昨日を思い出して僕は、今日との差に驚く。今日は金曜日、高宮はサークルがあって僕の家には来ない。僕は今まで通りひとりで買い物をして、ひとり分の食事を作ったところだ。
「いただきます」
 僕の声が部屋の壁に吸い込まれる。今日は漬け込んでおいた豚肉を生姜焼きにした。きっと外の換気扇からは美味そうな匂いが流れ出ていたと思うけれど、「飯テロだ!」と叫ぶ高宮は、今日はいない。
 落ち着いた夜を過ごしている。部屋の中では、テレビから聞こえる音が高宮の代わりに賑やかさを演出している。

 昨日僕は、高宮の前でカレーを食べることに成功した。中二の時からずっと怖いと思っていたことがクリア出来たことに驚いている。
 どうしてだろう。高宮にあの人懐っこい陽キャの笑顔で「一緒に食おうぜ」となんでもないことのように言われたら、本当になんでもないことのように思えてしまうのだ。
 高宮が笑うと、怖さが薄れる。高宮と一緒に食事をすることが楽しいと思えてくる。

 次に高宮が来るのは来週の火曜日、卵の日だ。卵を使って何を作ろうか。卵たっぷりチャーハンにするのはどうだろう。高宮はチャーハン好きかな。きっとなんでも好きって言うだろうな。
 どうせまた高宮が連絡してくるのは当日だろうけど、前日までに練習しておこうかな。美味しいチャーハンを高宮と食べたいから。
 火曜日まであと三日ある。ご飯を食べるだけの隣人関係ではあるけれど、他の曜日に連絡してきてもらってもいいんだけどな。ゴミの日は忘れてないだろうな。連絡しておいてやろうか。いや、それはおせっかいが過ぎるか。

 テレビの音が静かになった。シリアスなドラマが始まったからだ。ここ数日、高宮と喋る時間が多かったせいか、静けさがやけに心に沁みてくる。ひとりご飯のプロのはずだぞ、僕。どうしたんだ急に。
 高宮の「美味い」がないと、どうも張り合いがない。食欲をそそるはずの生姜焼きは、僕ひとりでは食べきれなかった。

 週三日、高宮と一緒に晩ご飯を食べるようになって数週間。僕の生活は変わったかに思えた。この調子なら、そろそろ出来るかもしれない。僕はあることにチャレンジしてみることにした。
 午前の講義が終わり、昼食の時間。僕はいつもなら大学の図書館か次の教室で時間を潰しているのだけれど、今日はカフェテリアへ足を向けてみた。
 大勢の人がいるところでご飯を食べる。中二以来避けて通っていたチャレンジだ。ごくりとつばを飲みながら入り口を通り抜ける。広いカフェテリアを見回すと、だれもが楽しそうに向かい合って食事をしている。ひとりでいる人も、スマホや本を片手に自由に食事の時間を楽しんでいるように見えた。

「食券はありますか?」
 カフェテリアの人に聞かれた。入り口で食券を買ってスタッフに渡すシステムだというのをすっかり忘れていた。
「あ、あ、すみません。買ってきます……」
 しどろもどろになりながらカウンターに並んだ列から離脱する。最初からつまづいてしまった。意気込みがプシューと音を立ててしぼんでいくのが分かる。何を食べようかいろいろ考えていたのに、どのメニューも魅力を失っていく。
「あの、先にいいですか?」
 券売機の前で立ちすくんでいたら、後ろに並んでいた人に声を掛けられてしまった。もうだめだ。
「すみません。お先にどうぞ」
 それだけ言うと、僕はカフェテリアから逃げるように外へ出た。やっぱりまだひとりは怖い。チャレンジは失敗に終わった。

 もしこの場に高宮がいてくれたら、きっと「大丈夫大丈夫」となんでもないことのように笑ってくれたかもしれない。ふいに高宮の笑顔を思い出して、僕はどきっとした。
 どうして今高宮の顔を思い浮かべたんだろう。僕の中で高宮の存在が大きくなっていっている。
 僕とは違う世界に住んでいそうな男が、図々しく家まで押しかけてきてメシを食わせろと言ってきた。そんな強引な出会いから始まった高宮との関係は、なんと呼べばいいのだろうか。友人関係? 隣人関係? そんな四文字で片付けられる気持ちとは違う気がした。
 空腹を抱えて、午後の講義に出た。今日は高宮が家に来る日だ。「今日は何食う?」とメッセージを送ってくるのが待ち遠しくて、講義の内容が頭に入ってこなかった。

 餃子なんて作れねぇよという高宮に、百均で買ってきた簡単に餃子の皮が包める道具を渡したら、めちゃくちゃ食いついてすごい勢いで作ってくれている。楽しいみたいだ。デカい図体をして子どもみたいな高宮の隣で、僕はひたすら餃子を焼いている。

「朝斗は大学じゃどうやってメシ食ってんの?」
 餃子の皮を包みながら高宮が聞いてきた。
「大学ではご飯を食べていないんだ。昼は抜きにするか、人のいないところでささっと食べられるドリンクゼリーとかおにぎりとか」
「ええっ、そんなんで持つのかよ」
「お腹は空いてる。だけど人前で何かやらかすのが怖いから……」
「でも、俺の前だと食えてるだろ?」
「うん、そう思って今日思いきってカフェテリアに行ってみたんだけど……いろいろあってやっぱりだめだった」
 情けない話だけど、カフェテリアのカウンターにすらたどり着けないで終わってしまった。もう一度チャレンジすることすらせず諦めてしまった僕を高宮はどう思うかが気になって、それ以上詳しく話すのはやめた。

「だけどさ、学食まで行ったってことがまずすげぇんじゃないの。そこまで行けたんなら焦ることはねぇよ」
「高宮……」
「そうだ。俺が一緒に行ってみるってのはどうだ?」
「僕の大学に?」
「あ、いいこと思いついた。俺の大学の学食来てみねぇ? 人の目を気にしなくていいくらい広いんだわ」
「う、うん……」
 悩んでしまう。高宮がいたら心強いけれど、もしまた今日みたいに勇気の出ないところを見せてしまったら恥ずかしい。あーだけど気になる、高宮の大学の学食。リオさんも食べたらしい学食のふわとろオムライス。
「今さ、期間限定で超ふわとろオムライス販売中なんだ。使ってる卵の数増量してんだって。俺もまだ食べれてなくてさ、行きてぇんだよな。あー行ってみてぇなー、朝斗と」
 うっ。わざと僕が行きたくなるように誘っている高宮の言葉に、案の定ぐらぐらした。
「朝斗が来るなら、俺講義中抜けして席取っとくけどどうする?」
 そこまでしてくれる高宮に対して、もう断る理由はどこにもなかった。高宮と一緒ならきっと大丈夫。ふたりでなら食事が出来ているのだから。僕は心を決めた。
「じゃあ、行ってみようかな」