「湊くん、こっち野菜切れたよ。盛り付けていい?」
 狭いキッチンの作業台の前でトマトを切っていた麻衣子が隣で鍋の中をかき混ぜていた湊に視線を向ける。
「うん、じゃあ半分だけ皿に盛り付けておいて。こっちもそろそろ出来るよ」
 鍋の中にはホワイトシチューが入っている。麻衣子の彼女が好物で作ってあげたいという麻衣子に教えるために今日は湊の部屋で料理をしていた。

 聡祐と恋人という関係になれたあの日から、湊は麻衣子と時々会うようになっていた。
 初めは学校での聡祐の様子が知りたくて話していたのだが、麻衣子の明るい性格もあり、段々仲良くなっていって、カフェめぐりをしたり、そこで互いの恋の話をしたりする仲になった。聡祐は最近バイトを始めたのでなかなか合流できないが、麻衣子の彼女と三人で遊んだこともある。

「めちゃくちゃ美味しそう! ホント、毎日湊くんのご飯食べれるとか、聡祐羨ましいよ」
 麻衣子が鍋を覗いて微笑む。湊は、そんなことないよ、と笑った。
「結構失敗もするし」
 先日もぼんやりしててコロッケを焦がしたばかりだ。聡祐はそれでも文句も言わず食べてくれたが、美味しいものではなかったと思う。
「それでも大好きな人が作ってくれるってだけで美味しいでしょ」
「そうかな。そうだといいけど、最近あんまり会えなくて、直接感想聞いてないんだよね」
 ご飯は毎日作っているけれど、バイトや学校で遅くなることが多くなった聡祐には、合鍵で部屋に入り、夕飯を置いてくる、という日々が続いている。
 翌日メッセージで『美味しかった』とか『いつもありがとう』という言葉はくれるが、やっぱり顔を見て食べたいとも思う。忙しい聡祐にそんなワガママは言えないけれど。
「明日せっかくの休みなのに会えないんだっけ? じゃあ明日はウチに来てご飯作ってよ」
「そこは麻衣子ちゃんが頑張るところでしょ。明日はちょっと考えるとして、今日はこれ、おすそ分けするから彼女と食べてよ」
 湊は火を止めて、鍋の中のシチューの半分を大きめのタッパーに移した。麻衣子の家はここから徒歩で行けるところなので、これで持ち運びできるだろう。
「うー、頑張るけど、このシチューは美味しく頂く! ありがとう湊くん、大好きー!」
 麻衣子が泣きそうな顔をして湊に抱きつく。湊はそれを笑って受け止めた。
 その時だった。
「ただ、いま……」
 動揺したそんな声と玄関ドアが開く音が聞こえ、湊は麻衣子を抱きとめたまま振り返った。そこには呆然と立つ聡祐がいた。
 麻衣子と湊の間にやましいものはなにもないと聡祐も分かっているのだが、なんだかタイミングが悪すぎて気まずい。
「お、おかえり、聡祐」
「お、ご主人のご帰宅ー。じゃあ、私も帰ろうかな」
 動揺する湊に対し、麻衣子は湊に抱きついたまま聡祐に笑いかける。
「ただいま。こんな時間まで男の部屋に入り浸って、彼女に誤解されるぞ」
 聡祐が湊の服を後ろから掴み、ぐい、と麻衣子から引きはがす。
 麻衣子はそんな聡祐を不機嫌な顔で見上げた。
「湊くんは彼女公認のお友達なんですー。私のこと湊くんに隠して誤解されてた聡祐とは違うのよ」
 子供みたいに、いー、と唇を横に引いて歯を見せる麻衣子に、聡祐は眉根を寄せる。
 このままじゃ空気も悪くなりそうで、湊は、麻衣子ちゃん、と言葉を挟んだ。
「これ、持って帰れるようにしたから、二人で食べて」
 シチューとサラダの入った紙袋を麻衣子に差し出し、湊が笑う。麻衣子は表情を優しく変え、ありがとう、と湊から紙袋を受け取った。
「じゃあ、帰るね」
「うん。帰り道、気を付けて」
 湊の言葉に麻衣子が頷く。聡祐はずっと不機嫌なままその様子を見ていた。
 麻衣子が玄関ドアを開け、じゃあね、と帰っていく。湊もそれに笑顔で応えてからドアを閉めると、ゆっくりと振り返った。
 これまで湊が麻衣子と遊んでいても特に何も言わなかったから容認しているのだと思っていたけれど、今日はなんだか虫の居所が悪いらしい。
「聡祐、ご飯出来てるけど食べる? それとも疲れただろうから風呂が先の方がいいかな?」
 家で入ってくる? と聡祐を見やると聡祐はそのまま湊を抱きしめた。
「ここで湊と風呂入って、その後一緒にご飯食べて、一緒に寝る」
「え、でもお風呂狭いし……」
「いい。その方がくっつける」
 聡祐が湊の手を引き、風呂の前まで導く。
 キスをして、湊の着ているシャツに手を掛ける聡祐に、湊はやっぱりいつもの聡祐ではないと感じ、こちらから聡祐を抱きしめた。
「何かあった? 聡祐」
「……湊を、麻衣子に取られた気分」
 手を止めた聡祐が諦めたようにため息を吐きながら湊の肩に頭を預ける。
「取られたって、元々は聡祐の友達で……」
「分かってる。学校とバイトで湊との時間を取れてないのは俺の方だって、それも分かってる……けど、湊が誰かと二人で楽しそうにしているのは嫌だ」
 ぎゅっと抱きしめられ、聡祐のその感情が嫉妬だと湊にも分かった。
 嬉しい。
 知らないやつとは付き合えないと言われて納得しながらも傷ついたあの日の自分が、その後聡祐にこんなに愛されるなんて想像もしなかった。
「じゃあ、もっと一緒に居よう、聡祐」
 湊が少しだけ体を離し、微笑む。
 聡祐が望むなら、できるだけたくさんの時間を聡祐にあげたい。たくさんの思い出を作っていきたい。
「おれね、いつも聡祐といたいと思ってるんだよ。いつも聡祐のこと考えてる。今日だって、麻衣子ちゃんのリクエストでシチューにしたけど、デザートは聡祐が前に美味しいって言ってくれたプリン作ったんだ。聡祐だけにだよ」
 麻衣子ちゃんには持たせてないんだ、と笑うと、聡祐がようやく優しく笑ってくれた。
「いつも一人でご飯にさせてごめん。俺、明日バイト休みにしてもらったんだ。明日は俺と一日傍に居てくれる?」
 聡祐が湊の髪をすき、頬を撫でる。湊は笑顔のまま頷いた。
「もちろんだよ。明日も一緒にご飯食べよう、二人で食べたらきっと美味しいよ」
「ご飯もそうだけど、きっと今は湊も美味しい気がする」
 聡祐が優しく笑み、湊はその言葉に赤くなった。
「……できるだけお手柔らかに、お召し上がりください……」
 湊の言葉に聡祐が笑う。
 それから、分かってるよ、とささやいて、優しいキスを湊に落とした。