一瞬だったけれど、カフェの前で立ち止まっていたような気がする。頭がいっぱいになって息を呑んでいる間に、その後ろ姿は商店街の向こうへと消えて行く。
待って、高宮。扉の取っ手に添えた手に力が入る。けれど体が動かない。帰る場所は同じなのに、高宮に声を掛けられなかった。
「さっき、カフェの前にいた?」
ってメッセージを送ろうかとも思ったけれど、ただの偶然だったり見間違いだったらと思うと、勘違いが恥ずかしくて送れなかった。
高宮がもしかして、僕の様子を心配して見に来てくれた……んだとしたら。淡い期待が胸を高鳴らせる。
なんだろう。ついに僕は高宮のことを考えるだけで胸がドキドキするようになってしまった。いやいや落ち着け。高宮は男だぞ。まさか、そんな。
その感情にある種の名前が付く可能性を考えて──いやそれは違うだろ、と頭からその考えを追い出そうとしたけれど、一度浮かんだそれは布団に入っても消えることはなく──また僕は眠れない夜を過ごす羽目になったのだった。
「よっ朝斗、久しぶり」
ここのところちゃんとゴミ出しもしているらしくて、朝ばったりということもなく、本当に一週間ぶりの高宮だった。駅前のいつものところに立っている高宮の笑顔を見たとたん、僕の胸はきゅんと音を立てて弾む。
「どうよ、バイトの調子は」
「う、うん。まだ慣れないけど、少しずつ動き方は分かってきたかな。いろいろ失敗もしてるけど、店長と先輩がフォローしてくれて」
「……そっか。いいバイト先で良かったじゃん」
「うん。僕でも続けられそうかなって思ってるよ」
「で、朝斗が厨房に入れんのはいつぐらいだ?」
「ホールが出来るようになったら、まかないから作らせてくれるって」
「すげぇじゃん! 朝斗ならすぐ出来るに決まってんよ」
いつも通り朗らかな様子の高宮に、僕は結局火曜日のことを聞けずじまいだった。
ねぇ高宮、カフェの前まで来てくれてた?
ただの友だちだったらなんでもなく聞けるのに、あの夜から自覚し始めた感情が邪魔をして、言葉に出せない。買い物かごを持って少し先を歩く高宮の背中をそっと見つめた。
火曜水曜と、きっとカップラーメンかコンビニ弁当で済ませていたであろう高宮のために、野菜をたっぷり乗せたパスタを作った。
「これこれ。やっぱ朝斗のメシは最高」
美味しそうに料理を食べてくれる高宮を見ると、早く厨房に入れるように頑張らないとな、と思う。店に出す料理を作れるようになったら高宮に来てもらって、リオさんに写真を撮ってもらって──夢が膨らむ。高宮がカフェで僕の作った料理を食べて「美味い」と笑ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。
なんて、僕も少しは成長したかな。まだまだ高宮みたいにはいかないけれど、だれかと楽しさを分け合える世界を知りたい。高宮と同じ世界を見てみたい。
ふと見ると、高宮のフォークを持つ手が最後のひと口というところで止まっていた。おかわりならまだあるよ、そう言おうとした時。
「やっぱさぁ、サークル休もっかな」
「……え? なんで?」
突然の高宮の言葉に、僕はうろたえた。急に何を言い出すんだろう。
「だって、サークルのやつらと喋ってるだけより、朝斗のメシ食いてぇし」
口調は軽い。けれど、どことなく拗ねたような響きが混ざっていて、それはなんだかちょっと特別なものに聞こえてドキッとした。もしかしたら高宮も、僕のこと気にしてくれてる? 他の友だちよりも──まさかね。
僕は必死に平静を装った。
「……食べてるじゃん、木曜は」
「週一じゃ足りねぇのよ。卵も肉も野菜も食いてぇの。朝斗もまかないの練習になるだろ」
冗談めかして言いながら、高宮は皿を差し出してきた。
「おかわりあるんならもらう」
「……ちゃっかりしてる」
なんでもない素振りを続けながら、僕は立ち上がった。高宮に分からないよう、心臓のドキドキを吐く息に乗せてなんとか逃がす。
高宮の真意が掴めない。サークルを休んでまで僕の料理が食べたいって、まるで僕のことを特別って言ってもらっているみたいで落ち着かない。
パスタを皿に盛って高宮の前に置くと、高宮は「今日は特別ラッキー」と人懐っこい笑顔で僕に笑いかけた。
それ、ずるい。なんでそんなに嬉しそうにするんだよ。僕の気持ちが、どんどん誤魔化しきれなくなっていくじゃないか。
「きちんと感想聞かせてよ。まかないの練習なんだから」
平常心を保とうとすればするほど、不器用な僕はつっけんどんになってしまう。言いたいのはそれじゃないのに。
ふたりで台所に立ちながら、そっと高宮の表情を伺う。お気に入りの鼻歌を歌いながら、機嫌よさそうに洗い物をしている。僕といて楽しそうにしてくれるのは嬉しい。
だけど、サークルを休むなんて本当はどうなんだろう。無理していないだろうか。高宮の友人関係に溝が出来たりしないだろうか──そんな不安がふと胸をよぎる。
「……本当にサークル行かないつもり?」
「なんで?」
僕の質問の意味が分からないと言った顔で、高宮が聞き返してきた。え、やっぱり本当に休むつもりだったのか?
「……いや、リオさんのアカウントだって写真サークルの人たちきっと楽しみにしてるよ。僕のご飯のためにそれを削っちゃうのは……」
「別にサークルのやつらとは普通に授業でも会えるし」
高宮はそう言って、軽く肩をすくめた。
「でも朝斗のメシは、その日にしか食えないだろ? 俺、こっちのほうが大事だと思ってんの」
こっちのほうが大事。その言葉がまっすぐ胸に刺さってきて、息が止まりそうになった。僕の胸の中で、甘くて苦しいあの感情がまた息をし始める。
高宮がそう言ってくれるだけで、十分嬉しかった。けれど、僕は高宮の居場所を狭めたくない。高宮の、リオさんの写真はいきいきとしていてこっちも元気が出る。そんな写真をこれからも続けてほしいから。僕は思わず口にしていた。
「ちゃんとサークルには行って。木曜日来てくれたら……作るから。高宮の好きなやつ」
言ってから、なんだか意味深な言葉を発したように思えて頭が爆発しそうになった。顔が熱い。耳まで真っ赤になっている気がする。
高宮はしばらくポカンとそんな僕を見ていたけれど、なんだか照れくさそうにしながら、「おう」と小さな声で言った。そんな高宮を見るのははじめてだ。
待って、高宮。扉の取っ手に添えた手に力が入る。けれど体が動かない。帰る場所は同じなのに、高宮に声を掛けられなかった。
「さっき、カフェの前にいた?」
ってメッセージを送ろうかとも思ったけれど、ただの偶然だったり見間違いだったらと思うと、勘違いが恥ずかしくて送れなかった。
高宮がもしかして、僕の様子を心配して見に来てくれた……んだとしたら。淡い期待が胸を高鳴らせる。
なんだろう。ついに僕は高宮のことを考えるだけで胸がドキドキするようになってしまった。いやいや落ち着け。高宮は男だぞ。まさか、そんな。
その感情にある種の名前が付く可能性を考えて──いやそれは違うだろ、と頭からその考えを追い出そうとしたけれど、一度浮かんだそれは布団に入っても消えることはなく──また僕は眠れない夜を過ごす羽目になったのだった。
「よっ朝斗、久しぶり」
ここのところちゃんとゴミ出しもしているらしくて、朝ばったりということもなく、本当に一週間ぶりの高宮だった。駅前のいつものところに立っている高宮の笑顔を見たとたん、僕の胸はきゅんと音を立てて弾む。
「どうよ、バイトの調子は」
「う、うん。まだ慣れないけど、少しずつ動き方は分かってきたかな。いろいろ失敗もしてるけど、店長と先輩がフォローしてくれて」
「……そっか。いいバイト先で良かったじゃん」
「うん。僕でも続けられそうかなって思ってるよ」
「で、朝斗が厨房に入れんのはいつぐらいだ?」
「ホールが出来るようになったら、まかないから作らせてくれるって」
「すげぇじゃん! 朝斗ならすぐ出来るに決まってんよ」
いつも通り朗らかな様子の高宮に、僕は結局火曜日のことを聞けずじまいだった。
ねぇ高宮、カフェの前まで来てくれてた?
ただの友だちだったらなんでもなく聞けるのに、あの夜から自覚し始めた感情が邪魔をして、言葉に出せない。買い物かごを持って少し先を歩く高宮の背中をそっと見つめた。
火曜水曜と、きっとカップラーメンかコンビニ弁当で済ませていたであろう高宮のために、野菜をたっぷり乗せたパスタを作った。
「これこれ。やっぱ朝斗のメシは最高」
美味しそうに料理を食べてくれる高宮を見ると、早く厨房に入れるように頑張らないとな、と思う。店に出す料理を作れるようになったら高宮に来てもらって、リオさんに写真を撮ってもらって──夢が膨らむ。高宮がカフェで僕の作った料理を食べて「美味い」と笑ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。
なんて、僕も少しは成長したかな。まだまだ高宮みたいにはいかないけれど、だれかと楽しさを分け合える世界を知りたい。高宮と同じ世界を見てみたい。
ふと見ると、高宮のフォークを持つ手が最後のひと口というところで止まっていた。おかわりならまだあるよ、そう言おうとした時。
「やっぱさぁ、サークル休もっかな」
「……え? なんで?」
突然の高宮の言葉に、僕はうろたえた。急に何を言い出すんだろう。
「だって、サークルのやつらと喋ってるだけより、朝斗のメシ食いてぇし」
口調は軽い。けれど、どことなく拗ねたような響きが混ざっていて、それはなんだかちょっと特別なものに聞こえてドキッとした。もしかしたら高宮も、僕のこと気にしてくれてる? 他の友だちよりも──まさかね。
僕は必死に平静を装った。
「……食べてるじゃん、木曜は」
「週一じゃ足りねぇのよ。卵も肉も野菜も食いてぇの。朝斗もまかないの練習になるだろ」
冗談めかして言いながら、高宮は皿を差し出してきた。
「おかわりあるんならもらう」
「……ちゃっかりしてる」
なんでもない素振りを続けながら、僕は立ち上がった。高宮に分からないよう、心臓のドキドキを吐く息に乗せてなんとか逃がす。
高宮の真意が掴めない。サークルを休んでまで僕の料理が食べたいって、まるで僕のことを特別って言ってもらっているみたいで落ち着かない。
パスタを皿に盛って高宮の前に置くと、高宮は「今日は特別ラッキー」と人懐っこい笑顔で僕に笑いかけた。
それ、ずるい。なんでそんなに嬉しそうにするんだよ。僕の気持ちが、どんどん誤魔化しきれなくなっていくじゃないか。
「きちんと感想聞かせてよ。まかないの練習なんだから」
平常心を保とうとすればするほど、不器用な僕はつっけんどんになってしまう。言いたいのはそれじゃないのに。
ふたりで台所に立ちながら、そっと高宮の表情を伺う。お気に入りの鼻歌を歌いながら、機嫌よさそうに洗い物をしている。僕といて楽しそうにしてくれるのは嬉しい。
だけど、サークルを休むなんて本当はどうなんだろう。無理していないだろうか。高宮の友人関係に溝が出来たりしないだろうか──そんな不安がふと胸をよぎる。
「……本当にサークル行かないつもり?」
「なんで?」
僕の質問の意味が分からないと言った顔で、高宮が聞き返してきた。え、やっぱり本当に休むつもりだったのか?
「……いや、リオさんのアカウントだって写真サークルの人たちきっと楽しみにしてるよ。僕のご飯のためにそれを削っちゃうのは……」
「別にサークルのやつらとは普通に授業でも会えるし」
高宮はそう言って、軽く肩をすくめた。
「でも朝斗のメシは、その日にしか食えないだろ? 俺、こっちのほうが大事だと思ってんの」
こっちのほうが大事。その言葉がまっすぐ胸に刺さってきて、息が止まりそうになった。僕の胸の中で、甘くて苦しいあの感情がまた息をし始める。
高宮がそう言ってくれるだけで、十分嬉しかった。けれど、僕は高宮の居場所を狭めたくない。高宮の、リオさんの写真はいきいきとしていてこっちも元気が出る。そんな写真をこれからも続けてほしいから。僕は思わず口にしていた。
「ちゃんとサークルには行って。木曜日来てくれたら……作るから。高宮の好きなやつ」
言ってから、なんだか意味深な言葉を発したように思えて頭が爆発しそうになった。顔が熱い。耳まで真っ赤になっている気がする。
高宮はしばらくポカンとそんな僕を見ていたけれど、なんだか照れくさそうにしながら、「おう」と小さな声で言った。そんな高宮を見るのははじめてだ。



