音宮高校吹奏楽部は毎年お盆明けに二泊三日の合宿を行う。
 海辺の合宿所を借りて、各楽器ごとにパート練習や全体で集まって合奏練習をする。いつもの部活の時とやることはあまり変わらない。しかし、宿題をする時間が設けられていたり、夜に花火をする時間が設けられているので吹奏楽部員達にとっては少しの非日常が味わえる。おまけに私服が許可されているので制服姿以外の部員達を見ることが出来て新鮮だ。
 
「奏、早く部屋で荷物の整理しよ」
「そうだね、彩歌」
 顧問が手配したマイクロバスから降りた奏は、彩歌と共に部屋に向かう。
 
 泊まる部屋割りは基本的にパートごとで、奏と彩歌は他のフルートのメンバーの一年生と同じ部屋である。
 
 奏の目に、ふと響の姿が映る。
 響はバスのトランクルームから自身の荷物を取り出し、部屋に向かっているところだった。

 ちなみに男子は響、風雅、徹、蓮斗、律の五人しかいないのでその五人は問答無用で同じ部屋に入れられた。

(響くん、夏祭りの時詩織ちゃんと何があったんだろう……?)
 夏祭り以降、奏は響や詩織に対してモヤモヤとした気持ちを抱えながら、吹奏楽部の夏合宿が始まった。
 




♪♪♪♪♪♪♪♪




 
「奏、三時半から全体合奏だったよね?」
「うん、そうだよ彩歌。合宿所のホールでね」
 フルートのパート練習の休憩中、奏は彩歌の問いにそう答えた。
「ありがとう。じゃあそろそろ行かないと」
 若干気怠げな彩歌はピッコロと譜面台と楽譜を持って立ち上がる。
「行こう、奏」
「うん」
 奏はフルートなど、必要なものを持って個人やパート練習で使っていた部屋を後にした。
 
「あ、ごめん彩歌。筆記用具忘れたから、先にホール向かって」
 ホールへ向かう最中、奏は忘れ物に気付く。
「分かった。じゃあまた後で」
 彩歌の言葉を聞き、奏は筆記用具を取りに行った。
 そして、その後ホールに向かう際、同じくホールに向かう詩織とばったり会った。
「奏ちゃん、ギリギリだね」
 詩織は悪戯っぽい表情だ。
「うん。忘れ物しちゃって」
 奏は詩織とホールへ行くことになった。
 
 二人揃ってホールへ向かうものの、何となく気まずくなり奏は俯いている。
(詩織ちゃんは夏祭りの時、響先輩にかなりアプローチしていたよね……。途中で用事があって帰ったみたいだけど、その後どうなったんだろう?)
 チラリと詩織を見て、少し不安になる奏だ。
 奏は再び視線を下に向ける。
「私さ、小日向先輩にフラれたんだよね。夏祭りの日に」
 奏の心を読んだかのように、隣から詩織の声が聞こえた。
 その声は悲しんだ様子ではなく、どこか吹っ切れた様子である。
 奏はゆっくり視線を上げると、スッキリしたような表情の詩織がいた。
「そうなんだ……」
 奏は少しぎこちない表情だった。
 そして、ほんの少しだけホッとしてしまった。
「やっぱり私じゃ最初から駄目だった」
 残念そうに呟くが、詩織の表情は明るかった。
「ごめんなさい……」
 奏は思わず謝っていた。
「私、詩織ちゃんが響先輩にフラれたって聞いて……少し安心しちゃったの」
 奏は申し訳なさを感じていた。
「それって、奏ちゃんも小日向先輩のことが好きってことだよね」
 気にした様子はなく、クスッと笑う詩織。
 奏は黙って頷いた。
「ごめんね、詩織ちゃん。私性格悪いよね」
 ため息をつく奏。
「本当に奏ちゃんには敵わないよ。私は嫉妬心に負けて奏ちゃんに嫌がらせしちゃったのに、奏ちゃんは私の失恋を聞いてホッとしたことに謝るんだもん」
 はあっとため息をつく詩織。
「ま、私の分まで頑張ってよ」
 ニッと明るく笑う詩織。
「……うん、ありがとう」
 奏はホッとしたように、柔らかく微笑んだ。
 胸のモヤモヤはスッと消えていた。

 


 
♪♪♪♪♪♪♪♪





 その日の夜。
 夕食を終えた後は花火の時間である。
 顧問や副顧問達が部員の為に手持ち花火を買ってくれていたのだ。
 
「おい馬鹿、徹! 花火こっち向けんな!」
「あ、(わり)いな蓮斗」
 徹が花火を持ってはしゃぎ、蓮斗から怒られていた。
「昼岡先輩、相変わらずだね」
「ほんと、馬鹿猿じゃん」
 奏と彩歌はカラフルな花火を持ちながら苦笑していた。
「彩歌ちゃん、ちょっと火もらえる?」
 風雅がまだ火をつけていない花火を持ち、彩歌の花火に近付ける。
「ちょっと、勝手にやるな!」
 ムッとした表情の彩歌。
「駄目かな? 蝋燭の火、今人がいっぱいなんだよ」
 苦笑した風雅は蝋燭に群がって花火に火を付ける部員達に目を向けている。
 
 蝋燭の火が風で消えないよう、小夜とセレナが壁になっているようだ。蝋燭に群がり、火を求める部員達である。
 
「じゃあ火を付けたらさっさとどっか行って」
 彩歌はムスッとしたまま風雅にまだ勢い良く燃えている花火の火を向けた。
「おっと、危ない」
 風雅は火を向けられ少し後ずさりした。恐らく彩歌はわざと火を向けたのだろう。
 そんな彩歌に、奏は少し苦笑してしまう。
 風雅は彩歌から火をお裾分けしてもらい、手持ち花火に点火した。
 赤い花火がザーッと激しい音を立てて周囲を照らす。
 その間に奏の花火が消えたので、水が入ったバケツに入れに行った。
 
「かなちゃん」
 消えた花火をちゃぽんと水に入れた瞬間、響から声をかけられた奏。
「響先輩……」
 胸のモヤモヤが消えた今、少し穏やかな表情の奏である。
「はいこれ、新しい花火」
 響はそっと奏にまだ火が付けられていない花火を渡す。
「ありがとうございます」
 奏は響から花火を受け取った。線香花火である。
「俺もさっき消えたところだからさ。火、付けに行く?」
 響は蝋燭の方を指差す。
 
 風も収まり、蝋燭には現在人が少ない。
 
「はい」
 奏は頷き、響と一緒に線香花火に火を付け、ゆっくりとしゃがんだ。
「線香花火ってさ、他の手持ち花火と違ってミニチュア花火大会って感するよね」
「どういう意味ですか?」
 まだ蕾のような火の玉になっている線香花火から響に目を移し、首を傾げる奏。
「ほら、線香花火はこう……この前の夏祭りで見た打ち上げ花火みたいな感じじゃん。他の手持ち花火は勢い良く……何て言うか、火炎放射器みたいな感じだけど、線香花火ならこう……小さな夜空に咲く花火みたいなさ」
 響はパチッパチッと一つずつ火花が散り始めた牡丹のような線香花火と奏を交互に見ながら自分の言葉で説明した。
「……何となく、響先輩が言おうとしていることは分かるような気がします」
 奏は牡丹のようにパチッパチッと火花を散らす線香花火を見ながら表情を綻ばせた。
 
 やがて線香花火は勢い良く松葉のように次々と火花が散り出す。
 まるで打ち上げ花火のクライマックスのようだ。
 線香花火から出る火花は丸みを帯び、柳のようになった。やがて火花は一本一本落ちていき、散り菊となる。
 
「小さい頃、よく家族ぐるみで手持ち花火やったよね」
 響は散り菊となった線香花火を見ながら懐かしそうに呟く。
 
 かつて奏が響と同じマンションに住んでいた頃、夏は大月家と小日向家勢揃いでマンションの駐車場で手持ち花火をやった記憶がある。
 
「そうだったね」
 当時を思い出し、奏は懐かしくなった。敬語も抜けている。
「あの頃は、ただ無邪気に楽しくフルートを吹いていたかな」
 奏はふふっと微笑む。
「今は?」
 響はゆっくりと線香花火から奏に目を移す。
「今も楽しいよ。でも、また中学一年の頃みたいになったらって思うとほんの少しだけ怖くはある。私はいつまでフルートを続けられるのかなって」
 奏はもう少しで落ちてしまいそうな線香花火を見ながらそう言った。怖いと言いつつも、思っている以上に穏やかな声である。
「俺は……かなちゃんのフルート、ずっと聴いていたいな。それに、昔約束した曲で、フルートとクラリネットの二重奏もしたい」
 隣から聞こえる、真っ直ぐな響の声。
 奏は嬉しくなり、響を見る。
 響は穏やかに微笑み、その目は真っ直ぐだった。
「ありがとう、響くん」
 奏は再び線香花火に目を戻し、口元を綻ばせた。

(響くんは、私のフルートを聴きたいって言ってくれている……。それに、また部活を始めて私自身、フルートが楽しいという気持ちも思い出した)
 小さく弱くなっている線香花火とは裏腹に、奏の中にある炎は大きくなっていた。
 
「線香花火、もうすぐ終わりそうだね」
 響は弱々しく散り菊の線香花火を見て少し切なそうに呟いた。
「そうだね」
 奏は穏やかにもうすぐ落ちて消えそうな線香花火を見る。
 
 しばらくすると、奏と響の線香花火は同時にポトリと落ち、消えるのであった。

(私、やっぱりもっと……挑戦したい)
 奏はあることを決意した。