その後、沖縄県本部(もとぶ)にて。

一台の赤い車が一軒の家の前に停車し、中から二人の女性が降りてきた。

「いやぁ、久しぶりに帰ってきたけど、相変わらず暑いね」

沖縄特有の熱さに溜息をつくような表情を見せた女性。

「そりゃあ、内地に比べたらこっちは冬なんてないようなものだしね」
「確かに……」

荷物をトランクから降ろし、家の中に入ろうとしたその時だった。

「魚のねーねー!!」
「ん?おー!久しぶり!」

ランドセルを背負った小学生たちが、その女性に駆け寄ってきた。
小学生たちは何かに急いているのか、少し慌ただしく女性の腕を掴んだ。

「ちょ!?どうしたの急に!?」
「早くこっち来て!」
「なに!?なに!?」
「見せたいものがあるの!」

女性は小学生に引っ張られる形で、海辺の方へと向かって行った。
小学生に連れてこられた女性は、少し立ち止まり、呼吸を整えようとした。

「ねーね!これを見てよ!」

小学生たちに手招きされ、ゆっくり近づくと、そこには見たことのない生物が倒れていた。
その生物の姿に女性は目を丸くし、興奮しながら生物を観察した。

「…見たことがない…でも、耳? (ヒレ)尾鰭(おびれ)みたいなものはシーラカンスに似てるし…でも、人間の姿だし…」
「ねーねー、これ知ってる?」

小学生たちは興味津々で女性に質問した。

「ん~、これは初めて見る……ねぇ、この生物……いや、ヒトは誰かに見られたりした?」
「僕たちが先に見つけたから……たぶん見られてないと思う」
「そっかぁ……」

女性は少し考え込み、口を開いた。

「このこと、秘密にできる?」
「……」

女性の言葉に、小学生たちは何か企んだ表情を浮かべ、彼女は何かを察したのか、小学生たちに千円を渡した。

「はぁ……ほら、これでアイスでも食べていいから」
「やったぁー!秘密にするね!」

そう言って、小学生たちは嬉しそうにその場から走り去っていった。
そして、女性は倒れているヒトを引きずるように自宅へと運んで行った。

数時間後――自宅にて。

「……やはり、解剖したほうが……いや、見た目はヒトだぞ!変なことはやめよう……それにしても調べてみたい」

---誰だ?子どものような好奇心旺盛な声が、やけに俺の耳に響く。
確か…俺は…師匠に殴られて……。

重たい瞼をゆっくり開けると、目の前に映るのは黒い短髪で綺麗な青い瞳を持つ女だった。

「やっと目が覚めた!」
「…っ!?」

俺は師匠とあの男との戦闘を思い出し、急いで女から距離をとった。腹部には包帯が巻かれている。

「ここはどこだ!俺に何をしたんだ!」
「お、落ち着いて!ここは私の家だよ。君は海辺で倒れていたの。傷だらけだったから、応急処置をしたんだ」

海辺?どういうことだ?俺は深淵にいたはずなのに……それに、この女には鰭がない。
女は心配そうな表情でこちらを見つめている。
俺は敵意がないと感じ構えていた拳を下ろせば、その瞬間、この状況を変えるかのように腹の音が鳴り響いた。

「……った」
「へ?」
「……腹減った」

女は俺の言葉を聞いて、少し安堵した様子を見せた。

「腹が減っていたら話もできない!よし、何か作るから、作り終えるまで少し休んでいて」

女は自分に任せろと言わんばかりに、そう伝えてその場を去っていった。
部屋に残された俺は辺りを見渡した。
建物の作りや窓から見える風景からして、ここは俺がいた世界ではないと確信した。

「……オーシャンではないな。まさか……陸にいるのか?」

陸の事は多少聞いていたが実感が沸かない。

「しかし何故俺が陸に……まさか師匠」

可能性の一つとして一番大きいのは、師匠が俺を陸に運んだ。
意識が飛ぶ瞬間に言われた言葉が何を意味するのかは分からない。
しかし、師匠がここまでするのなら、なにかしら理由があるとみていいだろう。

「とりあえず、今の状況を理解しないと……それにしても、なんだこの本の数は」

女は何かの研究者らしく、周囲にはたくさんの本が積まれており、壁には地図や様々な魚の絵が貼られていた。
俺は一冊の本を手に取り軽く内容を確認すると、奇妙な文字と絵で魚の事がびっしりと描かれていた。

「魚?なんで魚なんか調べているんだ?」

本の冊数から、彼女が相当な研究をしていることがわかる。しかし、この冊数は異常だ。
図書館のような部屋と、俺を家に上げてくれた様子からして、どうやら彼女は少し変わっているらしい。

ベットに座りしばらく本を何冊か読んでいると、女が戻ってきた。

「おー!君、魚に興味があるの?」
「……いや、ただこんなに魚を調べているのが珍しくて」
「まぁ、私みたいに研究している人はなかなかいないからね。珍しがられても仕方ないか」

女は、俺が魚の本を読んでいるのを珍しく思ったのか、少し興味を持った笑顔を見せた。

「まぁ、本は後にしてご飯を食べよう!」

女に言われてベッドから立ち上がると、彼女は少し驚いた表情を見せた。

「…大きいね、君の身長はいくつ?」
「……百九十センチメートルだ」
「ほへー、二メートル近くある人間を見たのは初めてだ」

女は不思議そうな顔をして俺を見上げ、じっと見つめている。
その様子は、まるで研究者が観察しているかのようだ。

それにしても、この女は小さいな……俺との身長差は大体四十センチくらいか?陸の女性がこんなにも子どもみたいに小さいとは思わなかった。
そう考えていると、女は急かすように声をかけた。

「あ、チャーハンが冷めちゃう!ほら、こっちへ」

女に案内されて階段を降りると、リビングらしき場所に入った。
リビングは部屋とは違って落ち着いており、机の上には料理らしきものが置いてあった。

「今日、研究から帰ってきたばかりだから買い出しとかしてなくて……具材が少ないチャーハンだけど……食べないよりはマシかな?」
「………」

女から匙を渡され受け取ったが、少し警戒してしまう。
なんせ、陸の料理なんて初めて食べる上、もし毒が入っていたらと考えてしまい、匙を動かすことができなかった。
その様子を見た女は、俺が警戒していると思ったのか、もう一本の匙を持ってきて、目の前でチャーハンを口に運んだ。

「大丈夫だよ!ほら、食べてみて」

女に促され、匙でチャーハンをひとすくいすると、その湯気が立つチャーハンは美味しそうで、俺の食欲をそそった。腹を括り、ゆっくりとチャーハンを口に運んだ。

「ん!?」
「お?美味しい?」

なんだ、この美味さは!初めて食べる味だ!陸にはこんな料理があるのか!口に広がるパラパラした穀物と、何かしらの香辛料が美味しさをさらに引き立てている。
俺はチャーハンで腹を満たすために、流し込むかのように匙を動かした。

「はは!そんなに慌てなくても、チャーハンは逃げないよ」

そんな様子を見たアオは嬉しそうに微笑み、再び食べ始めた。

「お前が作ったこのチャーハン、絶品だな」
「美味しくてよかった!あ、まだ自己紹介してなかったね。私は深海アオ。アオって呼んで!」

アオは幼い顔立ちをしながらも、優しく笑顔で自己紹介をした。

「俺はセラ・クロッソ・シーラカンス」
「シーラカンス!?やっぱりシーラカンスだったんだ!」

アオの表情は、まるで「やっぱりそうか」と言わんばかりに納得した様子だった。

「知っているのか?」
「私は海洋生物学者だからね!特にシーラカンスに関しては研究しているんだ。君の耳鰭や尾鰭を見た時、気になっていたんだけど、君は人間なの?それとも魚?」

アオは興味津々で質問を続けた。

「俺は、魚じゃなくて人間だ」
「本当に人間!?あっ、ちょっと待って!記録を取りたいから、ノートを取ってくるね!」

アオは急いで自室に向かい、両手に本などを抱えて戻ってきた。

「人間の姿をしたシーラカンスなんて初めてだ!名前が長いから、セラって呼ぶね!いやぁ、新たな発見に心が躍るよ!それで、どうして人間の姿なの?教えて!」

アオは次々と本とノートを広げ、俺の名前をすぐにノートに書き始めた。
ノートには俺の本来の姿が描かれており、彼女はスケッチが得意なのか、綺麗な絵も添えられていた。
アオの俺に対する興味や、すぐに記録したがる様子から、学者を名乗るのは伊達ではないと感じた。

「お前はどうして魚を研究している?」
「好きだからだよ」
「好き?それだけで、ここまで調べることができるのか?」

俺の問いにアオは少し考え込み、ゆっくりと話し始めた。

「私のお母さんが学者だったの。それも、世界的に有名なほどにね……。お父さんは漁師で、お母さんがいない時はよくお父さんから海の話を聞いていたの」
「海の話?」

アオは自分の父親から聞いた海の話を続けた。

「おとぎ話みたいなものだけど、昔々、海の中に島がありました。その島の名前はアトランティス。アトランティスの人々は陸の人間とは違い、鰭や殻を持つ人間で、高度な技術を使って豊かな生活を営んでいました。彼らは海神ポセイドンを主神とし、母なる海の世界をオーシャンと呼んでいました。オーシャンには太古の生物や未知の生物が生息しており、陸の人間はそれを発見するために海へ旅立つが、誰もオーシャンにたどり着くことはできなかった……」
「ま、まてアオ。どうしてお前がオーシャンの名前を知っている!?」

まさかアオの口から自分の世界の名前が出てくるとは思わず、つい彼女に食い気味で質問してしまった。

「どうしてって……私も分からない。小さい頃によくお父さんから聞いていた話だから……」
「お前の父親は今どこに?」

アオは俺の問いに少し躊躇いながらも、答えてくれた。

「お父さんとお母さんは船の事故で行方不明なの……」
「行方不明?」
「うん、私も一緒にいたみたいだけど、幼かったからか覚えていないの」
「…そうか、すまなかった」

アオは申し訳なさそうな表情を浮かべた。その様子を見た俺は、食い気味に聞いたことを少し後悔してしまった。

「まぁ、こんな話は置いといて、君のことをもっと聞かせてよ!」

アオはスイッチの切り替えのように、すぐに表情を変えて俺に話を振ってきた。その様子には少し驚いたが、先程のこともあったので俺はアオに答えた。

「……まぁ、先程のこともあったし、話せる範囲でなら話そう」

俺がなぜ人間の姿なのかを説明した。

「俺たち鰭人は元々魚だったが、ポセイドンの選別によって誕生した。この耳鰭や尾鰭は先祖の特徴なんだ」

俺はアオに耳鰭が見えるようにし、耳を動かした。

「すごい!動いている!」
「お前たちは動かせないのか?」
「動かせる人もいるみたいだけど、私は動かせないなぁ」

アオは自身の両耳を両手で掴んで動かす真似をした。その様子が少し子どもっぽくて可愛らしく、思わず笑ってしまった。
初めて会ったばかりなのに何故か彼女との会話が弾み、オーシャンの神話に沿って先程の海の話が本当だったことをアオに告げた。

「まぁ、俺から話せるのはこれくらいだな」
「す、すごい……お父さんの話は本当だった!海の中にはまだ見ぬ世界がある!ん~~!アトランティス、行ってみたいな!」

アオは俺が話したことを丁寧にノートにまとめる姿は、まるで子どもが夢中になってお絵描きをしているようだった。

「他には?もっと聞かせて!」
「……たくさん話したいのは山々だが、オーシャンの人間ではないお前には話せない」
「……そっか、それなら仕方ない」

アオは残念そうな表情をし、あっさりとひいた。

「やけにあっさりだな」
「まぁ、学者の性ってやつだよ。無理に君たちの文化やその世界の生態系を聞いて、君たちを傷つけるようなことが起きたら学者の恥。それに、学者ってのは自分で調べるのが好きな人間。何でもかんでも人に聞くのではなく、自分の脚で現地に行き、自分の目と知識で確かめた方が面白いじゃん?」

俺はアオのその言葉に、学者としての信念が込められていると感じた。

「本当にお前は海が好きなんだな」
「まぁね!それに私には夢があるんだ」
「夢?どんな……っ!?」

アオに夢のことを聞こうとしたその瞬間、俺の頭に聞き覚えのある声が響いた。