私は、戸川 穂花《ほのか》。
とある田舎町の中学2年だ。
私は、中1の時から、虐められている。
クラスの女子たちから、陰湿に。
ボスは、藤倉栞《ふじくらしおり》。有力な町議会議員の家の一人娘だ。
人形のように綺麗で、華やかなオーラを放つクラスの人気者。
栞の周りには、常に彼女を崇拝する女子の取り巻きがいる。男子からも憧れの的で、彼女はまさに女王だ。
生徒だけじゃない。父親が有力者という理由で、教師たちも彼女には強い態度を取れずにいる。
そんな栞の標的に運悪く選ばれたのが、私だ。
中学1年の夏、美術の時間に、隣の席の栞のスカートに水彩のバケツの水を思い切りこぼしてしまったのが始まりだった。
「きゃっ……!」
栞の叫び声に、クラス中の視線が彼女のびしょ濡れのスカートに集まった。
「あっ、ご、ごめん、栞……」
慌てて必死に謝ったけれど、もう遅い。
クラスメイトたちは皆「やばいぞ……」という青ざめた空気を発し、教室は静まり返った。
恥をかかされた悔しさで、栞はものすごい目で私を睨み——次の瞬間、冷酷な笑みを浮かべた。
まるで、面白い遊び道具をみつけた、とでもいうように。
栞の力は強大だった。
数日後には、クラスの女子は誰も、私と目を合わせなくなっていた。
私が村八分《むらはちぶ》にされていることに、クラスの誰もが気づいていたはずだが——手を差し伸べてくれる人は、誰一人いない。
担任の先生さえも。
父も母も忙しく、そして不仲だった。彼らの苛立ちは、私にもしばしばぶつけられた。
学校での悩みなど、まともに聞いてくれるはずもない。
中2になっても、栞たちのいじめは止まなかった。
それどころか、嫌がらせは一層エスカレートする。
教科書が破られ、ノートが真っ黒く塗られた。
上履きがなくなった。
傘の骨が折られ、ゴミ箱に捨てられた。
耐えかねて、密かに担任の先生に相談した。
すると、先生は翌日の HRで「みんな友達同士仲良く過ごせていますか?」と、たった一言生徒達に向けて弱々しく微笑んだ。
「ふうん——誰か先生に告げ口でもしたのかな?」
栞が、私を見ながらクスッと微笑むのを見て、私は一層青ざめた。
翌日、体育の授業が終わって制服に着替えようとしたら、スカートがズタズタに切られていた。
授業が終わると同時にバッグに制服を詰め込み、ジャージ姿で教室を飛び出す。
「何あれ、はずかしー」
皆がそんな私を見て笑う。
泣きながら、帰り道を走った。
晩秋の日没。木立が両脇に茂る薄暗い道を走っていると、まるで後ろから闇が迫ってくるようだ。
息が切れ、何もかも嫌になって、疲れた足を止めた。
「————殺したい」
思わず、唇からそう零れた。
「誰を殺したいんだい?」
不意に、後ろから声がした。
ギョッとして振り向くと、そこには一人の女が立っていた。
痩せこけた老婆だ。
貧しげな服に包まれた体が、曲がりかけた腰のせいで一層しなびて見える。
皺に埋もれた口元を引き上げ、彼女はすうっと微笑んだ。
「——クラスメイト。
藤倉栞という女」
気づけば、薄気味の悪い老婆に向かって、私ははっきりそんなことを答えていた。
「そうかい。
じゃ、おいで。
あんたの望み、叶えてあげる」
老婆は私に手招きすると、その道の先にある高い木の塀に囲まれた大きな屋敷を指差した。
「あそこに、いいものがあるんだよ」
「え……あそこって、立ち入り禁止になってる古い家で……」
「大丈夫さ。私はあの家の管理人みたいなものだから」
そう言いながら私の先に立つと、老婆は塀伝いに歩き、やがて伸び放題の草むらの奥へと入っていく。
木立の覆いかぶさる薄暗い中でふと立ち止まると、彼女は目の前の塀を静かに押した。
すると、一見全くわからない塀の一部が、隠し扉のようにガタリと開いた。
「秘密の入り口さ。こっちだよ」
老婆はそう言いながら中へ入っていく。
ざわざわとした恐怖心が、背を這い上がる。
けれど——「望みを叶える」と言った老婆の言葉を、私はどうしても確かめたくなった。
塀の中には、驚くほど大きな屋敷と、立派な庭があった。
家も庭も乱れなく整い、不気味なほどに美しい。
老婆は、広大な庭の奥へと私を誘う。
「これさ」
庭園の隅、彼女が立ち止まった目の前に、腰くらいの高さに艶やかな葉を茂らせた植木がある。
その枝には、橙色をした桑のような美しい実がたくさん実っていた。
「綺麗な実……」
「だろう?
これを食べると、性根《しょうね》の曲がった人間が真っ直ぐに生まれ変わるのさ」
「……え?」
私は耳を疑った。
「嘘だと思うなら、試してみるといい。
あんたを虐める、その栞という子に、この実を一粒食べさせてごらん」
老婆はそう言うと、薄暗い微笑を浮かべた。
*
翌日。
いつも辛くてたまらない教室での時間が、今日は全く違う。
私は、昨日の老婆の言葉を試したくてたまらなくなっていた。
栞の嫌がらせを、本当にやめさせることができるならば。
そんな思いに取り憑かれた私は、栞と二人だけで話せるタイミングを探した。
「トイレ」
休み時間にそう立ち上がった彼女を、私は素早く追った。
トイレで二人だけになった瞬間を狙い、彼女に声をかけた。
「栞」
彼女ははっと振り返り、汚い物でも見るような目をした。
「は? 何の用?」
「あの……栞だけに、いいものを見せたいと思って」
「なによそれ」
「あ、ほら、栞に酷いことしちゃったから。お詫びの意味で」
私は必死にそんな理由をつけた。
「……ふうん」
「できたら今日、二人だけで帰れないかな。他の子には知られたくないから」
「……まあいいわ。
まさか、私をがっかりさせたりはしないわよね」
栞は、フンと蔑むように笑った。
あの屋敷の前で、栞は一瞬ためらった。
「ちょっと、ここ……立ち入り禁止じゃない……」
「誰も入らないとこだから、いいものがあるんだよ」
私は、奇妙な興奮に任せて彼女を強く誘った。
美しい木の実を見て、栞は目を輝かせた。
「……綺麗な実」
「ね?
これ、すごく美味しいの。一粒食べてみて」
言われるままに、栞は一粒口に入れた。
「甘い……」
そう呟いた直後、彼女の様子が変わった。
「……っ……
息が……っ」
彼女の顔はみるみる歪み、両手が宙を掻き始めた。
「あんた……
何を……」
苦しみもがく栞の両手が、私を掴もうとする。
恐ろしいほどに青ざめ、半ば白目を剥きながら伸びてくる指を、私は必死に躱《かわ》した。
「ひぃっ……」
掠れた悲鳴が、自分の口から漏れる。
やがて栞は苦しげに自分の首を締め上げながら、がくがくと蹲《うずくま》った。
「ゲホッ……!」
その口から、どす黒い塊が勢いよく吐き出された。
大量の血の塊だった。
「……し、栞……
栞……!」
動かなくなった背に、私はただ狂ったように呼びかけた。
どの位経っただろう。
ふと、彼女が顔を上げた。
そして何事もなかったように、栞は美しい顔ですいと立ち上がった。
とある田舎町の中学2年だ。
私は、中1の時から、虐められている。
クラスの女子たちから、陰湿に。
ボスは、藤倉栞《ふじくらしおり》。有力な町議会議員の家の一人娘だ。
人形のように綺麗で、華やかなオーラを放つクラスの人気者。
栞の周りには、常に彼女を崇拝する女子の取り巻きがいる。男子からも憧れの的で、彼女はまさに女王だ。
生徒だけじゃない。父親が有力者という理由で、教師たちも彼女には強い態度を取れずにいる。
そんな栞の標的に運悪く選ばれたのが、私だ。
中学1年の夏、美術の時間に、隣の席の栞のスカートに水彩のバケツの水を思い切りこぼしてしまったのが始まりだった。
「きゃっ……!」
栞の叫び声に、クラス中の視線が彼女のびしょ濡れのスカートに集まった。
「あっ、ご、ごめん、栞……」
慌てて必死に謝ったけれど、もう遅い。
クラスメイトたちは皆「やばいぞ……」という青ざめた空気を発し、教室は静まり返った。
恥をかかされた悔しさで、栞はものすごい目で私を睨み——次の瞬間、冷酷な笑みを浮かべた。
まるで、面白い遊び道具をみつけた、とでもいうように。
栞の力は強大だった。
数日後には、クラスの女子は誰も、私と目を合わせなくなっていた。
私が村八分《むらはちぶ》にされていることに、クラスの誰もが気づいていたはずだが——手を差し伸べてくれる人は、誰一人いない。
担任の先生さえも。
父も母も忙しく、そして不仲だった。彼らの苛立ちは、私にもしばしばぶつけられた。
学校での悩みなど、まともに聞いてくれるはずもない。
中2になっても、栞たちのいじめは止まなかった。
それどころか、嫌がらせは一層エスカレートする。
教科書が破られ、ノートが真っ黒く塗られた。
上履きがなくなった。
傘の骨が折られ、ゴミ箱に捨てられた。
耐えかねて、密かに担任の先生に相談した。
すると、先生は翌日の HRで「みんな友達同士仲良く過ごせていますか?」と、たった一言生徒達に向けて弱々しく微笑んだ。
「ふうん——誰か先生に告げ口でもしたのかな?」
栞が、私を見ながらクスッと微笑むのを見て、私は一層青ざめた。
翌日、体育の授業が終わって制服に着替えようとしたら、スカートがズタズタに切られていた。
授業が終わると同時にバッグに制服を詰め込み、ジャージ姿で教室を飛び出す。
「何あれ、はずかしー」
皆がそんな私を見て笑う。
泣きながら、帰り道を走った。
晩秋の日没。木立が両脇に茂る薄暗い道を走っていると、まるで後ろから闇が迫ってくるようだ。
息が切れ、何もかも嫌になって、疲れた足を止めた。
「————殺したい」
思わず、唇からそう零れた。
「誰を殺したいんだい?」
不意に、後ろから声がした。
ギョッとして振り向くと、そこには一人の女が立っていた。
痩せこけた老婆だ。
貧しげな服に包まれた体が、曲がりかけた腰のせいで一層しなびて見える。
皺に埋もれた口元を引き上げ、彼女はすうっと微笑んだ。
「——クラスメイト。
藤倉栞という女」
気づけば、薄気味の悪い老婆に向かって、私ははっきりそんなことを答えていた。
「そうかい。
じゃ、おいで。
あんたの望み、叶えてあげる」
老婆は私に手招きすると、その道の先にある高い木の塀に囲まれた大きな屋敷を指差した。
「あそこに、いいものがあるんだよ」
「え……あそこって、立ち入り禁止になってる古い家で……」
「大丈夫さ。私はあの家の管理人みたいなものだから」
そう言いながら私の先に立つと、老婆は塀伝いに歩き、やがて伸び放題の草むらの奥へと入っていく。
木立の覆いかぶさる薄暗い中でふと立ち止まると、彼女は目の前の塀を静かに押した。
すると、一見全くわからない塀の一部が、隠し扉のようにガタリと開いた。
「秘密の入り口さ。こっちだよ」
老婆はそう言いながら中へ入っていく。
ざわざわとした恐怖心が、背を這い上がる。
けれど——「望みを叶える」と言った老婆の言葉を、私はどうしても確かめたくなった。
塀の中には、驚くほど大きな屋敷と、立派な庭があった。
家も庭も乱れなく整い、不気味なほどに美しい。
老婆は、広大な庭の奥へと私を誘う。
「これさ」
庭園の隅、彼女が立ち止まった目の前に、腰くらいの高さに艶やかな葉を茂らせた植木がある。
その枝には、橙色をした桑のような美しい実がたくさん実っていた。
「綺麗な実……」
「だろう?
これを食べると、性根《しょうね》の曲がった人間が真っ直ぐに生まれ変わるのさ」
「……え?」
私は耳を疑った。
「嘘だと思うなら、試してみるといい。
あんたを虐める、その栞という子に、この実を一粒食べさせてごらん」
老婆はそう言うと、薄暗い微笑を浮かべた。
*
翌日。
いつも辛くてたまらない教室での時間が、今日は全く違う。
私は、昨日の老婆の言葉を試したくてたまらなくなっていた。
栞の嫌がらせを、本当にやめさせることができるならば。
そんな思いに取り憑かれた私は、栞と二人だけで話せるタイミングを探した。
「トイレ」
休み時間にそう立ち上がった彼女を、私は素早く追った。
トイレで二人だけになった瞬間を狙い、彼女に声をかけた。
「栞」
彼女ははっと振り返り、汚い物でも見るような目をした。
「は? 何の用?」
「あの……栞だけに、いいものを見せたいと思って」
「なによそれ」
「あ、ほら、栞に酷いことしちゃったから。お詫びの意味で」
私は必死にそんな理由をつけた。
「……ふうん」
「できたら今日、二人だけで帰れないかな。他の子には知られたくないから」
「……まあいいわ。
まさか、私をがっかりさせたりはしないわよね」
栞は、フンと蔑むように笑った。
あの屋敷の前で、栞は一瞬ためらった。
「ちょっと、ここ……立ち入り禁止じゃない……」
「誰も入らないとこだから、いいものがあるんだよ」
私は、奇妙な興奮に任せて彼女を強く誘った。
美しい木の実を見て、栞は目を輝かせた。
「……綺麗な実」
「ね?
これ、すごく美味しいの。一粒食べてみて」
言われるままに、栞は一粒口に入れた。
「甘い……」
そう呟いた直後、彼女の様子が変わった。
「……っ……
息が……っ」
彼女の顔はみるみる歪み、両手が宙を掻き始めた。
「あんた……
何を……」
苦しみもがく栞の両手が、私を掴もうとする。
恐ろしいほどに青ざめ、半ば白目を剥きながら伸びてくる指を、私は必死に躱《かわ》した。
「ひぃっ……」
掠れた悲鳴が、自分の口から漏れる。
やがて栞は苦しげに自分の首を締め上げながら、がくがくと蹲《うずくま》った。
「ゲホッ……!」
その口から、どす黒い塊が勢いよく吐き出された。
大量の血の塊だった。
「……し、栞……
栞……!」
動かなくなった背に、私はただ狂ったように呼びかけた。
どの位経っただろう。
ふと、彼女が顔を上げた。
そして何事もなかったように、栞は美しい顔ですいと立ち上がった。



