりと笑う。
「情報早いなー」
「バイトしてるの、バレたって?」
「まあ、いつかはバレると思ってたけどな」
「……言ったのかよ、家族のためだって」
佐倉は眉を顰める。
「言わねーよ。そんな、同情で許してもらうみたいなのずるいだろ」
「でも……!」
「なんでお前がそんな泣きそうな顔してんだよ。大丈夫だって」
佐倉は、困ったように笑っている。こいつはいつも、辛い時に笑ってきたんだろうか。佐倉は、俺とは違う。俺はいつだって憂鬱で、苦しそうな顔をして。佐倉は憂鬱を隠してはわらって、なんでもないようなふりをする。
佐倉は強い。弱みを見せることを、きっと知らない。病弱な弟がいたからか、家族に心配をかけないために、いつだって笑って、無理して、心の中で泣いてきたのかもしれない。でもそうしたら、誰がお前のことを助けるんだよ。誰が、お前に優しくするんだよ。
「じゃ、しばらく学校は来れないけど。お前も無理すんなよ」
ひらひらと手を振って、佐倉は教室に荷物を取りに戻って行く。俺はただその場で呆然としていて、しばらくしてから振り返ったけれど、佐倉の姿はもう廊下にはなかった。
家族のために力になりたいと、そう言っていた佐倉の姿を思い出す。兄に感謝していると話していた、弟の雪くんの言葉を思い出す。なあ、本当にそれでいいのかよ。
人のことはいつも自分から助けに来てくれるくせに、どうして自分のことはすぐ諦めるんだよ。諦めて、飲み込んで、自分が我慢すればいいみたいな顔をして。いつだってそうだ。
俺が寝不足なのに気付いて、無理するなと言ってくれる。でも本当に無理していたのは、大変だったのは、佐倉なんじゃないのか。俺はいつもそれに気付けずに、俺ばっかり助けてもらって。そんなの、友達じゃないよな。佐倉だって、俺のこと嫌いになるよな。妙に納得してしまって、悔しくなった。
「……先生、佐倉の件で話があります」
俺は放課後、校長室のドアをノックした。

