一月中旬、二年生が修学旅行中の吹奏楽部にて。
 一年生の中から次期部長と次期副部長、そして各パートの次期パートリーダーを選ぶ話し合いが行われていた。

 当初次期部長候補に奏の名前が上がっていた。しかし部活よりも個人的なフルートのコンクールを優先する場合があること、フルートのパートリーダーは奏以外適任者がいないということで早々に除外されることになった。
 特に後者の理由は高校から始めた初心者だらけのフルートパート内でかなり深刻だった。フルートパートの他の一年生が、奏に部長になられたらパートリーダーの成り手がいないから困ると、奏が部長になることを断固反対したのだ。
 基本的に部長や副部長とパートリーダーの兼任は音宮高校吹奏楽において不可である。ただし、一人しかいないパートから部長や副部長が選出された場合はパートリーダーと兼任することはある。現副部長の小夜がそうである。

 話し合いの末、次期部長はチューバ担当の女子生徒、そして副部長はファゴット担当の律に決まった。

(俺が副部長か……)
 律は楽譜を見ながらぼんやりとしていた。
 一年生だけの吹奏楽部、一年生だけの合奏。二年生の先輩がいない音楽室はとても広く感じた。
 先輩の目がない分のびのびと出来る反面、律は少し寂しさを感じていた。

 響の柔らかで芯があるクラリネットの音。風雅の力強いトロンボーンの音。徹の明るく楽しそうなドラムの音。蓮斗の安心感のあるユーフォニアムの音。小夜の温かく澄んだオーボエの音。セレナの歌うように輝くアルトサックスの音。その他、先輩達が奏でる楽器の音。
 今まで当たり前のように聞こえた音が聞こえないことで、こんなにも吹奏楽部の雰囲気が変わるのかと律は戸惑っていた。

 顧問の都合により、最初に全体(と言っても現在いる一年生のみ)の合奏をした後個人やパート練習に入るこの日の部活。
 律は楽器や譜面台などだけでなく、先輩がいないことへの不安や焦りも抱えて空いている教室まで移動した。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 教室でファゴットを吹く律。
 その音色は少し複雑に揺れていた。
 冬は日が短く、窓の外は薄暗くなっている。
 そんな外の様子につられて、律のファゴットの音色はどんどん暗くなっていた。

「うわ、何その音色。浜須賀くん、いつもより酷くない?」
「内海……」
 律が個人練習をしていた教室に入って来たのはテナーサックスを首からぶら下げた詩織だ。
「さっきの合奏も、何かいつもの浜須賀くんの音じゃなかったし」
 椅子を用意し、律の隣に座る詩織。
 どうしてそこに座るのかと、律は顔をしかめた。
「何で分かるんだよ?」
「だって合奏の時、私と浜須賀くん隣同士に座ってるじゃん」

 ファゴットの律とテナーサックスの詩織は合奏の時、隣同士に座っているのだ。だからお互いの音がよく聞こえる。よってお互い調子が良い時と悪い時が分かるのだ。

「浜須賀くん、次期副部長に決定してからずっとそんな感じだよ。どうせ先輩みたいに部を引っ張っていけるかとか心配してるんでしょ? もっと気楽に考えなよ」
 あっけらかんとした様子の詩織に、律は思わず呆れてしまう。
「内海、いくら何でもそれはお気楽過ぎる」
「良いじゃん別に。私達、先輩達とは別の人間なんだし、同じように出来なくて当然じゃん。浜須賀くん達が今の部長の晩沢先輩や副部長の小夜先輩みたいに出来なくても誰も気にしないでしょ」
「本当に内海は開き直るのが得意だな。ある意味羨ましいよ」
 律は、はあっとため息をついた。
 そしてそのままファゴットを吹き始める。
 その音は、先程よりも明るく、落ち着きを取り戻していた。
 詩織はその横でテナーサックスを合わせ始める。
 いつもの詩織の音に、律の調子は戻っていた。

 ファゴットの低音と、テナーサックスの中音が絡み合い、中々息の合った二重奏である。

「ようやくいつもの浜須賀くんだね」
 詩織の表情は、どこかホッとしているように見えた。
「そうかも」
 律はフッと笑う。
 肩の力は先程よりも少しだけ抜けていた。

 その時、近くの教室からフルートとピッコロの音が聞こえて来る。
 律は音がする方に目を向けた。
(大月さんと天沢さんだな)
 華やかな木管高音二重奏だ。
 更にはホルンの音色も聞こえ、三重奏になる。
(こっちは桜井さんか)
 律の隣で三重奏を聴いていた詩織はテナーサックスで奏達に混じる。
 その様子を見た律も感化され、奏達と同じ楽譜を用意してファゴットを吹き始めた。

 奏の優美で煌びやかなフルートの音。彩歌の可憐だが力強さもあるピッコロの音。花音の優しく安定したホルンの音。詩織の渋みがあるテナーサックスの中音。更に近くの教室の一年生の音も混じっていく。

(先輩がいないことに不安はあるけど……一年にもこんなに頼れるメンバーがいたんだ)
 次期副部長に決まり二年生の先輩がいない中、律は一人で不安になっていた。
 しかし、周囲には頼りになる仲間がいたことに気付く。
 その事実により、律は落ち着きを取り戻した。
 律のファゴットは包み込むような音色を奏でている。
 隣にいる詩織をチラリと横目で見ると、楽しそうにテナーサックスを吹いていた。
(ある意味、内海のお陰で平常心を取り戻せた)
 律は楽譜に目を戻し、フッと笑う。
 恋愛感情はないが、律は詩織のことを相棒のように感じるのであった。