ゴミ捨ての日の朝は早い。七時半には回収の車が来るから、それまでに仕分けして一階の外にあるゴミ集積室へ入れておかないといけない。
「あっつ」
 梅雨の明けた夏の朝だ。冬に早起きするよりはマシだけれど、夏の暑さも鬱陶しい。どっちにしてもひとり暮らしは大変だ。いまさら家族のありがたみを感じている。

 間に合って良かった、ちょっとぎりぎりになったけれどなんとかゴミを出し終えた。回収車の作業音が聞こえる。ちょうど来たところらしい。
 エントランスへ戻った時、ちょうどエレベーターの扉が開いた。
「やっべ、回収車行っちゃったか?」
 エレベーターから出てきた人が両手にゴミ袋を持っている。こういう光景はよく見かけるし、僕もたまにやってしまう。
「なぁ、行っちゃったって聞いてんだけど」
 え、僕? 僕に聞いてる? てっきりひとりごとだと思った。あらためてエレベーターから出てきた男の顔を見る。色の抜けた明るい髪に寝起きらしいだるそうな表情、唇の端にピアスがついている。あ、ああ、なるほど。あきらかに僕とは住む世界が違う感じね。じとっとした汗が僕の背中をつたった。
「い、今来たばかりです」
「じゃあ走れば間に合うな」
 そのピアス男はゴミ袋を持ってエントランスを出て行った。ど、どうしよう。僕はこのまま部屋に帰ってしまっていいんだろうか。無視したとかってあとで因縁をつけられたりしないだろうな。そっと後じさりをしながら、後ろ手にエレベーターのボタンを押した。閉まりかけていた扉がガタンと音を立てて開く。乗り込んじゃおうか、どうしようか。

「お、開けといてくれたの。サンキュー」
 ゴミ捨てが間に合ったらしく、ふんふんと鼻歌を歌いながらピアス男が戻って来た。いや、別にピアス男のために開けといたわけじゃないんだけど、迷っていた間に済んでしまったようだ。
 エレベーターが閉まり、ふたりきりになった。こういう時どういう挨拶をしていいか困る。陰キャの僕にとって息苦しい時間だ。特にこういういかにも陽キャな見た目の人と一緒になると。

「あのさ、俺のこと知ってる?」
 陽キャが僕に話しかけてきた。
「へ?」
「やっぱ認識されてなかったか」
「えっと、あの」
「隣の部屋に住んでんだけど。引っ越してきた時に挨拶したっしょ」
「……マジですか」

 覚えていない。そう言えばティッシュかなんかもらったような気はするけれど、そういう予想外の出来事は記憶から消してしまうことが多い。牛乳事件以来、人間関係のハプニングはごめんこうむっている。
高宮涼(たかみやりょう)。覚えてな。あんたは?」
 あんたはと言われても何を聞かれているのか咄嗟に答えられない。目を合わせる勇気もなくて、不自然に視線をそらせた。
「名前。聞いてんの。あんたの名前なに?」
 高宮と名乗った男は、僕のおどおどとした態度なんか痛くもかゆくもないらしく、たたみ掛けるように名前を聞いてきた。堂々とふるまえる強さ、僕にはない。
「佐倉朝斗……です」
「朝斗。いっつも部屋の換気扇からいい匂いさせてんの、朝斗だったんだな」
 のっけから名前呼びですか。これだから陽キャは。てか、人ん家の匂い嗅がないで下さい。──なんて言えるわけもなく、狭いエレベーターの中で身を縮こませるばかりの僕だ。

 ポーン。音がして、エレベーターが三階に着いた。もう陽キャピアス男から解放されたい。なのに、高宮は僕のあとをついてくる……そりゃそうだ、隣の部屋だもん。これからなるべく顔を合わさないように気をつけてゴミ出しをしないといけない。僕の生活に陽キャという文字は必要ないのだ。
 高宮は僕の部屋を通り越して行った。三〇五が高宮の部屋ということか。
「今日、ありがとな。これからもなんかあったらよろしく」
 あんまりよろしくされたくはないんだけれど、ちゃんとお礼を言ってくれたところを見ると、悪いやつではないようだ。それだけに対応に困る。
 おそるおそる視線を上げてみた。すっかり目が覚めた様子の高宮は、にかっと笑って僕の前に手を差し出してきた。笑うとそんなには怖く……なさそうだ。
「隣のよしみってやつな。困ったことがあったらお互い助け合おうぜ」
 握手する、ってコミュニケーションなんかすっかり忘れていた。僕はあわあわしながらスウェットのズボンで手汗を拭き、高宮の手に合わせた。ぐっと力強く握り返される。
「よ、よろしく……お願いしま……す」
「おう」
 高宮の手は僕よりも大きかった。