冬休み、年内最後の部活の日のこと。
 普段、休みの日の部活は午前から始まりお昼で終わる。
 しかしこの日の部活は顧問の都合で午後からだった。
 この日奏は家の用事があるということで部活を休んでいる。よって彩歌は一人で学校へ向かった。

 部活開始時の全体連絡で部長の蓮斗から、この日は個人練習とパート練習が主であることを聞いた。
 彩歌はピッコロやチューナー、メトロノームなどを準備して音楽室を出て教室へ向かおうとした。しかし、忘れ物に気付いたので一旦音楽室に戻る羽目になり、練習場所取りに出遅れてしまった。
(うわ、教室どこも空いてない……)
 彩歌は内心ため息をついた。
 練習場所難民になってしまう彩歌である。

 その時、目の前の教室からトロンボーンのチューニング音が聞こえた。
 教室の中に目を向けると、そこには風雅がいた。
 どうやら一人で練習しているようだ。 
(あいつに返事……しないと……)

 体育祭で風雅から告白されていた彩歌は、奏のコンクール結果を聞いてから返事をしようとしていた。
 しかし、返事をするタイミングがなく今に至る。

「あれ? 彩歌ちゃん、そんな所でどうしたの?」
 個人練習をしていた風雅は彩歌の姿に気付いた。
 彩歌は風雅から目をそらし、黙り込む。
「もしかして、練習場所がないとか? それならこの教室使えば? 俺しか使ってないからさ」
 それは練習場所難民と化していた彩歌にとってありがたい申し出だった。
 入部当時の彩歌なら、風雅にそう言われてもバッサリと断って別の場所を探しただろう。
 しかし今の彩歌は少しムスッとしつつもコクリと頷き、教室に入る。
 風雅から離れた場所に楽器や譜面台などを置く彩歌。
「え、彩歌ちゃん、結構遠くに場所取るね。もう少し近くでも良いのに」
「あんた、中学の時から吹奏楽部なら知ってるでしょう? ピッコロの音が結構大きいってことを。だから」
 彩歌は呆れたような表情である。

 ピッコロの音はかなり高音域で音も響く。よって誰かの近くで練習すると迷惑になりかねない。

「ああ、そっか。確かにそうだね」
 風雅も中学から吹奏楽経験者なので、心当たりがあるようだ。
「ピッコロとトロンボーンって合奏の時結構距離が離れてるけど、彩歌ちゃんのピッコロの音は俺の所までよく聞こえる」
「あっそ」
 彩歌は風雅の言葉に対し、ムスッとしかめ面のままだ。
 そのまま彩歌はチューニングと基礎練習を始め、その後譜面をさらうのであった。

「ねえ彩歌ちゃん、さっきの曲俺と合わせてみない?」
 しばらく譜読みをした後休憩していた彩歌だが、風雅にそう声をかけられた。
 風雅も彩歌と同じく休憩中のようだ。
「……ピッコロとトロンボーンの二重奏とか聞いたことないんだけど」
「だからだよ。何か楽しそうじゃん」
 風雅はトロンボーンと楽譜を持って彩歌の隣にやって来る。
「じゃあここから合わせてみる?」
 トロンボーンのスライドで楽譜を指す風雅に少し呆れながら苦笑する彩歌である。
 しかし、いざ二重奏を開始しようとした瞬間、風雅のトロンボーンからブフォッと変な音が鳴る。
「あんた、スライドロック外し忘れてるじゃん」
「ごめん、うっかりしてた。トロンボーンあるあるなんだよね」
「知ってる。中学の時、同じようなミスした子いたから」
「気を取り直してもう一回お願い」
 スライドロックを外す風雅に、彩歌は仕方ないと言わんばかりにため息をついた。

 彩歌のピッコロと風雅のトロンボーン。少し歪な二重奏である。

「何か……変な感じ」
 二重奏が終わると、彩歌は風雅から目をそらした。
(調子狂う……)
 彩歌の体は少し熱を帯びている。これはきっとピッコロを吹いて体が温まっただけだと彩歌は自分に言い聞かせていた。

 その時、オーボエとアルトサックスの二重奏が聞こえて来た。
 少し離れた場所から聞こえるので、恐らく二つか三つ隣の教室からだろう。
「あ、オーボエとサックスも二重奏やってる」
 風雅は音が聞こえる方に目を向けていた。
 彩歌は何も答えず、風雅と同じ方向に目を向ける。
 
 オーボエの柔らかな音色とアルトサックスの華やかな音色が絡み合い調和している。
 しかし、どこか違和感のある二重奏だ。
(あ……これは……)
 オーボエとサックスに何が起きているのか分かった彩歌は中学時代の吹奏楽部を思い出して苦笑した。
「……ねえ彩歌ちゃん、オーボエとサックス、何か変じゃない?」
 風雅も違和感に気付いているようだ。
「オーボエがサックスの譜面吹いて、サックスがオーボエの譜面吹いてる。パート入れ替えてんの」
「言われてみれば確かに」
「こんなことするのは小夜先輩とセレナ先輩しかいない。本当、中学の頃から変わってない」
 すると、オーボエとアルトサックスの二重奏が終わり、小夜とセレナの楽しそうな笑い声が彩歌達の教室まで響く。
「彩歌ちゃん、俺達も楽譜入れ替えてやってみる?」
「は? 意味不明なんだけど。ていうか、あんたの楽譜サードトロンボーンじゃん。ますます意味不明。ハモリの一番下の部分じゃん」
「面白いと思うんだけどな。まあ一月の定期演奏会が終わったら俺、バストロやって、コンクールあたりでファーストになるけど」

 風雅は体が大きいので時々バストロンボーンを任されるようだ。
 
「トロンボーンはファースト、セカンド、サードが順番に回って来るけど、そっちはどう? 俺はバストロも回って来るけど」

 吹奏楽部では、各楽器ごとにファースト、セカンド、サード、場合によってはフォースなど、二パートから四パートに別れている。
 ファーストが主旋律で、その他はハーモニーを作り出す役割だ。
 風雅のトロンボーンは三パートあり、彩歌の所属するフルートは二パートあるのだ。

「あたしはピッコロだからあんまり関係ないけど」
「フルートの話」
「ああ……。フルートは、パーリー(※パートリーダーのこと)がファーストとセカンドを振り分けてる。一応、全員が平等にファーストとセカンド出来るようにして入るけど、実力上奏がファーストに固定されそうになってた。だから奏、今回抗議して定期演奏会ではセカンドになれたっぽい」
「そっか。パートによって決め方色々だ」
 風雅はクスッと笑うのであった。
「楽譜入れ替え、やるんだったらこの曲のここからはどう?」
 彩歌はやや挑発的な表情になる。
 すると、風雅は彩歌の楽譜を見て驚愕した。
「いや待って、テンポ百五十で十六分音符の連続はえげつないって」
「あたしはいつもこれやってるけど。フルート、ピッコロ、クラ(※クラリネットの略)、オーボエあたりの木管は早指が当たり前」
 ややしたり顔の彩歌である。
「木管ってハードだね」
 風雅は苦笑しながらも彩歌に尊敬の眼差しを向けていた。
 彩歌はフイッと風雅から目をそらす。
 二人の間には沈黙が流れていた。

 風雅は元の場所に戻り、再び個人練習を始める。
 風雅のトロンボーンの音を聞くと、彩歌の胸はザワザワとして落ち着かなくなった。
(本当に、何であたし、あいつのこと……)
 彩歌はチラリと横目で風雅を見て、頬を真っ赤に染めていた。
 心臓ばバクバクと煩かった。
 しかし風雅が奏でるトロンボーンは、まるで彩歌の煩い心音をかき消してくれるようだ。
 彩歌はゆっくりと風雅の元へ向かう。
 風雅は真剣に譜面と向き合い、芯のある音を出していた。
(そんな顔もするんだ……)
 彩歌は少しだけぼんやりと、風雅を眺める。
「ん? 彩歌ちゃん、どうしたの?」
 風雅は彩歌の存在に気付いたようで、トロンボーンを机に置き、彩歌に体を向けた。

 いざ返事をするとなると、緊張して何を言えば良いか分からなくなってしまう彩歌。
 風雅は彩歌の言葉を待ってくれている。
 彩歌は軽く深呼吸をした。
「あたし……あんたのこと……別に嫌いじゃない」
 ポツリと小さく呟いた。
 彩歌なりの、精一杯の返事である。
「彩歌ちゃん……それって、体育祭の時の告白の返事って捉えて良い? 俺の都合の良いように受け取るけど」
 その呟きは、風雅の耳にもしっかりと聞こえていた。
 コクリと頬を赤くして頷く彩歌。
「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」
 風雅の目は、優しく真っ直ぐだった。
 再び彩歌はコクリと頷く。
 すると、風雅は満面の笑みになった。
「ヤバい……! 嬉し過ぎる……! 叫び出したいくらい……!」
「ウザいから叫ばないで!」
 彩歌は顔をリンゴのように真っ赤にしている。
「うん。我慢する」
 風雅はトロンボーンを吹き始めた。
 いつもより大きく、音が割れている。
「音割れしてんじゃん」
 彩歌は苦笑しながら元の場所に戻り、ピッコロを吹き始める。
 彩歌のピッコロは、いつもより柔らかな音色になっていた。