帰宅して台所で準備していると、ピンポンとインターホンが鳴った。ドキドキしながら玄関の鍵を開けると、そこには少しぎこちなく笑う高宮の姿があった。
「来た」
「うん」
 ぎくしゃくしたような空気が部屋の中に漂う。高宮はお邪魔します、とスニーカーを脱いで、台所にセッティングしたメンチカツの材料を覗き込んだ。
「朝斗が作るとこ見るの、久しぶり」
「今日は油はねがあるかもしれないから、テーブルに座って待ってて」
「了解」

 さて、揚げていく。カフェで習得した技をここで決めていく。こんがりきつね色になるまで、焦らずタイミングを見ながら揚げたふたり分のメンチカツは、今までで一番いい出来に見えた。
 ここに、帰り道で思いついた切り札を使うことにした。カフェでは出していない、高宮のためだけの味付け。ふわとろオムライスの時に高宮が好きだと言っていたデミグラスソース。凝ったものは作れなかったけれど、中濃ソース、ケチャップ、醤油と砂糖を混ぜ合わせ、味見をしながら調整し、あの時の味に寄せてみた。

「出来たよ」
 一枚の大皿に盛り付けたメンチカツと、シンプルな千切りキャベツ。それから、コンソメスープと、白ご飯。カフェみたくおしゃれな盛り付けじゃないけれど。
「すげぇ美味そう」
 目を輝かせる高宮に、伝わってほしい。高宮にしか出さない僕だけの「好き」の隠し味。
「デミグラスソースかけてみたよ。カフェじゃやってないんだ」
「……マジか。てことは俺だけの味つけ?」
「うん」
 箸を握る高宮の手が、少しだけ緊張したように見えたのは気のせいだろうか。

「いただきます」
 高宮がメンチカツに箸を入れると、サクッと音がして、切り口からは肉汁があふれた。ここまでは成功だ。高宮の口の中にゆっくりと運ばれる。ほんの数秒の出来事なのに、ひどくスローモーションのように感じられる。

 どう? 高宮。僕は咀嚼を終える高宮の答えを待った。喉がきゅっと苦しくなる。
「……マジで美味い」
 ぽつりとこぼれたひと言が、僕の胸に直接降りてくる。ほしかったひと言。僕が作った料理を一番に食べてほしいと願う相手が、今目の前で「美味い」って言ってくれる。
 嬉しくて、切なくて、鼻の奥がツンとした。好きって気持ちを料理に隠すのは、なかなか難易度が高い。

「俺だけのメンチカツか。待ったかいあったな」
「体力回復のためにもたくさん食べて」
「朝斗のメシ食ったら、マジ元気になるよ」
 高宮は大きく口を開けて、美味しそうにメンチカツを食べてくれる。その様子を見て、僕も自分の分に箸をつけた。サクサクとした衣にデミグラスソースがいいアクセントになって、大正解だったなと思う。高宮に食べてもらいたい味はこれだ。

 メンチカツをかぶりつくように食べていた高宮が、しばらくしてふと箸を止めた。なにかを言おうか言うまいか迷うような表情を滲ませると、まるでひとりごとのように低いトーンで呟いた。
「……バイト、忙しいんだなって思ってたけど、やっぱ朝斗の近くにいられないのはきつかった」
「え……?」

 今、なんて? 高宮の口から発せられた思いがけない言葉に、喉がひゅっとなる。
 ただの友だちに向ける感情にはどうしても聞こえなかった。陽キャに見えて実はさみしがり屋な高宮が、僕にだけ向けてくれる特別な感情なんだったとしたら。

「いや、バイト頑張ってんの知ってるし、応援してるのには変わらないんだけどさ。でもなんか──俺だけ置いてかれたみたいで」
「高宮……」
「分かってる。みっともねぇよな、いい歳して。だけどさ、ひとりだとどうしても朝斗の店の投稿ばっか見ちまうんだ。朝斗が店の人と……その、仲良くしてるとことか見たら……なんか、ちょっとイラついたっつーか」
 途切れ途切れにこぼされた言葉。高宮は俯いて、視線を合わせようとはしないけれど、耳がほんのり赤くなっているのが分かる。

 僕もずっと同じだった。高宮が他のだれかと笑っているのを見るだけで、明るい世界の向こうと繋がっているのを見るだけで、胸の奥がぎゅっと痛くなっていた。その痛みを克服しようとしてバイトを始めたけれど、克服するどころか、ますます強くなっていった。
 高宮も、僕に同じことを思っていたなんて。

「僕もだ」

 ──自分でも分からない衝動だった。
 触れたらもう友だちなんかには戻れない。頭では分かっている。だけど目の前の高宮を好きな気持ちがあふれすぎて、気づいたら高宮のTシャツの袖を強く掴んでいた。
「朝斗……」
「……ずっと高宮のことばっかり考えてた」