今でもときどき夢に見る。
 それは7年前、私が小学4年生になったばかりのころの、1学期最初のホームルーム。
「先生はこの4年2組を一人ぼっちを作らない、みんな仲良く楽しいクラスにしたいです」
 新学期特有の期待と不安が入り混じる教室で、担任の先生がはきはきとした声で高らかに宣言する。この話をするために準備していたのだろう。
【みんな仲良く】と毛筆で書かれた書道の半紙が立派な額縁に入れられ、黒板の上に飾ってあった。
「というわけで、このクラスの目標は『みんな仲良く』です。いいですね?」
 同級生たちの「はい」という声が教室に響き渡る。
 先生は『決まった』とばかりにご満悦だった。でも、私の目には、額縁の中の【みんな仲良く】という言葉が、なんだか遺影のように見えていた。


「みーおー、(みお)、起きてってばー」
 大きな声と肩を揺さぶられる感覚にハッとする。ゆっくりと目を開けると、「あっ、やっと起きた」と登校してきたばかりの絵茉(えま)が、私の顔をのぞき込んできた。
 絵茉の隣にはここねもいて、「前髪、寝ぐせついてるよ」と自分の額を指差してクスクス笑う。
 私たち3人は、同じクラスの仲良しグループ。2年生に進級してすぐ、席が近かったことで友達になった。そんな偶然がきっかけで、学校ではよく行動を共にしている。
「ねえ澪、来週の金曜の放課後って空いてる?」
 絵茉が隣の席の机の上に腰かけながらたずねてくる。我が物顔で座っているけど、そこは絵茉の席じゃないし行儀悪いよ。とはあえて注意しなかった。勝気な彼女に指摘したらたぶん機嫌を損ねそう。あえてスルーして、「まあ、一応」と前髪を手櫛で整えながら答える。
「何? その日にどこか行きたいとこでもあんの?」
「そうじゃなくて、その日にクラス会をやろうと思って」
「クラス会?」
「ほら、もうすぐ夏休みでしょ?」
 ここねが付け加えるように説明したあと、そういえばもうすぐ7月だったと思い出す。
「1学期が終わる前に、このクラスのみんなで楽しい思い出を作りたいな~って思って」
「それで、一昨日の土曜からあたしとここねで計画してるんだよね」
 お互い目配せをして、微笑み合う絵茉とここね。その光景を目にした瞬間、疎外感に包まれた。二人はすぐ近くにいるのに、何故だか私だけが切り離されたみたい。
「とにかく、絶対に参加してよね。澪がいないと楽しくないし!」
「まあ、いいけど……」
 私がいないと楽しくないと言いながら、クラス会の計画には携わらせてくれないんだな。
 うっすら気づいてはいたけれど、ここ最近のグループ内の関係は、絵茉とここねの二人組に、おまけの私がしがみついている状態だ。
 いつも三人セットでいる私たち。だけど、こういう肝心なときに限っては、私だけがあぶれてしまう。
 いっそグループから抜けてしまおうかと考えたことは何度もある。でも、教室での自分の居場所を簡単に手放すと考えただけで、恐ろしくて実行には移せない。
 特に夏休みが終わったあとの二学期は、修学旅行や文化祭などのイベントが目白押しだ。
ホテルの部屋割りや自由行動。文化祭当日に他のクラスの出し物を見て回るとき、一人ぼっちでいるほど惨めなこおとはない。
 だから、ああならないように気をつけよう。絵茉とここねとは仲良くしておこうと、廊下側の一番後ろの席にちらりと視線を寄こす。すると、黒髪のボブにふちのないメガネをかけた大人しそうな女の子が、水玉模様の表紙ノートを開いて、せっせと何かを書き込んでいる姿が私の目に映った。
 彼女は折野(おりの)千景(ちかげ)さん。新学期からずっと、このクラスで孤立している同級生だ。
 一人が好きなのか、単純に友達がいないのか。それともクラスの人たちと仲良くする気がまったくないのか。それは本人に聞かない限りわからない。そんな彼女が単独行動を取る姿は、どこか物寂しく見える。
 だから私は、本人には悪いと思いつつ、折野さんのことを反面教師にしている。
「澪、どうしたの?」
 視界に絵茉の顔がアップで映り込んできた。思わずビクッとして目を見開く。
「えっと……、折野さんもクラス会に行くのかなって思って」
「いや、来ないでしょ」
 絵茉は素早く断言した。
「えっ、何で?」
「だってあの人、一人が好きそうだし。ね、ここね」
「そうそう。こっちがいくら誘ってもきっと断るだろうしね」
 絵茉のせせら笑うような笑顔と、ここねの困ったような笑顔。本音を隠したようなよそよそしい言動も相まって、二人ははじめから折野さんをクラス会に誘うつもりはないんだろうな。と、私は察した。
「とりあえず、声かけくらいはしておいたら?」
 さすがに形だけでも誘わないのはかわいそうだし。という言葉を呑み込んで、一応二人に提案してみる。でも、絵茉は首を横に振った。きゅっと眉間にシワを寄せると、「ここだけの話なんだけどさ」と声をひそめて切り出した。
「正直な話、折野さんは誘いたくないんだよね……」
「何で?」
「単純に暗そうだし、あたしと合うタイプじゃなさそうだし。見ていてイライラするってのもあるんだけどさ……」
「う、うん……」
「ついこの間、折野さんが自分の席で、【このクラスのみんな大嫌い】ってノートに書いてるところを見ちゃってさ……」
「えっ? マジ……?」
 思わず聞き返すと、「本当だって!」と絵茉が私に前のめりになった。
「ここねもあたしと一緒に見たよね? 覚えてる⁉」
「うん。けっこう闇深い言葉をいっぱい書いてたよね……」
「そうそう。ぼっちこじらせてんのか知らないけどさー。クラスのみんなと仲良くする努力をしないで『大嫌い』ってねえ……」
「あんなこと書いてたら、余計に誘いたくなくなるもんね」
 絵茉とここねの話が本当ならば、折野さんは今も自分のやり場のない心の内を綴っているのだろう。あのかわいらしいノートにどす黒い本音が書き込まれているとはいまいち想像できない。けれど、それを目にした絵茉たちが、折野さんをクラス会に誘うのをためらってしまう気持ちはとてもよくわかる。
 夢で見た【みんな仲良く】の言葉が脳裏をよぎる。額縁の中のそれは、さっきの絵茉の発言を聞いたあとでも遺影にしか見えない。
「あちー」
「俺も。めっちゃ汗かいたわ」
 ふと、おしゃべりをする声が耳に流れ込んできた。声が聞こえた方向に顔を向けると、クラスの女子人気の高い男子グループが教室に入って来るところだった。
 揃いも揃って整った容姿に長身で、まるで少女漫画のヒーローが集合したみたい。
 明るい髪色のメンバーが多いそのグループの中に、一人だけ黒髪の男子がいた。
 相良(さがら)夏稀(なつき)くんだ。中性的で端正な顔立ちに大人びた雰囲気もあって、クラスの女子たちから断トツの支持を集めている。
 そんな相良くんに気づいたのか、絵茉の目が彼に釘付けになった。彼女は相良くんのことが好きなのだ。
「絵茉、夏稀くんたちをクラス会に誘いに行くチャンスだよ」
「うん、行こう。じゃ、澪。あたしたち行ってくるね!」
「いってらっしゃーい」
 くるりと私に背中を向けて、絵茉とここねが相良くんの元へ走る。クラス会の目的は夏休み前の思い出作りより、絵茉と夏稀の距離を縮めるためかもしれない。