新幹線に乗っている間、結斗はスマホを見ながら純がいる場所の目星をつけていた。
 連絡なんかしなくてもすぐに会えると本気で思っていた。自分の半分が純だから。
 普段より更新の多い純のSNSポストを見て、何だか、さっさとここまでこいと言われている気がした。
 ただの結斗の直感だけど、純はまだ機嫌が悪いし怒ってる。
(まぁ……告白したのにキレられたんだもんな。そりゃ怒るわ)
 駅について頭の中に叩き込んだ道順を足早に歩いた。クリスマスのイルミネーションなんて目もくれず、一分一秒が惜しかった。そうしてやっと辿り着いた目的の場所に、純はいなかった。
 今日から設置された新しいストリートピアノの前には、知らない誰かが座っている。SNSの情報を見た限り数時間前まで、この場所に純がいたことは分かっている。
 けれど今はいない。いないと分かったのなら、すぐに次の場所を探すまでだった。結斗が踵を返そうとした時だった。
「あれ、桃谷くん?」
 雑踏の中、突然肩を叩かれた。
「あ、三森……さん」
「あぁ、やっぱりそうだった。もしかして、今日、篠山くんと一緒に来てた? いつも一緒にいるって言ってたし、今日はクリスマスイブだもんねぇ」
「いえ、俺は」
 純が三森に結斗のことを何と伝えているか分からない。瀬川に話したように相方とでも言っているのだろうか。
「そうそう、あのピアノね。今日、篠山くんが一人で最後まで調律したんだよ。スタインウェイ」
「え?」
「本当はバイトくんに一人で最後までやらせることはないんだけど。あのピアノは元々、篠山くんの家にあったものだし、特別にね。ま、時間はかかったけど及第点かな。綺麗な音だよねぇ」
 小さい女の子がクリスマスメドレーを弾き始めた。
 子供の頃、純の家の地下にあったピアノ。結斗がおもちゃのように遊んで鳴らしていた。宝石くらいの値段がするやつ。今でも覚えている色鮮やかな思い出の音だ。懐かしい音を思い出し純に会いたい気持ちが募る。とにかく早く純を探しに行こうと思った。
「あの! 三森さん、純って」
「多分、次に弾くと思うよ。名前書いていたから」
 女の子の演奏が終わり、彼女が椅子から立ち上がる。拍手が静まったそのとき、人混みの中に純の姿が見えた。
 あ、と口から声が漏れる。見つけた。
 いつもと同じ、ピアノの前に座ると燕尾にみえる黒のチェスターコート。幽霊のようにふらりとピアノの前に現れた。
 派手なパフォーマンスをする訳でもなく、曲は唐突に始まった。
「しっかし、今日はクリスマスイブなのに寂しいきらきら星だねぇ。朝は楽しそうにしてたのに。上手だけど、せっかくの綺麗な音が台無し」
 結斗は輪の中心に走って行って、その背中に今すぐ抱きつきたくなった。
 けれど、今の自分には、まだできないのも分かっている。きっと純は喜ぶし別に少しも困らないかもしれないけど。人前でくっつくのは、まだ少し恥ずかしい。
「三森さん。ここ禁止されてることってありますか?」
「え?」
「ストリートピアノって、連弾とか合奏が禁止なところもあるって書いてたから」
「あぁ。ここは駅構内じゃないし、時間制限だけ。あとは喧嘩せずにみんなで仲良く楽しんでもらえれば……って、桃谷くん?」
「ありがとうございます。じゃ、ちょっと殴り込んできます。ピアノはもっと楽しそうに弾けって」
 背中から「喧嘩はダメだよ」と声が聞こえた。自分がそばにいるのに、そんな寂しい音楽なんか許さないと思った。
 いつもの純の演奏を知っている人からすれば、本番前の準備運動みたいな軽い演奏に聴こえているだろう。でも、結斗からすればこんなのはお通夜だ。
 一曲目が終わったタイミングで、結斗はピアノに向かってスタスタと歩いて行って、背後から鍵盤に手を伸ばした。
 ラの音。442Hz。
 ちゃんと正しく調律ができていた。綺麗な音だった。振り返った純は結斗の顔を見るなり、スタンプの黒猫と同じ目をしていた。まん丸の目。
 ――驚いてる。
 やっと、言いたいことが言えると思った。
「驚いた? ざまぁみろ」
「いや、ちゃんと来ると思ってたけど、思ったより早かったね」
「嘘つけ、寂しかったんだろ」
「――全然」
 にこりと優しい笑顔で微笑み返される。
 結斗も寂しかったから、そうやって純も同じだろうと決めつけた。
「うん、やっぱり嘘。寂しかったし、ちょっとびっくりした」
「純が言ったんだろ『隣で歌ってくれたら、もっと楽しい』って。だから来た。ほら、お望み通り隣で歌ってやるから、なんか、弾けよ」
「やっぱり、王様だし。いいけど、じゃあ歌ってよ」

 文句を言いながらも、結斗がちゃんとたどり着けたことに満足している。
 そんな純の顔。純の方が王様だと思った。
 さっきまでつまらない演奏をしていたくせに、結斗がやってきただけで、音が華やぐ。純はピアノで気持ちを返してくれる。
 『My Favorite Things』
 視線が交差して自分も曲名と同じ気持ちだったから、お互い本当に恥ずかしいやつだなと思った。
 笑いながら小突いて狭い椅子の隣に無理やりに座った。寂しい時に好きなものを思い浮かべる。そうすれば、寂しくなくなるから。本当にその通りだなと思う。
 その「お気に入り」の全部が、今も昔も純が結斗で、純が結斗だった。
 人前で演奏しているのに、お互いに隣の人間にだけ音楽を届けている。
 この先のことを考えたら、自分の半分を可哀想だと思うし、怖いって思うこともある。けれど一緒なんだから仕方ないって諦めた。
 諦めたら、それもそんなに悪くないって感じた。
 いつの間にか人だかりができていて、演奏が終わると大きな拍手が鳴り響く。
 人の心を動かす音楽は、いつだって音に感情が乗っているんだと思う。結斗が歌った曲が動画ランキングで評価されたのも、きっと同じ理由。
 その評価を申し訳なく思うのは傲慢かもしれない。
 けれど、やっぱりごめんなさいって思った。
 ――だって、隣の男の音楽は全部、自分のものだって思いながら歌ったから。

 *

 最初からクリスマスは純と過ごすつもりだった。
 この日の計画が、どこまで純の想定通りで、どこからが想定外だったのか。
 純と駅のピアノで一緒に遊んだあと、大学生が絶対選ばないようなハイクラスなホテルの部屋に連れてこられた。
 ホテルのカウンターで、ご予約の二名と言っていたのが聞こえたので、最初から誰かと泊まる予定だったのは間違いない。
「純さ、こんな広いとこ一人で泊まる気だったのか?」
「ん、二人だよ」
 問題は誰と泊まるかだ。仕事で一緒に来ていたらしい三森とは駅であっさりと別れたので、相手が三森でないことは確かだった。
 ぐるぐる考えていた自分は、すごく情けない顔をしていたと思う。
 そんな結斗を見て、にこにこと楽しそうに笑いながら純はコートを脱いだ。黒いセーターの胸元を結斗は思わず掴んだ。
「誰と! 泊まるつもりだったの」
「素直な結斗は好きだな」
「ッ、う……」
「けど、俺だって、まだ怒ってるからね?」
「それは、ごめん……。約束破って、あと、最後まで話聞かないで、ごめん」
「ホントだよ。でも、もういいよ。俺も悪かったから、おあいこ」
 そういって頬に口付けてくる。
 けれど、純をひっぺがしてベッドの近くにあったソファーを指差した。喧嘩の売り言葉と買い言葉。
 シチュエーションは最悪だったけれど、お互いにもう好きだって言ってる。子供みたいにクリスマスケーキを食べてこのままオヤスミするつもりもない。
 けれど全部聞くまでは落ち着かない。
「で、ここに誰と泊まる気だったの?」
「そんなに怒らなくても。結斗と泊まるつもりだったよ。言ったじゃん、クリスマス一緒に遊びに行こうって」
「それは、言ってたけど」
「こっちでバイトあったし、三森さんに先にバラされたけど、あのピアノ全部一人で調律して、結斗に聴いてもらいたかったんだよ」
「え、なんで? なら家でいいじゃん」
 純の家の地下にあるピアノも純が調律しているなら、外のピアノじゃなくても同じだと思った。本気で分からない顔をしたら、呆れられた。
「結斗のこと、分からず屋って思うの、こういう時だよね」
「悪かったな」
 純に手を引かれソファーの隣に座った。
「好きな人に仕事でいいところ見せたかったんです」
「はぁ……」
「バイトだって秘密にしてたのは、できるようになってから見せて、結斗をびっくりさせたかっただけだし」
「びっくりした!」
 一人だけ取り残されたみたいに感じて心細かった。すごく焦った。
「うん、けど失敗したなって思った。もっと早く言っておけばよかったね」
「動画の件だって」
 感極まって泣きそうになったけど我慢した。
「ずっと一緒にいるのに秘密なんか作んなよ。俺なんか悪いことしたかって思うじゃん」
「それもごめん。俺も結斗に同じことされて分かったよ。ムカついた」
「そうだよ」
「動画配信も最初は、三森さんの仕事に付いて行ったとき撮って貰ったのがきっかけで、まぁ、今は色んなピアノ弾けるのが楽しいからやってるけど、勉強になるし」
 ちゃんと話せば分かる簡単なこと。じゃあ最初からそう言えよって思う。けど思い返してみれば、昔から自分に良い所しか見せないのが純だった。
 ピアノが誰よりも上手いのだって、結斗にその練習過程を見せていなかっただけで、きっと泣きながら必死にやっていた。一朝一夕で、あのキラキラした音を魔法のように手に入れた天才なんかじゃない。
 ただ結斗のことが大好きなだけの、かっこつけだ。
 分かっていたのに、急に純の本当の姿が見えなくなった気がして寂しかった。
「んな小細工しなくたって、純がすごいのなんて、俺は昔から知ってるっつーの」
 何年一緒にいるんだよって怒ったら、幸せそうにへらりと笑うから、また怒った。
 すましてばかりの綺麗な顔しか知らない純のファンに、今のこの馬鹿っぽい顔をみせてやりたいと思った。
 絶対に見せてやらないけど。
「ねぇ結斗、キスしていい?」
「ッ……まだ、だめだ」
「なんで? まだ幼馴染から恋人になってくれないの?」
 結斗だって覚悟はできている。気持ちが同じなら仕方ないって。けれど、純のご両親のことを思うと今更ながら申し訳ない気持ちもある。留守を任されているのに、口に出して言えないようなことばっかりやっている。
「ゆい、そんなアレコレ心配しなくても、今日お泊まりするの、亜希さんとうちの親に了解貰ってるよ?」
 そう甘えるように可愛く首を傾げた純のほっぺたを結斗はぐいとつまんだ。
「おい、まて、今なんて言った?」
「だから、亜希さんに『クリスマスに結斗と泊まりで旅行したいんですが行っても良いですか』って、一ヶ月くらい前かな」
 さっと血の気が引いた。一体いつから、純は、自分とこうなるつもりだったんだろう。
「……ババア、なんて言ってたんだよ」
「お前がいいって言ったら、どうぞって」
 内心戦々恐々としていた。純の回答内容によっては、もう二度と家に帰りたくないかもしれない。
「お前、俺の親に何言ってくれてんの、怖いんだけど」
「えっと、どこから話せばいいかな」
 怖いけど、聞かない方がもっと怖い気がした。
「全部……言って」
「じゃあ、お前が、高校受験落ちた日からだけど」
「え、そんなに前に何があるんだよ」
「うん。あの日、うちに亜希さん来てたんだけど。俺、母さんたちに第一志望蹴って結斗と同じ高校行きたいって言ったんだよね。そしたら二人にすごい剣幕で怒られて」
 由美子さんが怒るところがあまり想像できないし、人の家の息子を問答無用で怒鳴る自分の母親もどうかと思う。
「……いや、あっさり第一志望捨てようとするお前もどうかと思うけど」
「それで、いつまでも一緒にいられるわけじゃないでしょうって言われて」
「それは、そうだ」
 自分もずっとそれで悩んでいた。
「で、俺は、この先も結斗とずっと一緒にいるつもりだったから『ずっと一緒にいたいから結斗をください』って亜希さんに言った」
「何回でも言うけど、お前なに言ってんの」
 想像していたより百歩先をいっていた。
「そのあと亜希さんに殴られて、うちの子はモノじゃないんだけどって」
「まぁ、そうだけど、うちのババアの怒るポイントもなんかずれてるな」
「で、結局、俺が譲らないからって、父さんたちも含めて家族会議した結果。高校の間は結斗と離れて、それでも俺の気持ちが変わらなければってことで許してもらった」
 高校の合格祝い。ただのいつもの両家族の食事会。あの日、自分の家で影の薄い父親が純の家にいたことを不審に思っていた。でもまぁ、合格祝いだし、そんなもんかって思った。
 自分が夜、純の家に行くまでの間そんなやりとりがあったなんて想像もしていなかった。何から突っ込めばいいのか分からない。
「なぁ、ちょっと、待て」
「ん?」
「純の気持ちが変わらない云々はいいにしても、俺の気持ちは?」
「亜希さんは、うちの結斗は、純くんいないと駄目だから仕方ないけどって」
「……じゃあ由美子さんは」
「確かに、結斗くんは、うちの子大好きだから仕方ないかって」
 ただの冗談かもしれないが、純がいないと駄目になるのは本当なので、少しも反論できない。せっかく親たちが作った純との冷却期間も関係なしに、あいも変わらず純に会いに行って四六時中ベタベタベタベタしていたのだから。
 純なしでいられないのは、分かりきったことだった。
「それで、お前は、なんて言ったの」
「もちろん。俺も結斗が好きだし、いないと駄目になるのは同じだからって」
 何でもできて完璧。それは結斗の前だけ。全然、駄目人間だった。
「……本当だよ、お前、全然駄目じゃん」
「ホントにね。で、そろそろ、恋人になってくれる?」
「……仕方ないから、なってやる」
「やっぱり王様じゃん」
「悪いか」
「ううん。悪くないよ」
 そういって笑いながら、幼馴染で親友のままじゃできない深いキスをした。
 純のことで知らないことはないって、ずっと思っていた。
 考えてみれば、知ってるつもりでも、知らないことはあるし、まだ聞いてない隠し事だってあるかもしれない。
 家族より長く一緒にいても、どんなに思い合っても、純の全部を知ることはできない。そのことを悔しいとか寂しいって思うのは、同じだけ一緒に過ごしてきた幼馴染だからだろうか。
 違う気もした。
 時間なんて関係ない。結局のところ、好きなら当たり前の感情だった。
 ――こんなに一緒に過ごしてきたのに、まだ知らないことがあるなんて。
 前向きに考えれば、それはそれで楽しいと思う。
「ねぇ、もう、寂しくない?」
 純はそんな残念で可哀想な思考回路の幼馴染を知ってか知らずか、からかうように訊いてきた。。
 自分だって同じくらい寂しかったくせに。誕生日だって数ヶ月、先に生まれただけ。
 春に生まれた純と、夏に生まれた結斗。
 結斗が純のことで知らないのは、純が先に生まれた年の春のことだけだって思う傲慢。
「寂しいから、ずっと一緒にいてよ」
 満たされない音が、満たされる瞬間が好きだと思う。そんな最高のお付き合いをしたい。
「うん、いいよ」
 すぐ返事するなよって思った。つけあがるから。
 純が自分とさえ出会わなければ、と思った日もあったけれど、きっと純は自分と出会わなければ、すごくツマラナイ人間だったと思う。
 結斗が誰かの心を動かす歌を歌えるのも純がいたからだし、純がピアノを好きでいられたのも自分がいたからだ。
 それなら良かったじゃんって思えた。
 花も実もある。この寒い冬の日に、純が生まれた日の春を思った。


終わり