海。
それは我々生命が誕生した母なる場所と言われている。
海で生まれた生き物達は進化を重ねていき、ある者は陸や空へと進出していった。
海に残った生き物たちも独自の進化を遂げ、海に特化した人間が誕生した。
彼らは魚のように鰭を持ちながら、姿は人間と変わらない『鰭人(ひれびと)』と呼ばれ、独特な文化や技術を持ち、陸の人間では想像もつかない世界を築いていた。

水深六千メートル付近にて――。

俺とセイルはポセイドン様の命令に従い、ここ最近頻繁に出没する海獸(かいじゅう)について調べる為に、水深六千メートル付近で調査をしていた。

「まさか、ポセイドンの爺ちゃんの命令でここまで来るとはねぇ……」
「仕方ないだろ、ここ数年…深淵にいるはずの海獸(かいじゅう)天海(てんかい)に頻繁に現れているんだ」
「なぁにが真剣な顔で海獸だ!元を辿れば、お前が城の門を壊さなければ俺が巻き込まれずに済んだんだぞ!」

セイルは怒った表情をし、俺の胸元を掴み、力強く揺さぶってきた。
確かに、原因は俺がセイルとの組手で城の門を破壊してしまったことだ。

「巻き込んだつもりなど…。それにあれは…お前との組手が久しぶりで…つい楽しくなって」
「たく、シーラカンス族の馬鹿力は今に始まった事ではないからいいが…ささっと済ませて帰るぞ」

セイルが俺の胸元から手を離し、周囲を見渡そうとしたその瞬間だった。

「!? 伏せろ!セイル!」

暗闇から、セイルを狙う鋭いハサミが突き出てきた。

「なっ!?」

セイルは瞬時に身を低くし、鰭を使い素早くその場から距離を取った。
二人で、ハサミが伸びてきた暗闇の方を凝視すると、そのハサミの持ち主が姿を現した。

身体は巨大で硬い甲羅を持ち、二本の鋭く大きなハサミと複数の脚が、特徴的な生物が現れた。
その全長はおよそ五十メートルで、俺たち二人を見下ろし、獲物を狙うようにじっと見つめている。

「おいおい、あれは俺の見間違いじゃないよな…」
「見間違いであってほしいが、あれはどう見てもウミサソリだ。しかも、一番厄介なやつ」

ウミサソリには多くの種類が存在するが、その中でも特に厄介なイェーケロプテルスが、まさに俺の目の前に立ちはだかっている。

『ギチギチ』

不気味な音を立てながら、イェーケロプテルスは俺たちに向けてハサミを素早く伸ばしてきた。
俺とセイルは瞬時にそれを避け、戦闘態勢に入った。

「まさか、ここでデボン紀の捕食者と戦うことになるとはな!行くぞ、セラ!」

二手に分かれると、イェーケロプテルスは俺よりも素早く動くセイルを狙い、激しく追いかけて攻撃を仕掛けた。
セイルはカジキ特有の俊敏さで、難なくイェーケロプテルスの攻撃をかわしていく。

「さっさと片付けて、調査を再開するぞ。」
「あぁ。」

俺が頷いた瞬間、イェーケロプテルスは標的を俺に変え、俺を目がけて攻撃を放ってきた。

『ギィィシャァ!』

俺に向けられた攻撃は、術式で硬化された腕によって防ぐことができた。

『ギィ!』
「どうした?もう終わりなのか?」

イェーケロプテルスは俺の挑発に苛立ち、再びハサミを素早く振り下ろしてきた。
俺はその攻撃を軽々とかわし、反撃に転じようと拳に魔力を溜めたその瞬間だった。

「ドン!」と、海底に響くような爆発音が鳴り響いた。

「っつ……!?」
「なっ、なんだ!?」

俺とセイルは思わぬ事態に急いで、イェーケロプテルスから距離を取った。

『ギェェァ!』

イェーケロプテルスは、俺たちが爆発を引き起こしたのかと勘違いし、周囲を警戒して見回している。

その時、背後から凄まじい殺気が俺たちを包み込んだ。

「な、なんだこの殺気は?」
「っつ……」

殺気だけで俺とセイルを捕食しようとする異様さ、こんな殺気を感じたことは今までなかった。
それに加えて、この凄まじい魔力…一体何が起こっているのか。

「おいおい、仲間の声が聞こえたから来てみたら、なんだこの状況は?」

イェーケロプテルスの背後から男が現れた。
男は俺たち鰭人(ヒレビト)とは異なり、異様な姿をしていた。
ウミサソリ特有の甲殻に、六対の肢。そのうちの一つがハサミとして背中から伸びている。
その姿は、まるで俺たち鰭人が進化する過程を見ているかのようだった。

「深淵付近は、本来人が住める環境ではない。ましてやあの姿…」
「古代の海獣が進化したって言いたいのか?」

進化。
俺たち鰭人も元はただの魚に過ぎなかった。
しかし、歴代のポセイドンの選別を経て、計り知れない長い時をかけて進化し、今の姿になったのだ。
だが、ポセイドンが生まれる前に存在した古代の海獣は、選別の対象には含まれていない。
そんな存在が、ましてやここ深淵で進化したということが信じられない。

イェーケロプテルスは男の姿を見た瞬間、まるでペットのように男の背後に回り、撫でてほしそうな仕草を見せた。

「よしよし、もう大丈夫だ……」

撫で終わると男は、俺たちに視線を移せば、その赤く光る不気味な瞳は俺達を完全に捉えていた。

「そうか、お前たちが…俺たちを殺そうとしている鰭人か」
「「!?」」

男の目はまさに捕食者そのものだった。
そして、先ほど感じた膨大な魔力が解放され、男はその魔力を俺たちに向けて放ってきた。

「まずい!」

俺はその圧倒的な魔力が俺たちを殺しかねないと直感し、素早く術式を展開して防御壁を形成した。
間一髪でその攻撃を防ぐことができた。

「この魔力で倒れないとは…面白い!」
「!?」

男は愉悦の表情を浮かべ、凄まじい魔力と殺気を放ちながら、じわじわと俺たちの方へ迫ってきた。
非常にまずい、この殺意と桁違いの魔力量……俺の防御壁が崩れそうで、このままでは二人ともやられてしまう。

「っつ…!セイル、お前だけでも逃げろ!」
「はぁ!?この状況で何を言ってるんだよ!一緒に戦……」
「馬鹿野郎!この状況を考えろ!このままだと、俺の防御陣が奴の魔力で破られる!今ここで二人ともやられたら、ポセイドン様に報告できなくなる」

そう、この状況を切り抜ける可能性を持つのはセイルだけだ。
セイルの速さならこの場から逃げ出し、いち早くポセイドン様に報告できる。

「早く行け!俺が時間を稼ぐ!」
「っ……分かった!」

セイルは足に術式を展開し、素早くその場から撤退していった。

「ほう?仲間を逃がして、一人で戦うつもりか」
「あたりまえだ。双璧と呼ばれている以上。仲間を守るためなら、戦う覚悟はできている」

俺は深呼吸し、両腕に魔力を溜めて術式を展開した。展開された術式は腕に纏った。

「その術式……そうか、お前が……ふはは!面白い!来い!」

不敵な笑みを浮かべた男は拳をかまえ素早くこちらに詰め寄り、俺もまた素早く拳をぶつければ衝撃波があたりに走った。

「はっ!この拳を受け止められるか!流石、あの男の弟子だな」
「あの男?何のことだ!」
「アトランティスの絶対的防御、前双璧の名を持つ男……」
「!?」

アトランティスの絶対的防御、前双璧の二つ名を持つ男。そして、俺の師匠……。

「まさか!?おまっ……」
「そこまでだ」
「なっ!?」

男に問いただそうとしたその瞬間、聞き覚えのある声と共に、俺の右頬に拳が叩き込まれた。
素早くも重たく、今なお身体に沁みついているこの痛み。
そして、20年以上行方不明だった男が俺の目の前に現れたのだ……。

その師匠の拳によって吹き飛ばされ、岩にぶつかり、そのまま倒れ込んでしまった。

「しっ、師匠……なんで……っつ、身体が」
「脳を揺らしたからな。しばらく動けなくなるだろう」
「弟子に拳を入れるなんて、相変わらず恐ろしい男だな」

男の言葉に対し、師匠は表情を変えず、冷酷に答えた。

「弟子であろうと、こいつは俺たちの計画を妨げる敵だ。敵に加減など必要ない。それに、俺たちはまだ戦う時ではないと言われている。このまま戦えば、あの男の怒りを買うことになるぞ」

師匠の言葉に、男は溜息をついた。

「仕方ない。ただ、このままあいつを放置するのはまずいのでは?」
「……俺があいつを処分する。お前は先に行け」
「…分かった」

男は師匠の元から姿を消した。そして、師匠はこちらに視線を向け、静かに近寄ってきた。その表情は冷たく、ただ殺気だけが漂っていた。

「答えろ、師匠!なんであなたが海獣なんかと――!」
「……」

師匠はゆっくりと膝をつき、俺の胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。

「師匠」
「セラ、よく聞け……」

そして、俺の耳元で囁いた言葉を聞いた瞬間、俺の視界が暗くなった。