風と共に生きた ─とある男の、小さな物語

言葉が少しずつわかるようになると、
世界はさらに広がっていった。

家の中にあるもの、窓の外の景色、父と母の話す内容──
どれもが新鮮で、胸の奥がわくわくと震えた。

そんなある日。
俺は、それを見た。


父──アレンが、庭で焚き火の準備をしていた。

手際よく薪を組み、火打石を打ち鳴らす。
──かと思えば、火打石をしまい、掌をそっと翳した。

「《ウィンド・スパーク》」

低い声とともに、父の手元にふわりと風が集まり、
薪に向かって吹きつけた。

次の瞬間──

ぱちり、と音を立てて火が灯った。

──魔法。

それは、あまりにも自然で、あまりにも当たり前のように、
この世界の一部として存在していた。

俺は、目を丸くしてその光景を見つめた。

火が生まれる瞬間。
風が揺れる瞬間。
世界が、父の手で変わった瞬間。

たったそれだけのことが、
まるで奇跡のように思えた。


それから、俺は魔法に夢中になった。

どうやったのか知りたくて、
小さな手で真似をしてみた。

──でも、うまくいかない。

父が使ったあの言葉を真似しようとしても、
出てくるのは拙い発音と、空振りの動きだけ。

それでも諦めきれなかった。

何度も何度も、手を伸ばし、掌をかざし、
風を呼ぼうとした。

見よう見まねの、幼い試行錯誤。

母が心配そうに笑って、
「ライナス、何してるの?」と聞いた。
俺はただ、無言で掌を突き出した。

母はくすくす笑いながら、頭を撫でてくれた。

──いいんだ。
誰にもわかってもらえなくても、
俺は、あの奇跡を、自分のものにしたかった。


ある日。
何度目かの失敗の後。

ふっと、指先がぴりりと震えた。

掌から、かすかな風が──吹いた。

ほんの、小さな、小さな、そよ風。
紙切れ一枚を揺らすのがやっとの、微かな力。

けれど、それでも──

できた。

俺の中で、何かが弾けた。

嬉しくて、堪らなくて、
まだ言葉にもならない叫びを、喉の奥であげた。

小さな手をぎゅっと握る。
俺にも、できたんだ。


後になって、家の本棚に、
ぼろぼろの魔法書を見つけた。

表紙に金文字で書かれた《初等魔術概論》。

読み書きもまだおぼつかない幼い指で、
一文字一文字、必死に追った。

わからない言葉だらけ。
難しい式。
でも──

わかりたい。
もっとできるようになりたい。

初めて、生まれて初めて、
そんなふうに思った。


誰に強制されたわけでもない。
誰かに褒められるためでもない。

ただ、
この世界に手を伸ばしたくて。

この世界を、自分の力で触れたくて。

俺は、小さな手で、魔法という名の奇跡に挑み始めた。

──ライナス、幼き日の、最初の挑戦だった。