今日は、なんだか眠れそうにありません、布団に入れば自分の体温でカーっと暑くなり、汗がダラダラ出て眠ることができないのです。病院へ行っても、異常なししか言われないでしょうから、あんまり医療従事者も信用できないんだろうな。というより体調が悪いことは、家族には言えませんので、そのままこうして耐えるしかないんだと思います。
1,体調の、理由わからず、悪かれど
聞いてくれずに、言う意味もなし。
その通り、誰かに訴えることもできないのです。そして、病院に行っても異常なししか言われない。血液検査とか、MRIとかもやったんですけど、異常を発見できない。結局変な顔されてさっさと出て行け的な態度を取る医者も多く、親身になってなんて大嘘であることが多いので今は自分の体調を家族に言うことはしていません。体調悪いけど、いうだけ無駄だし、信じてもらえないと思うので。そういうことだったら言わないほうがいい。昨日は、体が痛くて、丸半日寝てしまいました。それでも怠けているとか、そういうことを言われなかったのが唯一の救いでした。
2,ピアノ弾き、指も体も、動かねば
辞めて良くとも、それでも弾きたし。
ピアノも最近うまく行っていません。一度ピアノが故障してしまい、楽器屋さんに来てもらって、絃を一本張り替えてもらったのですが、それでも上達しない。決して練習を怠けているつもりはないし、真剣にやっているつもりではあるんですけど、違う音を弾いてしまったり、音階などが、途中で指がこんがらがって失敗する例が非常に多いのです。特にベートーベンのソナタ30番は本当に大変な曲だなと思いました。変奏曲形式の第三楽章ですが、一曲はそれほど長くないものの、途中で止まってしまうことが結構多くて演奏にならないのです。それでは行けないと思って焦ってしまいまた失敗の繰り返し。臨時記号だって、ダブルシャープがどの音に相応するのかわからなくなったり。あるいは、とにかく途中で指がこんがらがるのをなんとかしたいですが、それが本当に大変だなと言うことがやってみてわかりました。ベートーベンのソナタ30番は、簡単そうに見えるけど、実は難しい曲なのです。それでもやめちゃったら終わりですから、今でも続けているのですけど、なんかやっていて意味があるのかなとか、考えてしまいましたね。何度やっても上達しないし。長く練習したいと思うときもありますが、前述したように体調が悪くて練習ができないときもあり、そうなると強烈な自己嫌悪に襲われて、ああだめだなあこんな自分というふうに落ち込んでしまうのです。こんな日々が続いていて。辞めるわけにはいかないんですけど。他に、やれることもありませんから。
3,世の中に、切り捨てられし、我が身ゆえ
幸せ喜び、訪れもせず。
2の延長線上でありますが、本当に最近は体調に振り回されて、ピアノの練習も思うようにできないなど、世の中から切り捨てられたという感じがすごくするんですよね。多分、障害年金とかいただけたとしてもそれは多分きっと、世の中からもう不用品だという手切れ金のようなものでしょう。好きなことをやれるからいいのではないかと批判される方もいますし、甘えるなとか、早く死んでしまえと罵る方も居ると思います。でも、正直、今どきの音楽を作るような、DTM機械を買う余裕もないし、できることといえば、演奏することか、このような文章を書かせていただけるだけで精一杯。時々、動画サイトに演奏アップしたり、ライブ配信アプリで演奏したりしていますが、それだって、うまいわけではないので、収益には繋がりません。なんで、こんな道選んでしまったんだろうなと思ったこともありました。いろんなこと、例えば、音大時代に十分な教育を受けられなかったことや、担当の先生が非常に無責任で、何も教育になっていなかったこととか、そういうことが思い出されます。当時はそれで当たり前だと思っていましたので、悔しくはなかったのですが、今になって、必要な楽譜が全く使わせてもらえなかったという事実もわかり、ああ騙されたんだなというか、そんな気持ちを感じています。もちろん大人の事情というのもあると思いますが、でも、やるなら精一杯教育してもらいたかったなと思う。
思えば、高校時代は生き地獄でした。毎日担任の先生から、音大は一千万かかるとか、働けないやつは死んでしまえ、死ぬのが一番の親孝行だなどと、平気で言われました。結局、大学には行きましたけど、すぐに足が悪くなるなどして、本当にやりたかったことは学べませんでした。その後は、本当に居場所がなくて辛い日々。今でも社会から弾き飛ばされてしまったような、そんな気がしてしまいます。せめてほんの少しでもいいから、ピアノで収益を上げたいんですけど、体調に邪魔されてそれが叶いません。そして、周りの環境も変わってしまい、祖父がしょっちゅう病院につれて行けと騒いだり、今日は、田んぼの肥料のことで父と大喧嘩。なんとかならないかなと思うけど、ホントいつまで経っても喧嘩が収まらず、苦労しています。
もちろん、幸せは作るものだとか、そういう偉い人の言葉もあると思いますが、今は、ただ、そこに居るだけしかできません。
自分のこと、体調のこと、祖父のこと、なんだかいろんな問題があって、前に進めないのです。
父や母は、職場が変わったから、また新しい変化を楽しんでいるようですが、私にしてみれば、祖父とずっといっしょにいなければならないことが辛くて。
でも、外へ出ていないから、家族に反発することはできないでしょう。
いっそのこと、と思うことだって稀ではないです。
とにかく今は、ニッチもサッチも行かないで、途方に暮れている状態です。
いつになったら楽になれるのやろ。
1,体調の、理由わからず、悪かれど
聞いてくれずに、言う意味もなし。
その通り、誰かに訴えることもできないのです。そして、病院に行っても異常なししか言われない。血液検査とか、MRIとかもやったんですけど、異常を発見できない。結局変な顔されてさっさと出て行け的な態度を取る医者も多く、親身になってなんて大嘘であることが多いので今は自分の体調を家族に言うことはしていません。体調悪いけど、いうだけ無駄だし、信じてもらえないと思うので。そういうことだったら言わないほうがいい。昨日は、体が痛くて、丸半日寝てしまいました。それでも怠けているとか、そういうことを言われなかったのが唯一の救いでした。
2,ピアノ弾き、指も体も、動かねば
辞めて良くとも、それでも弾きたし。
ピアノも最近うまく行っていません。一度ピアノが故障してしまい、楽器屋さんに来てもらって、絃を一本張り替えてもらったのですが、それでも上達しない。決して練習を怠けているつもりはないし、真剣にやっているつもりではあるんですけど、違う音を弾いてしまったり、音階などが、途中で指がこんがらがって失敗する例が非常に多いのです。特にベートーベンのソナタ30番は本当に大変な曲だなと思いました。変奏曲形式の第三楽章ですが、一曲はそれほど長くないものの、途中で止まってしまうことが結構多くて演奏にならないのです。それでは行けないと思って焦ってしまいまた失敗の繰り返し。臨時記号だって、ダブルシャープがどの音に相応するのかわからなくなったり。あるいは、とにかく途中で指がこんがらがるのをなんとかしたいですが、それが本当に大変だなと言うことがやってみてわかりました。ベートーベンのソナタ30番は、簡単そうに見えるけど、実は難しい曲なのです。それでもやめちゃったら終わりですから、今でも続けているのですけど、なんかやっていて意味があるのかなとか、考えてしまいましたね。何度やっても上達しないし。長く練習したいと思うときもありますが、前述したように体調が悪くて練習ができないときもあり、そうなると強烈な自己嫌悪に襲われて、ああだめだなあこんな自分というふうに落ち込んでしまうのです。こんな日々が続いていて。辞めるわけにはいかないんですけど。他に、やれることもありませんから。
3,世の中に、切り捨てられし、我が身ゆえ
幸せ喜び、訪れもせず。
2の延長線上でありますが、本当に最近は体調に振り回されて、ピアノの練習も思うようにできないなど、世の中から切り捨てられたという感じがすごくするんですよね。多分、障害年金とかいただけたとしてもそれは多分きっと、世の中からもう不用品だという手切れ金のようなものでしょう。好きなことをやれるからいいのではないかと批判される方もいますし、甘えるなとか、早く死んでしまえと罵る方も居ると思います。でも、正直、今どきの音楽を作るような、DTM機械を買う余裕もないし、できることといえば、演奏することか、このような文章を書かせていただけるだけで精一杯。時々、動画サイトに演奏アップしたり、ライブ配信アプリで演奏したりしていますが、それだって、うまいわけではないので、収益には繋がりません。なんで、こんな道選んでしまったんだろうなと思ったこともありました。いろんなこと、例えば、音大時代に十分な教育を受けられなかったことや、担当の先生が非常に無責任で、何も教育になっていなかったこととか、そういうことが思い出されます。当時はそれで当たり前だと思っていましたので、悔しくはなかったのですが、今になって、必要な楽譜が全く使わせてもらえなかったという事実もわかり、ああ騙されたんだなというか、そんな気持ちを感じています。もちろん大人の事情というのもあると思いますが、でも、やるなら精一杯教育してもらいたかったなと思う。
思えば、高校時代は生き地獄でした。毎日担任の先生から、音大は一千万かかるとか、働けないやつは死んでしまえ、死ぬのが一番の親孝行だなどと、平気で言われました。結局、大学には行きましたけど、すぐに足が悪くなるなどして、本当にやりたかったことは学べませんでした。その後は、本当に居場所がなくて辛い日々。今でも社会から弾き飛ばされてしまったような、そんな気がしてしまいます。せめてほんの少しでもいいから、ピアノで収益を上げたいんですけど、体調に邪魔されてそれが叶いません。そして、周りの環境も変わってしまい、祖父がしょっちゅう病院につれて行けと騒いだり、今日は、田んぼの肥料のことで父と大喧嘩。なんとかならないかなと思うけど、ホントいつまで経っても喧嘩が収まらず、苦労しています。
もちろん、幸せは作るものだとか、そういう偉い人の言葉もあると思いますが、今は、ただ、そこに居るだけしかできません。
自分のこと、体調のこと、祖父のこと、なんだかいろんな問題があって、前に進めないのです。
父や母は、職場が変わったから、また新しい変化を楽しんでいるようですが、私にしてみれば、祖父とずっといっしょにいなければならないことが辛くて。
でも、外へ出ていないから、家族に反発することはできないでしょう。
いっそのこと、と思うことだって稀ではないです。
とにかく今は、ニッチもサッチも行かないで、途方に暮れている状態です。
いつになったら楽になれるのやろ。

