ギルレモ子爵がドアを開けると、そこからはさらに廊下が続いていた。
 ただ廊下と言っても、非常に道が狭い。ギルレモ子爵一人が通るのがやっとの狭さで、極めて圧迫感がある。

 しかもそれだけではない。この圧迫感のある廊下はかなりの長さがあるように見え、頼りない蠟燭(キャンドルホルダー)の灯りでは廊下の端――つまり進行方向の終着点が見えない。
 キャサリンが言っていたように文字通りの一本道のようだが、この時点でギルレモ子爵は「進みたくない」と内心思い始めていた。

 ギルレモ子爵は既にキャサリンの術中に嵌っていた。
 彼女が〝お化け屋敷〟を始める上で意識したことの一つは、「如何に先へ進みたくないと思わせるか」であった。
 アトラクションという観点から見ると矛盾しているようにも思えるが、キャサリンは怖いモノ好きの〝怖いモノ見たさ〟という心理を概ね把握していた。

 怖い、けれどその怖いモノが見たい、一体どんな恐怖が姿を現すのか――という好奇心。ホラー好きの人々は、そんな衝動に突き動かされている。
 キャサリンにとっては全くもって理解に苦しむが、ともかくそれこそが彼らにとっての非日常であり、需要なのだ。
 それがわかっているなら、あとはやるべきことは一つ。
 即ち、如何に〝世界観〟にのめり込ませるか。

 ギルレモ子爵は意識していなかったが、キャサリンが彼を出迎えた時には既にアトラクションはスタートしていた。
 より正確には、彼女が『ホプキンス城』の歴史を語り始めた時から。

 城の歴史を知る。城の背景を知る。城の物語(ストーリー)を知る。
 それらを知ることは〝世界観〟の中に身を浸すということ。

 加えて、なにも知らないよりも半端に知ってしまった時の方が、恐怖というモノはより助長される。
 例えばとある一軒家があったとして、その家に関して完璧に無知であるのと、その家で過去に殺人があったと知っているのとでは、一軒家に対して抱く印象が全く異なってくる。
 なにも知らなければ一軒家の傍を通り過ぎてもなにも感じないだろうが、殺人があったと知っていれば近寄るのも避けるようになるだろう。人の心理とはそういうモノだ。

 だからキャサリンはギルレモ子爵に半端な知識を与え、心理をコントロールした。
 過去にこの城では凄惨な処刑があったんですのよ、と。
 これらはキャサリンがバリキャリだった時代に習得したテクニックであるが、それがこんな形で活用されるとは彼女自身夢にも思っていなかった。

「……おや、曲がり角か」

 狭い廊下の中を進んでいたギルレモ子爵。
 彼が手にする蠟燭(キャンドルホルダー)の灯りはようやく廊下の突き当りを照らし出してくれる。
 廊下は左方向に直角に曲がっており、一本道であるのには変わりない。
 そしてその直角に曲がった先は当然灯りで照らせないし目で見えないので、ギルレモ子爵は余計に進みたくないと思った――そんな時、

「――! 誰だ!?」

 ――彼の視界の端に、一瞬だけ映った。
 曲がり角からこちらを覗き込む、人間の顔のようななにかが。

 ギルレモ子爵は腕を突き出し、蠟燭(キャンドルホルダー)で曲がり角をくまなく照らす。
 しかしどこにも人間の顔などない。
 蠟燭(キャンドルホルダー)の灯りはあまりに頼りなく、照らせる範囲も狭いため「影の揺らめきを見間違えたのか……?」とギルレモ子爵は自問。
 だが、彼には確かに見えたような気がした。
 自分を見つめてくる、男の顔が。

「う……むぅ……」

 ――進みたくない。進めばなにがいるかわからない。
 ずっと誰かに見られているかのような、ジメジメとした圧迫感。これはギルレモ子爵が体験したことのない恐怖だった。

 この異世界にも〝お化け屋敷〟は存在し、それなりには一般的に親しまれている。
 だがギルレモ子爵がこれまで入ったお化け屋敷は、どれも怪物の仮装をしたキャストがバッと飛び出てきて勢いで驚かせるような、そういう類のモノだった。
 しかし、キャサリンが用意したこの〝お化け屋敷〟は違う。
 勢いで驚かせようなどとはしてこない。それどころか、恐怖の対象が中々出てこない。
 まるで真綿で首を締めるかのような、足元が徐々に水に浸かっていき少しずつ靴の中に冷水がしみ込んでくるような、そんな恐怖が続いている。

 出てこない。見えない。――だから怖い(・・)
 否が応でも想像力をかき立てられたギルレモ子爵は、まだ始まったばかりだというのに両手が震え始めていた。
 無論、それもキャサリンの狙いであったなどとは露知らず。

「な、なんの、まだまだ……。このギルレモ・デル・ロロ、ホラー好きで通っているのでね……」

 無理矢理作り笑いを浮かべ、勢いに任せてギルレモ子爵は曲がり角を曲がる。
 その先には視界の端に映った男の姿などなく、すぐに次の部屋に映れるドアがあるだけだった。

 ギルレモ子爵はドアの前に立ち、ドア輪に手をかける。だが、開けるのにどうしても躊躇した。

 このドアを開けた先に、なにがある?
 今度はなにを見せられる?
 いやそもそも、これは本当に〝お化け屋敷〟のアトラクションなのか?
 自分は――なにか恐ろしいことに巻き込まれてしまったのではないか?
 彼の頭の中は、答えの出ない問いで埋め尽くされていた。

 ――意を決し、ギルレモ子爵はドアを開ける。
 すると、なにやら狭い部屋へと出た。