無事にコンクール予選を無事に終えた奏。
(良かった……。本戦出場出来る……!)
奏は達成感と、安心感で満たされていた。
心地の良い夕方の風により、奏の長い髪がなびく。
会場から帰る際、奏はポケットからスマートフォンを取り出した。
メッセージアプリを開き、響の連絡先をタップする。
『もしもし、かなちゃん?』
スマートフォン越しに聞こえる、響の明るく優しい声。
その声に奏は表情を綻ばせた。
「響くん、今大丈夫?」
敬語が抜けていて、奏は幼馴染モードになっていた。
『うん。丁度クラスの打ち上げの場所に向かってる最中だから、全然大丈夫だよ』
スマートフォン越しに、響の声だけでなく街のガヤガヤとした音も聞こえる。
「そっか。あのね、響くん、予選通過したよ」
『本当に!? かなちゃん、おめでとう! 練習頑張ってたもんね!』
スマートフォン越しに聞こえる響の声は、奏以上に喜んでいた。
目の前にいなくても、響がどんな表情をしているのか手に取るように分かる。
そんな響に、奏は思わず笑ってしまった。
「響くんやみんなが応援してくれたからだよ。ありがとう」
響からのお祝いの言葉を聞き、奏の心はじわじわと喜びが湧き上がり満たされていた。
『うん。本戦は絶対に応援に行くから。雨だろうと嵐だろうと、何が起ころうと絶対に行く!』
力強く真剣な響の声。
「ありがとう、響くん」
奏は高校入学して以降の響のことを思い出す。
中学一年生の時のトラウマでフルートが吹けなくなっていた奏。そんな奏に寄り添ってくれた響。響の為にも、奏は本戦で結果を残したいと思うのであった。
(それに、本線が終わったら……響くんに私の気持ち、伝えよう)
奏は星が輝き始めた空を見上げた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
フルートコンクールの予選と同じ土曜日に体育祭があったので、月曜日は振替休日だった。
そしてその翌日の火曜日の朝。
《奏ごめん、寝坊したから先に学校行って》
彩歌からそう連絡があった。
(彩歌が寝坊……珍しい)
奏は彩歌に焦らないようにねとメッセージを送り、朝の準備を始めた。
体育祭が終わると、制服移行期間に入る。奏はクローゼットから紫色のカーディガンを取り出し、制服のカッターシャツの上に羽織った。
一年三組の教室に着いた奏。当然ながら寝坊した彩歌はまだ登校していない。
普段予鈴が鳴るまで朝は彩歌と話す奏だが、今日は一人なので本を読むことにした。
「奏ちゃん、おはよう」
「おはよう、花音ちゃん」
花音が登校して来たので、奏は読書をやめた。
花音はピンク色のカーディガンを羽織っていた。袖の丈が長いので、萌え袖になっている。
花音の席は彩歌の前なので、奏はまだ来ていない彩歌の席に座る。
「今日彩歌ちゃんは?」
「寝坊したみたい。休むことはないと思うけど」
彩歌不在に首を傾げる花音に対し、奏はそう答えた。
彩歌は何だかんだ真面目なので、寝坊したり何か嫌なことがあっても学校や部活には絶対に来ることを奏は知っている。
教室の時計はもうすぐ予鈴が鳴る時間を指していた。
彩歌は予鈴が鳴るギリギリの時間に教室に入って来た。
制服移行期間になったので、彩歌は赤いカーディガンを羽織っている。
「彩歌、おはよう」
「ギリギリだね」
「うん……おはよう、奏、花音」
彩歌の様子はいつもより明らかに元気がなさそうである。
「彩歌……? 何かあった?」
奏は心配になる。
その時、予鈴が鳴った。
教室の生徒達は、自分の席に戻り始める。
奏は彩歌が心配だったが、一旦自分の席に戻るのであった。
(……彩歌、どうしたんだろう?)
朝のホームルーム中、奏はずっとそのことばかり考えていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
「彩歌、何かあったの? 今日ずっと元気ないというか……上の空な感じだけど」
昼休み、教室で弁当を食べ終わった時、奏は彩歌に聞いてみた。
いつもの彩歌らしくないので、ずっと気になっていた。
花音は黙って韓国語が書かれた袋に入っている辛そうなお菓子を涼しい表情で食べている。
どうやら花音は辛党のようだ。
奏も勧められたが、物凄く辛そうだったので断った。
彩歌はチラリと奏を見て何かを言いかけたのだが黙り込んだ。
「彩歌?」
「奏はさ、あたしに何かあったらいつも力になってくれるよね。相談に乗ってくれたりさ」
「そんなの、当たり前だよ。彩歌は、大切な友達だから」
奏は彩歌の言葉に、穏やかに微笑む。
彩歌とは中学時代からの付き合いだ。恵まれた容姿故にいじめや嫌がらせを受ける彩歌を放っておけず、助けたことが友達になったきっかけだ。
そして、奏が腱鞘炎によりフルートコンクールを棄権して辛い思いをした時、ずっと彩歌が側にいてくれた。
それが奏にとってどれだけ救いになったか、彩歌は知らないだろう。
だから奏は、今彩歌が何か困っているのなら力になるつもりだ。
「ありがとう、奏。だけど……今は良い。今はあたしのことじゃなくて、自分自身のことに時間を使って。奏には、コンクールを優先して欲しい。せっかく予選通過したんだから」
彩歌の言葉に面食らう奏。
フルートコンクールで予選通過したことは、彩歌にも伝えてあった。
メッセージを送ったらすぐに「おめでとう!」と返信があったくらいである。
「でも奏、絶対に話すから。だから……」
彩歌の目は真っ直ぐだった。
真剣に奏のことを思ってくれているのが伝わって来る。
「……分かった」
奏は彩歌のことが心配ではあるが、彩歌のことを信じて引き下がることにした。
「ねえ、奏ちゃん」
そこで、黙って話を聞いていた花音が会話に加わる。
「彩歌ちゃんのことは、私に任せて」
ふわふわと可愛らしいが、芯の通った声である。
「花音ちゃん」
奏は目を丸くした。
「私、辛かった時、彩歌ちゃんと奏ちゃんに凄く助けられたから、私も二人の力になりたくて」
ふわりと微笑む花音。だがその目は力強かった。
「花音、あたしは別に……」
「抱え込んじゃ駄目だよ。私、もしかしたら原因分かるかもしれない。彩歌ちゃんの様子がおかしいの、体育祭の途中からだもん」
少し悪戯っぽい表情になる花音。
するとやや頬を赤くして黙り込む彩歌。
奏はコンクールの予選があったので、体育祭は欠席していた。
だから体育祭で彩歌に何があったのかを知らないのだ。
「……分かった。花音ちゃん、彩歌のこと、よろしくね」
奏は花音も信じることにした。
「うん。奏ちゃん、コンクール本戦頑張ってね。応援してる」
「あたしも、本戦応援してるから」
「ありがとう、二人共」
奏は表情を綻ばせた。
「でも、少し複雑かも」
奏はポツリと呟く。
「奏、何が?」
「彩歌が私以外を頼れるようになって、嬉しいんだけど……何か寂しいなって」
奏はまだ高校生なので子供を持ったことはないが、親離れする子を見送る時のような寂しさを感じていた。
すると彩歌は席から立ち上がり、勢いよく後ろから奏と花音を二人まとめて抱き締める。
「彩歌?」
「彩歌ちゃん?」
突然の彩歌の行動に、奏と花音はやや戸惑う。
「奏も花音も、あたしの大切な友達だから。二人共……大好き」
照れ臭かったのか、『大好き』の部分だけ声が小さかった。
しかし、奏と花音にはしっかりと聞こえていた。
「私も、大好きだよ。彩歌も花音ちゃんも」
「私も私も。彩歌ちゃんも奏ちゃんも大好き」
いつの間にか、三人で抱き合っていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
その日の放課後。
奏は火曜日、木曜日、土曜日はコンクールに向けて個人的にフルートのレッスンを受けに行く。よって、吹奏楽部は休むのである。
(コンクールもそうだし、彩歌や花音ちゃんのこと、それから……響くんのこと)
奏の頭の中は、主にそれらが占めていた。
「欲張り過ぎかな」
上履きからローファーに履き替えながら、奏はポツリと言葉を漏らす。
「何が欲張り過ぎだって?」
不意に隣から声が聞こえ、奏はハッと驚く。
「浜須賀くん……」
声の主は律だった。
箒を持っているので掃除中のようだ。
奏の表情はやや硬くなる。
「今週掃除当番だったんだ」
「うん。正直怠い」
律は昇降口を掃きながら苦笑する。
夏合宿で律からの告白を断って以降、奏は律と接する機会が減っていた。
ほんの少しだけ、気まずさを感じていたのである。
正直、今でもどう接して良いか分からない奏。
「大月さん、夏合宿のこと気にし過ぎてない? まあ、俺もそうなんだけど」
律は軽くため息をついて肩をすくめる。
「その……ごめんなさい」
「いや、謝らなくても」
思わず謝罪した奏に対し、律は苦笑する。
「で、何が欲張り過ぎなの? 大月さんの独り言、聞こえちゃった」
「ああ、それは……」
奏はやや困ったように微笑む。
「十二月のコンクール本戦とか、彩歌と花音ちゃんのこととか、響くん……響先輩のこととか、自分の手で掴みたいことが多くて。それで、私、欲張り過ぎだなって思ったの」
奏は苦笑した。
夢、友情、恋、奏にとって全て諦めたくないものだった。
「別に、欲張りでも良いんじゃない?」
律はフッと笑った。
「……ありがとう、浜須賀くん」
奏は少しだけ表情を綻ばせる。
「何か、ようやく普通に話せたね、俺達」
「そうだね」
奏の表情は少し柔らかくなっていた。
「また今みたいに普通に話せたら良いなって思う。俺達……仲間じゃん」
「仲間……」
「そう。同じクラスで、同じ部活の仲間」
爽やかに笑う律。
いつも通りの律だった。
「そうだね」
奏はクスッと笑う。
ようやく自然な表情になった気がした。
「大月さん、今日レッスンだっけ?」
「うん」
「だったら部活の方は休みか。じゃあ大月さん、レッスン頑張って。コンクールも応援してる。また明日」
「ありがとう、浜須賀くん。また明日ね」
奏は律に手を振り、学校を後にした。
(コンクール、彩歌と花音ちゃん、それから響くんのこと、全部大切だから、取りこぼしたくない)
奏は空を見上げるのであった。
(良かった……。本戦出場出来る……!)
奏は達成感と、安心感で満たされていた。
心地の良い夕方の風により、奏の長い髪がなびく。
会場から帰る際、奏はポケットからスマートフォンを取り出した。
メッセージアプリを開き、響の連絡先をタップする。
『もしもし、かなちゃん?』
スマートフォン越しに聞こえる、響の明るく優しい声。
その声に奏は表情を綻ばせた。
「響くん、今大丈夫?」
敬語が抜けていて、奏は幼馴染モードになっていた。
『うん。丁度クラスの打ち上げの場所に向かってる最中だから、全然大丈夫だよ』
スマートフォン越しに、響の声だけでなく街のガヤガヤとした音も聞こえる。
「そっか。あのね、響くん、予選通過したよ」
『本当に!? かなちゃん、おめでとう! 練習頑張ってたもんね!』
スマートフォン越しに聞こえる響の声は、奏以上に喜んでいた。
目の前にいなくても、響がどんな表情をしているのか手に取るように分かる。
そんな響に、奏は思わず笑ってしまった。
「響くんやみんなが応援してくれたからだよ。ありがとう」
響からのお祝いの言葉を聞き、奏の心はじわじわと喜びが湧き上がり満たされていた。
『うん。本戦は絶対に応援に行くから。雨だろうと嵐だろうと、何が起ころうと絶対に行く!』
力強く真剣な響の声。
「ありがとう、響くん」
奏は高校入学して以降の響のことを思い出す。
中学一年生の時のトラウマでフルートが吹けなくなっていた奏。そんな奏に寄り添ってくれた響。響の為にも、奏は本戦で結果を残したいと思うのであった。
(それに、本線が終わったら……響くんに私の気持ち、伝えよう)
奏は星が輝き始めた空を見上げた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
フルートコンクールの予選と同じ土曜日に体育祭があったので、月曜日は振替休日だった。
そしてその翌日の火曜日の朝。
《奏ごめん、寝坊したから先に学校行って》
彩歌からそう連絡があった。
(彩歌が寝坊……珍しい)
奏は彩歌に焦らないようにねとメッセージを送り、朝の準備を始めた。
体育祭が終わると、制服移行期間に入る。奏はクローゼットから紫色のカーディガンを取り出し、制服のカッターシャツの上に羽織った。
一年三組の教室に着いた奏。当然ながら寝坊した彩歌はまだ登校していない。
普段予鈴が鳴るまで朝は彩歌と話す奏だが、今日は一人なので本を読むことにした。
「奏ちゃん、おはよう」
「おはよう、花音ちゃん」
花音が登校して来たので、奏は読書をやめた。
花音はピンク色のカーディガンを羽織っていた。袖の丈が長いので、萌え袖になっている。
花音の席は彩歌の前なので、奏はまだ来ていない彩歌の席に座る。
「今日彩歌ちゃんは?」
「寝坊したみたい。休むことはないと思うけど」
彩歌不在に首を傾げる花音に対し、奏はそう答えた。
彩歌は何だかんだ真面目なので、寝坊したり何か嫌なことがあっても学校や部活には絶対に来ることを奏は知っている。
教室の時計はもうすぐ予鈴が鳴る時間を指していた。
彩歌は予鈴が鳴るギリギリの時間に教室に入って来た。
制服移行期間になったので、彩歌は赤いカーディガンを羽織っている。
「彩歌、おはよう」
「ギリギリだね」
「うん……おはよう、奏、花音」
彩歌の様子はいつもより明らかに元気がなさそうである。
「彩歌……? 何かあった?」
奏は心配になる。
その時、予鈴が鳴った。
教室の生徒達は、自分の席に戻り始める。
奏は彩歌が心配だったが、一旦自分の席に戻るのであった。
(……彩歌、どうしたんだろう?)
朝のホームルーム中、奏はずっとそのことばかり考えていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
「彩歌、何かあったの? 今日ずっと元気ないというか……上の空な感じだけど」
昼休み、教室で弁当を食べ終わった時、奏は彩歌に聞いてみた。
いつもの彩歌らしくないので、ずっと気になっていた。
花音は黙って韓国語が書かれた袋に入っている辛そうなお菓子を涼しい表情で食べている。
どうやら花音は辛党のようだ。
奏も勧められたが、物凄く辛そうだったので断った。
彩歌はチラリと奏を見て何かを言いかけたのだが黙り込んだ。
「彩歌?」
「奏はさ、あたしに何かあったらいつも力になってくれるよね。相談に乗ってくれたりさ」
「そんなの、当たり前だよ。彩歌は、大切な友達だから」
奏は彩歌の言葉に、穏やかに微笑む。
彩歌とは中学時代からの付き合いだ。恵まれた容姿故にいじめや嫌がらせを受ける彩歌を放っておけず、助けたことが友達になったきっかけだ。
そして、奏が腱鞘炎によりフルートコンクールを棄権して辛い思いをした時、ずっと彩歌が側にいてくれた。
それが奏にとってどれだけ救いになったか、彩歌は知らないだろう。
だから奏は、今彩歌が何か困っているのなら力になるつもりだ。
「ありがとう、奏。だけど……今は良い。今はあたしのことじゃなくて、自分自身のことに時間を使って。奏には、コンクールを優先して欲しい。せっかく予選通過したんだから」
彩歌の言葉に面食らう奏。
フルートコンクールで予選通過したことは、彩歌にも伝えてあった。
メッセージを送ったらすぐに「おめでとう!」と返信があったくらいである。
「でも奏、絶対に話すから。だから……」
彩歌の目は真っ直ぐだった。
真剣に奏のことを思ってくれているのが伝わって来る。
「……分かった」
奏は彩歌のことが心配ではあるが、彩歌のことを信じて引き下がることにした。
「ねえ、奏ちゃん」
そこで、黙って話を聞いていた花音が会話に加わる。
「彩歌ちゃんのことは、私に任せて」
ふわふわと可愛らしいが、芯の通った声である。
「花音ちゃん」
奏は目を丸くした。
「私、辛かった時、彩歌ちゃんと奏ちゃんに凄く助けられたから、私も二人の力になりたくて」
ふわりと微笑む花音。だがその目は力強かった。
「花音、あたしは別に……」
「抱え込んじゃ駄目だよ。私、もしかしたら原因分かるかもしれない。彩歌ちゃんの様子がおかしいの、体育祭の途中からだもん」
少し悪戯っぽい表情になる花音。
するとやや頬を赤くして黙り込む彩歌。
奏はコンクールの予選があったので、体育祭は欠席していた。
だから体育祭で彩歌に何があったのかを知らないのだ。
「……分かった。花音ちゃん、彩歌のこと、よろしくね」
奏は花音も信じることにした。
「うん。奏ちゃん、コンクール本戦頑張ってね。応援してる」
「あたしも、本戦応援してるから」
「ありがとう、二人共」
奏は表情を綻ばせた。
「でも、少し複雑かも」
奏はポツリと呟く。
「奏、何が?」
「彩歌が私以外を頼れるようになって、嬉しいんだけど……何か寂しいなって」
奏はまだ高校生なので子供を持ったことはないが、親離れする子を見送る時のような寂しさを感じていた。
すると彩歌は席から立ち上がり、勢いよく後ろから奏と花音を二人まとめて抱き締める。
「彩歌?」
「彩歌ちゃん?」
突然の彩歌の行動に、奏と花音はやや戸惑う。
「奏も花音も、あたしの大切な友達だから。二人共……大好き」
照れ臭かったのか、『大好き』の部分だけ声が小さかった。
しかし、奏と花音にはしっかりと聞こえていた。
「私も、大好きだよ。彩歌も花音ちゃんも」
「私も私も。彩歌ちゃんも奏ちゃんも大好き」
いつの間にか、三人で抱き合っていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
その日の放課後。
奏は火曜日、木曜日、土曜日はコンクールに向けて個人的にフルートのレッスンを受けに行く。よって、吹奏楽部は休むのである。
(コンクールもそうだし、彩歌や花音ちゃんのこと、それから……響くんのこと)
奏の頭の中は、主にそれらが占めていた。
「欲張り過ぎかな」
上履きからローファーに履き替えながら、奏はポツリと言葉を漏らす。
「何が欲張り過ぎだって?」
不意に隣から声が聞こえ、奏はハッと驚く。
「浜須賀くん……」
声の主は律だった。
箒を持っているので掃除中のようだ。
奏の表情はやや硬くなる。
「今週掃除当番だったんだ」
「うん。正直怠い」
律は昇降口を掃きながら苦笑する。
夏合宿で律からの告白を断って以降、奏は律と接する機会が減っていた。
ほんの少しだけ、気まずさを感じていたのである。
正直、今でもどう接して良いか分からない奏。
「大月さん、夏合宿のこと気にし過ぎてない? まあ、俺もそうなんだけど」
律は軽くため息をついて肩をすくめる。
「その……ごめんなさい」
「いや、謝らなくても」
思わず謝罪した奏に対し、律は苦笑する。
「で、何が欲張り過ぎなの? 大月さんの独り言、聞こえちゃった」
「ああ、それは……」
奏はやや困ったように微笑む。
「十二月のコンクール本戦とか、彩歌と花音ちゃんのこととか、響くん……響先輩のこととか、自分の手で掴みたいことが多くて。それで、私、欲張り過ぎだなって思ったの」
奏は苦笑した。
夢、友情、恋、奏にとって全て諦めたくないものだった。
「別に、欲張りでも良いんじゃない?」
律はフッと笑った。
「……ありがとう、浜須賀くん」
奏は少しだけ表情を綻ばせる。
「何か、ようやく普通に話せたね、俺達」
「そうだね」
奏の表情は少し柔らかくなっていた。
「また今みたいに普通に話せたら良いなって思う。俺達……仲間じゃん」
「仲間……」
「そう。同じクラスで、同じ部活の仲間」
爽やかに笑う律。
いつも通りの律だった。
「そうだね」
奏はクスッと笑う。
ようやく自然な表情になった気がした。
「大月さん、今日レッスンだっけ?」
「うん」
「だったら部活の方は休みか。じゃあ大月さん、レッスン頑張って。コンクールも応援してる。また明日」
「ありがとう、浜須賀くん。また明日ね」
奏は律に手を振り、学校を後にした。
(コンクール、彩歌と花音ちゃん、それから響くんのこと、全部大切だから、取りこぼしたくない)
奏は空を見上げるのであった。



