智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜


 夜の間に魔道具を試作して、村長さんに許可を取った後は近くの町へ出かける。あの村長さんは年の功か、色々分かっているみたいで、もう対価として渡せるものが無いと言ってきたのだけれど、昨日の青空教室の時に聞いてしまったのだよ、私は。あの村には伝統的に作っている野菜のお酒があるという事を。
 そんな事を聞いてしまえば飲まない選択肢は無い。という訳で、対価はそちらを希望した。返事はもちろんオーケー。後日村を挙げて宴会を開いてくれるらしい。
 なんか宴会の口実にされた気がしないでもないけれど、お酒が飲めるのならそれでいい。

「お酒ってそんなに美味しいもの?」
「物によるし、好みにもよる……って前にも言わなかった?」
「だって、ソフィアが楽しそうなんだもの」

 そんなにかしら? まあいいか。

「それより、しっかり捕まってて」
「うん、安全飛行でお願いね」
「善処はする」

 肩を竦めたアストが二本の尾をしっかり杖に絡ませたのを確認して、魔導を使う。瞬間、私は地面を蹴った訳でもないのに宙へ浮いた。飛行の為の魔導だ。重力操作やらなにやら細かい事を飛んでいる間し続けなければいけないから疲れるし、歩きの数倍速い分、相応に魔力を消費する。だから普段はあまり使わないけれど、今回は短距離の移動だから。

 来るときは数時間かけた道のりに、数十分。トラブルにならないよう反対側の少し離れたところに着陸したから、けっこうなスピードを出していたと思う。乗っているだけのアストも疲れを見せていたし。

 まあ、まずは薬屋さんへ。
 いざ着いたそのお店は、思った以上に豪奢。領主お抱えの商人が経営しているらしい。薬の他にも香辛料の類を売っていて、独特の香ばしい香りが都会のコンビニくらいの店内に充満している。お客さんの数は、身なりの良い人ばかりで三人。あ、今入ってきた人は冒険者だね。実力的には、Bランクくらいかしら? 入口で番をしている人たちと同じくらいね。
 
「ふーん、確かにこれは高いね」

 件の薬は入ってすぐの一番わかりやすい所にあった。アストも私と同じような金銭感覚だから、同意を示してくれる。
 粗末な紙に包んで売られており、立札には何歳から何歳は何包みという風に書かれている。思った以上に大雑把。それに、文字が読める前提のシステムぽい。

 思ったけれど、このまま『智慧の館』で検索する事もできるのよね。ん-、でもまあ、このお店の人が悪いわけでもないし、十分に買える値段だから買おうかしら? 堂々と研究させてもらおう。
 二十歳なら、二包らしい。それだけ持って、お会計をしに行く。

「お父さんかお母さんに買っていくのかな? お嬢ちゃん、偉いね」

 ……この手代さん、案外で良い人そうなんだけれど、いや、これは私の見た目が悪い。うん、そう、仕方ない。それはそれとしてアストは後でお仕置きね。笑い、堪えきれてない。

 気を取り直して、スライム探し。さすがに人の家のおトイレから拝借するのは気が乗らない。勝手に増えた分が余分にいるとは思うけれど、うん。
 ギルドで調べてみたところ、村と反対側の平原を流れる川まで行けば沢山いるみたい。いくらか捕まえに行こう。

 その内村のおトイレでも増えていくと思うけれど、増えすぎるようならその辺の森の中に離せばいい。獣に食べられていい感じに数を調整される。生態系にすら影響を与えるほどの力が無い、ある意味恐ろしい生物だ。

 食事なんかを済ませ、村に戻ったのは昼下がり。青空教室の時間だ。昨日また今日もすると約束していたので、私の借りた家の前には村人たちが集まってきている。昨日は見なかった顔もあるので、復習ついでに同じ内容を教えよう。
 ついでにスライムを捕まえてきたことを話すと、主に大人たちが喜んでくれた。隣町までいくこともあるので、知識としては知っているのだ。
 その大人たちに教えられて、子どもたちからも歓声が上がる。水汲みと並んで、子どもたちに不人気な仕事みたいね。気持ちは分かる。

 そんなこんなで村での日々は過ぎていった。井戸の魔道具の設置は二日ほどで完了し、今は村人何人かに整備の仕方を教えている段階。毎日行っている青空教室の生徒から希望者を募集して選んだ。
 石板に説明書きを刻んで渡して、簡略化したものを井戸にも刻んだから、そう簡単には途絶えず伝わるだろう。
 宴会はやる事全部終わってからにして欲しいと伝えたので、まだ行われていない。準備は始まっているらしいけれど。

 今の問題は、薬の方だ。
 製法は難しくないし、用量も割と気軽に考えて良さそうだったので簡単な仕事だと思っていた。効果も『智慧の館』の力を使えば確かめられるし。
 けれど、材料となる薬草が足りないのだ。
 せめて過去、何万年前でもこの辺りに生えていたことがあれば、[記憶再現(メモリーリナクト)]でもう一度生やす事も、種苗を得ることも出来るのだけれど、それもない。

 なら代替物はと、ここ最近は狩りがてら周囲を散策している。

「ん-、無いなぁ」
「あと何が足りないんだっけ?」
「解熱作用のあるやつ。一番重要」

 鎮痛作用や滋養強壮作用その他を持った材料は見つけた。組み合わせ的にも問題ない。なのに、一番症状が重く出る発熱を改善する薬草が見つからない。虫でも果実でも、何でも良いのだけれど、見つからない。

「また村長さんに聞いてみる?」
「ん-、そうね、そうしてみましょ」

 いくつかの材料はそうして口伝で伝わっているような民間療法からヒントを得て探し出した。世間話の中での事だったので意図的に聞いたわけではなく、解熱剤について振れられることが無かったから、可能性はある。
 そう思って、村長さんの家の戸を叩いてみた。

「村長さん、この村で熱が出たときってどうしてるの?」
「熱、身体が熱くなる病で間違いないですかな?」

 最近敬語を使ってくるようになった村長さんに首肯を返す。最初と同じ感じで良いのだけれど、村の恩人に敬意を払うのは当然だと押し切られてしまった。

「そうですな、涼しい所に寝かせるのが基本ですな。氷に余裕があれば額や脇の下を冷やさせますが、暑い時期はせいぜい濡らした布切れを額に乗せる程度です」
「何か飲ませたり食べさせたりはしないの?」
「よほど酷いのなら町まで薬を買いに行かせますが、そうでもなければ特に特別な事は……」

 なるほど、何もなし。変な儀式めいた民間療法が無いと知れたのは収穫かもしれないけれど、薬づくりは進まない。
 どうしたものかしら?

「お役には立てなかったようで」
「いいえ、ありがとう。十分助かったわ」
「また何かあれば聞きにいらしてくださいな」

 村長さんの所を出て、一旦家へ向かう。もうすぐ青空教室の時間だし。

 ん-、迷信すらないとなると、難しい。村人たちが絶対食べないような何かを探すしかないのかしら? こうなるとそもそも解熱剤になるモノがこの村の周囲になにも無い可能性も濃厚になってくるのだけれど……。

 これまでした事だけでも、十分かもしれない。しかし、正直納得は難しい。どうせやるなら、出来る範囲で徹底的にしたい。
 けれど、このままだと妥協するしかないかもしれない。本当に、どうしたものかしら。


「だいぶ無くなったね」
「うん? 何が?」

 主語が無いので、アストの言いたいことが分からない。とりあえず彼の視線を追うと、畑が目に入った。

「畑の雑草。来た時は関係ない草だらけだったじゃん」
「ああ、そうね」

 その大量の雑草も、今は畑の片隅に積み上げられている。この村に家畜はいないので、飼料にもならない完全な邪魔ものだ。あのまま枯れさせてしまうらしい。

「邪魔もの、ね」

 ふと思い立って、雑草の山に近づく。改めて一つ一つ見ていくけれど、この村には必要のない物ばかり。一応用途のあるものもあるけれど、現状では使わないだろう。本当の意味で雑草だ。
 そんな都合良くいかない、か。

 淡い期待が裏切られたことに思った以上の落胆を覚えつつ、最後にこれだけと足元に落ちていた黄色い小さな花の記録を検索した。

「アスト、ちょっと生徒たちに遅れるって伝えてきてくれる?」
「ん、りょーかい。一応詠唱は聞かれないようにね」
「分かってる」

 最近知ったのだけれど、一部では魔女や魔法使いは迫害されているらしいから、念のためだ。それにどうせ、これから魔法を使う場所には村人は来ない。猟師さんなら可能性があったけれど、今は私の借りている家の方にいるはず。

 アストと別れ、土地の記録を確かめながら森を歩く。先ほど見つけた黄色い花。あれ自体は、何の薬効も無い、お茶にするのがせいぜいの物だった。けれど、あの花の原種、正確にはその球根が食べた動物の体温を急激に下げる毒で根ごと食べつくされる事を防いでいたらしいのだ。体温を急激に下げる、つまりは解熱作用。求めていたモノだ。

 漸く見つけた。育てるにはこの世界固有の粒子、魔素の豊富な土が必要らしいが、今この村にはスライムがいる。魔素はスライムでは分解できないので、雑草の山でも食わせれば大量に排出してくれるだろう。

「あった、ここね」

 目的の場所は十分程で見つかった。かつての群生地だ。
 村人のものも含め、周囲に危険な気配がない事を確認してから息を整える。
 そして唱える。世界に捧げる、祈りの言葉を。

「『大地よ、聞かせておくれ、その悲しみを。空よ、見せておくれ、その喜びを。私は知りたい、世界の記憶を」
 
 私を不老たらしめる膨大な魔力が渦を巻き、突風を巻き起こす。この世の理から外れた現象を具現化しようと、理という名の(くびき)を揺らす。

「代わりに捧げましょう、この魔力を。求める智慧よ、今ここに [記憶再現(メモリーリナクト)]』」

 そして新たな理、魔法の名を告げたことを切っ掛けとして、この世界の記録を今この瞬間に、この時間のものとして引き出した。
 指定した半径十メートルほどの範囲にたくさんの芽が出て葉を伸ばし、可憐な紫色の花を咲かせる。それは色こそ違えど、少し前に手にした小さな花に間違いなかった。

「ごめんなさいね」

 小さく息を吐き、一言謝ってからいくつかを球根ごと採取する。
 それから数日、求めた薬は完成した。

「今夜は恩人殿の滞在なさる最後の夜。みな、好きに飲み、騒いでいくつもの恩と共に記憶へ刻みつけよ」
「おお!」

 日の暮れてすぐ、村人たちと私は篝火に照らされる村の広場に集まった。村長さんの掛け声と共に掲げたコップを、次々とやってくる人々と打ち鳴らしては呷る。

「嬢ちゃん、良い飲みっぷりだな! ほれ、酒はまだまだあるぞ!」
「ええ、ありがとう」

 薬の作り方とあの花を含めた材料の栽培を方法を伝え終え、この村でやる事は無くなった。明日の朝、私たちは出発する。
 なんだかんだ長く過ごすことになったからか、少しばかり寂しさを感じるけれど、今はそんな事忘れよう。せっかく約束通り、こんな宴を開いてくれたのだから、楽しまないと。

「ソフィア、これ美味しいよ」
「うん。貰うけれどアスト、口の周りが凄い事になってるわよ?」
「うぇっ?」

 慌てて前脚で拭っては舐めるアストが微笑ましい。
 そのアストが器用に尻尾は乗せて運んでくれた皿には、素朴ながら色味の綺麗な村の宴会料理。野菜類と肉を色んな香辛料で炒めたものみたいで、確かに美味しい。ご飯が欲しくなる。今飲んでいるお酒が辛めのスピリタスを牛乳で割ったようなものだから、香辛料の辛みを中和してくれて良い感じ。

「お姉ちゃん、注いであげる!」
「ありがとう」

 うん、美味しい。
 勝利の美酒というやつかしら? この子たちの笑顔を守れたのだと思うと、いっそう美味しい。
 正直、最初の村長さんの忠告に従ってさっさと出発をしても良かった。けれど、そうしたら私はずっと後悔していただろう。彼らを助けられる知識と能力があったのにと。

「知識は道具、ね」
「そうだね」

 何となしに呟いた言葉に、アストが応えてくれる。
 道具は、使わなければ意味がない。

 ふと見ると、さっきの子がお母さんらしき人に頭を撫でられている。嬉しそう。
 前世の家族のことはもう覚えていないし、思い出す気もない。私の家族は、皿に顔を突っ込んでまた口の周りを汚しているアストだけ。

 一般にはあまり知られていないけれど、亜精霊にも寿命はある。人間種族からすれば途方もない時を生きるけれど、それでもいつかは終わりが訪れる。
 寿命の無くなった私とは違う。

「ちょ、急に何!? 抱きしめられてたら食べられない!」

 その時が来て、大きな後悔を残さないように、私の持てる限りの知識で守ろう。私の唯一の家族を。
 少しでも、独りの寂しさが紛れるように。
「んっ……ふぅ。流石は王都。入るだけでこんなに並ぶなんて」

 病に苦しむ村を出て、数ヶ月。私たちは漸く、王都エルデンに到着した。流石は世界最大の森に接する中で最大規模の国と言うべきか、街に入るだけで二時間くらい並ぶ事になってしまったのだけれど。

「こんな事なら、もう少し依頼を受けてたら良かったね」
「そうね……」

 つば広の帽子から顔出したアストも何処(どこ)となくぐったりした様子。並んで待つだけというのが精神的に疲れるのはよく分かる。
 彼の言うようにもう少し依頼を受けて、Bランクになっていたら、こんなに待たなくて済んだのだけれど。

 ちなみにAランクなら貴族用の門が使えるらしい。それだけギルドに信頼と権力があるという事なのだろうが、まあ、当然か。本物の神がトップに居ると王族達は知っているのだから。

「それより、早く宿に行こうよ。ここは人が多くて嫌だ」

 確かに、日本の政令指定都市と同じくらいには人が行き来している。三階建てより高い建物も少なくは無く、都会然とした街だ。所々にはガラスも使われているし、ずっと森で暮らしていたアストは慣れない空気だろう。

「宿に行くのは良いけれど、またすぐ出るわよ?」
「えぇっ!?」
「ちょっと、前見えない」

 顔に覆い被さるように身を乗り出すアストを掴んで地面に下ろす。彼はよほど休みたかったみたいで、私と同じアメジストの瞳にありありと不満の色を浮かべていた。

「当然。やっと物語にありつけるのよ? 休んでなんて居られない」
「明日でいいじゃん!」
「だーめ」

 私がどれだけこの日を待ち望んでいたか、アストだって知っているでしょうに。別に宿で待っていても良いと言ったのだけれど、それは嫌らしい。

「だって、絶対長い。暇」
「否定はしない」

 生活に支障のない範囲で買えるだけ買うつもりだし。まあ、どこか照れたような様子を見るに、他にも理由はありそうだけれど。

「ふふ」
「……なにさ」
「いーえ?」

 後ろで手を組んで、一層機嫌の良くなったのを自覚しつつ少し足を早める。自分の反応が少し意外だけれど、これも悪くない。

 そうして歩いていると、先の方に人集りが出来ているのが見えた。どうやら何か演説をしている人がいるみたいだけれど、広場になった場所という訳でも無いから少し邪魔だ。アレを迂回しなければいけないせいで、人口密度が凄いことになっている。お祭りで良くある様子だ。

「なんの話をしているのかしら?」
「さあ?」

 王政のこの街で選挙は無い筈だし。
 なんて考えていたけれど、アストは興味が無いらしく、さっさと帽子の中に避難してきた。
 私としては、変な運動なんてされていたら本を買うのに支障をきたしかねないので、一応確認しておきたい所だ。

「あれは、闇森妖精族(ダークエルフ)ね?」
「ん、ダークエルフ?」

 これまで見た事のない種族に多少興味が湧いたみたいで、アストが顔だけだす。実際、少数種族ではあるが、このエルデア王国の王都ともなれば当然のように居るらしい。

「ねえ君、猫妖精(ケツトシー)はもっとしっかり隠れていた方がいいよ。アレ、エスプレ教の演説だからさ」

 不意に、後ろからそんな声をかけられた。
 声の主を確認する前に帽子を深く被り直し、アストを隠す。抗議するような声が聞こえたけれど、気にしない。

「――精霊様こそ私たちの生活を支え、お守りくださっているのです! 確かに三女神はこの世界を創りたもうた! ですが、最も感謝し敬うべきは精霊様以外にありませぬ! さぁ、今日を生きられる幸福を精霊様に感謝いたしましょう!」

 中年を過ぎた男の声だ。私の身長では顔は見えないけれど、妖精種であるダークエルフならある程度容姿は整っているだろう。言っている事も、何も邪険にするような話ではない。事実、主にこの世界の均衡を保っているのは女神に直接生み出された大精霊達だ。

 それでも、エスプレ教と私が相入れる事は無い。

「どーしてアイツらは亜精霊様を嫌うんだろうね? 亜精霊様も精霊様も、殆ど変わらないっていうのに」

 僅かな嫌悪感を見せながら声の主は言う。
 そう、それが私のエスプレ教を避ける理由。彼らはアストのような亜精霊を蛇蝎(だかつ)の如く嫌っている。迫害すらしている。家族を害す相手だ。私の態度も当然だろう。

「ありがとう。助かったわ」
「いいのいいの!」

 礼を言いながら、私は初めて声の主の女性の方を見た。そこにいたのは、綺麗な黄緑色の瞳をした真っ白な髪の可愛い女の子。肩に届かないくらいの長さの髪から覗く耳は尖っており、肌は陶磁のように透き通っている。身長は私より少し高いくらいか。

森妖精族(エルフ)……。なるほど、あなた、スピリエ教なのね」
「そそ! それじゃ、また会お、人形みたいお姉さん! 今度は私の友達も紹介してあげる!」

 颯爽と駆けていく彼女は、よく見れば冒険者のようで、斥候役がよく着ている胸凱(ブレストアーマー)を纏っていた。それでも絵になるあたり、流石はエルフと言うべきか。
 彼女とは、また縁がある気がする。不思議な予感を抱きながら、私も足を早めてその場を離れた。


「で、結局なんなのさ、そのエスプレ教とかスピリエ教とか」

 宿を決め、借りた部屋に入ってすぐにアストが聞いて来た。そういえば説明していなかった気がする。

「どちらも三女神信仰から分かれた精霊信仰よ。スピリエ教の方は割と穏やかなんだけれど、エスプレ教は少し過激ね。それと、亜精霊を神たる精霊を騙る紛い物として忌み嫌ってる」
「ああ、なるほどね。僕らは精霊を騙っている訳じゃ無いんだけどなぁ。実際、生まれは近いし」
「まあ、信じたいものを信じるのが人間だから」

 そういう物かなぁ、なんて不思議そうに呟く彼に、少しばかり胸の内のモヤモヤが晴れる。
 あまり気にしても仕方のない事だし、あの気配は覚えた。近くにいたらアストを隠す事だけ留意しておこう。

「さて、それじゃあ本屋さんを探しに行きましょうか」
「ホントに直ぐだね。一息つく暇もない……」

 まだ不満そう。いい加減諦めたらいいのに。
 部屋の設備確認は、まあ帰ってからでいいか。王都のそこそこの宿だから、それなりに魔道具も使われているだろうけれど、日本の宿を基準にしたら微妙と評価する域を出ないだろうし。

 そんなわけで渋るアストをさっさと帽子の中に押し込み、宿を出る。宿の人曰く、本屋さんは街の中心部の方にあるらしい。まあ、技術書や歴史書の類だって高価なんだし、貴族や豪商の多い地域に店を構えるのは当然か。

 それにしても、このエルデンの街はアインスの街とは随分建築様式が違うように見える。石材が主に使われているのは、森からの距離を考えるとおかしくは無いのだけれど、あちらよりも建物の形自体がシンプルで屋根の傾斜も大きい。
 侵略の歴史、というやつだろうか。この辺りとアインスのある辺りは元々別の国だったようだし。この世界は魔力濃度で環境が決まるから、魔力濃度が高く温暖で肥沃で南部に向けてエルデア王国が侵攻したらしい。何百年も前の話で、もう殆ど確執なんかも残っていないみたいだけれど。

 私がアインスからエルデンまで来るのに地球の暦で半年以上掛かったのは、結果的にこの国が南北に長くなってしまった為だ。
 まあ、それは良いとして、これ以上北に行くのなら寒さへの備えも必要になるかもしれない。ぶっちゃけ魔導でどうにでもできるのだけれど、それっぽい恰好は必要だろう。TPOというやつだ。

 余談だけれど、この世界は創世の経緯が理由で平面世界になっている。それでも四季があるのは、嘗ての惑星としてあった旧世界に合わせて女神や精霊たちが環境を整えているからなのだとか。

 閑話休題。

「アスト、本屋、見つけたよ」
「ふーん」

 帽子から顔をのぞかせる気配はなし。思った以上に拗ねているらしい。仕方がない、売ろうと思っていた質の良い魔石を一つあげよう。

「これ食べていいから、そろそろ機嫌を直してくれない?」
「……ソフィアがそこまで言うなら、仕方ないなぁ」
「ありがと」

 漸く帽子から出て、肩の上で美味しそうに浮かせた魔石を舐める様子を見るに、本当に機嫌を直してくれたらしい。ちょろい。身体も幼体だけれど、精神的にもまだまだ子どもみたい。
 かく言う私もアストにはなんだかんだ甘いのかもしれないけれど。

 なんてやり取りをしている間にも本屋に着。今の私は、傍目にもご機嫌なのが丸分かりだろう。口角が限界まで上がっている感覚があるし、傍のお店の窓ガラスに映った私の瞳が明らかにキラキラとしていた。油断をすれば鼻歌を歌いだしてしまいそうだ。これではアストの事を言えない。

「失礼、身分証を拝見しても?」

 そんな私を、店の入り口で止める声が。
 襟の閉まった小奇麗な恰好をしているが、このお兄さん、身のこなしが明らかに只者ではない。徒手空拳の達人とか、そんな感じだろうか? 武器をどこかに隠し持っているのかもしれないけれど、どちらにせよ、その辺りのゴロツキなら涼しい顔でひと捻りにしてしまうだろう。

 まあ、品質のいい紙は材料の種類を問わず簡単に量産出来ないらしいし、本にもなると装丁にも手が込んでいて下手な宝石より貴重みたいだから、こういうチェックがあってもおかしくないか。ギルドの筆記試験で使ったような紙になると途端に一山いくらとなるようだけれど。

「これでいい?」
「お預かりいたします。……他の身分を示せるものはお持ちでなかったでしょうか?」
「ええ、それだけよ」

 ふむ、これは、もしかしてしまうのだろうか。
 
「失礼ながら、あなた様は当店に入店いただくには資格が不十分なようです。こちらはお返しします。どうぞお引き取りください」

 もしかして、しまった。
 嘘でしょう? ここまできて、入店すらできないだなんて。この扉の向こうに、物語が溢れているというのに?

「ソフィア、落ち着いて。色々漏れてる」

 ……はっ。危ない。私としたことが、魔力やら殺気やらが駄々洩れになっていた。お兄さんは表情一つ変えていないが、よくよく見れば脂汗を滲ませている。不老になってしまう程の魔力を殺気と一緒にぶつけてしまったのだ、当然か。

「ごめんなさい。少し、動揺してしまったわ」
「少し?」

 ええ、少しよ。

「いえ、お気になさらず。それほどのお力をお持ちでしたら、すぐに当店をご利用できるようになると思われます」
「そうなの?」
「はい。冒険者ランクB以上の方でしたら十分に資格有りと見做されますので」

 ここでもBランク。
 これは、冒険者の仕事をサボっていた付けが回ってきた感じかしら。

「ありがとう。また来るわ」
「お待ちしております」

 たしか、前に仕事をした時に昇級が近いと言われた記憶がある。こんなことならもう少し依頼を受けておけばよかったと思うけれど、ぐちぐち言っても仕方がない。早速ギルドに行ってみるとしよう。

 そう思って踵を返そうとしたら、嫌な気配を感じてしまった。

「アスト、隠れて」
「ん、了解」

 帽子を持ち上げてアストが隠れたのを確認し、振り返るのと、そいつがこちらに気が付くのは殆ど同時だった。危ない。

「ふんっ、資格を持たずに来た身の程知らずか。どけ、貴様のような下賤の者が来る場所ではない」

 予想通り、そいつの容姿は整っていた。けれど、中身は真逆だったらしい。

「嫌な奴」

 アストが小さく呟くのが聞こえた。
 私が素直に従って場所を譲ったら、そいつはフンと鼻を鳴らし、エスプレ教の教会の聖印をお兄さんに見せる。確かあれは、司教のモノだったか。

「ゼレガデ様、いつもご利用ありがとうございます。どうぞお通りください」

 お兄さんの言葉を無視して、ゼレガデと呼ばれたそのダークエルフは店の扉を潜っていった。その向こうには、沢山の本。

 よし、急いでギルドへ行こう。善は急げだ。

「アスト、もう良いわよ」

 早足でギルドのある方へ向かいながら声をかけると、彼はひょこりを帽子から顔を出す。ただ自分で歩く気は無いようで、辺りを見回した後その体勢のまま落ち着いてしまった。

「ソフィア、全然気にしてないの? さっきのあれ」
「うん? ああ、ゼルなんとかってダークエルフのこと?」
「ゼレガデね」

 一文字目しかあっていなかった。まあ良いけれど。

「だって、あんなの相手にするだけ無駄じゃない。放置しても害があるわけでもないし、無視してい置けばいいのよ」
「寛大すぎ」
「そういう訳ではないんだけれど……」

 どちらかと言えば、これは傲慢さによるものだろう。少し大きな蟻が足元で草を鳴らしたとして、怒る人間がいないのと同じこと。
 態々口にはしないけれど。

「そんな事より、ギルドはどこかしら? こっちの方だって聞いたのだけれど」
「あの建物じゃない? 血の匂いが濃いし」

 アストの指さした先にあるのは、周囲より明らかに広い建坪の大きな建物。他と同じように石材を積み上げたシンプルな造りの建物だが、魔導的な防御が段違いの強度で施されている。近づいてみると、冒険者らしき人々ばかりが出入りしているのが見えたのでギルドに違いないだろう。

「ギルドはいざという時の避難所にもなっているって聞いたけれど、さすが王都ね。これの維持にどれだけの魔石を消費しているのかしら?」
「ソフィアなら自分の魔力だけで維持できるでしょ」
「それは、そうね」

 何を張り合っているのやら。思った以上にさっきのアレを気にしているらしい。資格を持っていなかったのは間違いないというのに。
 そんな風に呆れていると、覚えのある気配がギルドから出てきた。

「あ、さっきのお姉さん!」

 あちらも私たちに気が付いたみたいで、駆け寄ってくる。連れはいないみたいなので、彼女もソロなのかもしれない。
 
「こんにちは、スピリエ教のエルフさん」

 どことなく子どもっぽいから、見た目通りくらいの年齢なのかもしれない。長命種は人族よりも精神の成熟が少し遅いらしいから。低身長の私をお姉さんと呼んでいるのもあるし。

「こんにちは。また会えて嬉しいな!」
「ふふ、ありがとう。あなたは、依頼の報告でもしてきたのかしら?」
「そそ! お姉さんは? 依頼を受けるにはもう遅い時間だよね」

 たしかに、もう碌な依頼は残っていない時間だ。正直気が流行っていたのは否めない。

「ちょっと急ぎでランクを上げる理由が出来たから、さくっと常設以来でも(こな)そうかと思ったの」
「ふーん? お勧めのやつを教えられたら良かったけど、私も最近来たばかりだしなぁ?」

 純粋に力になろうとしてくれているみたい。良い子そう。こういう子は甘やかしたくなってしまうけれど、急には不審者か。がまんがまん。

「大丈夫よ。ありがとう」

 そう微笑みかけたのだけれど、彼女は不満らしい。私、彼女に何か気に入られるような事しただろうか? アストがいるから? 下心は無さそうだけれど、不思議ね?

「あ、そうだ! 今度一緒に依頼を受けない?」
「まあ、それは別に構わないんだけれど……」
「やった! それじゃあ早速……って、用事があるんだった。細かい話は明日、ギルドでしよ!」

 私が頷くのを見るや否や、彼女は走りだす。そして呼び止める間もなく人ごみの中に消えてしまった。


「……なんていうか、嵐みたいな人だったね?」
「そうね。明日のいつとか、ランクとか、まだ色々話したかったのだけれど」
「名前すら聞けてない」

 まあ、悪い印象は受けない。アストも毒気を抜かれたみたい。
 時間については、朝にでも行けば良いだろう。大概の冒険者がギルドに集まる時間だ。ランクは、登録したてでもなければ私とあまり変わらないと思う。予想される実力的に。

「とりあえず用事を済ませましょ」

 結局、手持ちにある薬草の納品依頼があったのでそれで済ませた。まだ昇級には足りなかったけれど、焦る必要はない。のんびりやろう。

 翌日、ギルドの酒場でお茶を飲みつつぼんやりとしていると、一杯目の半分も飲み終わらないうちに尋ね人は現れた。アストはようやくココアが飲める温度まで下がったところだったから残念そうだったけれど、話している間もまだ飲めるでしょうに。
 こちらに向かってくるエルフの彼女と目を合わせながら今飲んでいるお茶と料理を頼む場所を順に指さして、何か飲み物を用意するように伝える。
 意図は、ちゃんと伝わったみたい。彼女は何かの果実ジュースを持ってやってきた。

「おまたせー。ごめんねー、昨日はバタバタしちゃって」
「気にしてないわ」

 長机の向いに座った彼女は眉を八の字に曲げており、本当に反省している様子。実際まったく気にしていないし、さっさと水に流す。

「改めて、私はティオルティカ。十九歳のCランクよ」
「同じくCランクのソフィエンティアよ。こっちはアスト。よろしくね」
「ん、よろしく、ティオルティカ」

 やっぱり若かった。まあ、この世界の情勢を思えば精神的に成熟しやすい環境ではあるし、日本の感覚であれば歳相応かしら?

 というかアスト、また口の周りが凄い事に。急いで飲もうとするから……。
 拭いてやりつつ、話を進める。

「それで、どうする? 今日行く?」
「私はそのつもりだったから準備できてるけど、ソフィエンティアは?」
「私たちも大丈夫よ」

 正直、そんな気はしていたから。そうでなくても、私たちは私たちで依頼を受ければいいし。

「それじゃ、サクッと打ち合わせといこ!」

 打ち合わせと言ってもお互いの戦闘スタイルを共有して役割を決めるくらいだったから、お茶を飲み終わる位には終わった。魔導主体のティオルティカが後衛で私が中衛、アストが前衛だ。ティオルティカもソロで活動しているだけあってある程度剣が使えるし、私が後衛でも良いのだけれど、いきなりアストのすぐ傍で彼女に剣を振るえというのも難しいから。
 
 だいたい同じタイミングでコップを空にした私たちは、並んで依頼を見に行く。今は、いわゆる美味しい依頼はもう残っていないけれど十分にリターンは見込める、そんな時間だ。

「うわ、これ凄い報酬額。遺跡調査の護衛だって。Cランク以上って条件なのに」
「ほんとね。まだ貼りだされたばかりみたい」

 彼女の示した依頼は、額だけで言えばAランクの依頼でもおかしくはない。
 ただ、急造の少数パーティで護衛依頼は厳しい。それに何日もかかる可能性があるから、最初の依頼としてはイマイチね。

 彼女もそう思ったようで、もう別の所を見ている。
 
「ん-、あっ、この辺はどう?」
「そうね、日帰りならそのどれかかしら」

 採取依頼か討伐依頼かってところね。どちらでも良いと言えばどちらでも良いのだけれど……。

「アスト、どれがいい?」
「じゃあ、これ。こいつの魔石美味しかったから」

 死魔霊(リツチ)の討伐依頼……。そういえば以前、どこかで倒したリッチの魔石を美味しそうに食べていた気がする。アストは闇の精霊に近い存在だし、負の方向に魔力を活性化させたアンデッドの魔石が体に合うのかもしれない。
 リッチ自体Bランクの魔物であるし、推奨のランクもBの依頼となっているが、一応受けられる。
 問題はティオルティカだけれど……。

「いいんじゃない? 私達なら正直、余裕でしょ」
「じゃあ決まりね」

 少し(かかと)を上げて、依頼表に手を伸ばす。その上から知らない手が目的の依頼表を掴むのが見えた。

「ほらよ、嬢ちゃん」
「ありがとう」
「おう」

 筋骨隆々とした壮年の戦士だった。お兄さん、というには少しごついかな。角刈り金髪に青い瞳で、たぶんBランク。
 彼はさっきの遺跡調査の依頼を持って、仲間らしき二人の男性の方に歩いていく。槍使いと、弓を持った彼は斥候役かな。

 まあいいか。取ってもらったやつ、受付に持って行かないと。

 目的の地下墓所に着いたのは、陽の作る影が一番小さくなるころ。もう少しかかるかと思ったのだけれど、ティオルティカも自力で飛べたからかなり時短できた。近くの村で食事を摂る余裕があったくらいだ。
 標的のリッチは墓所の奥の方、死者の穢れを浄化する為の神殿の辺りにいるらしい。

「凄いね。なんでこんな所にお墓を作ったんだろ?」
「魔物対策じゃないかしら? この国は死者を不浄とする思想が強いみたいだから、村の中には墓地を作りたがらないだろうし」
「へぇ、ソフィエンティアって物知りなのね」

 『智慧の館』のおかげね。自然の理に反する事に強い忌避感があって、死を自然じゃない状態と考えているから、みたいな説明をつらつらしても仕方ないか。
 兎も角、その想念が地下で淀んだ空気中の魔力を闇属性に変質させ、更にはアンデッドを生み出す魔導でして作用した、というのが私の予想。だから今回リッチを討伐したとしても、また何かしらのアンデッドが発生する事になるだろう。

 そんなことを言ってアストとティオルティカのやる気を削いでしまっては良くないから、黙っているけれど。

 なんてぼんやり考え事をしながら暗い墓地内を進む。私たちは皆夜目が効くから、時折あるまだ火の点いたままの松明だけで十分先を見通せる。リッチが現れる前は定期的に村人が訪れて松明に火を灯していたのだろう。消えた松明には少し前まで使われていた形跡があった。

「魔物はいなさそうだね」

 アストの感覚にも引っかからないのね。誰も村人が訪れなくなってからそれなりに経っていると聞いていたから、入り込んで住み着いた魔物なりリッチと同じように発生したアンデッドなりがいてもおかしくはないと思っていたのだけれど。

「ねえ、ここの魔物の掃討依頼とかあった?」
「え? いや、見てないけど、なんで?」
「いえ、ちょっと、気になる事があって……」

 まさかとは思う。ただ、偶々かもしれないし、神殿があるのなら万が一の可能性、だと思う。周辺の魔物もリッチの気配に怯えてここへ侵入していないだけ、だと思いたい。

「気になる事と言えばここ、小精霊が全然いないよね。奥に行くほど少なくなってる」
「そういえば。あの子たち、割とどこにでもいるんだけどなぁ」

 言われてみれば、普段ならそこ彼処から感じる気配が殆ど感じられ無い。アストのように目で見ることは叶わないので、言われるまで気が付かなかった。世界の理を保つ役割を持った精霊の中で最も位の低く、力の弱い小精霊だが、その分世界を満たすようにどこにでもいるはずなのに。
 というか、だ。

「ティオルティカ、あなた小精霊が見えるのね」
「え、あ、うん。凄いでしょ!」
「本当に。私はアストと契約をしても見えないままだったわ」

 存在を感じること自体は元々出来ていたのだけれど。

「でもそうすると、ここじゃあ精霊魔術はあまり使えないのね」
「そこは大丈夫かな。うん、ここなら人目も無いし、そろそろ紹介しておくね」

 紹介、なるほどね。彼女の意図している意味は分かったけれど、口は挟まずに待つ。私の視線の先で彼女の魔力が動き、中空に魔方陣を描いた。それは、召喚の魔術に使われる陣だ。

「『契約に従い、呼び求めん。契りを結びし我が輩(ともがら)を。[召喚] 風の精霊アネム』」

 普段の明るい声とは違う、歌うような透き通った声で紡がれた呪文に呼応して魔方陣が光る。そこから出てきたのは、見た目は中学生くらいで人の手サイズの女の子。感じる力はアストの倍近い。
 風の精霊、なるほど。私とは違う飛び方をしているとは思っていたけれど、このレベルの風の精霊と契約できるような素養を持つなら納得ね。たぶん本人はちゃんと分っていないけれど。星と星の間を満たすアリストテレスの第五元素、か。魔力の物質体である魔素だけでも摩訶不思議なのに、エーテルが実在する世界だなんて。実際にはアリストテレスの提唱したそれよりも更に不思議な物質だし。

「紹介するね。前に言ってた私の友達で、風の中位精霊様のアネムだよ!」
「よろしくね、お嬢さんに、ぼうや」

 中位精霊……。思った以上の出会いだったみたい。小精霊の一つ上、下位精霊ですら契約出来たものは英雄の如き扱いを受けるのに、更に一つ上の中位精霊だなんて。しかも、上位精霊に限りなく近いのではないだろうか? 上位精霊の上はもう大精霊のみ。ティオルティカが人目のつかないこの場所に来るまでアネムを紹介しなかったのも頷ける。

「よろしく、ソフィエンティアよ」
「僕はアスト。よろしく」

 ぼうや呼ばわりでもアストが気分を害した様子はない。精霊からすればアストは赤子も同然だし、ぼうやと呼ばれる事にも納得しているらしい。

「ふーん? ティカ、面白い子たちと友達になったのね?」
「面白い? 可愛いじゃなくて?」
「可愛いのはそうだけど……。本当、あなたは可愛い子に目が無いのねぇ」

 中位精霊ともなれば、私の事もある程度察せるのね。どこまで察しているかは分からないけれど。ティオルティカに言う気は無いみたいだし、何でもいいか。

「それにしても、随分陰気な所に呼んだのねぇ。小精霊たちすらいない」
「そうなんだよねー。なんでだろ?」
「この先で小精霊たちじゃ巻き込まれてしまうくらいには理が歪んでしまっているからねぇ。あれはどうにかしないと。サッサと行きましょ」

 思いがけず懸念が当たっていると証言されてしまった。小精霊を巻き込むような歪みで、そこにリッチ。その上で、落盤の危険がある地下空間だ。彼女たち精霊の役割に関わる事だからアネムも相応に力を貸してくれるだろうけれど、召喚の仕様によって力の制限された状態だ。覚悟は必要かもしれない。


 アストやティオルティカを不用意に緊張させないよう、平然を装ったまま奥に向かう。もう五分も歩かないうちに、目的の地下神殿に辿り着けると思う。
 周囲の魔力濃度は既に魔境と呼ばれるような地域並みに濃くなっており、地下空間であることを加味しても不自然だと誰の目にも明らかな状態だ。このくらいになると、弱い魔物の魔力では紛れてしまって分からなくなる。

 だけれど、それはここに入り込んだ魔物の気配を確認できないのとは関係ないだろう。

「これ、本当にリッチ?」

 ティオルティカの呟きには、誰も返さない。正直、私にも分からない。リッチの気配に近いのは確かだけれど、それよりももっと歪で気持ちの悪い、強い気配。

「一つ確かなのは、下手なCランクがこの依頼を受けなくて良かった、てことかしら」
「そうねぇ。魔力だけならワタシと同じくらいありそう」

 中位精霊と同等となると、最低でもAランク。勿論それだけでは戦闘力は決まらないけれど、Cランク程度の力なら発せられる魔力だけで身動きが取れなくなってしまってもおかしくはない。

「そこを曲がった先だよ。匂いは広い空間の真ん中あたり。向こうも気付いてそうだけど、変な感じがして自信ない」
「気付かれていると思いましょう。それじゃあティオルティカ、打ち合わせ通りまずは周りの補強で」
「うん。アネムはアストと一緒に牽制をお願い」

 アネムが了承の返事をするのを確認して、アストとアイコンタクトをする。

「いくわよ。いち、に、さん!」

 角を飛び出し、アストの言っていた広場へ飛び出す。目に入った標的は、リッチと同じ、ぼろぼろのローブを纏った人型のアンデッド。生前は墓守だったのか、大きなスコップを手に持っている。肉体への魔力の浸透具合からして上位種の古代死魔霊ではないが、普通でないのは間違いない。

「グルルァァア!」

 魔力を動かし、魔術を使おうとしたリッチへ向けて、巨大化したアストが飛び掛かる。リッチはスコップでこれを受け止めたけれど、ライオンの倍はある猫精霊の爪はその眼前にまで迫っていた。

 でも押し込む前に魔術で反撃されるだろうから、急いで魔術を発動。ティオルティカと二人で壁や奥の神殿を補強する。思った以上に強そうだから、念入りに。

 そうしている間に反撃の氷槍でアストが飛び退かさせられたけれど、リッチは次の行動をする前にアネムの風で吹き飛んだ。

「こっちは完了」
「こっちも大丈夫! ちょっとやそっとじゃ崩れないよ!」

 よし、これで準備は整った。本気の魔導は怖いけれど、このメンバーなら大丈夫。魔法は、どの道使えそうにない。ざっと土地の記憶を見た感じ、有効なものは無かった。

 タイムリミットがあるとすれば、ティオルティカの魔力残量か。召喚の都合上、アネムの行使する魔導の魔力を賄う必要がある。

「ソフィア、近づくと魔力を吸われる感じがする! 僕の魔力消費量、多めに考えて!」

 面倒な。彼の巨大化は半分魔力で身体を形成される特性を利用して再形成したものだ。触れる度に身体を構成する魔力を吸われるなら、アレと接触する度に再形成に魔力を使う事になる。

「ワタシは触れちゃダメなやつねぇ。アストくん、ソフィアちゃん、ティカの方に通しちゃダメよー」
「心配しなくてもそのつもりよ」

 とりあえず、使うなら光の魔術かな。拘束するにしても既存の実体を使わないといけなくて面倒だし、ひたすら攻撃で。

 まずは、[光槍]。数は一。
 暗い墓所内を照らしながら、光というエネルギーの塊が飛翔する。普段ならレーザーのような熱の攻撃として使う事が多いのだけれど、今回は正の方向への活性化という属性本来の力を与えるようにしてぶつける。アンデッド以外にぶつけるなら魔力なら何なりの暴走を無理やり引き起こしてダメージを与える使い方。これを闇属性による負への活性化の効果を使って存在を保つアンデッドにぶつけると、それぞれの効果が相殺されて生命力を直接削ぐような結果になる。

 さて、効果の程は……。

「魔力の吸収は一定量ずつ継続的に。近いほど強い」

 次は数を増やす。
 二本、一緒。三本、一緒。四本、これも一緒。
 同時にティオルティカやアネムの撃ち出した魔術も同じような結果ね。

「数は関係なさそう。次は魔力密度を上げるわ」

 観測結果を共有しつつ、飛んでくる氷の槍を躱す。今の所被弾ゼロ。こちらの魔術は、いくつかは直撃しているので、このままごり押せそうではある。

「密度が高いと吸収効率が落ちるみたい」
「おっけー、了解!」

 二人の手数が減って、代わりに一撃あたりの魔力量が増えた。
 うん、このまま押し切れる。

 と思ったのだけれど、安心するのは早すぎたみたい。

「うわっ!?」

 アストが弾き飛ばされ、私に向かってくる。急に力が増した。身体強化? 魔法主体に見えたけれど、違ったのね。
 一先ずは回避。見た目よりは軽いとはいえ、それなりの重量だ。潰されては敵わない。
 アストはアストで身を捻って着地するから問題無し。

 リッチは――くっ!

 視界を埋め尽くすスコップを杖で受ける。アストの体に視界を塞がれた一瞬で肉薄して来たらしい。咄嗟のことで受け止めるのが精一杯だった。
 押し返そうと力を込めるけれど、びくともしない。代わりに地面が凹む。

 だめだ、せめて体勢を立て直さないと、押し切られる!

「このっ……!」

 強化に使う魔力量を増やし、どうにか反っていた上体を起こす。そのまま逆に押さえ込もうと更に強化、しようとしたところで、杖を伝わる違和感に気がついた。
 考えるよりも先に力を抜き、後ろへ跳ぶ。その私の鼻先を掠めたのは、リッチのつま先だ。

 安堵する間もなく飛来した氷の槍を杖で弾く。見ると、後ろから襲いかかろうとしたアストが急停止して裏拳をやり過ごしているところだった。

 さっきまでより数段早くて強い。ティオルティカの精霊魔術も躱されているし、あのリッチの生前は近接が本職なんだろう。始めに魔術ばかり使ってきていたのは、小精霊を取り込んだ影響かしら。

「アスト! 射線を遮る様に誘導されてるわ!」
「分かってるけど、さ! あーもう! ちょこまかと!」

 私は長い付き合いだから、辛うじて彼を避けて魔導を撃てているけれど、ティオルティカは手をこまねいている。その私の魔法も決定打は無し。
 仕方が無い。杖術はあくまで補助なのだけれど、相手はスタミナ切れの無いリッチ。このままでは直ぐにじり貧になってしまう。


「跳んで!」

 アストの背に隠れる様にして一足飛びに接近。そのまま袈裟の方向に杖を振り下ろす。
 魔力の隠蔽も無しにした事だ。当然の様に躱されるけれど、それでいい。接近中から後ろで見ていた彼女なら、リッチよりワンテンポ早く、次の一手を打てる。

 私の期待は、裏切られない。後方より飛翔する真空の刃がリッチへ吸い込まれ、その腕を穿つ。そうして切り飛ばしたのは、主にスコップを握っていた方の腕だ。
 
 畳みかける様にして杖を翻し、真一文字に凪ぐ。
 身を屈め、なおも突撃してくるリッチの眼前には光の槍。光属性に偏らせ高密度の魔力塊として発動した魔導の術だ。効果は抜群、リッチの顔面を半分ほど消滅させる。

 このまま押し切る!

 杖を振り切った勢いのままに体を捻り、回し蹴り。半分となった腕によるガードも構わずたたき込む。
 思いっきり強化しただけ有って、この一撃はリッチの腕を砕き、肋骨にヒビを入れた。そのまま壁へ向けて一直線に飛んでいくリッチをアストが追う。そしてタックル。補強した壁が陥没し、リッチの体がめり込んだ。

 もう一押し。三度超高密度の光属性の魔力を使って術式をくみ上げ、魔導の術と為す。煌々と輝く光の槍、これで終わり。

 そう思って撃ち出したのだけれど、小癪にも障壁で受け止められてしまった。更にはリッチの骨の体が再生していくのが見える。
 これは、嘘でしょう?

「なんで高がリッチが神聖魔術なんて使えるのよ」

 物理現象に干渉するのが基本のこの世界の魔導で、たぶん、一番魔法らしい魔法。神の力の一端を借りて神秘を為す理の中の奇跡。それが神聖魔術。こんなBランクの魔物が使う様なものでは、決して無い。

 その認識をあざ笑うかの様な現実が今私の目の前にある訳だけれども。

「ティオルティカ、タイミングを合わせるわよ」
「おっけ!」

 先程と同じ魔導の行使。当然の如く障壁に遮られる。
 けれど確実にそれを砕き、道を作った。

 その道を辿るようにして先行放電(ストリーマ)が伸びるのが見え、慌てて口を開け耳を塞ぐ。
 直後、閃光が迸り爆音が地下全体を揺らした。

 振動が収まり、あたりが静かになる。けれど瞼を貫通した光に目を焼かれ、何も見えない。
 周囲に感じるのは、仲間達の気配だけ。

 ややあって視力が戻ると、リッチが居たはずの場所にはガラス化した土の壁があるばかりで、足下には歪に歪んだ魔石が一つ転がっていた。

「まったく、こんな所で雷の魔導なんて使ったら危ないでしょう」
「いやー、タイミング合わせて確実に仕留めるってなったら、これしか思いつかなくてさー。ごめんごめん」

 うっかり生き埋めになったり巻き込まれたりしてもおかしくなかったのだから、ちょっとくらい文句を言うのは許されると思う。アストなんて巨大化を解いた上でまだ耳を押さえて蹲っているし。

「まあ、結果オーライってことで!」
「仕方ないわね。はぁ……」

 とりあえず、リッチの討伐は完了したのだから良しとしよう。それにしても、本当に変なリッチだった。

「ん、アネム、どうかした?」
「ちょっと気になってねぇ……」

 ティオルティカの声に釣られてアネムの方に視線を移すと、彼女は神殿の中をのぞき込んで首を傾げていた。見た限り、死者を弔う場によくあるタイプの神殿でおかしな所は見受けられない。
 ああ、だからかしら?

「その神殿、ちゃんと働いていなかったの?」
「いいえ、そんな事は無いのよ。これ以上無くしっかりアンデッドの発生を抑えているわぁ」

 うーん、なるほど。確かにおかしい。それならここにリッチがいるはずが無い。それに、どうして理が歪んであんな不可思議な進化個体が生まれてしまったのやら。

「入って見ても良いかしら? 変な気配は感じるのだけど、ここからじゃよく分からないのよねぇ」
「だって。二人もそれでいい?」

 一応アストに方へ視線を向ける。頷いたので問題はないみたい。

「私たちは別に構わないわ。私も気になるところだし」
「ありがとー!」

 アネムとティオルティカに付いて私たちも神殿へ入る。入ってすぐの所は礼拝堂の様になっていて、左右には別の部屋への入り口がいくつか。思ったよりも部屋の数が多いみたい。

 うん? 何かしら、あの魔力の揺らぎは。ちょうど祭壇の上あたり?

「ここで儀式の真似事をしたおバカさんがいるみたいねぇ。何がしたかったのかはよく分からないけど……。召喚かしら?」

 なるほど、この揺らぎは儀式の跡なのね。他にそれらしきモノは見えないし、コレがあのリッチを生んだ何かで間違いなさそう。

「理を歪める様な召喚儀式、ね……。神でも召喚する気だったのかしら?」
「さぁ?」

 大精霊レベルであっても人間が呼ぶのは難しい。ティオルティカくらい親和度が高くても、一人では無理だろう。

「それで、コレは放っておいて大丈夫なの?」
「えぇ。コレくらいなら勝手に消滅するわ。おバカさんが何もしなければだけれどねぇ」

 核となる存在があれば別らしいけれど、中位精霊の彼女が言うのならそれも居ないのだろう。あのリッチがそうだったのかもしれない。彼女の言うおバカさん、この儀式の術者は別に居るはずだけれど、今ここに姿が無い以上どうしようもない。この依頼が出された時期と依頼主の村からギルドまでの距離を思えば、最近の事でもなさそうだし。
 何にせよ、私たちに出来る事はもうなさそう。

「ソフィエンティア、一応周りの部屋も見ていって良い? 何か残ってるかもしれないし」
「ええ、そうね。そうしましょ」

 ティオルティカも何か残っているとは思っていないようだけれど、念のためね。
 結局、特筆する様なモノは見つけられなかった。せいぜい、神話を描いた壁画があったくらい。暴走した古代竜と戦うこの国の初代王を描いたモノだ。

 そんな訳で、現在は昼食をとった近くの村の中。依頼主であるこの村の村長に報告するためだ。報告自体はもう終わったから、あとは帰るだけなのだけれど。

「あー疲れたー」
「そうね、思ったより大変だった。ここから街まで帰らないといけないと思うと憂鬱ね」

 アスト、げんなりしてるけれど貴方、飛んでいる間は杖の上で寝ているだけでしょう。

「壁画は綺麗だったから、得した気分はあるけどねー。あれ、実話なのかな?」
「そうみたいよ。まあ、神授の剣はただ付与が強力な剣ってだけみたいだけれど」
「ふーん。そんな国家機密みたいな話、どこで知ったの?」

 『智恵の館』で調べた、なんて言えない。んー、まあ、適当にごまかせば良いか。

「まあ、ちょっとね」

 冒険者ならこれで勝手に察してくれるはず。

「ふーん」

 うん、察してくれた。良かった。彼女のアネムの件もそうだけれど、冒険者ともなれば秘密の二つや三つ珍しくは無い。手の内を隠す的な意味でも。その辺りを探らないのは、業界の暗黙の了解というやつね。

「あ、ソフィア、帽子の中入るよ」
「ん? うん、どうぞ?」


 急にどうしたのかしら? ちょっと慌てた様子で入っていったけれど……って、なるほど。なんでこんな所にいるのかしら、あの男。えっと、名前は、セ? ゼ? ……忘れた。
 一緒に居るのは、今朝依頼書を取ってくれた人ね。ああ、そういうこと。

「あの依頼、スピリエ教からの依頼だったんだ。取らなくて良かったー」

 本当に。アレの護衛なんて、死んでもごめんよ。

「げ、こっちに来る……けどゼレガデは一旦別行動か。良かった」

 そう、ゼレガデだ。アスト、よく覚えてたわね?
 っと、冒険者の三人はこちらに気がついたみたい。

「よう、今朝の嬢ちゃんたちじゃねぇか。あんたらもこっちで依頼か?」
「ええ。もう報告も済ませて帰るところだけれどね」
「ほー」

 移動速度に違和感はあったみたいだけれど、スルーしてくれたみたい。それなりに経験豊富そうだし、当然なのかしら?

「あなたたちは遺跡調査の依頼だったかしら?」
「そうだな、それなりに長期間になるから、次に戻るのは早くて一週間後くらいか」
「そういえば、ここの村長がリッチの討伐依頼を出したって言ってたな。もしかしてそれか?」

 そう聞いてきたのは槍使いのお兄さん。金髪の剣士さんよりは若そうで気持ち体格も細め。どことなく似ているから、二人は兄弟なのかもしれない。

「そうね」
「お、じゃあもうリッチはいないんだな。正直助かる」
「あそこも行くのね」
「そうそう。なんか定期的に来てるみたいだな、あのダークエルフ」

 へぇ……。
 でも、依頼の事そんな簡単に話して良かったのかしら? と思ったら斥候役の人から怒られていた。まあ、そうよね。

「それじゃあ私たちはもう行くわ」
「おう、気をつけて帰ろよ」
「ありがとう、剣士さん。あなた達も気をつけて」

 杞憂なら良いんだけれど。そう思いつつ、私たちは帰路についた。

「それじゃあ、お疲れー。かんぱーい!」
「お疲れ様、乾杯」

 所変わって、エルデンのギルドの酒場。もうすっかり日も暮れて、晩ご飯時だ。

「それにしても、物語の本ねぇ。その為にランクを上げようだなんて、変わってる」
「いいでしょう、別に」

 言いながらアストを撫でるティオルティカ。猫なんかの可愛いものが好きなんだそうで、最初に声をかけてくれたのもスピリエ教である以上にそれが大きいみたい。

「悪いなんて言ってないでしょ」
「それもそう、ね。それより、美味しいお酒の飲めるお店とか知らない? チョコレートでもいいわ」
「お酒? 知ってたら今ここに居ないでしょ。チョコレートもだけど、そういうのは今度一緒に探そ」

 まあ確かに。彼女も私と同じくこの街の新参者だった。

「ええ、そうね。それも良いかも」
「でしょ! やった!」

 なんだか分かりやすく嬉しそう。悪い気はしない。特別急ぐ旅でもないし、またしっかり予定を立てよう。

「ティオルティカはどれくらいこの街にいるの?」
「そうね、あんまり考えてないかな。もういっかなーってなったら出発するつもり」
「私たちもそんな感じかしらね」
「ソフィアはめぼしい本を全部買ったらじゃないの?」

 そうとも言うけれど、あえて返事はしない。なんとなくアストの視線がじとっとしているし、素直に答えるのがなんとなく恥ずかしいから。

「ソフィアがこの調子なら、それなりに時間はあるんじゃないかな?」
「ふーん」
「……なんでティオルティカはニヤニヤしてるのよ」
「いやー? 可愛いなーって?」

 ティオルティカもそっち側なのね。まあ別にいいのだけれど。ええ。

 なんてやりとりをしている内に、頼んでいた料理もくる。元が別の国だっただけ有って、南部の街とは違った味わいだ。向こうは果実を使って甘めの味付けが多かったけれど、こちらはピリッとしたモノが多いというか。いつか立ち寄った病の村よりは薄めなんだけれど。
 果実の類いも一応あって、近くの森で採れるらしいイボイボした黄色い果実を摘まんでいる。街中では人が数人入りそうな大きな籠に沢山入った状態で売られていたのを見た覚えがあった。

「こういう地域の味も旅の醍醐味よねー」
「そうね、ティオルティカもそういうのが目的で転々としてるの?」

 冒険者の仕事上、同じ場所にとどまった方が仕事をしやすい。土地勘的にも信頼的にも。だから私の様に旅をしながらというのは、少数派だ。珍しいと言うほどでは無いんだけれど。

「そうよ。あとは、ほら、友達の事もあるから」
「ああ」

 アネムの事がばれるリスクを下げる為ね。下手にばれて国に囲われるのは避けたいタイプなのね。

「ティオルティカ、ソフィアの場合料理よりお酒だから。騙されちゃ駄目」
「騙すって……。否定はしないけれど」
「あはは、お酒も色々で楽しいよね」

 うん、ティオルティカは良い子だ。アストと違って。

「……なにさ?」
「いいえ?」
「まあ、良いけど」

 私だって料理も楽しんでいるんだけれど。特にチョコ。以外と地域でバリエーションがあって楽しい。でも、今のところ南部のチョコの方が好きかな。

 うん、偶にはこういうのも良い。アネムも人間のお酒が好きらしいし、探すなら個室のお店にしよう。

 疲れていた事もあって、この日は早めの解散となった。その後も何度か彼女たちと一緒に依頼を受けたり、約束通りお店探しに街を探索したりして、互いに愛称で呼ぶくらいの仲にはなった。彼女、ティカとアネムはアスト以外で初めてソフィアの呼び方を許した相手となる。
 そんなこんなでもうすぐ二週間。まだ昇級はしておらず、例の冒険者達とも再会はしていない。

「ちょっと遅くなってしまったけれど、まだ良い依頼はあるかしら?」
「どうだろ。ソフィアが遅くまで起きてるから」
「仕方ないじゃ無い。神話の項目が面白かったんだから」

 『智恵の館』に載っているのは図鑑的な文章で、物語としてはイマイチなんだけれど、その歴史の羅列でも一部の項目は物語の代わりとしてそれなりに楽しめる。神話と比較するように書かれているやつとか。そのせいで随分遅くまで読み(ふけ)ってしまった。
 要は自業自得なんだけれど、まあ、お金に関しては余り困っていないし、別にいいかな。

 ギルドは、まあいつも通り。依頼書の張り出されている辺りにもちらほら人がいるけれど、うーん、微妙なものしかないかもしれない。
 まあ、一応見てみよ――うん?

「なんか随分焦った感じで向かってくる気配があるけれど、これっていつかの斥候さんだよね?」
「そうね、他の二人はいないみたいだけれど、何かあったのかしら?」

 暢気(のんき)なやり取りをしている間に気配はもうすぐそこ。入り口の扉がバンと音を立てて開けられる。気配に気がついていた人も、居なかった人も、弾かれたように一斉に視線を彼へ向けた。


「はぁ、はぁ、スタンピードだ。魔物の大群が、街に向かってきている。仲間が、頼む、助けを……」

 静まりきったギルド内に響く、声。静寂の中、ボロボロの彼が倒れ込む音がして、ギルド内の空気が一変する。

「アナタ、ギルドマスターに連絡! アナタは私と彼を奥に!」

 今この場で最も役職の高いだろうギルド職員の声が指示を出し、それぞれが慌ただしく動き出す。ベテランや新人でも有能そうな冒険者の表情が引き締まって、そうでないもの達は困惑を代わりに顔へ貼り付ける。

「アスト、良いわね?」
「うん、良いよ」

 彼らは知らない仲ではない。親切にもしてもらった、なら、報いたい。小さな恩だけれど、力を尽くすには十分だ。

 幸いにも斥候の彼は疲れ切っているだけで命に別状がある様には見えない。魔力的には正常。今できる事をして待とう。

 三十分後、ギルドで待機する冒険者達の前にギルドマスターらしき人物が姿を見せた。文官らしい風貌ではあるが、それでもAランク相当の実力はあるだろう。

「今この場にいる冒険者達に強制依頼を発令する。Cランク以上と城の騎士達とで戦線を組み、Dランク以下は後方支援だ」

 強制依頼、ギルドが冒険者に対して受注を強制する依頼の事で、協力しなければ相応にペナルティが発生する。とは言っても街そのものが壊滅しかねない危機でもなければ発令される事は早々無い。参加しない事を選択し逃げる冒険者は意外と希だ。
 つまりは、今回もそれほどの自体という事。

「魔物の平均ランクはBランクオーバー。数は四桁を下らない。北門の前での防衛になる」

 最低でも平均Bランクの魔物が千以上。ギルド内がざわつく。
 当然ね。魔境からも離れたこの地で、どうしてそんな大群が……。

「群れは最短二時間後には街に到達する。一時間後までに北門の前に集合しろ」

 一時間後……。ギルドに備え付けられた時計の魔道具を見る。地球のそれと同じような機構を見ると、神代の魔道具では無いみたい。あの時計で一時間なら、日本に居た頃の感覚で良い。騎士と連携しながら大群を相手にする準備となると、少し短いか。

「もう一つ。現在、冒険者二名とその依頼主が群れの中に取り残されている。この事態を知らせる為に、彼を送り出した勇気ある者達だ」

 ちょうど後ろから現れた件の斥候役さんを指してギルドマスターが告げる。だけれど、そう、そういう事。

「彼らの救出に先行する勇士を募集する」
「危険なのは百も承知している。無理は言わない。だが、どうか、頼む、仲間を、助けて欲しい」

 斥候の彼が深く頭を下げる。最終的には力がものを言う冒険者にとって、簡単にできる事では無い。
 周囲がざわつくが、誰も声を上げない。当たり前、ね。相手が相手なのだから。

「私が行くわ」

 その中で手を上げ、存在を示す。冒険者達の中に埋もれてしまう背丈だから、少し浮いて。

「君は、ソフィエンティア・アーテルだったか」
「ええ。私なら空を飛べるから、他の人が行くよりは早く着くわ。離脱もまだ容易でしょう」
「空を飛ぶ魔物もいるぞ」

 案じている、というよりは成功率の判断が目的ね。

「僕もいるし、大丈夫だよ。ソフィアは強いしね」
猫精霊(ケツトシー)、なるほど。良いだろう、ならば――」
「待って、私も行く」

 この声は、ティカ。

「私も自分だけなら飛べるから、露払いくらいはできるわ」
「……分かった。君たちに頼む。何か必要なモノがあれば言ってくれ」
「それなら、人が三人入れるくらいの大きな籠が欲しいわ。それと、この杖に籠を括り付けられる何かも」

 籠の用意が出来たと伝えられたのは五分後の事だった。妙に早いと思ったら、果実を売るのに使われていた籠を持ってきたらしい。それに急増で強度を増す付与をしたようで、魔導の気配を感じる。

「門番には話を通してある。そのままここから飛んでいって大丈夫だ」
「分かった。助かるわ」

 仕事が早い。さすが、王都でギルドマスターをしているだけの事はある。

「嬢ちゃん達、二人を、頼む。だが無理だけはするな」
「最善は尽くすわ」

 この人は、仲間がもう生きていない可能性も考えているのだろう。今にも泣きそうな顔を見ていると、そんな気がする。

 気休めも言えないまま魔導を使い、外壁の外を目指す。後ろをちらと見れば、堅牢そうな城が見える。その内側で忙しく走り回っているのは騎士たちか。そして眼下には、彼らの守ろうとしている人々。

「急ぎましょ」
「ええ!」

 彼女と受けた初めての依頼の時よりも数段早く、北へ向かう。アネムの加護があるだけ有って、ティカも問題なくついてくる。
 地上を行けば二時間かかる距離も、空を行けば一瞬。すぐにそれらしき地平線を埋め尽くす影と、立ち上る砂煙が見えた。

「Sランククラスの気配は、今のところ感じられないね」
「ええ、強くてもA+くらいかしら?」

 アストは私よりも広い範囲の気配を拾えているはずだが、それでも安心は出来ない。それだけの規模だ。
 この数がこの勢いで街に到達すれば、どんなに良くても多少の被害は覚悟しなければならないだろう。

「ソフィア! 手分けして探す!?」
「そう――いいえ、その必要はなさそうよ」

 群れの先頭付近に三つの気配を感じた。既に群れに飲まれてしまっているけれど、まだ持ちこたえている。一人足手まといを抱えながらだから、時間の問題ではあるけれど……。

「回収している間、アストとティカで時間稼ぎをお願い」
「任せて!」
「りょーかい。先に行くよ!」

 言うや否や、アストが飛び降りる。追いかける様に急降下すすると、巨大化しながら剣士さんに飛びかかろうとしていた魔物を押しつぶすアストが見えた。

「助けに来たわ! その子は私の使い魔だから攻撃しないでね!」

 アストにぎょっとして身を固くしていた剣士さんと槍使いさんが安堵する気配を見せる。まあ、彼も魔力だけで見ればAランククラスだ。経験値的にそこまでの力はないけれど、二人が緊張するのも仕方が無い。

「嬢ちゃんか! 助かる!」
「は、早く来い! 私が死んでしまえばただでは済まされんぞ!」

 相変わらずね、あの男。助ける気が失せそうになるけれど、これも仕事。ちゃんと回収する。
 一応腐っても妖精種なのかそれなりの魔術で応戦はしているから、思ったよりは余裕がありそうか。でもこの魔力痕、やっぱり……。