家に帰ると、高宮は一緒に手伝ってくれる気満々だったけれど、僕は料理動画に集中するふりをして会話を避けた。
冷やし中華の作り方なんて本当は動画を見なくても分かっている。だけど、高宮と会話する時間を少しでも減らしたくて、僕は「えっと……これは」なんてわざとらしく口に出したりした。
食事中も、話題は高宮が全部作ってくれた。サークルの先輩の話、バイト先の新人がやらかした話。面白いのにうまく笑えない。いつも通りのはずなのに全部がぎこちない。
「なあ、朝斗」
ごはんを食べ終えて洗い物をしている時、不意に名前を呼ばれた。さっきまで喋っていた声のトーンよりも低い。嫌な予感がした僕は、高宮の方を向くことが出来ずに、皿を洗いながら聞き返した。
「……何?」
「なんか俺、変なことでもした?」
一瞬、空気が止まった。違う、高宮はなんにもしていない。変なのは僕なんだ。そう言いたいけれど言葉では言い表せない。
「な、なんで?」
「んー、なんとなく」
「なんにもないよ。高宮の勘違いだよ」
「そっか、ならいいんだけどさ」
そう言って、高宮は笑う。
ああ、そうだ。高宮はやっぱり分かってる。でもそれ以上を訊かない。詮索しない。きっとそれが高宮がうまくやってきたコツなんだと思う。陽キャは一朝一夕で出来上がったものじゃないんだ、きっと。
僕がうまく返せないでいる間に、高宮は残りの皿を洗ってくれた。
「よし、片付いた。じゃあ俺帰るわ。今日もごちそうさん、マジで美味かった」
高宮は笑顔で片手を上げた。いつもと同じ会話なのに、胸が苦しくて高宮の顔をまともに見られない。
ドアが閉まる直前に思い出した。あ、アイス。買ってきたデザートのアイスは冷凍庫に入ったままだ。
(高宮、アイス一緒に食べよう)
けれど、心に思ったその言葉は、結局声にはならなかった。
僕は、ぱたんと静かに閉じられたドアの向こう側をしばらく見つめた。高宮、アイス忘れててごめん。
金土日月と四日もあれば、さすがに落ち着くだろうと思っていた。けれど、ふとした拍子に高宮のことを思い出してしまう。冷凍庫に残ったままのアイス、水切りかごに置いたままのふたり分の食器。目に入ると、どうしても高宮の笑顔や声を思い出して喉の奥がぎゅっと苦しくなる。
月曜日の夜。だれにもこのもやもやした気持ちを話せないまま、ひとりで晩ご飯を食べていると、僕自身が忘れ去られてガチガチに凍ってしまったアイスになった気分だ。溶け出すきっかけすら見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
ぼんやりとした頭でなんとなくスマホをいじっているうちに、いつものクセでSNSを開いていた。自動的に上がってくるので、つい視界に入れてしまった。リオさん──高宮の新しい投稿。
「リオです。暑い日に熱いもの食うの堪らん。貝出汁スープのラーメン、めっちゃ美味い!」
澄んだスープに大きなチャーシューが二枚、水菜とメンマと細麺が間違いなく美味しそうだ。
(新しい店開拓してる……高宮、楽しそうだな)
数枚ある投稿画像を何度もスワイプしながら、僕にはない高宮の行動力や前向きなところを羨ましくも感じていた。どこにでも行けて、だれとでも楽しそうに喋れて、美味しいものを見つけて、だれかにそれを届ける。高宮は、だれかと何かを分け合うことが、いつだって自然に出来るやつだ。
(……いいな)
投稿についた「美味しそう!」「今度行ってみます!」というコメントを眺めながら、ふと指が止まる。高宮は、僕とは正反対の場所で生きている。明るくて、にぎやかで、他人との境界線なんてあってないような世界。
それでも火水木は、僕と待ち合わせをして買い物をして料理を作り、ふたりで食べる。あの笑顔が、僕の部屋で、僕の作った料理に向けられているんだと思うと、なんだか胸の奥がこそばゆく感じる。
友だちって、こんな感じでいいんだっけ。高宮といると、なにがスタンダードなのかが分からなくなってくる。
そもそも僕は交友関係が狭すぎるほど狭いから、人との接し方が不器用なんだと思う。特に高宮みたいな陽キャに対しての陰キャムーブが染み付いてしまっている。
(もし、僕がもう少し自信を持って外に出ることができたら……)
高宮以外の友だちを作るのでもいい。高宮みたいにサークルかなにかに所属するのでもいい。高宮と友人関係を続けるのに、もう少し己のハートを鍛えた方がいいのかもしれない。
ふと、テーブルの端に視線が止まった。数日前にポストから無造作に取り出したまま放置していた郵便物の束。光熱費の明細や広告、チラシが雑然と重なっている。
(こんなとこに置きっぱなしだったな……)
何かを期待したわけではないけれど、ハートを鍛えるための、こう何かヒントになるようなものが欲しかった。
宅配ピザのチラシ、セールの広告。ありきたりな紙の中に、ふっと目を引く一枚があった。
「新規オープン/カフェの厨房スタッフ募集/駅近・週2日〜」
(……カフェ、か)
いつもなら、そのまま何も考えずにごみ箱行きのはずのチラシ。けれど今は、視線がそこに吸い寄せられる。何かが心に引っかかった。
「料理好きな方歓迎」「未経験OK」「まかないあり」──そんな言葉が並んでいる。
(未経験でもいいって本当か? だとしたら僕にでも出来る……?)
いやいやバイトもしたことのない僕に、いきなりそんなことが出来るわけない。
お店の人と上手く話せなかったら。緊張して、ミスして、お客さんを怒らせてしまったら。また人の視線が怖くなるかもしれない。だけど、そのチラシから目を離すことが出来なかった。
僕の好きな料理に関われる場所。だれかと「美味い」って笑い合える時間。高宮みたいに、だれかと楽しさを分け合える世界。僕も、そんな世界に足を踏み入れることが出来たら、自分を変えられるかもしれない。
明日、チラシに書かれている電話番号へ問い合わせしてみようか。凍りかけていた気持ちが、動き出したような気がした。
冷やし中華の作り方なんて本当は動画を見なくても分かっている。だけど、高宮と会話する時間を少しでも減らしたくて、僕は「えっと……これは」なんてわざとらしく口に出したりした。
食事中も、話題は高宮が全部作ってくれた。サークルの先輩の話、バイト先の新人がやらかした話。面白いのにうまく笑えない。いつも通りのはずなのに全部がぎこちない。
「なあ、朝斗」
ごはんを食べ終えて洗い物をしている時、不意に名前を呼ばれた。さっきまで喋っていた声のトーンよりも低い。嫌な予感がした僕は、高宮の方を向くことが出来ずに、皿を洗いながら聞き返した。
「……何?」
「なんか俺、変なことでもした?」
一瞬、空気が止まった。違う、高宮はなんにもしていない。変なのは僕なんだ。そう言いたいけれど言葉では言い表せない。
「な、なんで?」
「んー、なんとなく」
「なんにもないよ。高宮の勘違いだよ」
「そっか、ならいいんだけどさ」
そう言って、高宮は笑う。
ああ、そうだ。高宮はやっぱり分かってる。でもそれ以上を訊かない。詮索しない。きっとそれが高宮がうまくやってきたコツなんだと思う。陽キャは一朝一夕で出来上がったものじゃないんだ、きっと。
僕がうまく返せないでいる間に、高宮は残りの皿を洗ってくれた。
「よし、片付いた。じゃあ俺帰るわ。今日もごちそうさん、マジで美味かった」
高宮は笑顔で片手を上げた。いつもと同じ会話なのに、胸が苦しくて高宮の顔をまともに見られない。
ドアが閉まる直前に思い出した。あ、アイス。買ってきたデザートのアイスは冷凍庫に入ったままだ。
(高宮、アイス一緒に食べよう)
けれど、心に思ったその言葉は、結局声にはならなかった。
僕は、ぱたんと静かに閉じられたドアの向こう側をしばらく見つめた。高宮、アイス忘れててごめん。
金土日月と四日もあれば、さすがに落ち着くだろうと思っていた。けれど、ふとした拍子に高宮のことを思い出してしまう。冷凍庫に残ったままのアイス、水切りかごに置いたままのふたり分の食器。目に入ると、どうしても高宮の笑顔や声を思い出して喉の奥がぎゅっと苦しくなる。
月曜日の夜。だれにもこのもやもやした気持ちを話せないまま、ひとりで晩ご飯を食べていると、僕自身が忘れ去られてガチガチに凍ってしまったアイスになった気分だ。溶け出すきっかけすら見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
ぼんやりとした頭でなんとなくスマホをいじっているうちに、いつものクセでSNSを開いていた。自動的に上がってくるので、つい視界に入れてしまった。リオさん──高宮の新しい投稿。
「リオです。暑い日に熱いもの食うの堪らん。貝出汁スープのラーメン、めっちゃ美味い!」
澄んだスープに大きなチャーシューが二枚、水菜とメンマと細麺が間違いなく美味しそうだ。
(新しい店開拓してる……高宮、楽しそうだな)
数枚ある投稿画像を何度もスワイプしながら、僕にはない高宮の行動力や前向きなところを羨ましくも感じていた。どこにでも行けて、だれとでも楽しそうに喋れて、美味しいものを見つけて、だれかにそれを届ける。高宮は、だれかと何かを分け合うことが、いつだって自然に出来るやつだ。
(……いいな)
投稿についた「美味しそう!」「今度行ってみます!」というコメントを眺めながら、ふと指が止まる。高宮は、僕とは正反対の場所で生きている。明るくて、にぎやかで、他人との境界線なんてあってないような世界。
それでも火水木は、僕と待ち合わせをして買い物をして料理を作り、ふたりで食べる。あの笑顔が、僕の部屋で、僕の作った料理に向けられているんだと思うと、なんだか胸の奥がこそばゆく感じる。
友だちって、こんな感じでいいんだっけ。高宮といると、なにがスタンダードなのかが分からなくなってくる。
そもそも僕は交友関係が狭すぎるほど狭いから、人との接し方が不器用なんだと思う。特に高宮みたいな陽キャに対しての陰キャムーブが染み付いてしまっている。
(もし、僕がもう少し自信を持って外に出ることができたら……)
高宮以外の友だちを作るのでもいい。高宮みたいにサークルかなにかに所属するのでもいい。高宮と友人関係を続けるのに、もう少し己のハートを鍛えた方がいいのかもしれない。
ふと、テーブルの端に視線が止まった。数日前にポストから無造作に取り出したまま放置していた郵便物の束。光熱費の明細や広告、チラシが雑然と重なっている。
(こんなとこに置きっぱなしだったな……)
何かを期待したわけではないけれど、ハートを鍛えるための、こう何かヒントになるようなものが欲しかった。
宅配ピザのチラシ、セールの広告。ありきたりな紙の中に、ふっと目を引く一枚があった。
「新規オープン/カフェの厨房スタッフ募集/駅近・週2日〜」
(……カフェ、か)
いつもなら、そのまま何も考えずにごみ箱行きのはずのチラシ。けれど今は、視線がそこに吸い寄せられる。何かが心に引っかかった。
「料理好きな方歓迎」「未経験OK」「まかないあり」──そんな言葉が並んでいる。
(未経験でもいいって本当か? だとしたら僕にでも出来る……?)
いやいやバイトもしたことのない僕に、いきなりそんなことが出来るわけない。
お店の人と上手く話せなかったら。緊張して、ミスして、お客さんを怒らせてしまったら。また人の視線が怖くなるかもしれない。だけど、そのチラシから目を離すことが出来なかった。
僕の好きな料理に関われる場所。だれかと「美味い」って笑い合える時間。高宮みたいに、だれかと楽しさを分け合える世界。僕も、そんな世界に足を踏み入れることが出来たら、自分を変えられるかもしれない。
明日、チラシに書かれている電話番号へ問い合わせしてみようか。凍りかけていた気持ちが、動き出したような気がした。



