「佐倉君。そろそろ一ヶ月経つけど、ホールの方はいい感じに出来てるね。オーダーも取れるようになったし、クローズ作業も手際がいいし」
 店長の言葉に、奥村さんも笑顔でうんうんと頷いてくれている。僕の仕事ぶりをちゃんと見てくれていることが嬉しい。自分でも少しずつ慣れてきたとは思っていたけれど、そう言ってもらえると、なんだか自信が湧いてくる。
「そろそろ厨房に入ってもらおうかな」
「え、本当ですか!?」
「うん、まずは洗い物や僕のアシストをしながら、少しずつ料理を覚えてもらおう」
「はい」
「クローズ後のまかないを担当してみるのはどう? レシピは任せるよ。食材の在庫はその日によって違うけど、工夫してやってみて」
「……わかりました、やってみます!」

 今までなら、尻込みして断ってしまったかもしれないけれど、店長の言葉を聞いて前のめりになっている僕がいる。
 ついに、厨房に立てる。料理が好きで始めたバイト。いつかだれかの「美味しい」に繋がればいいと思っていたけれど、とうとうチャンスがやってきた。
「まかないは遊び心も大事だから、気負わなくていいよ」
 店長のその言葉に、僕は大きくうなずいた。洗い場の向こうに見えるコンロ。いよいよ、あの前に立てるんだ。

 バイト帰りの道を歩きながら、僕はスマホを取り出した。真夏の夜、バイト帰りはいつも早く家に帰ってシャワーを浴びたいと早足になっているけれど、今日は喜びを噛み締めながら歩いている。

 まかないを任せてもらえる。大きな一歩だ。高宮に影響されて、高宮に「絶対出来る」って励まされて始めたカフェバイト。「美味しい」の先に新しい世界があるということを、僕は高宮との時間で知った。だからこそ、最初に伝えたい相手もやっぱり高宮だった。
 立ち止まってメッセージアプリを開く。今日は金曜日、高宮はサークルの友だちとご飯を食べたり、写真を撮ったりしている最中だろう。
「来週から厨房入れることになった。まかない作りから始めるよ」
 友だちと盛り上がっているだろうから、きっと既読は遅いだろう。だけどいいんだ。高宮に報告出来たということだけで、僕の中に小さな明かりが灯る。

 ポケットにスマホをしまって数分後、メッセージの通知を振動が知らせた。え、もう? ドキドキしながらアプリを開く。
「おめでとう あーでも俺だけの朝斗メシじゃなくなるのかぁ」
 (……え?)
 一瞬、指が止まった。いつもみたいな「すげぇじゃん!」とか、「やっぱな!」とかじゃなかった。いつもの高宮らしくない、後ろ向きな言い回し。
 返信はそれきりで、スマホはうんともすんとも鳴らなくなった。

 妙に気になって、僕はリオさんのアカウントを開いた。最後の投稿は今日の昼間、珍しく写真投稿じゃないつぶやき。
「次の木曜日まで待つのしんど(切実)」
 え、え、これって、もしかして。
(僕の料理のこと、言ってる……?)
 リオさんはいつも分かりやすく陽キャで、美味しいものを発信してくれる憧れの人だった。そんなリオさん……高宮の素の感情を見たような気がして、スマホを握る手に力がこもった。
 高宮は僕の料理をそんなふうに待っててくれたんだ。文面の向こうに、毎週木曜日、駅前で待ち合わせする時の高宮の笑顔を思い浮かべた。
 高宮が楽しみにしているのは、僕の料理。それは分かっている。だけど、僕の方はもうそれだけじゃないことを自覚していた。
 僕は高宮と一緒にご飯を食べたいだけじゃない、高宮自身に会いたいんだ。高宮。高宮はどう思ってる? ただ朝斗メシを期待しているだけ? それとも、僕に会いたいと思ってくれてたりする? ……そんなわけないだろうけど。
 今度の木曜日は、久しぶりに高宮の一番の好物、ハンバーグを作ろうと思った。高宮の笑ってくれる顔が見たくて。高宮の視界に、僕だけが映っている時間が待ち遠しくて。僕にとって特別な時間なんだ、高宮といる時が。
 ──なんて、そんな気持ちを伝えられるわけもなく、僕はリオアカウントに心の中だけでいいねを押して、ため息と一緒にスマホをポケットへしまった。

 厨房の仕事は大変だけれど、僕の性に合っていた。洗い物も好きだし盛り付けも楽しい。手際よくオーダーをさばく店長の手つきを観察しながら、とにかく仕事を覚えようと一生懸命になって、時間はあっという間に過ぎていく。
 その合間を縫ってまかないのメニューを考え、初めて作ったのは、合い挽き肉を甘辛く味付けして目玉焼きを乗せたロコモコ風丼。
「佐倉君、まかない美味しかったよ」
 店長やスタッフにそう言葉を掛けられて、ますます気合いが入った。