「今日のメシ何? めっちゃ美味そうな匂いするんだけど。もう飯テロでしょ、これ」
 確かに、部屋にはバターとケチャップの香ばしい匂いが充満していた。けれど、僕のせいと言われる筋合いはない。
「飯テロって、晩ご飯の時間なんだから仕方ないでしょ……」
「俺、料理出来ないんだよ。だから朝斗、お願い。飯食わせて! ちゃんと礼はするから!」
 そう言ったかと思うと、高宮はドアを力任せに開けて、僕の部屋にするりと入ってきた。
「ちょ、ちょっ。勝手に入らないでくださいよ」
「お邪魔しまーす。へぇ、俺ん家と同じ間取りなのに広く見えるな。綺麗にしてるからか。お、このラックかっこいいじゃん」
「人の部屋を勝手に見て回らないでください」
「俺、片付け苦手だからなー。適当に服とか置いちゃうし」
 確かに生活感は薄いかもしれない。ワードローブはそんなに持っていないし、料理以外に趣味と言えるものもない。冷蔵庫の中の方が、ものは多いかもしれないな。

「お、オムライス! これか、飯テロの正体は」
 高宮が部屋のテーブルの上に置かれた皿を発見した。
「だめです、それは僕の分なんですから」
「お願い、頼む! 晩メシはコンビニ弁当かカップラばっかでさ。実家で料理なんて作ったことなくて、手料理に飢えてんだ」
「知らないですよ……」
 そう言いながらも、高宮がオムライスをじっと見つめているのが気になった。そんなに腹が減っているのか?
「もう一個、この店のやつみたいなの作ってほしいな」

 店のやつみたいなの。語彙力はあれだが褒められているのは分かった。成功したオムライスを褒められるのは悪い気分じゃない。陽キャのテンポに上手く乗せられてしまったような気もするけれど、高宮が僕に向かって拝んでいるのを見ると、なんだか食べさせてやってもいいかという気持ちになってきた。

「……それ、食べてもいいですよ」
「マジで? それはさすがに悪いよ、一緒に食おうぜ」
「い、いや、いいです。あとで僕は作りたてを食べるので」
 人前で食事が出来ない理由は、わざわざ高宮に話すことでもない。オムライスは高宮に譲ってやることにした。
「じゃあ遠慮なくいただきます……うっま! え、マジ、これ、本当に朝斗が作ったの? 天才かよ、卵超ふわとろじゃん。ケチャップライスもうんま。朝斗、こんなん毎日食ってんの? うらやま!」
 高宮は目を丸くしながら、僕の作ったオムライスを頬張った。天才とまで言われるとは思わなくて、背中がむず痒い。
 自分の作った料理は、ずっと自分ひとりで食べるものになるはずだった。だれかに美味しいと言われる日なんて来ないと思っていた。けれど、高宮が強引に家に入ってきて状況は一変した。目の前で、僕の料理が褒められている。こんなことが僕の人生で起こるなんて。

 高宮はあっという間に皿を空っぽにした。
「すげぇよ朝斗、こんなん作れるなんて。うちの学食より美味いかもしんない。ふわとろオムライスって名物なんだけどさ。全然負けてないよ」
 え、ふわとろオムライス? さっき見たリオさんのSNSでも、大学の学食で食べたと出ていた。ということは、もしかして。
「高宮さんの大学って……」
「さん付けなくていいよ。隣駅の私大、今二年」
 きっとそうだ。リオさんが食べていた学食のある私立大学に通っているのに違いない。そうか。高宮は、リオさんが紹介していたふわとろオムライスをみんなと一緒に食べられるんだ。いいな。

「朝斗は何年?」
「僕も二年です」
「なんだタメかぁ。じゃあ敬語なしな!」
「はぁ……」
 名前とかタメ語とか、苦手なんだけどな。高宮って呼び捨てでいいのか? いや、呼びにくいな。こういう時のマニュアルを僕は知らない。
「なに戸惑ってんの、朝斗って面白いやつだな」
 足を伸ばしてお腹をさすりながらハハハと豪快に笑う高宮に、面白いやつと言われた。え、陰キャの僕が面白いなんてことある? 
「面白いよ。行動がいちいち面白いうえに、料理が上手いなんて秘密兵器持ってるなんてすげぇよ朝斗」

 面白いが褒め言葉なのか何なのかよく分からないけれど、高宮の言葉は悪い風には聞こえなかった。高宮が人懐っこい笑顔で僕のテリトリーにずけずけと入って来て、だけどそれが嫌じゃないのは、高宮が悪いやつではないからなんだろう。
 ゴミ出しだって挨拶だって、高宮の素って感じがする。距離感バグってるのは困るけど。

「ところでさ、飯食わせてもらったお礼。なんか朝斗ん家で困ってることある? 戸棚が壊れたとかさ、網戸が開かないとか。こう見えて俺、大工仕事的なやつはけっこう得意なんだ。弟の勉強机リメイクしてやったりとかやっちゃうの。そういうの、ない?」
「急に言われても……。今のところ困っていることはないし、お礼なんかいいよ。お金貸したとか言うわけでもないから」
「えーでもさ、これからもちょくちょくお邪魔したいわけよ。あ、そうだ。じゃあさ、材料を俺が買うのはどうよ? 朝斗の買い物に付き合うからさ」
「え、え、ちょ、ちょっと待って。これからもちょくちょくって……、今回だけじゃないの?」
「こんな美味いもん食わされて、はいおしまいは辛いでしょ。朝斗のレパートリーまだあんだろ? 俺が材料を買って朝斗が作る。完璧じゃん」
「完璧とは……?」
「朝斗がスーパー行く時間に待ち合わせて一緒に行こうぜ。時間何時にする? ID交換しておこうな、ほらスマホ出して……友だち登録っと。で、とりま明日は何買う?」
「あの、えっと、今日ので卵がもうなくなっちゃうから、卵買い足さなきゃいけないけど……」
「オッケー卵な。あ、明日俺、肉が食いたいかも。肉買っていい?」
「う、うん。ちょうど精肉の特売が水曜日だから」
「そういうのがあんだな、なるほど。卵はもしかして火曜日か?」
「うん」
「よし、じゃあ毎週火曜日は卵を買おうな!」

 何だか断るタイミングを失って、高宮の条件をのむことになっている。困った。困ったことになったぞ。
 じゃあな、ごちそうさま。高宮は片手をひょいっと上げて鼻歌を歌いながら自分の部屋へ帰って行った。僕は、高宮の後ろ姿を空腹も忘れて呆然と見つめるばかりだ。