中学は同じだったけれど高校は純と別になった。理由は単純に結斗が志望校に落ちて滑り止めの高校に行ったから。
入試時点では二人にそれほど学力に差はなかった。
純も併願で同じ高校を受けていたし、純が第二志望にランクを落とせば結斗と同じ高校に行くこともできた。でも純はそれをしなかった。
結斗が同じ立場でも、わざわざ純と同じ高校にしなかったと思う。そんなことをされたら絶対に怒った。
純は結斗が一緒の高校に行けなかったのを残念がるどころか「仕方ないね」とあっさりしたものだった。もっと寂しがってくれると思っていたので少し意外だった。
思えば、中学でも校内ではお互いのことには干渉していなかったし、純にも結斗にもクラスに別の友達がいた。
お互いのことが一番大事だからこそ、自分たちの仲を誰かに邪魔されるなんて我慢できなかった。それなら最初から遠い方が安心できた。二人でいるときに、お互いが一番だったらそれでいい。
純も同じ気持ちだったのか、高校生の頃も中学の頃と変わらず二人きりのときは、ずっとくっついていた。
自分たちの距離感が、他のクラスメイトたちと違うのは中学生になれば分かっていた。
こんなにベタベタして仲がいいなんて普通じゃない。
結斗が馴れ馴れしく純の交友関係に入っていくことで、純に迷惑をかけたくないと思っていた。
そんな理由で一度は離れたが、大学はまた同じになった。もちろん誘い合って決めたわけじゃない。
近場で家から通える大学を選んだと純は言っていた。同じ大学でも学部は違うし狙って同じにした確証はない。同じだねって結斗が言ったときも、そうだねってあっさりした答えだったから。
だから同じ大学でも、外で純と話す機会はないと思っていた。
お互いに講義が詰まっていた一年生までは平穏に過ごしていた。二年になり時間に余裕が出てきたころ。急に純は大学で結斗に声をかけるようになった。
離れていた間の時間を取り戻すように、家の中でも外でも関係なく一緒にいるようになった。――でも外だと周囲の目が気になって仕方がない。
■
この日の午後、純から一緒に帰ろうとスマホで呼び出された。
――先日、純が有名人だと知ってから周りの目がさらに気になるようになった。
自分が一緒にいることで、純が変な目で見られるんじゃないか、と不安で仕方ない。気を抜くと結斗は家の中と同じように純とくっついてしまうから。
そんな結斗の気を知らずに純は結斗と外で一緒にいようとする。
学内のカフェテリアで待っていたら、純が入り口のガラス扉を開け颯爽と現れた。髪も含めたら全身黒だ。普通なら野暮ったく見える黒一色のコーデなのに、純だとすっきりと整って見えるから不思議だ。
長い足。歩くたびにロングコートの裾が揺れる。
そして嫌でも気づく。
(あー見られている。周りの人に、すげー見られてる)
元々、綺麗な男だということは知っていたが、そんなにパンダみたいに見たいか? と思った。
一番奥のエリア。天井まで一面ガラス窓。その横にある四人掛けの丸テーブルに結斗は一人で座っている。
手を振られて、振り返す。
変じゃないよな。俺たち、今大丈夫だよな? ちゃんと友達同士に見えてる? って自分で自分に問いかけている。最近ずっと、こんな感じだった。
「どうかしたの? ゆい」
「いや……えっと別に」
「そ? ねぇ、クリスマスさ、どこか一緒に遊びに行かない?」
正面の席に座った純は、結斗にそう切り出した。それ今ここで言うことか? って思った。
「ッ、は、はい?」
声が裏返って、飲んでいた缶コーヒーでむせた。
(めっちゃ周りに会話聞かれてる! めっちゃ! 見られてるし、後ろ! 前!)
周りからの視線が痛かった。
「いや、だからクリスマス。なんか予定ある?」
家の中なら純に何を言われても動じない自信はあった。けれど衆人環視のなかでは無理だった。
「ゆい、聞いてる? あと顔、コーヒー拭きな。ハンカチ持ってる? 貸そうか」
「うん……聞いてる。ハンカチある」
「変な結斗」
「……うん」
瀬川にストリートピアノのことを教えてもらって以来、結斗は純に内緒でネットの動画をいくつか見た。
エロ動画を探して見ているわけじゃないのに、すごくやましいことをしている気分になった。
純は動画サイトで「王子様」と書かれていた。ファンコメントは賛辞の嵐。
次はこれが聴きたいといったリクエストも、たくさん来ているのに純はそのリクエストに応えることはなく、ただ好き勝手に、その日の気分で弾いていた。
弾いてみた。やってみた系のカテゴリランキングでは、いつも上から数えた方が早い。なんだか幼馴染が芸能人みたいに感じる。
でも人気の動画主なのに「今から、これを弾きます」以外は特に何も喋らない。
結斗の前では沢山好きな音楽のことを喋ってくれるのに。そういうのもなし。普通、チャンネル登録よろしくねとか言うんじゃないのか? って思った。
さらに、もらったコメントの返信は一律「ありがとうございます」だけ。素っ気なさ過ぎる。そんな愛想のなさで、この先プロとしてやっていけるのか結斗は不安だった。
(ピアニストになるんじゃないのかよ!)
自分たちの仲の良さは変だと思う。けど、その近すぎる距離感を失いたくないと思っている結斗の方が、もっと変だと知っている。
純は、いま外の世界へ羽ばたこうとしていた。
結斗を置いて、遠くに。
ピアノを辞める原因になってしまったことを悔いているなら、今が、その罪滅ぼしの絶好の機会だった。全力で応援するべきだ。そう思うのに何も言い出せない。
結斗だけが、ずっと純の部屋の地下室に置いてけぼりになっている気がした。
「なークリスマス親たちニューヨークで遊ぶんだって。お前それでいいのかよ、放って置かれて」
「別に気にしてない。結斗がいるから寂しくないしね」
「……あっそ」
これ以上、結斗を甘やかさないで欲しい。親離れのごとく、純離れしないといけないのに、純は全然させてくれない。全身砂糖まみれで溶けそうだ。
こんな幸せ、これ以上受け入れていたら、どうにかなってしまう。
「ねぇ。なんか、亜希さんに言われたの?」
急に純は探るように結斗の顔色を伺ってくる。
「純くんに遊んでもらえって言われた」
遊んでくださいとは、言いたくなかった。
「そう、だったら遊ぼうよ。今日さ」
純がそう言いかけたとき急に後ろから名前を呼ばれた。振り向くとそこには瀬川が緑のエプロン姿で立っている。
「おい、桃谷! お前今日カフェのバイトだろ」
「え? あ!」
言われてハッとした。
結斗は学内のカフェで週何回かアルバイトをしていた。いつもはバイトの時間を忘れることはないが、今日は頭のなかからすぽんと抜けていた。
――純に呼び出されるまでは覚えてた。
こういうの何ていうんだろう。
マタタビ前にした猫?
呼ばれて会えることに浮かれているつもりはなかった。
「ガッツリ入れてんぞ三時から。優雅にお茶飲んでるから声かけてみれば、お前は、今から俺と交代!」
「あーごめん、純。俺、バイトだった」
「うっかりしてるなぁ。ま、いいけど。じゃあ、バイト終わったら帰りウチ寄って話あるから」
「え? うん、じゃあ後で連絡するよ」
改まって純から話があると言われても、なんの件か分からなかった。
結斗が席を立って仕事場のカフェカウンターの中へ行こうとすると、隣に立っていた瀬川が結斗に小突いてくる。
そういえばストリートピアノの動画主である純を紹介して欲しいと言われていた。
別に結斗がわざわざ紹介しなくてもと思い「自分で声かけたらいいじゃん」と返した。お見合いじゃないんだから。
瀬川が意を決して純に声をかける。座っている純は絵に描いたみたいに微笑む。
「えっと、ピアニストの『純』さんですよね」
「はい。そうです」
――あ、これ、よそ行きの声だ。
そう思った。
丁寧で静か。夜のニュースを読むアナウンサーみたいな話し方をする。結斗の前と違う声だ。結斗の前では、もう少し弾んだ声になる。
「いつも動画見てます。この前の超絶技巧練習曲シリーズのやつ最高でした! 俺クラシックとか分からないんですけど『純』さんのピアノがほんと好きで」
「ありがとうございます。嬉しいです」
二人の会話をどうしても、その場で聴いていられなかった。自分の知らない純を他人の口から知りたくない。
「――ごめん瀬川、俺、先に行くな」
「おう! またなー!」
足早にカフェカウンターに向かって自分のタイムカードを打刻する。裏でエプロンを着て仕事を始め慣れたルーティーンをこなし、瀬川と純の会話を忘れようとした。
けれど余計に気になって仕方ない。
注文されたドリンクを作って品物を出すとき、瀬川と話している純を横目で見てしまった。
中学の時は、こういう場面で何も思わなかった。むしろ、それを見て安心していた気がする。
今は何故かむしゃくしゃした気持ちが心の中に溜まり苦しくなってしまう。純が隣にいないと息ができない。
小さな子供みたい。この醜い独占欲を今すぐ消したかった。


