風と共に生きた ─とある男の、小さな物語

その日は、
朝から家の中が、どこかそわそわしていた。

父が、母の部屋を行ったり来たりし、
召使いの女性たちも忙しそうに走り回っている。

子供の俺にも、
何か大きなことが起きようとしているのは、伝わってきた。


やがて──

小さな、産声が響いた。

「……う、うあ、あ……!」

か細くて、
けれど、確かに力強い泣き声。

その瞬間、
胸の奥がぐっと締めつけられた。

これが、
命の始まりの音──。

頭ではわかっていた。
前世でも、教科書で、ニュースで、何度も見聞きしてきた。

でも、
自分の家族として、生まれた命の声を聞いたのは、初めてだった。

(これが、妹……)


しばらくして、
父が俺を呼んだ。

「ライナス、おいで。お前の妹だ」

母のベッドのそばまで、そろそろと近づく。

母は少し疲れているようだったけど、
顔は優しく、柔らかに笑っていた。

その腕の中に──

小さな、小さな赤子。

すべすべの頬。
閉じたままの目。
指ほどしかない、小さな手。

思わず、
息を飲んだ。

こんなに、小さくて、壊れそうで。
けれど、確かに生きている。


「……かわいい」

自然に、言葉がこぼれた。

母が、笑った。

「ライナス。お前の妹よ。名前は、フィリア」

フィリア。

その名前を、心の中で何度も繰り返した。

フィリア。
フィリア。
──俺の、大切な妹。


父が、俺にそっと声をかけた。

「抱いてみるか?」

俺は、びくびくしながら頷いた。

慎重に、慎重に、
母から受け取った小さな命を、両腕で抱える。

軽かった。
驚くほど、軽かった。

それなのに、
胸の奥が、ずしりと重くなった。

この子を、守らなくちゃ。

そんな気持ちが、
自然に、静かに、心の底から湧き上がった。


赤ん坊は、俺の腕の中でくしゃりと顔をしかめた。
そして、小さな声で、ふにゃりと鳴いた。

「……あはは」

思わず、笑った。

愛おしい、という感情が、
こんなにも体を温かくするものだとは知らなかった。

前世で、
命に対してここまで真剣になったことなんて、一度もなかった。

今、ここにいるこの子は、
俺にとって、何にも代えがたい存在になった。

フィリア。
絶対に、幸せにする。

俺は、
小さな妹を腕に抱きながら、
そっと、心の中で誓った。

──ライナス、六歳の秋。

新たな家族との日々が、静かに始まった。