智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜


 急にどうしたのかしら? ちょっと慌てた様子で入っていったけれど……って、なるほど。なんでこんな所にいるのかしら、あの男。えっと、名前は、セ? ゼ? ……忘れた。
 一緒に居るのは、今朝依頼書を取ってくれた人ね。ああ、そういうこと。

「あの依頼、スピリエ教からの依頼だったんだ。取らなくて良かったー」

 本当に。アレの護衛なんて、死んでもごめんよ。

「げ、こっちに来る……けどゼレガデは一旦別行動か。良かった」

 そう、ゼレガデだ。アスト、よく覚えてたわね?
 っと、冒険者の三人はこちらに気がついたみたい。

「よう、今朝の嬢ちゃんたちじゃねぇか。あんたらもこっちで依頼か?」
「ええ。もう報告も済ませて帰るところだけれどね」
「ほー」

 移動速度に違和感はあったみたいだけれど、スルーしてくれたみたい。それなりに経験豊富そうだし、当然なのかしら?

「あなたたちは遺跡調査の依頼だったかしら?」
「そうだな、それなりに長期間になるから、次に戻るのは早くて一週間後くらいか」
「そういえば、ここの村長がリッチの討伐依頼を出したって言ってたな。もしかしてそれか?」

 そう聞いてきたのは槍使いのお兄さん。金髪の剣士さんよりは若そうで気持ち体格も細め。どことなく似ているから、二人は兄弟なのかもしれない。

「そうね」
「お、じゃあもうリッチはいないんだな。正直助かる」
「あそこも行くのね」
「そうそう。なんか定期的に来てるみたいだな、あのダークエルフ」

 へぇ……。
 でも、依頼の事そんな簡単に話して良かったのかしら? と思ったら斥候役の人から怒られていた。まあ、そうよね。

「それじゃあ私たちはもう行くわ」
「おう、気をつけて帰ろよ」
「ありがとう、剣士さん。あなた達も気をつけて」

 杞憂なら良いんだけれど。そう思いつつ、私たちは帰路についた。

「それじゃあ、お疲れー。かんぱーい!」
「お疲れ様、乾杯」

 所変わって、エルデンのギルドの酒場。もうすっかり日も暮れて、晩ご飯時だ。

「それにしても、物語の本ねぇ。その為にランクを上げようだなんて、変わってる」
「いいでしょう、別に」

 言いながらアストを撫でるティオルティカ。猫なんかの可愛いものが好きなんだそうで、最初に声をかけてくれたのもスピリエ教である以上にそれが大きいみたい。

「悪いなんて言ってないでしょ」
「それもそう、ね。それより、美味しいお酒の飲めるお店とか知らない? チョコレートでもいいわ」
「お酒? 知ってたら今ここに居ないでしょ。チョコレートもだけど、そういうのは今度一緒に探そ」

 まあ確かに。彼女も私と同じくこの街の新参者だった。

「ええ、そうね。それも良いかも」
「でしょ! やった!」

 なんだか分かりやすく嬉しそう。悪い気はしない。特別急ぐ旅でもないし、またしっかり予定を立てよう。

「ティオルティカはどれくらいこの街にいるの?」
「そうね、あんまり考えてないかな。もういっかなーってなったら出発するつもり」
「私たちもそんな感じかしらね」
「ソフィアはめぼしい本を全部買ったらじゃないの?」

 そうとも言うけれど、あえて返事はしない。なんとなくアストの視線がじとっとしているし、素直に答えるのがなんとなく恥ずかしいから。

「ソフィアがこの調子なら、それなりに時間はあるんじゃないかな?」
「ふーん」
「……なんでティオルティカはニヤニヤしてるのよ」
「いやー? 可愛いなーって?」

 ティオルティカもそっち側なのね。まあ別にいいのだけれど。ええ。

 なんてやりとりをしている内に、頼んでいた料理もくる。元が別の国だっただけ有って、南部の街とは違った味わいだ。向こうは果実を使って甘めの味付けが多かったけれど、こちらはピリッとしたモノが多いというか。いつか立ち寄った病の村よりは薄めなんだけれど。
 果実の類いも一応あって、近くの森で採れるらしいイボイボした黄色い果実を摘まんでいる。街中では人が数人入りそうな大きな籠に沢山入った状態で売られていたのを見た覚えがあった。

「こういう地域の味も旅の醍醐味よねー」
「そうね、ティオルティカもそういうのが目的で転々としてるの?」

 冒険者の仕事上、同じ場所にとどまった方が仕事をしやすい。土地勘的にも信頼的にも。だから私の様に旅をしながらというのは、少数派だ。珍しいと言うほどでは無いんだけれど。

「そうよ。あとは、ほら、友達の事もあるから」
「ああ」

 アネムの事がばれるリスクを下げる為ね。下手にばれて国に囲われるのは避けたいタイプなのね。

「ティオルティカ、ソフィアの場合料理よりお酒だから。騙されちゃ駄目」
「騙すって……。否定はしないけれど」
「あはは、お酒も色々で楽しいよね」

 うん、ティオルティカは良い子だ。アストと違って。

「……なにさ?」
「いいえ?」
「まあ、良いけど」

 私だって料理も楽しんでいるんだけれど。特にチョコ。以外と地域でバリエーションがあって楽しい。でも、今のところ南部のチョコの方が好きかな。

 うん、偶にはこういうのも良い。アネムも人間のお酒が好きらしいし、探すなら個室のお店にしよう。

 疲れていた事もあって、この日は早めの解散となった。その後も何度か彼女たちと一緒に依頼を受けたり、約束通りお店探しに街を探索したりして、互いに愛称で呼ぶくらいの仲にはなった。彼女、ティカとアネムはアスト以外で初めてソフィアの呼び方を許した相手となる。
 そんなこんなでもうすぐ二週間。まだ昇級はしておらず、例の冒険者達とも再会はしていない。

「ちょっと遅くなってしまったけれど、まだ良い依頼はあるかしら?」
「どうだろ。ソフィアが遅くまで起きてるから」
「仕方ないじゃ無い。神話の項目が面白かったんだから」

 『智恵の館』に載っているのは図鑑的な文章で、物語としてはイマイチなんだけれど、その歴史の羅列でも一部の項目は物語の代わりとしてそれなりに楽しめる。神話と比較するように書かれているやつとか。そのせいで随分遅くまで読み(ふけ)ってしまった。
 要は自業自得なんだけれど、まあ、お金に関しては余り困っていないし、別にいいかな。

 ギルドは、まあいつも通り。依頼書の張り出されている辺りにもちらほら人がいるけれど、うーん、微妙なものしかないかもしれない。
 まあ、一応見てみよ――うん?

「なんか随分焦った感じで向かってくる気配があるけれど、これっていつかの斥候さんだよね?」
「そうね、他の二人はいないみたいだけれど、何かあったのかしら?」

 暢気(のんき)なやり取りをしている間に気配はもうすぐそこ。入り口の扉がバンと音を立てて開けられる。気配に気がついていた人も、居なかった人も、弾かれたように一斉に視線を彼へ向けた。


「はぁ、はぁ、スタンピードだ。魔物の大群が、街に向かってきている。仲間が、頼む、助けを……」

 静まりきったギルド内に響く、声。静寂の中、ボロボロの彼が倒れ込む音がして、ギルド内の空気が一変する。

「アナタ、ギルドマスターに連絡! アナタは私と彼を奥に!」

 今この場で最も役職の高いだろうギルド職員の声が指示を出し、それぞれが慌ただしく動き出す。ベテランや新人でも有能そうな冒険者の表情が引き締まって、そうでないもの達は困惑を代わりに顔へ貼り付ける。

「アスト、良いわね?」
「うん、良いよ」

 彼らは知らない仲ではない。親切にもしてもらった、なら、報いたい。小さな恩だけれど、力を尽くすには十分だ。

 幸いにも斥候の彼は疲れ切っているだけで命に別状がある様には見えない。魔力的には正常。今できる事をして待とう。

 三十分後、ギルドで待機する冒険者達の前にギルドマスターらしき人物が姿を見せた。文官らしい風貌ではあるが、それでもAランク相当の実力はあるだろう。

「今この場にいる冒険者達に強制依頼を発令する。Cランク以上と城の騎士達とで戦線を組み、Dランク以下は後方支援だ」

 強制依頼、ギルドが冒険者に対して受注を強制する依頼の事で、協力しなければ相応にペナルティが発生する。とは言っても街そのものが壊滅しかねない危機でもなければ発令される事は早々無い。参加しない事を選択し逃げる冒険者は意外と希だ。
 つまりは、今回もそれほどの自体という事。

「魔物の平均ランクはBランクオーバー。数は四桁を下らない。北門の前での防衛になる」

 最低でも平均Bランクの魔物が千以上。ギルド内がざわつく。
 当然ね。魔境からも離れたこの地で、どうしてそんな大群が……。

「群れは最短二時間後には街に到達する。一時間後までに北門の前に集合しろ」

 一時間後……。ギルドに備え付けられた時計の魔道具を見る。地球のそれと同じような機構を見ると、神代の魔道具では無いみたい。あの時計で一時間なら、日本に居た頃の感覚で良い。騎士と連携しながら大群を相手にする準備となると、少し短いか。

「もう一つ。現在、冒険者二名とその依頼主が群れの中に取り残されている。この事態を知らせる為に、彼を送り出した勇気ある者達だ」

 ちょうど後ろから現れた件の斥候役さんを指してギルドマスターが告げる。だけれど、そう、そういう事。

「彼らの救出に先行する勇士を募集する」
「危険なのは百も承知している。無理は言わない。だが、どうか、頼む、仲間を、助けて欲しい」

 斥候の彼が深く頭を下げる。最終的には力がものを言う冒険者にとって、簡単にできる事では無い。
 周囲がざわつくが、誰も声を上げない。当たり前、ね。相手が相手なのだから。

「私が行くわ」

 その中で手を上げ、存在を示す。冒険者達の中に埋もれてしまう背丈だから、少し浮いて。

「君は、ソフィエンティア・アーテルだったか」
「ええ。私なら空を飛べるから、他の人が行くよりは早く着くわ。離脱もまだ容易でしょう」
「空を飛ぶ魔物もいるぞ」

 案じている、というよりは成功率の判断が目的ね。

「僕もいるし、大丈夫だよ。ソフィアは強いしね」
猫精霊(ケツトシー)、なるほど。良いだろう、ならば――」
「待って、私も行く」

 この声は、ティカ。

「私も自分だけなら飛べるから、露払いくらいはできるわ」
「……分かった。君たちに頼む。何か必要なモノがあれば言ってくれ」
「それなら、人が三人入れるくらいの大きな籠が欲しいわ。それと、この杖に籠を括り付けられる何かも」

 籠の用意が出来たと伝えられたのは五分後の事だった。妙に早いと思ったら、果実を売るのに使われていた籠を持ってきたらしい。それに急増で強度を増す付与をしたようで、魔導の気配を感じる。

「門番には話を通してある。そのままここから飛んでいって大丈夫だ」
「分かった。助かるわ」

 仕事が早い。さすが、王都でギルドマスターをしているだけの事はある。

「嬢ちゃん達、二人を、頼む。だが無理だけはするな」
「最善は尽くすわ」

 この人は、仲間がもう生きていない可能性も考えているのだろう。今にも泣きそうな顔を見ていると、そんな気がする。

 気休めも言えないまま魔導を使い、外壁の外を目指す。後ろをちらと見れば、堅牢そうな城が見える。その内側で忙しく走り回っているのは騎士たちか。そして眼下には、彼らの守ろうとしている人々。

「急ぎましょ」
「ええ!」

 彼女と受けた初めての依頼の時よりも数段早く、北へ向かう。アネムの加護があるだけ有って、ティカも問題なくついてくる。
 地上を行けば二時間かかる距離も、空を行けば一瞬。すぐにそれらしき地平線を埋め尽くす影と、立ち上る砂煙が見えた。

「Sランククラスの気配は、今のところ感じられないね」
「ええ、強くてもA+くらいかしら?」

 アストは私よりも広い範囲の気配を拾えているはずだが、それでも安心は出来ない。それだけの規模だ。
 この数がこの勢いで街に到達すれば、どんなに良くても多少の被害は覚悟しなければならないだろう。

「ソフィア! 手分けして探す!?」
「そう――いいえ、その必要はなさそうよ」

 群れの先頭付近に三つの気配を感じた。既に群れに飲まれてしまっているけれど、まだ持ちこたえている。一人足手まといを抱えながらだから、時間の問題ではあるけれど……。

「回収している間、アストとティカで時間稼ぎをお願い」
「任せて!」
「りょーかい。先に行くよ!」

 言うや否や、アストが飛び降りる。追いかける様に急降下すすると、巨大化しながら剣士さんに飛びかかろうとしていた魔物を押しつぶすアストが見えた。

「助けに来たわ! その子は私の使い魔だから攻撃しないでね!」

 アストにぎょっとして身を固くしていた剣士さんと槍使いさんが安堵する気配を見せる。まあ、彼も魔力だけで見ればAランククラスだ。経験値的にそこまでの力はないけれど、二人が緊張するのも仕方が無い。

「嬢ちゃんか! 助かる!」
「は、早く来い! 私が死んでしまえばただでは済まされんぞ!」

 相変わらずね、あの男。助ける気が失せそうになるけれど、これも仕事。ちゃんと回収する。
 一応腐っても妖精種なのかそれなりの魔術で応戦はしているから、思ったよりは余裕がありそうか。でもこの魔力痕、やっぱり……。


 何はともあれ、まずは安全確保。

「アスト、ちゃんと避けてね」
「え、ちょ、嘘でしょ!?」

 周囲に舞う土埃に作用して、大量の岩の槍を生み出す。一つ一つの大きさは私の背丈くらい。あのリッチみたいな特殊個体でも無い限り、Bランクにも致命傷を与えられる。ちゃんと出力を伸ばす訓練を続けた成果だ。

 よし、直径百メートルくらいは空白地帯に出来たわね。

「危ないなー、もう!」
「当たってないから良いじゃ無い」

 アストがこのくらい、避けられないはずないもの。私も一応気をつけていたし。
 とはいえ、この位の距離、この世界ならすぐに詰められてしまう。急いで地上に降りる。

「早く乗って!」
「お、おう!」
 
 若干引かれているけれど、仕方ない。彼らもすぐに切り替えて籠へ飛び乗ってくれる。

「アナタも早くなさい!」
「この狭いところに乗れというのか!? この私に!?」

 この期に及んで何を言っているの、この男は。

「あーもう、命が惜しかったら早く乗りなよ」
「な、く、貴様、何をする!」
 

 痺れを切らしたのか、アストがエスプレ教の男の首根っこを咥え、籠の中へ放り投げた。剣士さんと槍使いさんが受け止めたから問題なし。アストが元のサイズに戻って杖に飛び乗ったのを確認してから離陸する。
 すぐに魔術の届かない距離まで来たから、気にするのは空の魔物だけだけど、そっちもティカが漏らさず対応してくれている。

 あとは連れ帰るだけ。思ったより簡単に済むかな。

「く、くそ、この私を誰だと……」

 まだ文句を言っている。まあ、無視をすれば、ってよじ登ろうとしている?

「邪魔だ紛い物の獣め」
「え、ちょっ!」

 訝しむ私の視線の先で、男はアストの尾を掴み、放り投げる。
 
「ふぅ、乗り心地は良くないが、その狭苦しい籠よりはましか」

 ……はい?

「危ない!」
「ティ、ティカ、ナイスキャッチ。ありがと」

 幸いにも落ちていく彼をティカが助けてくれた。そうで無かったら、アストは、あの群れの中。いくらアストでも、ただでは済まない。

「おい、何をしている。さっさと離脱しろ!」

 コイツは、何を言っているの?

「あなた、アストに何をしたか、分かっているの?」
「あの精霊猫の事か? アレがどうした。あんなモノの生死より私が無事である事の方が大事であろう」

 本当に、コイツは、何を言っている?
 コレの命が、アストより大事? そもそもこの事態が、コイツの引き起こした事なのに?

 いいえ、一旦冷静になろう。冷静に、これからする行いを正当化しよう。

「一つ確認しておくわ。これを引き起こしたのはこのゴミで間違いないわね」
「ゴ、……!?」
「ゴミは黙ってて」

 抑えている魔力を打つけて黙らせる。汚い声なんて、聞いている暇は無い。

「あ、ああ。ソイツが行った儀式でこの魔物達は召喚された。召喚陣は破壊したから、後続はもう無いはずだ」

 何か勘違いしたみたいで、余計な情報を付け加えられる。いえ、駄目ね。街を守るなら必要な情報。これからする事には関係ないけれど。

「あなた達は依頼主を守るべく奮闘したが、依頼者は制止を無視して群れの中に戻るという愚行におよび死亡。良いわね」
「そ、それは……」
「良いわね?」

 有無は言わせない。

「……ああ、そうだ」
「兄さん!? ……いや、そうだな。ああ、その通りだ」

 これでいい。

「い、一体何の話だ!」

 謝罪の一つでもあれば、そう思って威圧を解いたけれど、いいえ、自分を偽るのは止めよう。これからの行いを正当化する為に、謝罪なんて無いと分かって威圧を解いたのだ。噛みついてきた蟻に向ける慈悲なんて、生憎持ち合わせていない。私は、それほど優しくない。

「こういう事よ」
「は……?」

 何が起こっているか分からないと間抜けな顔で、蟻は落ちていく。どんどん小さくなっていく顔はまだ私に蹴落とされたと気がついていないみたい。

「アスト、一瞬浮遊の制御をお願い」
「ん、りょーかい」

 ティカの腕の中からアストは杖に飛び乗って、魔術を行使する。

 さて、それじゃあ、終わらせよう。

「『大地よ、聞かせておくれ、その悲しみを。空よ、見せておくれ、その喜びを」

 周囲を包む私の莫大なまでの魔力に、三人が息を飲むのを感じた。
 
「私は知りたい、世界の記憶を。代わりに捧げましょう、この魔力を」

 それを無視して紡ぐ。この地の記録(過去)を呼び覚ます、この歌を。
 
「求める智慧よ、今ここに」

 選んだのは、神話に語られる記憶。ゴミも、魔物も、全てを焼き尽くす、古の竜の吐息。

「[記憶再現(メモリーリナクト)]』」

 宣言に呼応して呼び出された白炎が地上を埋め尽くす。どんなモノにも等しく死を与え、魂のみの存在に帰す。
 眉唾物の神話として現在にまで語りがれて来た災厄が、再び今に刻まれる。この煌々とした輝きは、きっと王都にも届いているだろう。冒険者達には、これで私が魔女とバレてしまったかもしれない。
 まあ、それは別にいいのだけれど。

 重要なのは、今、あのゴミが燃え尽きた事。
 ああ良かった。あれもちゃんと、燃やせるゴミだったのね。

 魔法を解いた時、そこには、殆ど一切の命の気配が残っていなかった。

◆◇◆

「防衛の成功と、俺たちの生還を祝して、乾杯!」

 剣士さんの音頭に合わせ、グラスを掲げる。周囲にいるのは数時間前、緊張した面持ちでこのギルドに集まっていた冒険者たちと、何故か騎士が数人。
 騎士たちはここにいて良いのかと思わなくも無いけれど、皆楽しそうだし、まあいいか。

 それよりも、だ。

「はぁ……」
「ソフィア、まーだ落ち込んでるの?」
「ティカ……。それはそうよ。感情にまかせてあんな事……」

 どうせ魔物たちに踏みつぶされて荒れ果てていたとはいえ、かなりの範囲を焦土に変えてしまった。あれで八割は討伐出来たから、それだけの被害で済んだとも言えるのだけれど、それはそれだ。

「アレは仕方ないわよ。私だって友達にあんなことされたら怒る」

 あいつ嫌な奴だったし! と彼女は言ってくれるのだけれど、焦土化は拙いだろう、さすがに。感情任せというのが何よりいただけない。

「ティカ、いくら言っても無駄だと思うよ」
「えー?」
「まあ、僕は嬉しかったけどね。あのソフィアが、あんなに怒ってくれて」

 むぅ、そんなことを言われては、あまり自分を責める訳にもいかなくなるじゃない。とりあえず、アストを撫でて誤魔化そう。

「我らが英雄はまだ落ち込んでんのか」

 呆れたようにやってきたのは、私たちの助けたパーティの三人。彼らも苦笑いするくらいには分かりやすく落ち込んでいるらしい。

「まあ、あの力を感情任せに振るっちまうのが良くないってのは分からなくもないがな? 状況が状況だ、誰も責められねぇよ」
「そうそう。俺らにはそもそも嬢ちゃんを攻める資格が無いけどな」

 剣士と槍使いの二人が空いている席に座る。回復したらしい斥候役の人も(なら)った。まだ体調は良くなさそうだけれど、お酒は我慢できないみたいね。

「そんな事よか、嬢ちゃんの二つ名はどうするよ?」
「二つ名? 要らない」

 二つ名なんて、恥ずかしい。有名になりたい訳でもないのに。

「もう手遅れだ、諦めな。あっちじゃ白炎の支配者だとか白の殲滅者だとか、色々出てるぜ?」
「何それ……。剣士さん、あなた楽しんでるでしょう」
「おうよ!」

 力強く肯定されてしまった。横の二人もサムズアップなんてして。人が反省中なのに悩み事を増やさないで欲しいのだけれど……。

「でも、ソフィアが白ってイメージ無いんだよねー。けっこう色んな魔術使ってるし、全体的に黒いし……」
「あの魔法も毎回あんな効果になるわけじゃないしね」
「あ、こらアスト」

 この子、ちょっとお酒の匂いがする。誰、お酒を飲ませたの。

「ほう、やっぱあれは魔法だったか。初めて見た」
「てーっと、嬢ちゃんは魔女か。すげーな」

 この人たちは好意的ね。それは良かったけれど、それはそれ。

「まあ、この国の連中は魔法に良いイメージ無いから他言はしないでおくさ」
「ありがとう、斥候さん」

 まったく、アストはしばらく魔石抜きね。

「ま、冒険者は大丈夫だろうさ。で、二つ名な。忘れるところだった」
「そのまま忘れてくれて良かったのに」
「はは、俺たちが忘れても他の連中が忘れねぇよ」

 く、ダメか。目立ちたくないのに……。

「う-ん、ソフィアの二つ名かー。黒の魔女姫、黒姫、柴瞳姫……」
「魔女はダメよ。というか何で姫ばっかりなのよ」
「え、だってソフィア、可愛いから?」

 ティカに言われると、少し照れる。けれど、それとこれとは話が別。

「絶対無し」
「えー! ……そういえばソフィアって、めちゃくちゃ物知りよね。変な事たくさん知ってる」
「だね。ソフィアって名前も知識だか知恵だかって意味があるって前言ってたよ」

 変な事って……。ていうかアストまで何口出してるの。

「あの魔法も知識が関係あるって前言ってたし……あ」
「アスト、ココア禁止」
「ゴメンって!」

 酔ってるからって手の内ばらしすぎよ。まったく。
 あー、ほら、剣士さんが悪い顔してる。

「良い事を聞いた。なあ皆、聞いてたか!?」
「おうよ!」
「なら、『知恵の魔女』ってのはどうだ!?」

 妙に静かな気がすると思ったら、皆聞き耳を立てていたの!?

「いいんじゃね?」
「ベースはそれだな。どうせならもうちょいカッコいい言い方にしようぜ!」
「なら『智慧』でどうだ? だいたい同じ意味だが、雰囲気的に」

 口の動き的に別の言葉なのだろうけれど、同じ音に聞こえる。翻訳の都合かしら? いや、そうではなくて。

「じゃあ決まりだな! 『智慧の魔女』だ!」

 魔女はダメじゃなかったの? なんでこんなに盛り上がっているの。ねえ? アストもティカも、一緒になっちゃって。

「はぁ、もう、何でも良いわ……」

 酒場の皆は本人のお墨付きだと一層盛り上がる。少し早まったかもしれない。
 
 ――この時はまさか、この名が世界中に広まるなんて思ってもいなかった。でも、もしかしたら、この呼び名が私の今の在り方を決めたのかもしれない。

 私が『智慧の魔女』なんて呼ばれるようになった宴から、はや一週間。私とアスト、そしてティカは始めに入ってきた門とは反対側の門の前にいた。以前は飛んで超えた北門だ。

「ソフィアは北だっけ?」
「ええ。学園都市に向かうわ」
「あれだけ買ってたのに、まだ本が欲しいんだってさ」

 本はいくらあってもいいの。だって、本なんだもの。
 そうそう、あの強制依頼の功績で私は無事Bランクになった。だから買えるだけの本を買ったんだけれど、付いて来たアストとティカは呆れていたみたい。

「智慧の魔女って名前、やっぱりぴったしだったんじゃない?」
「でしょ? 我ながら良い情報を出したと思う」

 二人は他人事だからいいかもしれないけれど、呼ばれる当人としてはかなり恥ずかしい。

「ティカは東の国だっけ?」
「うん、この国はもう十分見たかなって」
「そう。次に会えるのは、いつかしらね」

 東の国に行くなら、ここでお別れ。せっかく仲良くなれたのだし、いつかはまた会いたい。

「どうだろ? まあ、次に会う時までには私も魔女になってるよ!」
「簡単に言うのね」
「当然! 私はソフィアの友達だからね!」

 ふふ、ティカったら。

「ありがとう」
「良いの!」

 こんな感じなのに、意外と鋭い。これは、次の楽しみが出来た。

「それじゃあ、そろそろ行くね!」
「そうね。……ティカ」
「うん?」

 そのまま出発しても良かったのだけれど、彼女にはちゃんと言っておきたいと思ったから。

「また会いましょ」
「うん! またね!」

 私の言葉に、ティカは満面の笑みで返してくれた。アストが優し気な笑みを向けてくるのを感じる。
 
 弾むような足取りで歩いていくティカの後姿を数秒の間だけ眺め、私も歩き出す。
 次の町では、どんな出会いがあるかしら。少し、楽しみだ。

 チクタクと時を刻む音を響かせるのは、落ち着いた濃茶のアンティーク時計。目の前にあるローテブルも、今座っているふかふかのソファも、同じようなアンティーク調で、なんだか落ち着く。この部屋の主の性格が表れているのかしら? 私の感覚ではアンティークだけれど、この世界ではそんな付加価値の概念は無い筈だから、きっとそうなのだろう。
 正面に座るその主の向こう側には、青い空と、整然と広がる街並み。ここからでは見えないけれど、多くの同じような恰好の子どもたちが歩いている筈だ。

 王都エルデンを出て凡そ一年。私たちはエルデア王国北部の荒原地帯にある学園都市ティールデンに来ていた。

「それにしても、まさか本物の魔女様にお会いできる日が来ようとは」

 私の正面で皺だらけの顔に柔らかな笑みを浮かべる老人は、この部屋の主で、学園都市の長。小柄というには小さすぎる、凡そ一メートル程の身長は彼ら小人族(タイニー)の特徴で、彼は比較的身長の高い方だ。

「そんな偉いものではないですよ。偶々得てしまっただけです」
「いえいえ、魔法は魔導師の目指すべき到達点ですから」

 まあ、そう言われたらそうなのかもしれなけれど、勉強したりただ訓練したりで発現できるものではないのよね。

「私こそ、高名なパースバル卿にお会いできて光栄です」
「ただ運の良かっただけの老骨ですよ」

 パースバル学園長が子爵としてが叙爵されたのは戦の折りにこの国の王を助けたことが理由だから、その事を言っているのだろう。彼自身いくつも価値ある研究結果を残しているのだから、運だけではない尊敬すべき人物なのは確かなのだけれど。
 まあ、形式的なやり取りはこの辺りで良いだろう。紅茶みたいなお茶もスコーンも美味しいからもう少し歓談していても良いのだけれど、アストがうとうとしてきたから。

「それで、そろそろ冒険者の私を学園長室に呼びだした理由を聞かせてもらっても?」
「ほっほ。ワッシとしてはもう少し歓談をしていても良かったのですが、そうですね」

 パースバル学園長はアストの方を見てにっこり。子ども好きとは聞いていたけれど、なるほどね。

「少し前に、我が学園に依頼が入りましてな。遠方の領地で魔道具の調査をする事になったのです。領主を務める貴族が相手ですから、特に優秀な者を行かせない訳にはいかない」

 ゆったりとした、どこかマイペースな喋り方。けれどこれは、自分のペースに持ち込みたい人間からしたら歯痒いでしょうね。意図的なら、流石は自治権を守り続ける学園の長なんだけれど。
 一度区切ってお茶に口をつける彼を見ていると、どちらなのかは区別がつかない。まあ、癖のようなものなのだろう。

「あなたに依頼したいのは、その教師の代わりです。彼の受け持つはずだったクラスで一年ほど、魔導学の授業をしてほしいのです」

 教師役……。それ自体は、別に拒否するような話でもないけれど。

「ここには代わりの教師なんて沢山いるでしょう?」
「そうですな、普通のクラスなら、いいえ、他の街にあるような学院ならば特に優秀な生徒たちを担当しても十分だろう者たちが揃っております。ただ、今回お願いする特別クラスだけは、そうもいかないのです」

 詳しく聞くと、一般のクラスに馴染めない程に飛びぬけた才能をもつ子どもたちを集めたクラスみたい。ただ優秀な程度の教師では役者不足だったというのは、結果で示された事実だったのね。その点魔女ならば優秀で表す域にはないだろうと。

「報酬は、学園の幹部陣に年間で支給する額と同額を出しましょう。いかがですかな?」

 額でいえば、十分だとは思う。Aランク向けの依頼と見ても、美味しい部類に入るとは思う。でも、一年ここで過ごすのはあまり気乗りがしない。チョコもお酒もイマイチだったし、貴族の学園という関係上、お高く留まっている人間が多いから。この国は平民を見下す貴族の方が多いからどうしてもそうなってしまうらしい。いつかの名もない村も、それで苦労していたわけだし。
 まあ、あの領地はかなり文明格差が大きい所だったけれど、特別酷いという程でもないのがこの国だ。

「残念だけれど、一年は――」
「教師なら、禁書なども含めてこの学園の蔵書全てを自由に閲覧する権利もありま――」
「引き受けます」
「――すぞ……。感謝します、『智慧の魔女』殿、ほっほ」

 アストからの視線が痛いけれど、きっと気のせい。気のせいったら気のせい

 パースバル学園長とのお茶会の三日後、彼の後ろに付いて特別クラスの教室を目指す。元々は各先生方が交代で授業を担当する予定だったとかで、魔導学の教師陣からは感謝された。私が本物の魔女と伝わっていたみたいで、握手まで求められたのは正直意外だったけれど。まあ、他からは見下すような視線や嫌悪する視線も感じられたから、どちらかと言えば彼らが特殊な部類だったのだろう。アストが威圧しないか、正直ひやひやだった。あの人たち程度では亜精霊の威圧には耐えられないから。
 そのアストも今は貸してもらっている部屋でお留守番だ。

 それは兎も角として、なるほど。確かにこれは、普通のクラスには馴染めないかな。十四歳前後で既にBランククラスの魔力量なのだから、末恐ろしい。抑えきれてはいないから操作にはまだ不安ありだけれど。いえ、年齢を考えたら十分ね。それなりの魔力察知能力じゃあDランクやCランククラスと誤認してもおかしくはない。アインスの街で教えたジント達が十六歳だったことを考えると、まさしく天賦の才を与えられた子どもたちね。

「五人も良く集まりましたね、こんな子たちが」
「今年は特別多いですな。一人もいない年の方が多いですから」

 まあ、そうでしょうね。うん? そうよね、五人よね。気配は四つしかない。私の探知能力を超える子がいる……?
 教室に入ってみれば分かるわね。もうすぐみたいだし、って、やんちゃな子たちみたいね?

「パースバル学園長、私が先に入った方が良さそうです」
「そのようですな。元気の良い子たちです」

 元気の良い、ね。身体に対して比率の大きい顔には相変らず柔らかな笑みが浮かんでいるばかり。悪意や敵意は無いようなので、純粋に私の力を信用しているみたいね。まあいいか。

 学園長と位置を代わり、シンプルだけど頑丈そうな引き戸に手を掛ける。その瞬間発動した闇の魔術、時に呪いと呼ばれるそれを光属性に偏らせた同量の魔力で打ち消す。
 スーッと音を立てて開いた扉の先から悪意の含まれた視線が集まるのが分かったけれど、無視。足元に仕掛けられた魔道具は術式を弄って破壊と。拘束用の魔道具。自作かしら?

「ちっ」

 舌打ちしたのは、赤いツンツン頭の男の子ね。魔道具の制作者とは別の子みたい。魔力の感じからして、彼の後ろで目を見開いている紫ボブの女の子かな。土妖精族(ドワーフ)の子かしら。
 と、上のも処理しないと。止まらなかったら私は当たらないけれど、学園長に当たっちゃう。

 落ちてくる水の塊の下表面を凍らせて器にして、壁に固定しておこう。これは、青い長髪の女の子。斜め前の赤いツンツン頭の男の子とそっくりだから、人族の双子って言うのはこの二人ね。お兄ちゃんのファーレイムと違ってあんまり乗り気ではなかったみたい。ホッとしている。

 お兄ちゃんは、火の魔術を用意していたみたいだけれど妹ちゃんの水を処理した時点で放棄しちゃった。
 で、入口の呪いは、ファーレイムの隣の目隠れ男子ね。緑髪で、背が高い。芸妖精(リヤナンシー)族みたいだから、この子がドリマね。最年長の十五歳。

「おはよう。ウルシニエラくんは、調子が悪いのかな?」
「はい、いつもより辛そうだったので今日は来られないと思います」
「ありがとう、メイケア君」

 紫ボブの子が学園長に答えてくれる。なら、やっぱり青髪の子がアクエラか。名簿には写真が無かったから、今一致させないと。

「さて、先日連絡した通り、アルディーネ先生が暫く不在のため、急遽担任を変更する事になりました。紹介しましょう。臨時教員のソフィエンティア・アーテル先生です」
「よろしく」

 向けられているのは、主に敵愾心(てきがいしん)ね。それと、蔑み。加えてそれぞれの個人的な感情。敵愾心なんかが一番マシなアクエラでも、不審の目で見てくるんだもの。何というか、この国の貴族ね。
 
 私の情報は持っているだろうから、私の二つ名の『魔女』を、魔法を使う者という意味の魔女ではなくて、比喩的に付けられた方の魔女って思っているのでしょうね。それなら私はどこの馬の骨とも知れない、平民の冒険者。それもBランクだ。この国の貴族の性質ならこの反応も然もありなん。まあ、何でも構わないのだけれど。

「それではあとは頼みましたぞ、アーテル先生」
「はい、学園長」

 アーテル先生、か。こっちで呼ばれるのは少しむず痒い。
 さて、と。担任というのは後だしとはいえ、引き受けてしまったのだから、すべき事をしましょう。

「今日は初日だし、まずは質疑応答の時間にするつもりよ」

 ホームルーム含めて、一時間半くらいかな。来なければ来ないで授業をすればいいだけ。とは言っても、この感じなら……ほら。

「ファーレイム、どうぞ」
「旧世界には氷魔導が存在したという学説があるが、貴様は本当に存在したと思うか」

 貴様って。ていうかそれ、一般には定説と通説で二分されているような話じゃない。中学生の年齢の子がする質問じゃないわ。腐っても特別クラスってことかしら。

「私は定説に賛同するわ。三女神は旧世界と同じ魔導法則でこの世界を作ったとされていて、冒険者ギルドもこれを認めているわ。冒険者ギルドの創始者が三女神に連なるものというのは貴族のあなた達なら事実と知っているでしょう。なら、現世界の法則通り氷魔導は氷に関わるだけでその他の魔導によって引き起こされた現象と見るのが妥当ね」

 あっさり答えたことが意外みたい。『智慧の館』で真実を知っているのだから、ズルしているようなものだけれど。

「アンデッドが闇属性の魔力を持つことから闇属性は忌み嫌われることが少なくありません。なぜアンデッドは闇属性を強く持ち、光属性に弱いのでしょう」
「ドリマ、私があててから発言なさい」

 まあ今回は許します。

「人々の想念が主な理由よ。アンデッド自体は他属性の魔力でも条件を満たせば発生するわ。ただしその条件を満たす場所が墓地など自然界の魔力が負の感情の影響を受けやすい場所ばかりだから、結果的に闇属性の魔力を持つことが多くなるの。光属性に弱いのはアンデッドがそうなのではなくて、闇属性の魔力によって肉体を保っている存在全般に言える事ね」

 アストの場合は肉体に依存する割合が大きいから、巨大化している場合でもなければ光属性に特別弱いなんてことは無いのだけれど。

「他にある?」

「くっ、エステレニア戦役におけるガルエの戦いがあった場所は王都の南部というのが定説だが、どう思う」

 あら、どう思うだなんて抽象的。ファーレイムにも年相応っぽいところもあるのね。魔導には関係ない話だけれど、まあ答えてあげましょう。

「無いでしょう。ガルエの戦いで王国軍と戦ったガルエ族の遺跡は南部では発見されていないし、そもそもあれはガルエ族による侵略よ。当時南から北に攻め入る理由は薄い。それに、王都から北にひと月ほど行った辺境のダンジョン内にそれらしき集落跡があったとギルドに報告されているわ。主流派が妨害していて調査に行けていないみたいだけれど」

 苦虫を嚙み潰したような顔ね。アクエラだけは不審の色が消えているけれど、兄がこれじゃあ表立っては協力的にしてくれないかもしれないわね。

 そんな感じで一時間半。時間が余れば知識の確認をするつもりだったけれど、質問内容だけで基礎的な部分が大丈夫そうなのは分かった。
 教えるべきは実技と応用の理論ね。素直に聞いてくれるかは怪しいけれど。魔力を込めた威圧なんかの進行妨害もしてきたし。無視したけれど。

 これで病欠のウルシニエラって子が増えたら更に面倒になるのかしらね。
 依頼を受けるの、早まったかしら?


 翌日は担任の業務だけ。ホームルームの為に教室に行ったら昨日よりも殺意の高い罠が仕掛けてあったけれど、サクッと対処して業務連絡をした。ウルシニエラは今日も欠席。午後の授業には出ていたらしいから、まあ大丈夫でしょう。いつもの事みたいだし。

 三日目。実質最初の授業。
 一応知識確認の小テストをやらせた。真面目にしてくれるか心配だったけれど、事前に軽く煽ったら簡単に乗ってきた。この辺りはやはりまだまだ子どもね。ドリマとメイケアが最年長で十五歳。ファーレイムとアクエラが十四。まだあった事のないウルシニエラが十二で最年少。特殊な出自もあるけれど、ウルシニエラが一番の天才らしい。

 何はともあれ、細かい理解度やらも把握できたので良し。
 明日は魔導の授業は無くホームルームだけ。明後日は休日だ。さくっと授業の準備をして、図書館に行こう。

 翌々日、私はようやく念願の図書館にやってきた。昨日は他科目の先生から嫌がらせに仕事を押し付けられたせいで図書館に来られなかったのだ。どうもあの子たちの質問に答えられなかった上に私があっさり答えた事を告げ口されたらしい。
 そうしたら私に嫌がらせをしに行くと見透かされていたのでしょうね。十四歳前後の子どもに掌の上で踊らされて、恥ずかしくないのかしら?

 まあ、何でもいいか。図書館の開いている時間は短いのだ。急がないと。

「へぇ、学園の教室ってこんな感じなんだ」
「うずうずしてる所悪いけれど、あなたは当分お留守番よ」
「分かってるって」

 頭の上から残念そうな声が聞こえてくる。アストとしても、話に聞く限り子どもたちを威圧しない自信がないと言っていた。あと一部の教師も。
 あの程度の悪意、どうって事ないんだけれどね。前世から慣れているし。

 そんな事より図書館は、あれか。学園の中でも特に大きくて、地下もある。傾斜のきつい屋根なのは他と一緒。エメラルドグリーンの屋根材が美しい。元々本を貯蔵する目的で作られているから、窓は少なめ。付与的にも素材的にも、耐火性能も高そう。

「お邪魔しまーす……」

 小さく呟くように言いながらドアを開け、中に入る。入り口で警備の人が欠伸をしていたので、教師の証であるエメラルドの宝玉が付いたバッジを見せ、アストも入って大丈夫か確認する。

「いいって」
「良かった。ダメって言われたらまた部屋で退屈してるところだったよ」

 機嫌良さげに二本の尻尾を揺らしているのが、重心の動きで何となくわかる。帽子に当てないように無意識で振るなんて、器用な子ね?

「それじゃあ、行きましょ」

 自分の声が弾んでいるのが分かる。こればっかりはどうしようもない。
 もう既に、沢山の紙の香りが肺を満たしているのだ。沢山の本が視界を満たしているのだ。高揚しないはずが無い。

 本棚の高さはざっと見積もって、私の背丈の倍。それが壁と中央の柱を埋め尽くすように並べられ、足場を挟みながら遥かな天井まで伸びている。吹き抜け構造になっているのだ。一階にはそれより少し小さいくらいの本棚も綺麗に並んでいるから、本の森に迷い込んだみたいな錯覚を覚える。

「凄いね、これだけ並んでたら、ソフィアでなくてもワクワクするよ」
「でしょう?」

 中央の太い柱野中が中空になっていて、螺旋階段が上階まで伸びているらしい。地下に行けば、厳重な保存が必要な危険図書や希少図書もあるみたいだから、まずはそっちかな。

 地下に降りると、カビ臭く薄暗い空気が鼻腔を通り抜けてきた。本を傷めない特殊な光の照明で明るく照らされていた上階とは全く違う雰囲気で、これはこれでワクワクする。
 閲覧スペースの辺りだけボンヤリ明るくなっているが、人によってはあれも不気味に感じてしまうのではないだろうか。

 とりあえず、入り口のすぐ横にあった本棚の左上の端から十冊ほど手に取って閲覧スペースに向かう。一冊一冊が分厚いので、前世の筋力なら確実に潰れていただろう。

「あら、先客がいるわね」
「ホントだ。先生かな? 人間にしては凄い魔力」

 本棚に隠れて見えないが、そこらの亜精霊と同じくらいの魔力量があるのではないだろうか。私と同じ訓練をしているアストには及ばないが、それでも十分。肉体の全盛期、十代後半から二十代前半くらいで老いるのが急速に遅くなるような魔力量だ。

「でも、魔力の割には弱弱しい気配ね?」
「うん、今にも消えてしまいそうなくらい」

 身体が弱いとか? いや、これだけ魔力があるなら訓練の過程である程度は肉体も鍛えられるはず。そうすると、病気か、もしくはアンデッドのような実体のない存在……。

「幽霊だったりして」
「ちょ、やめてよ。こんな所に留まっている幽霊なんて、絶対めんどくさいやつだよ」

 ふふ、慌てるアストが可愛い。
 まあ、嫌な感じはしないし、大丈夫でしょう。

 ちょっと振るえているアストを本を持っているのと反対の腕に抱え、閲覧スペースの方に向かう。本棚の隙間を抜け、柔らかなオレンジ色の明かりの中へ。

「あら?」

 木製の大きな四角い机が二つほど置かれた閲覧スペースで本を広げていたのは、中学生くらいの女の子。朱色に煌めく髪色は明かりを反射しているからで、本当は収穫を待つ稲穂の様な金色なんだろう。その長いまつ毛の下には、髪と同じ色の猫のような瞳がある。
 なんていうか、薄幸の美人って感じの子ね。日本人なら小学校高学年くらいの歳だと思うのだけれど。

「ソ、ソフィア、どう? 幽霊だった?」
「いいえ、生きてる女の子よ」

 禁書もあるエリアって考えたら、ここにいるのは不思議なんだけれど。


 おっと。声は抑えていたけれど物音一つしない空間だものね。流石に気が付いたみたい。

「邪魔しちゃったみたいね。私たちの事は気にしないで」

 大きな本から上げられた猫の様な目に笑みを返しながら、女の子から離れた位置に向かう。

「待ってくださいませ。貴女様は、アーテル先生で間違いないでしょうか?」
「ええ、そうよ。そういうあなたは……」
「申し遅れました。(わたくし)、ウィッチェル魔導国が第一王女、ウルシニエラ・アラ・ウィッチと申します」

 ウルシニエラと名乗った彼女は、立ち上がり美しい所作でカーテシーをしてくれる。着ているのは他の学生たちと同じ制服なのに、彼女のそれだけはドレスのようで、その内から溢れる気品を示していた。
 
 なるほど、確かによく見れば腰の辺りから狐の尾が生えている。童顔だけれど身長は私より少し低いくらいで、それもまた獣人の血なのだろう。たしか狐人族と猫人族、それから人族の血が混ざっているのだったかしら。

「あなたが。それにしても、よく私が分かったわね」
精霊猫(ケツトシー)様を連れていらっしゃいますし、何より、その膨大な魔力。分からない筈がございません」

 へぇ……。

「凄いね。その歳でソフィアの魔力隠蔽に気づくなんて」
「流石は魔女王の娘にして学園始まって以来の天才、と言ったところかしら?」
「過分な評価、痛み入ります」

 読んでいる本も相当高度なもの。魔力による身体強化から更に一歩踏み込んで、魔力の物質体である素粒子、魔素を利用した永続的な肉体強化理論の本だ。ただこれは反動が大きく、肉体の異形化を引き起こしかねないとして禁術指定されている。
 ああ、そういうこと。

「その魔力量、生まれつきなのね」
「……! 流石という言葉はアーテル先生にこそ送るべきなのでしょうね」
「ありがと」

 生まれたその時から持っていた、制御の方法も知らない膨大な魔力。それが彼女の身体を蝕んでいる。常に内側から焼かれているような状態だ。同時に、膨大な魔力が無理に再生を促すから、体力は消費され続けちょっとしたことで体調を崩してしまう。
 解決するには身体を鍛える必要があるけれど、身体を鍛えられるだけの体力がない。

 中々難儀な状況ね。このままだと二十歳まで生きられるかも怪しいし。
 だからあの禁術で無理矢理体を丈夫にしようとしたのでしょうけれど。

「それは止めておきなさい。絶妙なバランスで生きている今の状況が崩れてそのまま死にかねないわ」
「そう、ですか……」

 ん-、ちょっと、他人事とは思えないわね。
 ……私は彼女の先生。ちょっと手助けしても何もおかしなことは無いわよね。

「手、借りるわよ」
「え? ……え?」

 制御できずに荒ぶる魔力が肉体を傷つけているのなら、それを正常な流れに乗せてあげればいい。亜精霊並の量の魔力を無理矢理誘導するなら、同等以上の魔力と緻密な魔力制御能力が必要になる。普通なら、前者を満たすのは難しいでしょうね。

 だけど、私にとっては亜精霊()()だ。
 その程度の魔力量じゃあ不老には到底なれないのよ。

「これで暫くは問題ないでしょう。その間に身体を鍛えて、魔力制御を磨きなさい」

 あくまで対処療法だから、根本的な解決には彼女自身の努力が不可欠だ。そこは頑張ってもらうしかない。

「あ、ありがとうございます!」
「いいのよ。あなたは私の生徒だもの」

 子どもの笑顔って、どうしてこうも眩しいのかしら。

 だからこそ、顔を歪めないように気を付ける。
 
 この一年、私が流れを整えてあげながら鍛錬を続けていけば、病気にさえならなければ魔力量に見合った時を生きられるだろう。
 けれど、どれだけ良くても辛うじて人並みに生活できる程度にしかならない。

 それほどまでに彼女の体が傷ついていた。あの様子だと、たぶん、魂も。
 
 せめて、私がいなくても多少の鍛錬ができる程度にまでは回復させてあげたい。そう、せめて……。


 それから彼女とは休みごとにあの図書館地下で会うことになった。その度に魔力の流れを整えてあげているが、結果は気長に待たなければいけない。
 
 魔導の授業にはしばらく出なくても良いと言ってある。そもそも彼女は特別クラスの中にあってなお頭一つ飛びぬけているのだ。知識も、技術も。
 魔力量に対して練度が追いついてないだけで魔力操作能力はそこらの教師よりも熟達している。そうでなければ暴走していたからかもしれない。きっと、私と同じ不老の魔女である魔女王が教えたのだろう。
 対処療法さえされていなかったのは、知識が不足していたのか魔力操作技術が足りなかったのか。私と違って魔法に力を注いでいる魔女なのかもしれない。

 そんなこんなで一か月。子どもたちは相変わらず授業を聞いてくれない。寝ているか、他の授業の課題をしているか。妨害に関係のない質問をしてくるなんて事もしょっちゅうだ。
 出席はしているのは、貴族のメンツ的なものなのだろうか。

「はぁ、どうしたものかしら……」

 ぶっちゃけテキトウにしても報酬は貰えるのだけれど、仕事は仕事だ。私の信頼に関わる。
 個人的にはどうでもいいが、冒険者という職業的な立場で言えばよくない。実入りは買える本の量とお酒やチョコの味に直結する。非常に良くない。

 教師からの嫌がらせはどうとでもなるし、サクッと処理すれば読書タイムに影響しないからどうでもいいんだけれど……。

「もう僕が行って思いっきり威圧しようか?」
「下手したら死んじゃうからダメ」

 アストも中位精霊のアネムに匹敵するくらいの力を得ている。召喚に制限されない、本気のアネムにだ。契約によって私と魔力的、魂的に繋がっている事も理由の一つだろうけれど、何よりこの子の努力の成果だと思う。

「先生、どうなさったんですか?」
「ウル……」

 愛称で呼んでほしいと言われて以来、そう呼んでいる。王族の彼女相手に許されるのかという話は、恩人で先生だからセーフなんだそう。

 それよりも、生徒たちに関する悩みを同じ生徒の一人に相談していいモノか……。いや、だからこそ聞くのはありか。

「――とまあ、そんなわけで、どうやってあの子たちに真面目に授業を受けさせるか悩んでいたの」
「あぁ……。皆さん、貴族としての自尊心の高い方々ですから……」

 貴族としての自尊心。この国で言えば、貴族は平民よりも優れていて当然とか、そんなものね。

「先生が本物の魔女だとも思っていないでしょうね」
「だと思うわ」
「それに関しては仕方ないよ。ソフィア、表に出してる魔力量は他の先生たちより少ないし」

 こうでもしないと周りに被害を出してしまう事もあるから。以前少し垂れ流し気味になっていた時は、多少でも魔力を感知できる人たちが失禁したり失神したりと大変だった。
 制御している状態なら訓練にもなるし、見抜ける人はそんな失態しないだろうから、森を出て少ししたくらいからずっと今の状態で生活しているんだけれど、今回はそれが仇になったみたい。

「いっそ、力の差を示して差し上げるのが良いかと。文字通り、実力行使で」
「そう、ね……」

 やるしかない、のかしら?