風と共に生きた ─とある男の、小さな物語

あの日、
俺は一人、誰にも知られることなく静かに死んだ。

誰かに恨まれることもなければ、誰かに惜しまれることもなかった。
ただ、布団の中で目を閉じたまま、人生を終えた。

最後に思ったのは、悔い──ですらなかった。
「もう少しだけ、頑張れていたら。」
そんな、ぼんやりとした後悔にも似た感情だった。

でも、どうせ無理だった。
生きることに疲れきって、誰にも期待しないで、心を閉ざして、
何も変わらないと諦めていた俺に、何ができただろう。

──そんなふうに、世界に背を向けたまま、
俺は終わった。

終わった、はずだった。


光に包まれる感覚。
耳をつんざくような音もなく、ただ、柔らかく、ぬるま湯の中に沈むような──そんな感触。

目を開けようとしても開けられない。
手を動かそうとしても、指が思うように動かない。

……これは、夢だろうか。

「──ん、……かわいいな……」

遠くで、誰かの声がした。
あたたかくて、懐かしくて、けれど知らない声。
言葉は聞き取れるのに、意味を理解するのに時間がかかった。

「元気な子だ。セリア、よく頑張ったな」

セリア。誰だ。
世界がぼやけていて、俺はただ、揺りかごに揺られているような気分だった。

暖かい。
柔らかい。
心地いい。

思わず、俺は小さな声を上げた。
いや、正確には──赤子の泣き声、だった。

誰かが、優しく俺を抱き上げる。
暖かくて、包み込まれるような腕の中。
胸に耳を押し当てると、どくん、どくん、とゆっくり脈打つ音が聞こえた。

……これが、命の音だ。

何もわからないくせに、
心の奥のどこかで、それだけははっきりとわかった。

ああ──
俺は、生まれ変わったのだ。


それからの時間は、混沌としていた。

目が覚めれば、誰かの顔が覗き込んでいる。
声が聞こえる。笑い声、時折聞こえる泣き声、柔らかい歌。
だけど何も理解できない。ただ、音の波に流されるだけだった。

体は自由に動かない。
指先すらも、思うように動かせなかった。

赤子として、ゼロからのスタート。

この世界に、自分がどう存在するのか、
何をすべきか、考える余裕などなかった。

ただ、
あたたかい腕に抱かれて、胸の音を聞き、
そして、なぜだか涙が溢れた。

泣く理由なんて、わからなかった。
でも、きっと──

これは、前世では味わえなかった、
温もりに触れたからだ。

俺は、確かに、生きている。

世界はまだ、俺を受け入れてくれているのかもしれない。

そんな、微かな感覚だけを胸に、
俺は、新たな人生の最初の一歩を踏み出した。

──そしてまだ、このときの俺は知らなかった。
この小さな温もりこそが、これから歩む長い長い旅路の、最初の光になることを。