冬休みが終わり、一月中旬になった。
 音宮高校ではこの時期に二年生の学年行事、修学旅行がある。
 行き先は長崎県。班ごとに様々な観光名所を回るのだ。

 風雅がホテルの部屋に戻ろうとすると、人気(ひとけ)のない廊下で何やら話し声が聞こえた。
「そうそう、中華街でハトシっていうエビのすり身を挟んで揚げたやつを食べたけど、かなり美味しかったよ」
 締まりのない声の響だ。
 声だけでも頬が緩みっぱなしでニヤけているだろうということが分かる。
 風雅は呆れたようにため息をついた。
 しかし響は風雅の存在にまだ気付いていないようだ。

『そうなんだ。私も来年の修学旅行で食べてみようかな?』
 どうやら響はビデオ通話をしているようだ。
 響のスマートフォン越しに奏の声が聞こえる。
 普段大人びている奏だが、響と会話する時はほんの少しだけ甘えた声になっていた。
(奏ちゃん、響の前だとそんな感じなんだ。敬語が抜ける時はたまにあったけど、正直甘える奏ちゃんは想像がつかなかった)
 風雅にとって奏は恋人である彩歌の友人で、理不尽には法を持ち出すお嬢様。あまり敵に回したくない存在である。

 付き合ってまだ一ヶ月も経っていない響と奏の会話は甘く初々しい様子である。
「じゃあかなちゃん、お土産楽しみにしててね」
『うん』
「かなちゃん大好きだよ。じゃあまたね」
『私も……響くんのこと、大好き。じゃあまた』
 そこで通話が終了したらしい。
 通話を終えた響は幸せオーラを漂わせていた。
「響って奏ちゃんとそんな甘い会話してるんだな」
「風雅!? 聞いてたのか!?」
 ようやく風雅の存在に気づいた響は仰天していた。
「ガッツリ聞こえてた。『かなちゃん大好きだよ。じゃあまたね』も」
「やめろよ風雅」
 風雅が揶揄(からか)うと、響は顔を真っ赤にしていた。
「というか、何で部屋に戻んないでこんな場所で奏ちゃんと通話してんだよ? 俺らの部屋もう目と鼻の先だろ」
「いや、部屋に人がいてさ。かなちゃんとの会話落ち着いて出来なさそうで」

 風雅は響と同じクラスで、修学旅行の班も同じなのだ。
 よって当然ホテルの部屋も同じになる。
 部屋は四人部屋で、風雅と響以外にも人がいるのだ。

「まあ……それもそうか」
 風雅は部屋にいるメンバーを想像し、納得した。
 風雅と響の班には二年四組の中でも割と騒がしいメンバーが揃ったのだ。それはそれで楽しくはあるが。
「でもこんな廊下で堂々と愛を深める通話かよ。羨ましいぜ」
(いった)!」
 風雅がパンッと響の肩を強めに叩くと、響は盛大に顔をしかめていた。
「でも風雅も天沢さんと付き合い始めたんだろ? 毎日通話とかしないの?」
 彩歌と付き合い始めたことは、響にも言ってある。
「彩歌ちゃんはそういうタイプじゃないから。しつこく連絡して嫌われるのも嫌だし」
 風雅はフッと笑い、目を伏せた。

 今まで異性と交際したことはあったが、本気で惚れたのは彩歌が初めてだ。
 だからこそ大切にしたい、関係を長く続けたいと思う風雅。
 今まで通りの行動が出来ず、臆病になっていた。

「……確かに天沢さん、そういうタイプじゃなさそう」
 響は苦笑していた。
「好きって言ってくれるタイプでもないし」
 風雅はため息をついた。

 現在、風雅の目下最大の悩みは彩歌に「好き」と言ってもらえないこと。
 先程の響と奏の通話が正直羨ましかった。

「体育祭で風雅が天沢さんに告白して、その後年末に返事もらって付き合い始めたって聞いたけど、天沢さんどんな返事したの?」
 響はきょとんとしている。
「あんたのこと別に嫌いじゃないって言われた」
「何というか、天沢さんらしい」
 風雅の答えに響は苦笑した。
「最初はそれで満足だったんだけど……やっぱり『好き』って言われたいし、名前も呼んで欲しい」
 風雅は再びため息をついた。
 彩歌と付き合い始めたことで、欲が出始める風雅であった。

「あれ? 朝比奈と小日向じゃん」
「二人共、そんな所でどうしたの?」
 ホテルの廊下で話していると、雨松従姉妹(いとこ)のセレナと小夜がやって来た。
 二人もホテルの部屋に戻るところらしい。
「もしかして恋バナ?」
「え? マジマジ!? 彩歌と奏のこと?」
 小夜とセレナは興味津々の様子だ。
 特にセレナの方は身を乗り出していた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





「へえ、チャラくて軽い朝比奈が恋に悩む日が来るとは」
「何か意外だよね。去年の朝比奈くん、彼女が途切れない印象だったから」

 場所を移動し、ホテルのロビーにある椅子に座る風雅達四人。
 セレナと小夜に彩歌のことを相談すると、そう返って来た。

「去年は付き合って別れての繰り返し。別れて三日もしないうちに新しい彼女が出来てた朝比奈がね。二年になってから少し落ち着いたと思えば彩歌とねえ」
 セレナは感慨深そうな表情である。
「私、去年入学したばっかの頃、セレナと朝比奈くんが付き合ってるのかと思った。同じクラスだったし」
「待って小夜。朝比奈は論外だって。チャラ過ぎるし絶対浮気しそうって思ってたもん。入学直後出席番号前後で話す機会が多かっただけ」
「あのさ、セレナ、訂正させて。俺浮気はしたことないから。響も知ってるよな? 俺浮気はしたことないって」
 風雅は好き勝手言うセレナに苦笑し、響に助けを求めた。
 響は苦笑しながら「まあ、そうだな」と頷くだけである。

 去年同じクラスで出席番号も前後。よって風雅とセレナはあまり遠慮のない関係である。

 相手から告白されて付き合い、マンネリ化したら別れることを繰り返していた風雅。しかし一応一人と付き合っている時は別の異性に目を向けることはなかったのだ。

「まあ、今まで女の子と軽くしか付き合ってこなかったツケが回って来たのかな……。今までは別れたとしても全然ダメージなかったけど、もし彩歌ちゃんと別れることになったら一生立ち直れる気がしない……」
 深くため息をつく風雅。
「朝比奈、やっぱり何か変わったね」
「彩歌ちゃんのこと、本気なんだ」
 いつもとは違う風雅の様子に、セレナと小夜は目を丸くした。
「彩歌ちゃんのことだから、気長に待つしかないと思うよ」
「そうそう。男に対して厳しい彩歌から受け入れてもらえたこと自体が奇跡なんだから自信持ちなって」
 女子二人からそう言われ、軽くため息をついて頷く風雅だった。
 きちんと彩歌と向き合い、気長に待つことを決めた風雅である。
 セレナと小夜から励まされ、風雅は響と共に部屋に戻るのであった。

「あのさ風雅、自分から好きって言葉を伝えてみたら?」
 部屋に戻る途中、響からそう提案された風雅。
「伝えないとすれ違って後悔するかもしれないから、俺はかなちゃんに伝えるようにしてるけど」
 そう言った響の目は、穏やかだが真っ直ぐである。
 風雅はそんな響が何だか大人っぽく見えた。
「……そうだな」
 風雅はフッと笑った。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 その日の夜、消灯時間間近に風雅は部屋を抜け出して人気(ひとけ)のない場所へ向かった。
 セレナと小夜からの励ましや響からのアドバイスを聞いた後、彩歌に通話して良いかメッセージを送ると、この時間から十五分だけなら構わないと彩歌から返事が来たのだ。

「こんばんは、彩歌ちゃん。何してた?」
『英語の課題。明日当てられるから。でも、さっき終わったところ』
 スマートフォン越しに聞こえる彩歌の素っ気ない声。
 ビデオ通話なので、ややしかめっ面の表情が映っている。
 いつも通りの彩歌である。
 風雅はそんな彩歌も好きなので、表情が綻ぶ。
 惚れた弱みのせいか、彩歌の全てが可愛いと思っていた。
「そっか。忙しい時にごめんね。彩歌ちゃんと話したくてさ」
『ふーん。……修学旅行、楽しい?』
 先程よりも少し丸くなった声の彩歌。表情も、ほんの少しだけ柔らかい。
「うん。長崎の観光名所とか色々回れて面白いよ。でも、彩歌ちゃんがいないのは寂しい。彩歌ちゃんは? 俺がいなくて寂しい?」
『別に……』
 彩歌は再びしかめっ面になる。しかし、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
「そっか」
 彩歌らしい答えだと風雅は思った。

「彩歌ちゃん……好きだよ」
 風雅はいつも以上に優しい声でそう伝えた。
 彩歌を大切にしたいという気持ちを込めて。

 するとスマートフォンの画面越しの彩歌の顔が更に赤く染まる。
『いきなり何言ってんの……』
「うん。俺が伝えたいって思っただけだから。忙しい時にごめんね。少しでも彩歌ちゃんと話せて嬉しかったから。じゃあまた」
 風雅は彩歌の迷惑にならないよう、通話を終わらせようとした。
 しかし、スマートフォン越しに弱々しく『待って』と彩歌の声が聞こえたので、風雅は押そうとした通話終了ボタンから手を離す。
「彩歌ちゃん、どうしたの?」

『嘘……。本当は……ちょっと、本当にちょっとだけ、寂しい。……あたしも……その、ちゃんと好きだから……風雅のこと』
 小さくて、少し拗ねたような声。顔を真っ赤に染めた彩歌は、風雅と目を合わさない。

「彩歌ちゃん……!」
 それでも風雅は満足だった。
 彩歌の口から聞きたかった言葉が聞けて、おまけに名前まで呼んでくれたのだ。
 破壊力抜群である。
「やばい……! 今すぐ彩歌ちゃんを抱きしめたい……!」
 嬉しさが滝のように風雅の心に勢い良く流れ込んだ。
『ちょっと、どうやって……!?』
 彩歌は苦笑する。
 表情は柔らかくなっており、どことなく楽しそうだった。
「帰るまで我慢するよ。だから、帰ったら彩歌ちゃんのこと、抱きしめて良い?」
『……一回だけだからね』
 彩歌は頬を赤く染めて、フィッと風雅から視線をそらした。

 その後、風雅は一言二言彩歌と話し、通話を終わらせた。
 消灯時間は既に過ぎており、風雅は教師達の監視の目を掻い潜って部屋に戻る。
 この日の夜、風雅は彩歌からの「好き」と言う言葉や、初めて名前を呼ばれたことへの余韻に浸るのであった。