家に帰ると、僕は早速自室の壁を見渡した。
じいちゃんは2階東側の6畳間を僕の部屋としてくれた。その前は物置部屋となっていたらしい。
窓からは温泉街の街並みや、工房の煙突が見える。これは僕にとって、なかなかのお気に入りの景色なのだ。
さて、机の上に広げた「詩」と「絵画」のポスターを見る。
どちらも柔らかく幻想的な色合いで、女性の優雅な姿と花々が目を引く。
壁の一角を丁寧に拭き、画鋲でそっと二枚を並べて貼ってみた。
窓から差し込む夕陽がポスターの表面を照らし、女性像の輪郭がほのかに浮かび上がる。
「なんだか、いい感じじゃない?」
そう呟きながら、僕はしばらくその絵の前に立ち尽くした。
夕飯前になって、工房の仕事を終えたじいちゃんがふらりと僕の部屋に顔を出した。
「遅くなった。夕飯、食うか」
「あ、うん。お腹減ってなかったから全然いいよ」
ドアを開けると、壁に貼ったばかりのミュシャのポスターが目に入ったらしい。
じいちゃんは一歩足を踏み入れ、ポスターの前で足を止める。
「ほう……」
低く、どこか嬉しそうな声が漏れる。
じいちゃんはしばらくポスターをじっと見つめ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「なんで二枚なんだ? 『詩』と『絵画』だけか?」
僕は少し照れくさくなって、壁に視線を移した。
「うん。昨日今日来たお客さんがくれたんだ。ミュシャの四芸術ってシリーズで、四枚あったんだけど」
「それは知っとる」とじいちゃんは真面目に言う。
「あ、そうか。それ半分ずつにしようって言われて」
じいちゃんは「へえ」と相槌を打ちながら、もう一度ポスターに目をやる。
「残りの二枚は?」
「『音楽』と『ダンス』。……特にダンスは、そのお客さんっぽかったから。絶対持っててほしいなって思ったんだ」
じいちゃんはしばらく黙って、ポスターの女性たちの優雅な姿を眺めていた。
やがて「なるほどな」と静かに言い、僕の肩をぽんと軽く叩いた。
「いい選び方だな。部屋がちょっと明るくなった」
そう言ってじいちゃんは、満足そうに微笑みながら部屋を出て行った。
ポスターの女性たちも、どこか誇らしげに微笑んでいるように見えた。
明日が来るのが、珍しく楽しみだった。
ミュシャの女性たちも、どこか静かに微笑みかけてくれているようだった。
美紗ちゃんと出会って、三日目。
その日、工房の朝は、いつもより静かだった。
昨日の夕方、美紗ちゃんが「明日、必ず取りに来るね」と笑って帰っていったのを、僕は何度も思い出しながら、つたない動画編集をしながら彼女を待った。
彼女が、ホームページのブログを見て「紹介の仕方がいい。愛を感じる」と言ってくれたから。別の形にも挑戦してみようって、思ったんだ。
ものづくりが好きとかって話したら、何を作るの? って聞かれて。
言われてみれば僕は、見せられるようなものを用意できていなくて。
学生の時の絵ももうすべて消してしまっていた僕は、動画を作ることにしたのだ。
手慣れない感じでスマホを操作する。
そうだ。字幕もつけてみよう。
すぐに完成できなくてもいいさ。
とりあえず美紗ちゃんがくるまで動画を作って、また帰った後に続きを作ればいい。
この動画、あとで美紗ちゃんに見てもらいたいな……
そう思っていたのに。
約束の時間になっても、彼女は現れなかった。
