一月下旬。
まだまだ冬の寒さは続く中、花音は部活終わりに高校の最寄り駅前の予備校へ向かう。
九月上旬までは帰宅部だったので、比較的早い時間の予備校の講義を受けていた。
しかし吹奏楽部に入部したことで、受ける講義の時間が遅くなる花音。
(あー、疲れた。早く帰ろう)
部活と予備校でクタクタの花音である。
しかし帰ろうとした時、自習室から見知った人物が出て来た。
「あ、晩沢先輩」
「桜井」
自習室から出て来たのは、音宮高校吹奏楽部部長でユーフォニアム担当の蓮斗だった。
「同じ予備校だったなんて、気付きませんでした」
花音はまさか蓮斗が同じ予備校に通っているとは思わなかった。
「俺は気付いてたけど」
蓮斗はフッと笑った。
「そうだったんですか。声をかけてくれても良かったんですけど」
「桜井、いつも早く帰りたそうだったし」
苦笑する蓮斗。
「まあそれは……疲れてますし」
花音も蓮斗につられて苦笑した。
「桜井、外暗いし送って帰ろうか? どうせ家の最寄り駅一緒だし、家の方向も途中まで同じだろ?」
「じゃあ、はい。お願いします」
蓮斗からそう言われ、花音は何となく頷いてみた。
実は花音と蓮斗は同じ中学出身である。
中学時代吹奏楽部だった花音は、同じく中学時代から吹奏楽部の蓮斗のことを知っているのだ。
「桜井と部活やるの、中学振りだな」
「そうですね。晩沢先輩のユーフォは相変わらず音が安定して締まりがありますね」
「桜井のホルンも、中学の時から変わらず高音域が安定してる。だから安心した」
駅に向かいながらお互い中学時代のことを思い出し、クスクスと笑っている。
しかし、駅に着くと異変が起こっていた。
「え? 人凄くないですか?」
駅にごった返す人々を見て、花音はややうんざりする。
「人身事故らしいな」
蓮斗は電光掲示板と電車の運行情報アプリを確認し、花音にスマートフォンを見せる。
「運転再開は十五分後……振替輸送あり……」
花音はこのままいつもの路線で帰るか振替輸送を使うか迷ってしまう。
恐らくどちらも混んでいるだろう。
「振替輸送も多分人が多く流れて遅延してるだろうな。俺はこのまま待とうと思うけど、桜井はどうする?」
「じゃあこのまま待ちます」
何となく花音はそう答えていた。
人がごった返す駅で、電車を待つ花音と蓮斗。
「俺、実は今年の入学式で桜井の名前が呼ばれた時、きっと吹奏楽部に入ってくれるんじゃないかって少し期待してた」
蓮斗は懐かしそうな表情だ。
「すみません。四月からの入部じゃなくて。部活に入らずのんびりするのもありかなって思ったんです」
花音は少し申し訳なくなった。
まさか蓮斗が自分の入部を期待してくれているとは思ってもいなかったのだ。
「まあ、桜井の自由だからな。でも、何で九月下旬に入部する気になったんだ?」
「彩歌ちゃんと奏ちゃんがいるし、せっかくだからまたホルンやろうかなって思ったんです。それに私、あの二人に助けてもらったので」
「天沢と大月に助けられた? ……桜井、何かあったのか?」
蓮斗は心配そうに花音を見ている。
「実は……」
花音は夏休み明け、クラスでギャル達からいじめを受けていた時のことを蓮斗に話した。
「大変だったな……。嫌なこと思い出させて悪い」
「いえ、私もう気にしてませんし。それに、私を助けてくれた彩歌ちゃん、凄く格好良かったんです。奏ちゃんも、ボイスレコーダーとかで色々証拠を集めてくれたみたいで。ギャル達を犯罪者になりたいか、退学になりたいかって脅してました。その時のギャル達の表情がもう傑作で」
当時を思い出し、花音はクスクスと笑う。
彩歌と奏にやり込まれるギャル達に対し、ざまあみろと思ったのである。
「天沢と大月……確かに正しいやり方ではあるが……」
蓮斗は少し引き気味だった。
その時、駅のホームに花音達の家の方面の電車が到着した。
案の定満員で物凄く混んでいるが、花音と蓮斗は何とか乗り込むことが出来た。
「桜井、女性専用車両じゃなくて大丈夫か?」
「はい」
「なら桜井、お前はそっちのドア側に行け。他人に体が触れなくて済むだろう」
「……ありがとうございます」
蓮斗の気遣いに、花音は少しだけドキッとした。
閉まるドアを背にし、蓮斗と向き合う花音である。
花音と蓮斗は満員電車に揺られていた。
「俺さ、桜井がまた入部してくれて嬉しかった」
フッと笑う蓮斗。
「え? どうしてですか?」
花音はきょとんとしていた。
「ホルンとユーフォ、合奏で時々同じような動きするだろ。桜井のホルンがあると、心強いんだよ。中学の時から桜井、結構ホルン上手かったし」
「え? そうですか? 私、中学の時ホルンの音を出せるようになるまで結構時間かかりましたよ。マッピ(※マウスピースの略)小さくて上手く息入らないし、最初ホルン選んだこと少し後悔しました」
「でも、音が出るようになってからは安定してた。中学の時、ホルンの奴らが桜井になら難しい部分も任せられそうだって言ってたし」
「それは……嬉しいですね」
そう言われると、花音は照れてしまう。
「この前の定期演奏会の曲も、ホルンとユーフォ、裏メロで同じ動きしてただろ。ボーン(※トロンボーンの略)もだけど」
「あ、それは覚えてます。合奏練習の時に何度も裏メロ担当楽器だけ先生に指名されて吹くこともありましたね。それでその時」
「「先生、そこユーフォもやってます」」
花音と蓮斗の声が重なった。
同じタイミングで言ったことで、花音と蓮斗は思わず吹き出して笑ってしまう。
「ユーフォあるある、先生から忘れられる」
「ユーフォって裏メロの要なのに先生から把握されてなくて切ないですよね」
「先生、裏メロやってる楽器はホルンとボーンしか把握してないらしい」
蓮斗は苦笑した。
その時、電車が急ブレーキをかけたことで蓮斗の体が傾く。
そして花音の方へ倒れそうになったところドアに手を付く蓮斗。
丁度花音は蓮斗から壁ドンされる形になった。
花音の心臓は少し跳ねる。
「悪い、桜井」
「いえ……満員電車ですから仕方ないですよ」
思った以上に蓮斗と体が密着し、花音は蓮斗から目をそらす。
シャンプーか柔軟剤か分からないが、ほんのりとシトラスの香りが花音の鼻を掠めた。
(晩沢先輩って……やっぱり体大きい……。それとも、私が小さいだけかな……?)
ドキッとしながらそんなことを考えてしまう花音である。
風雅程ではないが、蓮斗も中々の高身長なのだ。
「……嫌かもしれないが、ちょっとの間我慢してくれよ」
「……別に嫌じゃありませんから」
満員電車で身動き取れず、花音は蓮斗から壁ドンされたままである。
蓮斗は腕に力を入れ、花音が押し潰されないよう頑張ってくれている。
「晩沢先輩、無理しなくて良いですよ。先輩も腕、しんどいでしょう」
「馬鹿、桜井潰すわけにはいかないだろ。このくらい何てことない」
フッと笑う蓮斗。
その優しさに、花音の心臓は煩くなる。
(どうしよう……ちょっと嬉しいかも)
花音の頬は赤く染まる。体温も上昇してしまう。
これはきっと車内の暖房のせいだけではないのだろうと花音は感じた。
「桜井も、苦しかったら言えよ。何とかスペース作るから」
「……はい。ありがとうございます」
花音は頬を赤くしたまま頷くのであった。
花音の、蓮斗に対する想いが生まれた瞬間である。
まだまだ冬の寒さは続く中、花音は部活終わりに高校の最寄り駅前の予備校へ向かう。
九月上旬までは帰宅部だったので、比較的早い時間の予備校の講義を受けていた。
しかし吹奏楽部に入部したことで、受ける講義の時間が遅くなる花音。
(あー、疲れた。早く帰ろう)
部活と予備校でクタクタの花音である。
しかし帰ろうとした時、自習室から見知った人物が出て来た。
「あ、晩沢先輩」
「桜井」
自習室から出て来たのは、音宮高校吹奏楽部部長でユーフォニアム担当の蓮斗だった。
「同じ予備校だったなんて、気付きませんでした」
花音はまさか蓮斗が同じ予備校に通っているとは思わなかった。
「俺は気付いてたけど」
蓮斗はフッと笑った。
「そうだったんですか。声をかけてくれても良かったんですけど」
「桜井、いつも早く帰りたそうだったし」
苦笑する蓮斗。
「まあそれは……疲れてますし」
花音も蓮斗につられて苦笑した。
「桜井、外暗いし送って帰ろうか? どうせ家の最寄り駅一緒だし、家の方向も途中まで同じだろ?」
「じゃあ、はい。お願いします」
蓮斗からそう言われ、花音は何となく頷いてみた。
実は花音と蓮斗は同じ中学出身である。
中学時代吹奏楽部だった花音は、同じく中学時代から吹奏楽部の蓮斗のことを知っているのだ。
「桜井と部活やるの、中学振りだな」
「そうですね。晩沢先輩のユーフォは相変わらず音が安定して締まりがありますね」
「桜井のホルンも、中学の時から変わらず高音域が安定してる。だから安心した」
駅に向かいながらお互い中学時代のことを思い出し、クスクスと笑っている。
しかし、駅に着くと異変が起こっていた。
「え? 人凄くないですか?」
駅にごった返す人々を見て、花音はややうんざりする。
「人身事故らしいな」
蓮斗は電光掲示板と電車の運行情報アプリを確認し、花音にスマートフォンを見せる。
「運転再開は十五分後……振替輸送あり……」
花音はこのままいつもの路線で帰るか振替輸送を使うか迷ってしまう。
恐らくどちらも混んでいるだろう。
「振替輸送も多分人が多く流れて遅延してるだろうな。俺はこのまま待とうと思うけど、桜井はどうする?」
「じゃあこのまま待ちます」
何となく花音はそう答えていた。
人がごった返す駅で、電車を待つ花音と蓮斗。
「俺、実は今年の入学式で桜井の名前が呼ばれた時、きっと吹奏楽部に入ってくれるんじゃないかって少し期待してた」
蓮斗は懐かしそうな表情だ。
「すみません。四月からの入部じゃなくて。部活に入らずのんびりするのもありかなって思ったんです」
花音は少し申し訳なくなった。
まさか蓮斗が自分の入部を期待してくれているとは思ってもいなかったのだ。
「まあ、桜井の自由だからな。でも、何で九月下旬に入部する気になったんだ?」
「彩歌ちゃんと奏ちゃんがいるし、せっかくだからまたホルンやろうかなって思ったんです。それに私、あの二人に助けてもらったので」
「天沢と大月に助けられた? ……桜井、何かあったのか?」
蓮斗は心配そうに花音を見ている。
「実は……」
花音は夏休み明け、クラスでギャル達からいじめを受けていた時のことを蓮斗に話した。
「大変だったな……。嫌なこと思い出させて悪い」
「いえ、私もう気にしてませんし。それに、私を助けてくれた彩歌ちゃん、凄く格好良かったんです。奏ちゃんも、ボイスレコーダーとかで色々証拠を集めてくれたみたいで。ギャル達を犯罪者になりたいか、退学になりたいかって脅してました。その時のギャル達の表情がもう傑作で」
当時を思い出し、花音はクスクスと笑う。
彩歌と奏にやり込まれるギャル達に対し、ざまあみろと思ったのである。
「天沢と大月……確かに正しいやり方ではあるが……」
蓮斗は少し引き気味だった。
その時、駅のホームに花音達の家の方面の電車が到着した。
案の定満員で物凄く混んでいるが、花音と蓮斗は何とか乗り込むことが出来た。
「桜井、女性専用車両じゃなくて大丈夫か?」
「はい」
「なら桜井、お前はそっちのドア側に行け。他人に体が触れなくて済むだろう」
「……ありがとうございます」
蓮斗の気遣いに、花音は少しだけドキッとした。
閉まるドアを背にし、蓮斗と向き合う花音である。
花音と蓮斗は満員電車に揺られていた。
「俺さ、桜井がまた入部してくれて嬉しかった」
フッと笑う蓮斗。
「え? どうしてですか?」
花音はきょとんとしていた。
「ホルンとユーフォ、合奏で時々同じような動きするだろ。桜井のホルンがあると、心強いんだよ。中学の時から桜井、結構ホルン上手かったし」
「え? そうですか? 私、中学の時ホルンの音を出せるようになるまで結構時間かかりましたよ。マッピ(※マウスピースの略)小さくて上手く息入らないし、最初ホルン選んだこと少し後悔しました」
「でも、音が出るようになってからは安定してた。中学の時、ホルンの奴らが桜井になら難しい部分も任せられそうだって言ってたし」
「それは……嬉しいですね」
そう言われると、花音は照れてしまう。
「この前の定期演奏会の曲も、ホルンとユーフォ、裏メロで同じ動きしてただろ。ボーン(※トロンボーンの略)もだけど」
「あ、それは覚えてます。合奏練習の時に何度も裏メロ担当楽器だけ先生に指名されて吹くこともありましたね。それでその時」
「「先生、そこユーフォもやってます」」
花音と蓮斗の声が重なった。
同じタイミングで言ったことで、花音と蓮斗は思わず吹き出して笑ってしまう。
「ユーフォあるある、先生から忘れられる」
「ユーフォって裏メロの要なのに先生から把握されてなくて切ないですよね」
「先生、裏メロやってる楽器はホルンとボーンしか把握してないらしい」
蓮斗は苦笑した。
その時、電車が急ブレーキをかけたことで蓮斗の体が傾く。
そして花音の方へ倒れそうになったところドアに手を付く蓮斗。
丁度花音は蓮斗から壁ドンされる形になった。
花音の心臓は少し跳ねる。
「悪い、桜井」
「いえ……満員電車ですから仕方ないですよ」
思った以上に蓮斗と体が密着し、花音は蓮斗から目をそらす。
シャンプーか柔軟剤か分からないが、ほんのりとシトラスの香りが花音の鼻を掠めた。
(晩沢先輩って……やっぱり体大きい……。それとも、私が小さいだけかな……?)
ドキッとしながらそんなことを考えてしまう花音である。
風雅程ではないが、蓮斗も中々の高身長なのだ。
「……嫌かもしれないが、ちょっとの間我慢してくれよ」
「……別に嫌じゃありませんから」
満員電車で身動き取れず、花音は蓮斗から壁ドンされたままである。
蓮斗は腕に力を入れ、花音が押し潰されないよう頑張ってくれている。
「晩沢先輩、無理しなくて良いですよ。先輩も腕、しんどいでしょう」
「馬鹿、桜井潰すわけにはいかないだろ。このくらい何てことない」
フッと笑う蓮斗。
その優しさに、花音の心臓は煩くなる。
(どうしよう……ちょっと嬉しいかも)
花音の頬は赤く染まる。体温も上昇してしまう。
これはきっと車内の暖房のせいだけではないのだろうと花音は感じた。
「桜井も、苦しかったら言えよ。何とかスペース作るから」
「……はい。ありがとうございます」
花音は頬を赤くしたまま頷くのであった。
花音の、蓮斗に対する想いが生まれた瞬間である。



