翌日になり、名刺を見ながら昨日の明との会話を思い出していた。

身嗜みの清潔感、会話、社会的地位と能力。

千尋が自分の遺伝子を残し、安定した環境で育てるために選んだ雄としてはまずまずの及第点だろう。

もっとも、これから付き合う過程で昨日は見えなかったものがいろいろと見えてくるに違いないが、それはこれからの話だ。

今日は何も予定がないので長時間作品に集中できる。

シャワーを浴びて頭と体を目覚めさせるとアトリエへ向かった。



時間がたつのも忘れて制作に没頭しているとドアがノックされた。

ルイが顔を出す。

「一華。警察が来てるけど」

「警察?なんの用かしら」

手を休めることなく聞いた。

「なにか話が聞きたいみたいだな。俺には教えてくれなかったけど」

ルイが笑って言う。

「いいわ。リビングでお待ちしてもらって。すぐ行くから」

「わかった」

警察が私の所へ来た。

おそらく連続失踪事件のことだろう。

「ちょっと待っててね」

作りかけの作品に声をかけるとリビングへ向かった。



リビングに入ると、ルイがキッチンでコーヒーを淹れていて、スーツを着た男が二人、ソファーに座っていた。

「お待たせしました」

私が言うと男二人が立ち上がって一礼する。

「目白警察の小野寺です」「仲間です」

初老の刑事が小野寺、若い方は仲間と名乗って警察手帳を見せた。

「小川一華です。こんな格好ですみません」

二人に座るように手で促しながら、私は対面のソファーに座った。

さっきまで作品を作っていたので、タンクトップに作業ズボン、髪は無造作に後ろで一本に束ねたまま。

「いえ、こちらこそお忙しいところすみません」

小野寺が頭を下げる。

「なんでも個展を開くので作品を作っておられるとか」

「はい」

口許を緩めて小野寺を眺めながら返事をした。

「こちらへうかがう前に小川さんの作品を拝見しました。素晴らしいご活躍ですね」

「まあ。どちらで私の作品を?」

「失礼、こいつで検索したのです」

小野寺はスマホをかざした。

「そうでしたか」

微笑むとルイが三人分のコーヒーを運んできた。

「どうぞお構いなく」

小野寺に言われてもルイは手を止めることなく、二人の刑事の前にコーヒーを置いた。

「いいえ。お客様になにもお出ししないわけにはいきませんから。どうぞ召し上がってください」

「そうですか。では遠慮なくいだだきます」

そう言ってから小野寺が私の顔に目を止める。

「なにか?」

「随分とご立派になられましたね。小川一華さん」

小野寺が相好を崩して言った。

「小野寺さん。やっぱりあのときの刑事さんでしたか」

「あのときは大してお力になれませんでした」

小野寺が頭を下げる。

「いいえ。だって自殺ですから。どうしようもありませんよ」

「はい。正直、ああいう場合はどうしようもありませんでした。ただ、私はあなたの様子が気にかかって、引っ越しされてからも知己を頼ってあなたの様子を聞いておりました」

ふうん。私が引っ越してからもか。

「あなたがパリへ留学してから大成したと知って、自分のことのようにうれしかったです」

小野寺は目を細めて懐かしむように話す。

「それがまさか、こうしてお話しする機会が訪れるとは」

「小野寺さん。もしかして今日は私と昔話をするために?」

「いえ、すみません。違います。どうもあなたの姿を見たとたんに抑えていたものが堰をきってしまいまして」

小野寺が頭を下げると、仲間という刑事が口を開いた。

「今日は失踪された小川さんの元同級生、高橋智花さん、田島紅音さん、小田茉莉さん、小橋愛さん、元担任の福島一成さんのことでお話をうかがいたく参りました」

「連続失踪事件としてニュースになっていますね」

「ご存知だと思いますが、私は最近までフランスにいましたから……おっしゃった高橋さんはじめ同級生と再会したのも先日の同窓会なので、これといって知っていることはありません」

「小川さんが長年フランスに住まわれていたことは存じています。今日は福島先生についてお話を聞きたいと思いまして」

「福島先生の?」

「はい。福島先生が失踪される前に何度かお会いされていますよね?」

「はい。頼まれ事をされまして」

「頼まれ事といいますと?」

「先生がお勤めされている学校で講演してほしいと言われました」

「それで?」

「もちろんお引き受けいたしました。恩師の頼みですから」

「会われたのは何回ですか?」

「三回です。食事をしながら講演の内容やスケジュールに関して話しました。ただ、私が個展を控えているので、日にちの調整はそれが終わってからということになりました」

福島と一緒に行った店の名前を教えた。

「最後に会われたのはいつでしょう?また、連絡を取ったのは」

「ちょっと待ってくださいね」

スマホでスケジュールを確認する。

「先月の三日ですね。先生のご自宅で会いました。あとは損三日後に電話で一度打ち合わせを」

「福島さんの自宅……というとお一人で住まわれていたマンションの方へ?」

「はい。先生のお食事を作りに。その後二人で食べながら打ち合わせや世間話を」

「卒業してからは福島さんとも連絡はとっていなかったと……その割には随分と親しいのですね」

さっきから私に聞いてくるのは若い方の仲間という刑事だ。

小野寺の方はずっと黙っていて、表情こそ柔和だが目は私をとらえて離さない。

表情や目の動きから何かを読み取ろうとしているのだろう。

私はタンクトップの胸元に手をあてながら仲間に返した。

「そう?気が合えば男女なんてそんなもんじゃないですか」

「そうかもしれませんが、一人暮らしの男性宅に女性が一人で行かれるのは親密な関係とも考えられますので」

刑事になると若くてもこんな考え方になるのだろうか?それとも個人的な差異だろうか?

「先生、離婚されてお独りと聞いたので、食事が偏ってるといけないと思って作りに行ったんです」

「失礼ですが本当のところ、福島さんとはどういったご関係ですか?」

「恩師と教え子ですよ」

「そうですか。それで自宅まで行って食事を作ってあげたと」

なんだろう?私と福島が男女の関係であってほしいのだろうか?

私は答えていてだんだんおかしくなってきた。

「おかしいですか?学生の頃に憧れる先生にお弁当やバレンタインのチョコを渡すのと同じですよ」

人にもそのようにお伝えください」

小野寺が頭を下げる。

「主人?私は独身ですけど」

「ああ、これは失礼。さっきの男の方がてっきりご主人かと」

「彼は私のパートナーです」

「パートナー?」

「恋人のようなものですね」

「はあ、そうですか。どうも私のような古い人間は最近の言葉に疎くて」

「私もです」

恥ずかしそうに笑う小野寺に同意しながら続けた。

「こういう説があるんですよ。人間の脳は石器時代から進化していないって。それ以降の時代にできた環境には適応できていないって。だから法律にも適応できない。犯罪者が常に後を絶たないのもそういう理由なんですって。ですから新しい言葉についていけなんて普通なんですよ」

「ほう。それは面白い話ですね」

「私もそう思います」

微笑みながら小野寺と視線を交わした。

「最後に一つだけいいですか?」

「どうぞ」

「あなたはお母さんが亡くなった後、警察が進めるセラピーは受けずに外でセラピーを受けたと聞きました。どちらの先生を選ばれたのですか?」

小野寺はどうしてそこが気になるのだろう?

私にはどうにも理解できない。

「どうしてそんなことを?今回の事件と何か関係が?」

「いえ。個人的な興味です」

「千尋です。千尋に話を聞いてもらいました。専門家といっても他人にはどうしても身構えてしまう性格なので、親しい友人の方がいろいろと話しやすいなと思いまして」

「そうですか。ありがとうございました」

刑事二人はお辞儀すると帰っていった。