★2025年 7月 ――デビュー1年目。高1の夏の話
生成AIが徐々に文字を紡いでいる。そんな画面を俺はただ、眺めている。真夜中の部屋、エメラルドグリーンのスタンドライトの白い光の下、俺は作業を進めている。右手にコーラを持ち、それを一口飲む。口いっぱいに甘さが広がった。少しだけ炭酸が抜け、刺激が減っていた。コーラをデスクに置き、キャップを締めた。そのあと、再び、画面に視線を向ける。
部屋の中の32型のモニターには、ウインドウが2つ並んでいて、右側には、AIが書き出しをしている様子が映し出されていて、もう一つの画面で、Amazonプライムビデオで再生している、アイロボットが映し出されている。俺が生まれる前に作られた04年の映画。もう何度となく、作業中に何故か流している映画。若かったウィル・スミスが、機械音痴の刑事になって、ロポットと世界を救う話。
2025年から見て、2035年にロボットが普及しているかなんて怪しい。いや、見えていないだけなのかもしれない。親世代の子供の時は、インターネットどころか、スマホすらなかったらしい。いや、そんなこと武勇伝的に語られても、知らんし。って思ったりするけど、結局のところ、技術革新は日進月歩で20年ごと、いや10年ごとに世界の常識は更新されているに過ぎない。
アイロボットみたいにロボットが街の中を歩いている未来はまだ先だけど、AI生成は違った。映画の世界では、きっと、AI技術よりも先にロボット工学が発展したんだ。だから、2035年のウィル・スミスは警察署のなかで、ペンを持ち、紙に手書きをしている。
AIに書き換えさせている文章は、たぶん、日本のなか。いや、世界のなかで俺にしかまだできないことだと俺は勝手に思っている。
自惚れかもしれない。
だけど、俺は本当にそう信じている。
AIで書いていても、俺の小説であることに変わりはない。むしろ、なんで大人たちが、まだAIを使わずに小説を書いているのか。多くの人たちを共感させるプロンプトを発明した俺は理解に苦しむ。
今、書き出している原稿は今年の9月末、市場に出回る予定の2作目だ。デビューしてまだ1年目。高校1年生の15歳の俺は優雅な夏休みを過ごしている。
そんなことを考えているうちに、書き出しが終わった。
大人たちには、まだ信じられないことなんだと思う。小説のほぼすべての部分をAIが書いているということを。そして、人が書いているという前提のまま、接する大人たちは、今の俺のことを受け入れないかもしれない。
だから、俺は未だに、誰にもこのことを話したことがない。AIで小説を書いていることを。
★2024年6月 ――デビュー前、普通の中3だったときの話
窓越しに見えるプールの水面はキラキラとしている。水は張ってあるけど、授業で使うクラスはまだないらしい。6月の強い陽射しが、波の影と、白くて強い輝きを作っていた。クーラーが苦手な子に合わせて、弱冷房の教室は今日も、若干、蒸し暑く感じる。それは、一番うしろの一番窓側という、最高の席だからかもしれない。
窓の外の世界の暑さを一番感じやすく、長方形の端で、天井のクーラーの風が届きにくい場所だからかもしれない。だからって、冷房直下の席に配慮して、弱冷にされるのは、どうかしていないか。こっちの暑いって意見は無視しているようなものじゃん。多数派に少数派が負けることを身を持って知らされている気分だ。
2時間目の社会は退屈そのもので、『ポリティカル・コレクトネスとルッキズム』について先生が淡々と話していた。どうやら、それらについて、週明けの授業でディスカッションするらしい。考えるだけで、うんざりする。それに俺にとってみれば、今、説明されているそれらは、すでにわかっていることで、わかりきっていることを散々説明されているようなものだった。
別に俳優のことをこれまで通り、女優って言ってもいいだろって、息が詰まるなと思い、ため息をつくと、右側から視線を感じた。だから、視線をすっとそちらにやると、山本瑠奈(やまもとるな)が俺のことを覗き込むように見ていた。
左手で頬杖をついていて、右の前髪の先が、ノートについていた。思わず目が合う。微かに唇を尖らせて、右手に持っている赤いシャープペンを揺らしている。山本瑠奈がなにを考えているのかわからず、目が合ったままで、俺は、茶色の瞳に吸い込まれそうな気さえした。
そんな数秒後、山本瑠奈は、なぜか微笑み、そして、俺の方を向くのをやめ、前を向いた。山本瑠奈が一体、なにを考えてたのかなんて、俺にはわからなかった。山本瑠奈は時折、理解できないようなことばかりする印象だ。2日前に席替えがあってから、あまり会話はしていない。
山本瑠奈って、猫みたいだなって、ふと思った。
かわいいけど、とびっきりかわいいわけではない。どちらかというと、愛嬌があるタイプで、だけど、実際、隣の席に座るとどことなくミステリアスな感じで、2日前から、実は気持ちはそわそわしている。
山本瑠奈は、1軍でもなければ、2軍でもない。もちろんだからといって、論外の3軍でもない。独特のポジションにいるような気さえした。つまり、分け隔てないということだ。俺は話す時は話すけど、クラスに仲間はいない。それはクラスガチャを思いっきり外したからだ。
このクラスの男子の構成はいびつで1軍の運動部のサルたちと、3軍のオタクが半々くらいになっているという気持ち悪い配合だった。ただ、共通しているのは、なにかの噂みたいに、1組、2組に問題児や、不登校児が集中しているぶん、3組のこのクラスには、比較的、問題が少ない優等生が集中しているということだ。だから、2軍の構成員は、俺ともうひとりの2人だ。つまり、このクラスでまともに話せるのは、久保田翔(くぼたしょう)だけで、翔がいなかったらと思うと、ぞっとした。
翔とは、軽音部の仲間で、翔はクラスの1軍とも仲が良いから、たまに話題にまぜてもらったりしているけど、表面的に仲良くできても、なにか根本が違うような気がしている。
オタク趣味がない。というのは、語弊だ。音楽やサブカル摂取量は、たぶん人よりも多いと思う。だけど、3軍が大好きなライトノベルや、アニメは、基本的に受け付けない。というか、本当にアニメは観ないけど、アカデミー賞受賞作の映画は必ず観る。小説はエンタメ小説と、純文学、両方とも読む。なんなら、ジャンプ買う感覚で、気になる作家の読み切りの新作が掲載されていたら、ためらいなく、文芸誌を買う。
だから、芥川賞受賞作掲載号の文藝春秋はここ2年分、4冊持っている。
そんな、サブカルチックな俺だから、まわりと話が根本的に合わない。合わせられるけど、生理的に話が合わないと思っている。それは、半ばあきらめだ。1軍のノリだってバカらしくてついていきたくないって思うし、3軍のオタクノリなんて、気持ち悪くて、頭悪そうだなって、心のどこかで見下している。フェチズムを刺激する作品なんかより、ずっとためになる作品は世の中には信じられないほど存在している。
チャイムが鳴り、授業が終わった。
いつも通り、礼儀の洗脳みたいな先生への礼が終わったあと、クラスの中は一気にざわざわしはじめた。席替えを終えて、先週と違う場所で、おのおののグループが群がっている。
そんなガキみたいな光景に嫌気がさし、俺はもう一度、深くため息をついた。
「たまに私立じゃなかったら、こういううんざりすることもなかったのかなって思うんだ。私」
「えっ」
驚いて、思わず声を出しながら、山本瑠奈を見ると、再び、授業中みたいに山本瑠奈と目が合った。ただ、授業中と大きく違う点としては、山本瑠奈は頬杖をついているわけではなく、ただ、まっすぐに俺のことを見つめいているということだった。そんな状況だから、山本瑠奈はやはり、俺に話題を振っていることに間違いはなかった。
「だって、ため息ばっかりついてた。授業中」
「意識して、ため息ついたのは、一回くらいだと思うけど」
「いや、何回もついてたよ。私だって、つまらないなって思ってたけどさ」
「だろうなって思ってた。授業中、目、合ったから」
手垢がついていそうな表現でそう返して、気持ち悪い返しになったなと思って、自分のことが不意に嫌になった。だけど、そんな俺の内心と裏腹に、山本瑠奈は、なぜか、ふふっと笑った。
「なんか、ドキッとしたんだけど。『目が合ったから』って。小説にありそうな返しみたい」
あー、やっぱり気持ち悪いって思ったんだと考えが行き着き、一気に自分が嫌になった。だけど、それを悟られないためにも、俺は会話を続けることにした。
「大体、ディスカッションするほどの問題なのかって思うし、知ってる内容だし、うんざりするしの三重苦に感じたんだよ。そんなことやるなら、Spotifyでクリープハイプ聴きたいなって思ってた」
「じゃあ、私はHump Backにしようかな」
「拝啓、少年よとか?」
「恋をしようとか」
「いいね。てか、音楽聴くんだね」
「あんまり、理解されないけどね」
「じゃあ、一緒だ」
そう返したあと、山本瑠奈にいつもくっついている岡谷瑞帆(おかやみずほ)が、
「瑠奈。ちょっと聞いてほしいんだけどー」と、山本瑠奈に話かけ、俺と山本瑠奈の話は自然消滅した。だから、俺は山本瑠奈の会話を諦めて、バッグから、チャールズ・ブコウスキーの『ありきたりの狂気の物語』を取り出し、読みはじめた。
*
放課後になり、すぐに教室を出た。玄関に入るとまだ誰もいなくて、放課後が始まったのと無縁な静けさがそこにあった。日陰で薄暗い玄関は、冷たかった朝の空気をそのまま15時まで保存したように、ひんやりとしていた。その冷たさは夏と無縁に思えた。ロッカーからスニーカーを取り出し、上靴を入れたとき、誰かが来る気配がした。だから、その方に視線を向けると、ちょうど山本瑠奈がこちらへ向かってくるのが見えた。
俺はスニーカーを履き、わざとかがみ込み、靴ひもを締め直した。そうしている間に、ロッカーが開く音がし、それを閉じる音がした。そして、山本瑠奈は俺の隣でローファーを履いた。
「急ぎ?」
「いや、急ぎじゃない。川崎(かわさき)くん、今日、部活じゃないんだ」
「軽音楽部は、大会直前以外、帰宅部みたいなものだよ。ひとりでいるの珍しいね」
いや、俺だって、そんなことわざと聞いているだけだ。思った以上に相手が俺のことを気にしているんだって、自意識過剰かもしれないけど、そういう根拠があるから、そんなことが聞けるんだ。
「たまにひとりで帰りたいときくらいあるんだよ。私にだって」
「別にそこまで言うつもりじゃなかったけどさ。寂しくないのかなって」
「今、寂しくなったかも」
「じゃあ、一緒にさっきの続き話そう」
俺はわざと、腕を伸ばし、両手を組み、身体を大きく伸ばした。そして、すっと息を吐いて、気合を入れたあと、立ち上がり、出口の方へ歩き始めた。
駅ビル五階のレストランフロアにある、カフェレストランで話すことにした。おそらく、同い年くらいの人があまり選ばないような、お店に入った。16時前の店内は、閑散としていて、何組かの主婦や、老夫婦がいるだけで、俺らと同じような10代は見当たらなかった。
ふたりは今、ボックス席に向かい合っている。窓側の席で、窓から白い午後の日差しが入っている。俺と、山本瑠奈はの白い光の中に入っていて、その光の終点は、右側の通路の塩ビ製のふたりにしては広すぎるテーブルの上にグラスに入っているアイスカフェオレが2つがそれぞれの前に置いてある。グラスには、微かな浮力を持った赤色のストローがささっている。ここまでは、自分の中で予想した通りで、好きなJPOPの話を一通りした。SHISHAMO、ドレスコーズ、ズーカラデル、フラワーカンパニーズ、カネヨリマサル、小山田壮平、坐・人間。
普通、KPOPアイドルの話とか、TikTokでバズってる曲ばかりの話になるところなのに、ふたりは、どっかのフェスが開催できそうなラインナップを次々に話して、お互いに完全にそれらのバンド、アーティストを知っているわけではないけど、代表曲はしっかりおさえていた。
もう、15歳目前で、ガキじゃないから、女子と二人きりでドキドキするとか、そういうことはあまりなく、むしろ、思った以上に話が合う感じの方に胸が高鳴った。
「意外と音楽だけでこんなに話せるなんて思わなかった」
「私は昨日から予感していたよ。川崎くんと話合いそうだなって」
「昨日?」
「そう、隣で久保田と話してる内容、聞いてたら、混じりたくなった」
「へえ、そうだったんだ」
俺は平常心を装うために、グラスに手をとり、カフェオレを一口飲んだ。昨日、久保田と何を話しただろうと、考えてみた。久保田が打ち込みで作った曲がいい感じだったって話をしていた。俺と久保田のバンドは久保田が作曲をして、俺がその曲に作詞をしている。
久保田は俺によく、『音楽に才能全振りしてるから、文才はない』って冗談混じりに言っている。『だから俺がいるだんだろ』とか、相棒ぶって、偉そうに久保田の曲に作詞をしている。傍目から見たら、青くて痛い奴らに思われているかもしれないと思っている。それにただでさえ、クラスでは『あいつら二人は格好つけてる』『特に川崎は何を考えているかわからないし、一匹狼な感じ出してて、痛い』って思われていることを知っている。
そんな俺みたいな人間に興味を持ってくれる存在が、今、目の前にいることに、異性うんぬん関係なく、驚いている。
「それに本だって読んでるでしょ。私からみたら、一昨日から気になる存在だった」
「そういうことは、小説も読むってこと?」
「そう、こう見えても、私、文学少女だから」
「クラスの中では読んでないよな」
「地元に戻る電車の中と、家ではずっと本、読んでるよ。それに小説も書いてる」
「小説書いてるんだ」
そう俺が返すと、山本瑠奈は、穏やかそうに微笑んだ。そして、グラスを手に取り、赤いストローを咥えた。ストローを咥えるために一瞬、前に傾けた動きで、ボブの毛先が茶色くきらりとした。
「引いた?」
「引いてないよ」
そう返して、もう一口、カフェオレを飲んだ。俺がそうしている間、山本瑠奈は俺のことを疑うように目を細めて、じっと見つめてきた。その間に、どうしようかなって思った。向こうは俺のことを作詞しているやつだと思われている。つまり、ポエマーみたいなものだと思ってるんじゃないかって、ふと思った。
痛いポエムと言われたら、それまでだし、こんなもの誰でも書けるって言われたら、確かにそういうことをしているという自負はある。ただ、俺だって、短い文章だけでやっているわけではない。
「川崎くんだって、作詞してるから言ってみたんだ。痛いって思われたり、笑われたりしないかなって思って」
「同じタイプの人間だから、笑わないし、笑えないよ。笑うやつのほうがどうかしてるよ」
「そうだよね。だけど、どんなの書いてるのとか聞いて来ないんだ」
「グイグイいくと、それこそ引くかなと思っただけで、興味はあるよ」
心のなかでは、おそらく恋愛ジャンルを書いてるのかなって思った。夏に雪を舞う力で打ちのめされるような小説なんて望んでいない。砂浜で日向ぼっこして、喉が乾くカエルみたいに、自分が好きじゃないジャンルの小説も望んでいない。
そう考えると、群像小説や、それに絡めた恋愛ジャンルだったら許せる。ただし、特殊舞台で、ベタで、ありがちな小説は苦手だ。第一印象で、透明感あふれる文体だったら、最高だなとも思った。まだ、一文字も彼女の文章を読んだことがないのに、勝手に脳内でミシュラン・ガイド基準にしても、仕方ないのもわかっている。
「だから、その――。読んでみたい。読ませてよ、俺の小説も読んでほしいから」
「川崎くんも、小説書いてるんだ」
「ただ、ものすごくつまらないよ。俺のは、しょせん、自己満足の言葉遊びに過ぎないから。だから、山本さんとは、対等にはならないと思うけど」
「対等なんて、関係ないよ。気になるな、川崎くんの小説。それに書いているってことは、誰かのために書いているんでしょ?」
山本瑠奈と目が合う。山本瑠奈は、いたずらを仕掛けている最中のような、無邪気な笑みを浮かべている。俺は、その笑みに負けてしまい思わず、視線をそらした。すると、山本瑠奈は、バッグからiPhone を取り出し、それを操作したあと、テーブルの上に置いた。
「残念だけど、自分のために文章を書いてるよ。俺は」
「歌詞書いて、歌ってるのに、小説は人のためじゃないんだ。意外なんだけど。まあ、そんなことより、今、読んでよ。私の短編」
「今?」
「川崎くんのも、読ませてよ。スマホにデータがあるなら」
「わかったよ」
ドキドキし始めている。誰かに自分が書いた小説をみせるのなんて初めてのことだ。強引だとも思ったし、自分の文章が人に読ませるようなものになっているのかさえ、わからなかった。ただ、ベッドの上で、日々、フリック入力で、書き込むくらいの情熱はある。
俺も、バッグからSE2を取り出した。iPhoneを操作し、その弱い情熱のなかで、一番の自信作をタップし、テーブルの上に置いた。山本瑠奈のiPhoneはベゼルレスのフルスクリーンのiPhoneだった。俺のSE2と比較すると、一回り大きく感じた。縁の色はパープルで、カラバリ的におそらく12なのかなって思った。二台のiPhoneはいずれも何世代も前のものだけど、山本瑠奈のiPhoneのほうが、性能がいいことを知っているから、世代が少し前のものでも羨ましい。
山本瑠奈が俺のiPhoneを手に取ったから、俺も山本瑠奈のiPhoneを手に取った。
「言い出したの私のほうだけど、なんだか、緊張するね」
「ここまできたら、お互い様だよ」
「そうだね」
山本瑠奈はそう言ったあと、俺の小説を読みはじめたみたいだ。だから、俺も山本瑠奈の小説を読みはじめた。
三行読んでわかった。彼女の文体はとても綺麗だ。
*
23時の部屋は静まり返っている。両親はすでに眠っているようだ。俺はデスクに置いてある21.5インチの古いiMacの画面に表示されている『Mlog』についてまとめられたウィキペディアを読んでいる。
冒頭にはこう書かれている。
『Mlog(えむろぐ)とは、かつて日本に存在したブログサービスである。市岡達也、川崎英二、岡部康之、丸喜昌平の四人により設立された。1999年(平成11年)にサービス開始。2021年(令和3年)にサービス終了。設立当初はMUGENブログ(むげんぶろぐ)として運営され、2009年(平成21年)に改称された。』
父親は若い時にITベンチャーの創業メンバーだったらしい。それも過去の栄光だ。20世紀末にポケモンとほぼ同時期にインターネットが普及した。もともとプログラムをいじるのが大好きだった父親は、大学の数人の仲間と一緒に、ブログサービスのMUGENという会社を立ち上げた。どうして、その名前になったのかというネーミングセンスを聞いたことがある。『童夢-零』という、個人の発案から生まれた四角く、近未来的なデザインだったレースカーの雰囲気にしたいというところから、思いついたらしい。そういう着想からフランクにつけた名前だった。
4人の仲間と麻雀を打ち、アルコールとニコチンを摂取しながら、ブレインストーミング形式で、ラフな気持ちで名前の案を出し合った。そのなかで、さっきのレースカーの名前になって、4人は少年時代に抱いた憧れを思い出した。
その結果、雰囲気をもらおうということになった。そうして、さらにアイデアの壁打ちを行い、『無限』の『無』を『夢』に変えて、『夢限』にしたようだ。ただ、サービス名は漢字を選ばなかった。その理由は、のちに日本国内にとどまらないサービスにする野望があったのと、その当時、カタカナですら野暮ったく感じる風潮があったから、スタイリッシュに見られるように、ローマ字にしたようだ。
『MUGENブログ』は、サービス名を『Mlog』と変え、2010年代の中頃まで存在していたが、過去のサービスに成り下がり、2021年3月にサ終した。
その間には、いろんなドラマがあったようだけど、父親がサービスに携わったのは、わずか7年程度だった。設立してから7年後の2006年に、外資の王手IT企業に買収され、その会社の子会社化した。役員だった父親は、買収されたときに会社に残るという選択はしなかったようだ。
また、あのとき、麻雀卓に座っていた4人のうち、3人は会社を去ることにした。理由は単純で、社長は買収に賛成で、父親を含む3人は買収に反対だったからだ。そうして、父親は家族同然だと思っていた、社長に裏切られた気持ちを抱いたまま、愛し、大きくした会社を去ることになる。
今の父親は、別のITは会社で部長をやっている。昔は役員だったのに、今は普通のサラリーマンをしている。ただ、当時の悔しさがまだ胸の中に残り続けているのか、一人息子の俺に対して、ITはに関しては、過剰なレベルで投資をしているように思う。
例えば、この間なんて、まだ使うかどうかなんて考えてもいないのに、話題になっている生成AIの一番、高いプランに加入して、そのアカウントを俺にも共有してくれた。そもそも、このiMacだって、父親が使っていたお下がりで、中学生の俺にしてみたら、過剰なレベルだ。
なのに、父親はそんなこと気にもとめず、『技術は小さいときから使いこなすのが一番いい』とか、謎の理論をよく言われる。ただ、中学生になり、スマホを買え与えられたときは、『中学生に最新鋭は、オーバースペックだ。どうせ3年しか使わないんだから、コスパがいいもので十分だろ』って言われて、最新で高性能なiPhoneではなく、廉価版を買え与えられた。もっとも、俺自身は、入学してすぐに、何人かのヤツにバカにされた。私立中学だからこそなのか、その当時、最新鋭で、中学生には有り余るスペックのiPhone12を持っているのが多数派だった。
最初はなにも感じていなかったコンプレックスも、いじられるたびに嫌になり、いつの間にか、コンプレックスになっていた。別に機能としては満足しているし、なにも問題なんてない。iPhoneSEでやることと言えば、小説や、作詞するくらいだから、俺にとって、確かに足りている。
そう、父親が『中学生に最新鋭は、オーバースペックだ』という考えはわかる。だけど、一般的な感覚としては、最新鋭でいいものが一番、かっこいいんだ。そのことを言うと、『アホは感覚で考える。有能は思考する。つまり、そういうことだ』と返された。つまり、間接的に俺のその考えは『バカだ』と父親から、言われたのも当然だった。
だから、そういう面では全く話が合わない。父親はさらに言うと、音楽や小説のような、文化的なものを無駄なことだと考えている。一度だけ、小説を書いているところを見られてしまったことがある。
そのときに言われたのは、
『小説なんて、非生産的だ。小説家になっても稼げない。リソースを割くなら、もっと生産性の高いものに時間を割きなさい』と言われた。
『いや、小説家なんて目指してないんだけど。ただの趣味だし』と返すと、
『俺の小さい時は、こんな非生産的なことなんてしないで、ずっとプログラミングしてたけどな』って、嫌味を言われたから、
『だったら、iMacじゃなくて、WindowsPCを買え与えろよ』って嫌味返しをしたら、黙り込んだ。プログラムを書き込むには圧倒的にIOSより、Windowsが向いていると言われているのを意識高い発信者の動画を観て知ったから、受け売りでそのまま伝えたら、その父親の反応で、そう言われているのは、事実なんだってことを知った。
しょせん、うちの父親なんてそんなものだ。過去の栄光にしがみついているだけのダサい人間だ。自分の人生のなかで勝手に抱いたコンプレックスを一人息子に押し付けて、人の未来にばかり期待する。時折、そんな思想が透けて見えてしまうのが嫌だった。母親は母親で、そんな父親の教育方針について、口を挟むことはなかった。ただ、母親は本を読むのが好きだから、俺がほしい本は大体、買ってくれる。父親のことを俺もすべこべ言わないようにしているし、母親もたぶん、俺に気を使って、父親の悪口を言わないようにしてくれているんだと思う。
――くだらない。
俺はマウスを赤いボタンまで持っていき、Google Chromeを閉じた。そして、小説を書くアプリを起動した。このアプリはウェブクラウド上でテキストを保存することができる。だから、iPhoneに入れた同じアプリとデータを同期することができる。
夕方、山本瑠奈の文章に刺激を受けてしまった。自分のなかで、書きたいって気持ちを掻き立てられるような文章だった。センチメンタルで透明な雰囲気があったし、文章にブルースがあったような気がする。音楽的に言うと、倍音に近いような響きだった。
ただ、ストーリーはありがちな恋の話だった。それは予想していたことだから、すぐに受け入れた。だけど、目の前に情景がぱっと広がるような、キラリとしたものがあった。すでに山本瑠奈しか書くことができない文章なんじゃないかって思った。
そのことに衝撃を受けたし、じゃあ、俺の文章って、ありがちで誰にでも書くことできる文章じゃんって思った。作詞するときは、韻を踏んだり、音を合わせたりはする。それは実際に自分で歌うってこともあるし、人に聴かせることを意識しているからか、少しでも引っかかるような言葉を選ぶようにしている。
でも、小説でそういう意識ってあまりしていない。その理由は作詞と対極にあるからだ。
『それに書いているってことは、誰かのために書いているんでしょ?』
山本瑠奈は無邪気そうに俺にそう聞いたけど、俺は違う。俺は他人に言えない、自分の心の傷を癒やすためだけに小説を書いている。だから、誰かに向けて書いているわけではない。小説で認められたいという承認欲求は全くといってない。
そんな俺の文章を山本瑠奈は、さっきこう言っていた。
*
「思ったより、えぐられる」
「そんなにエグかったかな」
「ううん、エグくはないけど、なんか、胸に響くなって思ったの」
すっと息を吐いて、山本瑠奈は俺にiPhoneSE2を差し出したから、俺はそれを受け取り、テーブルの上に置いた。俺がそうしている間に、山本瑠奈はグラスを手に取り、カフェオレを飲みきった。
「同級生の小説って初めて読んだんだ」
「俺もだよ」
「ジェラシー抱いているわけじゃないけど、私って、すごい陳腐なもの書いてるなって思っちゃった」
「チープじゃないよ。透明感の中に重さを感じた」
そう言ったあと、『ちんぷ』って言っていたのかもと思い、一瞬、言い直そうかと思ったけど、山本瑠奈がなにか言いたそうな雰囲気を感じ取ったから、自分の些細ないい間違えを修正することをやめた。
「――おだててるわけじゃないけど」
「え?」
「――私、推しになった。川崎くんの」
視線をおとしながら、頬を赤らめる山本瑠奈は可愛かった。告白でもなんでもない。ただ、ファン宣言しただけなのにって思いながら、俺は反応に困ってしまった。だから、それを悟られないようにとりあえず、グラスに手を取り、わずかになったカフェオレを飲みきった。
学校の穏やかな印象と違い、意外と積極的なところがあるんだって、自分でもよくわからない上から目線を発動させていることに気が付き、不意に自分のことが嫌になった。
ブコウスキーの小説だったら、このまま口説くのかもしれない。というか、推しになったって言った相手に対して、それは適切な行動になるのだろうか。推しと本人の境界線なんて曖昧な気さえした。仮に今、グラスの水滴を右手の人差し指につけ、その水滴を一直線にテーブルに描けば、それで境界線になるのだろうか。
まったくもって、くだらないことが頭のなかで、言葉がぐるぐると回る。
普段から、こうやって頭のなかで、言葉がぐるぐる回ることが多い。それを整理するために俺は小説を書いているに過ぎないんだ。
「じゃあ、一緒だ」
「えっ」
「俺も好きだな。瑠奈ちゃんの文章」
「ちょっとまって。急なんだけど――」
そう言って、山本瑠奈は左手で口を覆い、下を向いてしまった。顔は真っ赤なままだし、視線をそらされたままだ。しばらく会話になりそうもないなって思い、今度は水が入ったグラスを手に取り、水を口に含んだ。
わざとだ。わざと、下の名前で山本瑠奈のことを呼んでみた。これで、俺も山本瑠奈のことを意識していることが伝わったかもしれない。ただ、山本瑠奈が照れくさそうにしている姿を見て、悪い気はしなかった。それ以上に、俺の文章を認めてくれたことの方が嬉しかった。
歌詞がいいねって去年くらいから、先輩や、後輩に言われたことはあったけど、あれは久保田のメロディーがあってこその歌詞だから、正直、嬉しくもなんともなかった。だけど、今、山本瑠奈に見せたこの文章は、0から1、俺が作り出したものだったから、本当に嬉しい。こんなに嬉しんだ。自分がゼロから作ったものが評価されるのって。
ようやく山本瑠奈は落ち着いたのか、あーあ。と言って、俺と同じように水を飲んだ。
「急ってなんだよ。本当に透明感あって、すごくいい文章だった」
「ありがとう。いろいろ、嬉しい」
「ネットに投稿したり、新人賞、応募しないの?」
「まだ、その勇気はなくて、やったことない。というか、私、さっきまで強気でいたけど、自分の小説、人に読んでもらうの初めてだったんだ」
「人に向けて書いてるんでしょって言ってたのに?」
「そう、ずるいでしょ。私」
「ずるくなんかないよ。というか、公開したほうがいいよ」
「川崎くんもね。お互い様だよ」
そう言われて、思わず俺はふふっと笑ってしまった。すると、山本瑠奈も照れくさそうにふふっと笑った。
「ねえ、川崎くん。また読ませてよ。川崎くんの小説」
「山本さんもね」
「――川崎くん、もったいないよ。人の心に響く文章書けるのに」
ポツリと山本瑠奈がそう言ったのが、やけに印象に残った。
*
とにかく俺の小説は、しょせん自分のぐちゃぐちゃした頭のなかを、すっきりさせるために書いた文章に過ぎない。だから、誰かの心に響く文章を書いているつもりなんてない。むしろ、それは山本瑠奈の文章のような気さえした。ただ、今日の帰り際、『また一緒に話ししたいね』って言われたから、『また来週、話そう』って返した。すると、山本瑠奈は笑みを浮かべたから、俺はキモさが出てない回答をすることができたんだと思い、安堵した。
iMacをスリープにして、ベッドに寝転んだ。間接照明だけの温かい暗さのなかで、俺はiPhoneを操作し、小説を書き始めた。フリック入力された文章はどれも、陳腐に思える。ただ、それでもいい。これはただの自己満足に過ぎないから。
★2024年7月 ――デビュー前、普通の中3だったときの話2
「ねえ、川崎くん。この小説読んでみてほしい」
全ての授業が終わり、教室中がガヤガヤしているときに、山本瑠奈は一冊の文庫を俺の机の上にそっと置いた。俺はそのまま、置かれた文庫を手に取ろうとしたら、手と手が重なった。
意図せず、たまたま触れてしまって、俺は思わず、山本瑠奈を見た。山本瑠奈も驚いたような表情で俺のことを見た。
「――ごめん、事故」
そう言って、とっさに右手を山本瑠奈の左手から離した。
「事故らなくてもいいよ」
「こういう感じの小説、俺も好きだよ」
山本瑠奈の左手が、文庫から離れてすぐ、再び俺は文庫を手に取った。表紙を見たあと、パラパラとページをめくった。よしもとばななの『キッチン』だった。
「知ったような口きいたけど、これは読んだことない」
「きっと、気に入ってくれるような気がするから、貸してあげる」
「ありがとう。読んでみるね」
前から気になっていた。本のことよりも、さらっとホームルーム前に本を手渡されたことが意外だった。これまで、音楽の話ばかりしていて、本の話にはあまりならなかった。自分たちが書いている小説の話はするけど、お互いにどんな作家が好きだとか、この小説よかったよ。とか、考えてみると、そういう話をしていなかった。
「TUGUMIは読んだことあるけど、キッチンはまだ読んだことなかったんだ」
「むしろ、私、TUGUMI読んでないんだ」
「明日、持ってくるよ」
「やった」
思わず、山本瑠奈を見ると、山本瑠奈は、まだなにも起きていない口約束程度にすぎない、たったこのくらいのことで喜んでいた。
「いつかこういう物語書いてみたいな」
山本瑠奈がそうぼそっと呟いている途中で、担任が教室に入ってきて、ホームルームが始まってしまったから、ふたりの会話はそこで途切れてしまった。
*
「私ね、夏休みに一本、長編小説書いてみて、応募してみようと思うんだ」
駅まで二人で歩いている。駅まで続くゆるい坂道は、夕方直前の薄い黄色の陽射しでキラキラしている。坂を下り切った先には、踏切があって、さらにその先には、薄い黄色と青が混ざりあった海が広がっている。そう言われたから、俺は山本瑠奈をちらっと見た。山本瑠奈は、前を向いたまま歩いていた。
「いいね、俺たちは受験勉強もないからな」
あと2日で夏休みが始まる。そうだ。そのための私立中学に入ったようなものだ。エスカレーターでそのまま高校まで行くことができる。
「良さそうな小説の賞、見つけたんだ。去年、高校生の人がデビューしたらしいよ」
「へえ、高校生でデビューできるんだ」
「だから、もし応募できたとして、それが選ばれたとしたら、たった1年で私が最年少記録を更新することができるよね」
「そうだね。そうなったらかっこいいな」
「でしょ? だけど、そんな夢物語の甘いことばかり考えないで、私は小説を書かなくちゃいけないんだけどね」
そう言って笑う、山本瑠奈はやっぱり可愛かった。先月から仲良くなったふたりは、時折、駅に向かって一緒に歩いている。お互いに積極的に誘うわけじゃないけど、玄関で一緒になったら、だいたい、一緒に歩くようになった。そして、駅に着いて、改札をくぐり、ホームにたどり着いても、話し続けている。さらに、帰りの電車も同じ方向だから、それぞれの地元の駅まで、話し続けている。
ここ最近は、山本瑠奈とよく話している。そんなことをしているからか、学校のなかでは自然と、川崎と山本が付き合っている説が噂され始めているらしい。そんな噂が流れても、俺は気にもとめずにいることにした。山本瑠奈もその噂が流されても、なにも思っていないようだ。
そういうことだから、俺はただ、山本瑠奈と話をしたいし、山本瑠奈の小説を読みたいから、ふたりきりで話すこと自体が本当に楽しい時間に思えた。少なくとも、山本瑠奈も俺のことを退屈に思ってないから、少なくともこの一ヶ月はずっと一緒に話をしてくれているんだと思う。
ふたりで話すことも、もちろん楽しい時間なんだけど、なによりも、重要なファクターとして、今の俺と山本瑠奈の中で、秘密が共有されている。それは、小説の創作活動を密かにしているということだ。
「なあ」
「なに?」
「読みたいな」
「じゃあ、川崎くんも書いて、応募してよ。私と同じ賞じゃない違う賞に」
「え、同じ賞はダメなんだ」
「そう、だってライバルが増えるじゃん」
「なんだよそれ」
面白くなって、思わず笑うと、山本瑠奈も俺と同じように、ふふっと笑った。
「俺だって、戦いたくはないよ。てか、小説の賞で、戦うって表現が合ってるのかわからないけど」
「川崎くん、甘いよ。小説新人賞は、熱い戦いだよ。会心の出来で磨き上げられた小説だけが残る厳しい戦いなんだよ」
山本瑠奈は、両手で拳を作り、空にジャブを打つ仕草をした。
「もしかして、出したことあるの?」
「あるよ。3回くらいね」
「すごいじゃん」
「1回は、12万字超えの長編。2回は短編の賞に応募した。ちなみに私、短編ので、2次選考まで行ったことあるんだ」
「ヤバいね。すごすぎでしょ」
そう返したけど、それがどれだけすごいのか、しっかりと理解はしていなかった。ただ、うろ覚えの知識で知っていることは、1次選考すら突破するのは、ものすごく難しいらしいことは知っていた。ほとんどの人が、予選突破することも難しいみたいだから、2次選考まで通過しているのは、きっとすごいことだ。それに、俺たちは、まだ中学生だ。ただでさえ、年齢でハンデを負っているのに、大人に負けないで突破しているのはすごい。
「すごいでしょ? だけどね、親はこれがどれだけすごいことなのかわかってくれないんだよ」
「え、どういうこと?」
「うちの親、小説なんて読まない人間だからか、なんか、心の底からすごいって言ってくれている感じがしないんだよね。私がさ、ハイテンションで『二次選考まで残ってた!』って言っても、『すごい! だけど残念だったね』って言われて。いやいや、二次選考まで残ったんですけどってなってさ」
「わからないものなんだね」
「そう、きっとそういうのって、書き手とかじゃないと伝わらないんだよ。ほら、文字ってさ、しょせん誰でも書けるじゃん。だから、他の芸術よりも、凄みがでないんじゃないかなってたまに思うんだ」
「確かにそれはあるかも」
それはあると思う。だって、文章は誰だって書けてしまうんだ。ただの文章と小説の違いは、大雑把に考えてみると、物語を書き切る根気と、文章にどれだけ細心の注意を払い、丁寧に書き込んでいるかだと思う。いくら、自分が大好きな風景描写をしっかり書き込んでも、それが伝わらなかったり、読み飛ばされたりしたら、それは読み飛ばされる程度だった文章にすぎない。
その点、作詞は音の作り込みとかで、伝わりやすいように思う。文章が短い分、情報量が少ないということも伝わりやすさにプラスになっている。だから、刺さる一文。つまり、キラーフレーズをしっかり作れば、結構、反応がいいように思う。
「ねえ、川崎くん」
「なに?」
「夏休み、お互いに応募する作品、読みあおうよ。そして、それぞれ別の賞に応募しよう。今年の夏休みの宿題にしよ? 私たちふたりの」
「ちょっと、待ってくれよ。俺はまだ一言も、書くなんて言ってない」
「えー、じゃあ、私だけ書いて、川崎くんに読んでもらうの? 私だって推しの川崎くんの小説読みたいのに」
「わかったよ。書くよ、俺も」
「やった。今日、嬉しいことふたつもあって最高なんだけど」
「まだ、両方とも口約束だけどな」
そう言っている途中で、横断歩道の信号が点滅し、そして赤になったから、ふたりは立ち止まった。山本瑠奈を見ると、山本瑠奈はなにかを考えているように両腕を組んで、空を見ているように見えた。数秒して、両腕を組むのをやめて、右手の小指を俺の前に差し出した。
「こうすれば、口約束にならないんじゃない?」
「わかったよ。こう見えても約束は守るよ」
「約束だよ」
山本瑠奈がそう言っている途中で俺は右手の小指で、山本瑠奈の小指を結んだ。
*
夏休みに入る前日から、作業を始めた。初日にやったことは、プロット作りだった。以前から何冊か小説の書き方の本を読んでいた。そのなかで、小説の設計図であるプロット作りの大切さがよく説かれていた。だから、俺は見様見真似で、プロットを作り始めた。
最初はノートに丁寧に書いていたけど、だんだん面倒になってきたから、とりあえず思いついたことをiMacを使って、キーボードで打ち込むことにした。普段、スマホのフリック入力ばかりしていて、キーボードのローマ字入力は、いまいち手に馴染んでいないように思えた。ただ、小さい頃からタイピングをしていたから、同学年の人たちよりは、タイピングはできるほうだと思う。
感覚的に馴染まないし、フリック入力のほうが楽に思えるというだけだ。
書きたい話は二つくらいあって、それをとりあえずばっと、なにかに乗り移られたかのように、書いていった。そうしているうちに、だんだんと手もキーボードに馴染んできて、マシンガンを打ち込むように文字を打ち込むことができるようになってきた。
ここまでの作業で2、3日かかった。
『意外と楽しいかも』と山本瑠奈にLINEでメッセージを送ると、1分もしないで返信が返ってきた。
『私、もう、2万字書いたよ。すごいでしょ』
山本瑠奈も書いていたことに驚いたが、なにより同じ2、3日を使って、もうそんなに進んでいることに一番驚いた。同じ時間を使っているはずなのに、作業が早いことに少しだけ嫉妬して、返信したくなくなった。
『すごいな! 早く読んでみたい』とまっとうな返信をした。そんな返信をフリック入力している最中ですら、悔しさが胸を占めそうになった。悔しいとあわせて、すごいなとも思った。たった数日で書けるんだから、それってすごい才能だよなって、山本瑠奈のことを認めざるを得ない。
『私、7月中に完成させられるかも』
『じゃあ、俺も7月中に完成させるよ』
『川崎くんは無理しなくていいよ 夏休み中に完成させて、私に読ませてよ!』
『わかった 無理だったらそのときは土下座しとく』
『土下座なんかいらない 書いて! 川崎くんならできるよ!』
『体育会系だな笑 お互い、頑張っていこう』
そう俺が返すと、山本瑠奈から、すぐにスタンプが送られてきた。これで終話していいということがわかったから、俺はLINEを閉じた。
俺の文章は、しょせん自分のために書いているものだ。人のために書いている山本瑠奈の文章とは、タイプが違うんだから、比べても仕方ないことだ。自分にそう言い聞かせ、俺は、そのやり取りをしている最中に、ふと思いついたことがあったから、また脈略もなく、思いついたことをキーボードで書き殴った。
そして、プロットが3万字になった5日目。俺はようやく、小説の本文を書き始めた。書き始めると止まらなくなった。できるだけエコで行きたいから、文字数はとりあえず8万字くらいを目指すことにした。原稿用紙換算で200枚以上が応募規定だった。生成AIにそのことを質問したら、瞬時に色々調べてくれた。その結果、どうやら改行とかスベースで原稿用紙換算200枚は、きっちり8万字にはならないようだ。冷静に考えてみれば確かにそうかと思った。ただ、応募したい賞の応募規定だと、原稿用紙換算でしか指定がされていないから、文字数での指定がない。
それでも原稿用紙換算は、明確に数値化されておらず、漠然としているように感じたから、とりあえず8万字くらいの小説を書くことにした。
小説を書いていくうちに、意外と作詞のように韻を踏んだり、音を合わせたりすることもできることを発見した。だから、発見したことを、最初に書いた部分に反映し直した。ただ、あくまでも、小説は自分のために書くということを意識した。
正直、人のためなんて、まったくわからない。なにが人のための文章になるかなんて、俺にはわからない。俺にわかることは、自分のなかにある鬱屈した気持ちを整理した言葉だけだ。
*
8万字の小説『空なんて飛べない』は7月29日に完成した。完成したのは夕方だった。Spotifyでかけっぱなしのリーガルリリーは部屋に流れ続けたままだ。今、まさにリッケンバッカーが流れはじめた。俺は一旦、休憩がしたくなり、身体をデスクからベッドに移し、横になった。そうだ、メッセージを送らなくちゃ。
頭を使っているはずなのに、なぜか全身が疲れている気さえする。一番最初に完成を報告したい相手だ。デスクまで右腕を伸ばして、デスクの端に置いてあるiPhoneを手に取った。そして、そのまま右肩を下にしたまま、親指で操作して、LINEを起動させた。
『できあがり!』
メッセージを送ると、一瞬で既読がついた。
『おめでとう! 川崎くん有言実行だったね 私もいい感じになってきた』
有言実行っていうのは、おそらく俺も7月中に小説を完成させたことを言ってるんだと思う。3日前に山本瑠奈から『できた』とメッセージがあった。そのときの俺は、すでに6万字を越えていて、話は、クライマックスの手前まできていた。
『見直しているの?』
『うん、推敲4回目ー いい感じにバグ取りできた気がする』
バグ取り。山本瑠奈は誤字脱字のことをバグと呼んでいる。確かにそうか。誤字脱字ってバグだよなって昨日、メッセージでやり取りをしたときに思った。そうか、誤字脱字チェック、俺もしなくちゃいけないんだった。それを考えるだけで、げんなりした。
『まだ、バグ取りしてないけど、明日、お互いの原稿、読みあおう 11時に前のカフェレストランでもいい?』
『いいよ その前にもう少しだけブラッシュアップしてみるね』
『楽しみだわ』
『私も じゃあ、明日ね』
またスタンプが一方的に送られてきた。だから、俺も適切なスタンプで返信し仰向けになった。そして、iPhoneを腹の上に乗せ、両腕を広げた。それと合わせて、凝り固まっていた胸筋が一気に伸びる感覚がした。10日くらいで一気に8万字を書き上げた。単純計算で1日1万字くらいを書いた。プロットで適当に書いたところもそのまま流用はしているけど、使っていない文章もあるから、実質、10万字近く書いているはずだ。手のひらも、前腕も重く、だるさを感じる。左手を額に当てると、微かに熱を持っている。別に発熱しているわけではない。風邪を引いたわけじゃない。ただ、脳みその使いすぎで頭が熱くなっているだけだ。
なにも考えずに、窓から夕日が差し込み、天井がオレンジ色の線ができている。それを数秒間、眺める。そのオレンジ色を見ているだけで頭のなかが空になっていくような気さえした。そして、ふと思った。俺は自由なんだ。自由に文字で世界を作り上げて、俺の自由に嫌いで退屈な世界に色を与えたらいいんだって。
別にたいそれたことなんてしていない。自分を癒やすためだけの文章に過ぎないんだ。80文字でも、8万文字でも。ヒマラヤも海抜マイナス・1メートルでも陸地は陸地であることと同じように、自分のなかでの、文章のカテゴライズなんて、その程度のものだ。そんなくだらないことなんて考えないで、8万字のバグ取りしなくちゃ――。面倒だ。
ふと、書きはじめたときに生成AIに原稿用紙換算を聞いたことを思い出した。
*
iMacの画面に映し出されているのは、生成AIが文章を生成している様子だった。出来上がったばかりの文字は、半透明で100文字くらい、まずぱっと表示される。後ろの文章の生成が進むたびに、半透明だった文字が黒くなる。つまり、確定した文字になるということだ。AIは俺が指示した通り、誤字脱字の部分を赤字で表示している。自分では意識していなかった誤字脱字が次々に赤で浮かび上がっているようだ。
AIが文字を出力できる最大文字数が3万字らしいから、俺の8万字の小説を3回にわけて、生成AIに入力した。そして、AIが誤字脱字修正し、出力した3万字を別データにコピー&ペーストした。誤字脱字修正をAIにさせたから、俺が書いた8万字には変わりないけど、一度、AIに自分の文章を取り込んで、AIによって出力された文章は俺が書いた文章ではないように思えた。ただ、それは感覚的にということに過ぎず、AIは忠実に読み込んだ俺の文章を間違いを正し、正確な文章にしてくれいているに過ぎない。
《ありがとう 助かったよ》
素直に思ったことをチャット欄に打ち込んだ。
《お役に立て、光栄です! 風景描写がとても瑞々しく、感傷を引き立てる魅力的な小説でした✒️ またいつでもお手伝いしますね💡 あなたの小説がより良い作品になりますように✨️》
こんなことまで、答えてくれるんだ――。欧米で開発されたAIだから、こんなに陽気なのかな。もし、日本人が作ったAIだったら、こんなにフランクな感じじゃなく、もっと堅苦しい感じだったのかな。下僕と主人みたいな関係性の出力になっていたかもしれない。例えば、こんな感じかな。
『とんでもございません。微力ながら、お力添えができ大変光栄です。川崎様の文章を読み、やはり人間様が書いた文章には魂がこもっていると思った次第です。私たちには書くことなどできません。この程度の能力ですが、またお役に立てますよう精進して参ります。』
はは、めっちゃジメジメしてるじゃん。面倒そうなやつ。こっちが病んじゃうわ。自分で書いた文章に笑いながら、俺はバックスペースを長押しして、チャット欄に書き込んだ謙遜しすぎる妄想和製AI構文を消した。
AIってこうやって使うんだと実感する20分だった。たった20分で誤字脱字のバグ取りが終わった。AIから出力された文章をコピペしたデータをマウスでクリックした。もう一度、冒頭から、自分の小説を読んでみた。赤字は多い印象だ。赤字はあとで黒に変えてしまえばいいだけだから、問題はない。
やっぱり、人間は欠落しているなと思った。自分が書いている感覚では、できるだけ誤字脱字を出さないように気をつけて書いているつもりだった。だけど、現実は誤字脱字だらけだ。
小説の書き方の本のなかで、『何度も推敲をしよう』とよく書かれているのを思い出した。AI革命は、日々、確実に進んでいるんだろうけど、こうしたノウハウ本の世界では、もちろんそうしたAI革命のことなんて考慮されているはずがない。
中学生、15歳の俺ですら、つい最近まで語られていたことが、すべてが陳腐化していることもわかる。
Google Chromeで新しいタブを開き、『AI 小説 活用』で検索をかけた。スクロールしながら、ざっとサイトの見出しを目で追う。だけど、ぱっと興味が持てるような内容はあまりないように思えた。例えば、『AIを活用したアイデア出し』とか、『AIを使って小説を書いてみた』とか、『AIで小説を書くサービス5選』『AIで書いた短編小説が新人賞を受賞 使用は限定的』『AIで長編小説を作るのが不可能な理由』とか、そういう記事しかないことに気がついた。
前、父親とAIのことでやりとりしたことをふと思い出した。
*
『独自のものをAIにディープラーニングすればいいんだよ。コールセンターとかの決まったやり取りとかルールをAIに勉強させるんだ。そうすることで、より精度の高い返答をすることが可能になる』
『へえ。精度が高くなるとどうなるん?』
俺はそのとき、さほど、この話題になんて興味がなかった。だから、iPhoneで音を消したTikTokを流し見しながら、父親の話を聞いていた。
『単純労働をする人間はいらなくなる。今まではクリエイティブの仕事は生き残れると言われていたけど、たぶん、先に淘汰されるとも言われているんだ。脳のニューロンに近いAIが最近、作られて、思考が人間に似たようなものを作ることができたんだ。これは人類の進化だ。産業革命、インターネット革命の次がAI革命だ』
『ふーん。クリエイティブは人類が始まってからずっと続く文化だから、淘汰されるとは思わないな』
『いや、淘汰される。イラスト、音楽、文章の生成はAIの得意分野だ。〇〇風のイラスト描いてとか、〇〇みたいな小説書いてってプロンプトを入れたら、数秒で作ってくれる』
『プロンプト?』
『AIに指示する設計図のことだよ。今は、その話をしていない。そんなのはどうでもいい。単純作業はすべて消えてしまうんだよ。AIによって。クリエイティブなことも、しょせん単純作業だったということだよ』
『嫌な未来』
『仕方ない。人類は進化していくものだ。大事なことは、使いこなすことだ。仮にお前が好きな小説をAIに書かせるとする。今の生成AIでは面白い小説は書けない』
『じゃあ、小説家は安泰だね』
『いや、実は安泰ではない。自分の文章と作風をAIにディープラーニング。つまり機械学習させるんだ。そうすると、オリジナルの小説を書くことが可能になる』
『要は、無料で使える範囲は機械学習ができないから、自分の文章をAIに教え込めば、今、本出しているような作家は、AIにこんな小説書いてって言ったら、自分っぽい文章で小説をかいてくれるってこと?』
『そういうことだ。だから、時代に乗り遅れないように、わざわざ金を払って、お前にもAIに触れてもらっている。クリエイターだけじゃない。事務作業やプログラミングも、ホワイトカラーと呼ばれる仕事はほとんどなくなる。現にテック企業はもう、人員を減らし始めてる』
『そしたら、父さんもクビになるね』
『父さんはクビにならないよ』
『え、どうして?』
『管理する側は昔から仕事をとられることがない』
*
iMacの画面には、『AIで長編小説を作るのが不可能な理由』という記事が表示されている。その記事の内容をざっと読むと、『いくらプロンプトを工夫しても、金太郎飴な小説しかできない』『現状、AIが出力できる文字数は短編小説程度の文字数で、長編小説を書くには、矛盾が生じやすく、結局、相当な推敲作業が必要だ』『そういった意味で、多くの人に感動を与える小説家という職業を置き換えるのはまだ不可能だと思われる』など、この程度のことしか書かれていなかった。
父親が言っていたことと、この記事にギャップがあることに気がついた。この記事ではディープラーニングのことは一切、触れられていなかった。無料で公開されているAIの範囲でしか話が展開されていなかった。
――もしかして、大人たちはまだ、AIの本当の使い方を知らないんじゃないか。
新しいタブを開き、生成AIのディープラーニングについて調べはじめた。
★2024年12月 ――中3の秋、最終選考に残った話
「おめでとうございます。川崎圏外(かわさきけんがい)さんの作品が、なんと、最終選考に残りました」
iPhone越しに聞く、女性の声はなぜかウキウキしているように聞こえた。この女性は、小山書店の編集者、永瀬(ながせ)と名乗った。学校から帰り、16時過ぎ。自分の部屋でブレザーを脱いでいる最中に電話が鳴った。自動通知で着信画面には、最初から『小山書店(おやましょてん)』と表示されていた。
「ありがとうございます」
電話で受け答えしている人物が中学生であることを、もちろん、編集者の永瀬さんは知っていると思う。もしかすると、子供扱いする感覚で、比較的、明るい声で最終選考に残ったことを告げたのかもしれないと俺は思った。
「改めて、弊社の小説八雲新人賞に応募くださりありがとうございます。簡単に状況を説明しますね。川崎さんが8月に応募しました『人生なんてろくでもない!』が最後の5作まで入りました」
「そうなんですね」
まさか、ここまでうまくいくとは思ってなかった。それに小説の新人賞に応募したのは、生まれて初めてだった。だから、最後の5作の中に入ったと言われても、現実感がなかった。
「大丈夫ですか? 落ち着いてくださいね」
そんなあっけらかんとした俺の反応から、永瀬さんは俺が動揺していると思っているのかもしれない。だけど、俺は今、ものすごく冷静だ。
「大丈夫です。落ち着いてます。あの、聞きたいんですけど。応募した人の数ってどれくらいだったんですか」
「今回は、1933作です。今年は比較的、応募があった中からの最終選考に残っている状態なので、私の個人的な感想を言うと、すごいことだと思います」
「ありがとうございます」
「これから、最終選考で先生方に読んでいただくことになります。なので、先生方に読んでいただく前に、もうちょっとこうした方がいいかもって点をお伝えしたいと思っています。このまま、お打ち合わせできたら、したいのですが、今からお時間大丈夫でしょうか」
「はい、大丈夫です」
というか、これが噂の編集者との打ち合わせってやつなんだ。ってまた自分を俯瞰しているように、俺はそんなことを考えた。長くなりそうだから、とりあえず、デスクの椅子を引き、椅子に座った。そして、その辺においてあったルーズリーフを一枚、手元に置き、ペンを持った。そのあと、iMacの電源ボタンを押し、スリープを解除した。
★2024年7月 ――中3の夏休み、応募する前の話
上りエスカレーターを降り、右側に進むと、カフェレストランが見えた。初めて山本瑠奈と長話をした駅ビルのカフェレストランだ。カフェレストランの食品サンプルが並ぶ、ガラスのディスプレイの前に山本瑠奈が立っていた。右手をあげ、軽く手を振ると、山本瑠奈は笑みを浮かべて、手を振り返してくれた。山本瑠奈は、青色の半袖ワンピースに白いTシャツを着ていた。その姿が涼しさがあるように見え、山本瑠奈が存在しているだけで、-1℃、周囲の気温を下げる効果があるようにも見えた。
「似合ってるね。おまたせ」
「ありがとう。待ってないよ。私も着いたばかりだから」
山本瑠奈の頬が若干、赤くなったように見えた。俺はそのまま、店に入り、店員に二人であることを伝えると、好きな席に座っていいと言われたから、6月に山本瑠奈と話をした同じ席に座った。
「私、最高傑作できたかも」
「めっちゃ楽しみなんだけど。その前にチョコレートパフェ食べない? あと、カフェオレも」
「いいよ。私もそのつもりだったから。ねえ、川崎くん」
「なに?」
「私も、早く読みたいな。川崎くんの小説」
「パフェ食べてからね」
そう言いながら、メニューを開いた。前に来たときから、気になっていたチョコレートパフェを指差すと、山本瑠奈は頷いた。だから、俺は呼び鈴を押し、店員を呼んだ。
*
パフェを食べ終えた。食べている間は、本当に平和な時間だった。書いているときになに聴いてたって話になって、俺はリーガルリリー聴いてたって言うと、山本瑠奈はラブリーサマーちゃんの『あなたは煙草 私はシャボン』が収録されているアルバムをずっとリピしてたって言ってた。そこから、ラブリーサマーちゃんの話とか、フロントメモリーのカバーの話とか、川本真琴の話とか、90年代のJPOPの話とかして、盛り上がった。
「私ね、小説書きながら、大人になりたくないなって思いながら書いてたんだ」
「ピーターパンシンドロームチックなこと書いていたの?」
「違うよ。今は学生って身分だから、自由に時間使えるわけじゃん。青春っていう大義名分があるわけだから。だけど、大人になったら、仕事して、お金稼いで、生活しなくちゃならないわけでしょ。仕事ってどんなことなのかなんて、まだわからないけど、仕事しながら小説書けるのかなって思ったんだ」
「あっという間に書いてるイメージだったけど、実は大変だったってこと?」
そう聞くと、山本瑠奈は照れくさそうに、小さく頷いた。その頷きでボブの毛先が揺れ、6月のあの日みたいだなって、その日のことを思い出した。
「もちろん、書いてて楽しかったけど、こんなに疲れることだったかなって思ったんだよね。今回、それだけ真剣に書いたってことだよねって、自分には言い聞かせているけど、やっぱりちょっと疲れたかも」
「そうなんだ」
俺も疲れたよって一瞬、言いたくなったけど、かっこ悪いかもなと考えにいたり、口にするのをやめた。疲れたって言っていいのは、山本瑠奈みたいに真剣に他人が楽しんでもらえるような文章を書いた人が口に出していいことだ。一方の俺は、自分のために書いた文章に過ぎない。人のために書いたわけじゃない。
――いや、今回だけ、多少、山本瑠奈に読んでもらうことは意識したかもしれないけど、感覚としてはいつもと一緒だった。
それに山本瑠奈は、何度も読み返し、バグ取りをして、推敲をしているはずだ。一方の俺は、バグ取りをAIに丸投げした。それに少しだけ罪悪感を感じている。
「――ごめんね。疲れたとか言っちゃダメだよね」
「ダメじゃないよ。それだけ、一生懸命やったってことだよ。それに山本さんの言う通りかもしれない」
「言う通り?」
「そう。大人になって、普通の仕事しながら、小説書くって無理かもなって、今、話聞いて、俺もそう思った。小説を書くだけでこれだけ大変なのに、朝から晩まで仕事して、帰ってきてから小説書くとか、できないかもなって思った」
「だよね。ねえ、川崎くん。もし、大人になって川崎くんと話していられるなら、大人になってもこうやって、小説の話とか、お互いに書いた小説見せあったりしたいな」
「まだ、気が早いよ。それにまだ、小説見せあってもいないから、今から読み合おう」
バッグからiPhoneを取り出し、小説を表示させた。山本瑠奈も同じようにiPhoneを取り出し、操作しはじめた。山本瑠奈の顔を見ると、少しだけ寂しそうな表情をしていた。
*
ふたりは黙々と、iPhoneで小説を読みはじめた。時々、カフェオレを飲みながら、お互いに黙ったまま、小説を読んだ。大体、2時間くらいそうしていた。俺も、山本瑠奈も、読書家だから、読むのが早いことはもう、お互いの共通認識になっていた。大体、文庫本1冊くらいの文量なら、2時間強くらいあれば読めるよねって、夏休みに入る前に話していた。
山本瑠奈の小説はとてもキラキラとしていた。文体はとても綺麗だし、使われている言葉やシーンが適切に思えた。最初は文字を追い、ストーリーを追っていたはずなのに、気がついたら、頭の中に映像が次々と浮かび、劇画になった。
あるシーンでは草原の若草の匂いと、青と緑を感じたり、時折、強く吹く夏らしくない冷たい風も、容易に想像することができた。あるシーンでは、切迫した主人公のセリフが胸を締め付けるような感覚もした。小説でなにかを訴えられる力があるってすごいって思った。
小説を読み終えると、胸には爽やかさと、嬉しさにあふれていた。それは、山本瑠奈という、明るい人間がそのまま、この小説のなかに凝縮されているような爽やかさだった。
青いハッピーエンドだけど、その青さが最高だった。もっと、読んでいたいと思うくらい、この小説に終わってほしくなかった。
山本瑠奈も、俺の小説を読み終わったみたいで、お互いに目が合い、笑いあった。
お互いの第一声が「すごいね」だった。
そして、続けて山本瑠奈はこう言った。
「ふたりとも天才すぎだね。大人に勝って、うっかりふたりとも小説家になったりして」
そう言われて、そんなの夢物語だよねっていう冗談として受け止め、もちろん笑った。
10日かけて真剣に書いた小説のことを褒めてくれて本当に嬉しかった。
*
だけど、現実を思い知る。たった1日、AIが書いた10万字の小説が最終選考に残り、それが最優秀賞を受賞するだなんて、そのこと自体が不条理だって思った。
この日、山本瑠奈に見せた俺が書いた小説は、一次選考も通らなかった。
一方、山本瑠奈の小説は、二次選考まで通過し、落選した。
★2025年1月 ――中3の冬、授賞式直前の話
「川崎圏外さん、最優秀賞です」
iPhone越しで、小山書店の編集者の永瀬さんの声が弾んでいるのがわかった。
「――最優秀賞」
俺が言葉に詰まったのは、当たり前のことだ。まさか、この小説が賞を取るなんて思っていなかったからだ。最終選考まで行ったことすら戸惑っていたし、最終選考用に原稿を直したあとも、どうせ落ちるだろうから、どうにでもなれという気持ちでやっていた。
「すごいことですよ! もっと喜んでください!」
「あ、ありがとうございます。びっくりしちゃって」
「それはそうですよね! 私も担当作が最優秀賞取ったの初めてのことで、本当に嬉しいんですよ! そして、なんとなんと、15歳での受賞は40回以上開催されている、この賞のなかでは、ぶっちぎりの史上最年少です!」
「そうなんですか」としか、言いようがなかった。別に俺に取ってみれば、年齢なんて関係ないように思えた。仮に俺が105歳で受賞した場合、それは史上最年長です! って永瀬さんに同じようなテンションで言われるだろうし、仮に25歳で受賞したとしても、きっと永瀬さんは同じようなテンションで、『最優秀賞です!』って言うに違いなかった。
要はそれだけ、大人の人たちに認められているということなのかもしれないけど、永瀬さんの通話越しの声だけでは、どうも永瀬さん一人が喜んでいるようにしか感じられず、俺は余計に戸惑っているのかもしれない。
「選考委員の先生方のほとんどが、川崎さんのことを絶賛されていました。斬新で、瑞々しく、そして、15歳で完成度の高い作品を書かれたことに驚きの声が多数ありました」
「はあ」
そう言われても、まったく嬉しいという感情は沸かなかった。
「まず、授賞式が3月にありますので、出席していただきます。本の刊行は、原稿の完成次第になりますが今年の夏ごろ目処にできたらと考えています。ただ、状況、調整次第では春先になる可能性もあります」
そっか、この原稿って本になるんだ。てか、作家デビューすることになるんだ。俺は、本物の編集者である永瀬さんにそう言われても、まったくといっていいほど、実感がわかなかった。
「わかりました」
「また、詳細決まりましたら、ご連絡します。あと後ほど、ご両親にもご連絡しますので、その旨、お伝えください。それでは一旦失礼します」
通話は一方的に切られた。最終選考に残ったときに、永瀬さんから、親に最終選考に残ったことを伝えてくださいと言われたから、親に伝えた。母親は、もう賞を受賞したんじゃないかってくらい喜んでくれたけど、父親は『ふーん、小説ね』と言っただけだった。
*
その日の夜、永瀬さんから連絡が来る前に、両親に最優秀賞だったことを伝えた。母親は予想通り喜び、父親は予想通り、『よかったね』と塩対応だった。その後、永瀬さんから連絡があり、両親に電話越しで事情説明をした。父親の反応から、もしかすると、承諾してくれないんじゃないかって思ったけど、母親があまりにも喜んでいる様子を見たからなのか、父親はあっさり、承諾してくれた。
つまり、これで俺の小説家デビューは、ほぼ確定したことになる。本当は、山本瑠奈にも伝えたかった。だけど、俺は、山本瑠奈とのトーク画面を開いては、閉じを繰り返していた。
トーク画面の履歴は12月の待ち合わせのメッセージと、作品データの添付ファイルを最後に、時が止まっていた。
★2024年12月 ――中3の秋、最終選考に残った話
いつものカフェレストランで、いつもと同じ席に座り、山本瑠奈と向かい合っている。テーブルにはホットのカフェラテが二つ置いていある。大きめのカップがソーサーに乗っている。店内の音楽はいつもは、洋楽のPOPSが流れているのに、今日はクリスマスソングが流れている。ポール・マッカートニーの『Wonderful Christmastime』が終わり、ボビー・ヘルムズの『Jingle Bell Rock』が流れ始めた。
たまたま今日は終業式だったから、ちょうどお昼時にこの店に入り、パスタを食べた。食べる前から、今日もお互いに話しが弾んでいた。9月に席替えがあり、教室ではもう、山本瑠奈とは隣同士ではない。席が隣同士だったことは、すでに過去の出来事になっていた。それでも、タイミングがあえば、山本瑠奈と一緒に学校から帰ったり、たまにカフェレストランで話したり、お互いに書いた小説を読み合ったりした。
今日も、カフェレストランで同じような過ごし方をしている。相対性理論の『気になるあの娘』を最近、無限ループしているとか、やくしまるえつこの『少年よ我に返れ』もいいよねとか、そういう話をしていた。あと、11月に文化祭での演奏で、俺と久保田のバンドがコピーしたWurtsの『分かってないよ』が、何回も言うけど、かっこよかったって言ってくれたり、オリジナル曲の『炭酸電池』の歌詞も、めっちゃほめてくれて嬉しかった。
そんな穏やかな時間だった。俺は気が重いけど、山本瑠奈には隠したくないと思ったから、勇気を出してこのことを言うことにした。
「実は言ってないことがあって」
「え、なに? 怖いんだけど」
「怖い話じゃないよ。ただ、黙ってたんだ。俺が弱くて」
「弱い?」
「そう、俺は弱い人間なんだ」
「あれだけステージでギター演奏して、歌ってるのに?」
「そう、度胸はあっても、弱い人間なんだよ」
俺はため息を吐いたあと、カップを手に取り、カフェラテを一口飲んだ。そして、覚悟を決めた。嫌われたら、これで最後かもしれない。だけど、雑誌に自分のペンネームが載って、世の中にこの事実が公示されたあとに伝えるほうが、かっこ悪いし、不誠実だ。少なくとも、山本瑠奈の前では、誠実でいたい。
「7月末に小説応募したじゃん」
「そうだね」
「読んでもらった方じゃない、もう一つの作品も実は応募したんだ」
「えー、早く言ってよ。すごい読みたい」
「そうじゃないんだ。その作品が今、最終選考まで行ったんだ」
「えっ!? すごいじゃん!」
一気に山本瑠奈の表情が明るくなった。俺は思わず、何度か瞬きをしてしまった。瞬きをしてしまう理由くらいわかりきっている。それは、喜んでくれている山本瑠奈のことを傷つけるかもしれないからだ。
「すごくないんだ。全部、生成AIで書いた作品だから」
「え……」
俺が予想していた通り、山本瑠奈の表情は一気に曇った。俺はため息を吐き、思わず山本瑠奈から視線をそらした。左側の窓を見ると、窓の外では灰色の空から、雪がちらつきはじめていた。
「7月にお互いに作品読みあったじゃん。あの日の夜と、次の日の1日半くらいの時間で、AIに10万字の小説を書かせた。俺が書いた8万字の小説と今まで書いた短編小説、それと作詞した詩をAIに読み込んだんだ。そして、1万字くらいでプロットを書いて、俺の作風で小説をAIに書かせたんだ」
「その小説が最終選考まで行ったってこと?」
「そうだよ。昨日、編集の人から連絡あった。最低だよな、俺」
「え、待って。それってAIが書いたけど、プロットは自分で書いているってこと?」
「そうだよ。あとはAIがすべて書いた」
「へえ」
山本瑠奈は、抑揚を抑えた声でそう返した。そして、なにかを訴えかけるように目を細めたあと、カップを手に取り、カフェラテを一口飲んだ。
「どうせ、最終選考で落ちるだろうけどさ」
「卑下しないでよ」
「卑下じゃない。だって俺は書いてないから。それに編集の人から連絡来たときに言えなかったよ。言える空気じゃなかったし。改稿しても、どうせ落ちるだろうから、落ちればこれで終わりだから」
「それでも、川崎くんの作品でしょ。最後まで責任持ってよ。こんなことなんてたぶん、人生で滅多にないことだと思うし」
そう言われて、俺はなにも言えなくなった。
「川崎くん、人って前提条件で生きている生き物だと思うんだ」
「前提条件って、これが普通だろうとか、そういうこと?」
「そう、小説は今まで人間が書いていて、当たり前だから、AIで小説を書いたなんて思わないよ。たぶん、世界で初めてのことをやったんだよ。川崎くんは。ライト兄弟が飛行機を飛ばした日のように」
「初めてではないと思う」
「いや、今まで短編がAIで書かれているのとかは、ニュースで見たことあるから、私くらいの凡人でもわかるよ。だけど、長編小説書いた人なんて、今までいた? まだ、いないでしょ。それにエンタメ小説のなかでは、ランク上のほうの新人賞の最終選考に残った人なんて、一人もいないよ」
「――ありがとう」
それが適切な返しではないことくらい、自分でもわかっている。山本瑠奈が言いたいこともわかる。わかるけど、俺の気持ちは晴れないままだ。自分自身が一番わかっているつもりだ。気持ちが晴れない理由は、完全に自分の力だけで書き上げたものではないからだ。
「自分の手でなにかを成し遂げたっていう手応えがないんだ」
「あのね、川崎くん。甘ったるいこと言わないでくれない? これ以上、弱音言ったら、私が惨めになるからやめてほしい」
「これのどこが甘ったるいんだ?」
「小説書いている人たち全員、みんな一生懸命やってるんだよ。それでも届かない場所に今、川崎くんはいるのに、それを喜んでないからだよ」
山本瑠奈は俺のことをまっすぐ見つめていた。目の奥に怒りを感じる。まったく面白くもなんともない。山本瑠奈の怒りになんて、触れたくなんかなかったんだ。俺は。だから言いたくなかった。だけど、言わないわけにいかないと思ったんだ。山本瑠奈だけには、わかってほしいって思ったから。
そういう面で言えば、俺は考えが甘かったんだ。もしかすると、山本瑠奈なら、このモヤモヤした感情を受け入れてもらえると思い込んでいた俺が甘かったんだ。
「何回も選考に落ちて、どこが悪かったとか、なにが原因で自分の小説が選考に落ちたのか正確な理由を知ることもないまま、また前向きになって、小説を書き続けてるんだよ。私も四度目の応募で、今回は二次選考も越えて、新人賞取れると思い込んでたし」
「まさか、こんなことになるなんて思ってなかったんだ。実験的な気持ちだったんだ」
「実験?」
「そう、思いつきでやっただけに過ぎないんだ。2作品送ったうち、自分で書いた8万字の小説の方が本命だった。AIのほうは、おまけに過ぎないんだ。AIのほうは、仮に一次選考突破できたら、小説として成立しているってことが証明できればいいと思ってくらいだったんだ。それが一生懸命書いた本命の8万字は一次選考も通らないで、AIは最終選考まで進んでしまった。笑えるよな」
「――全然、笑えないんだけど」
山本瑠奈はすっと、息を吐き、またカフェラテを一口飲んだ。ソーサーの上にカップを置いたとき、がちゃんと乱雑な音がした。俺はそれを黙ったまま見ていた。その間に、鉄琴のイントロが流れ始め、そのイントロの数音だけで、マライア・キャリーの『All I Want For Christmas Is You』だとわかった。
「川崎くんは、一回目の応募で最終選考までいけたんだよ。だったら、書いたのがAIでも胸張ってよ。それだけすごいことしてるんだから。あとで私にも読ませてよ。作品送ってほしい」
「嫌だって言ったらどうする?」
「川崎くんの推しなんかやめてやる。AIに負けるのなんて悔しいから自分の小説書きまくる」
「――だよな」
すっと息を吐き、再び窓の外を見ると、大粒の綿雪が降り始めていた。これ以上、強く雪が振り続けたら、電車は止まってしまうかもしれない。いや、電車なんて止まってしまえばいい。多くの人が困ってしまえばいいんだ。その群衆のなかに山本瑠奈も、俺も巻き込まれてしまえばいいんだ。暗い気持ちのまま、山本瑠奈を再び見ると、なぜか山本瑠奈は声を出して笑い始めた。
「なんだよ。また甘ったいなって思っただろ」
「ってのは、冗談だよ。絶対、送ってね」
「わかった、作品は送るよ」
「絶対、読むからね。だって私、川崎くんの推しだから」
「――悪かった」
「いいよ。川崎くんのこと、このやりとりでより知れた気がするから」
そう言って山本瑠奈は微笑んだ。俺は本当に弱くて惨めなやつだなって、自分自身に幻滅した。こんな俺でも、山本瑠奈は俺に呆れないんだ。どうせなら、呆れてくれたほうがよかったかもしれない。きっと、俺はAIを使ったことで、開いてはいけない扉を開いてしまったのかもしれない。
その扉の先は天国か地獄かなんて、今のところわかりやしない。
ただ、扉が開いてしまった以上は、歩き続けるしかないのかもしれない。
★2025年1月 ――中3の冬、授賞式直前の話
こうして、クリスマス直前に山本瑠奈と駅ビルのカフェレストランで話をしてから、1ヶ月くらい経とうとしていた。あの日、山本瑠奈にAIで小説を書いたことを告げたあと、原稿データを送った。ただ、そのあと、感想のやり取りとか、そういうことは一切しなかった。
冬休みあけの最初の金曜日に、入試があった。ただ、この入試はこの私立中学が属している高校へ、そのまま進学するために必要な通過儀礼みたいなものだ。よっぽどのことが無い限り、この入試は落ちることはない。忙しいようで、忙しくない1月が続いたけど、結局、学校が始まってから、山本瑠奈と話すこともなかったし、廊下ですれ違っても、山本瑠奈は会釈もしてくれなかった。ただ、最初から他人だったような扱いを俺は、山本瑠奈から明らかに受けていた。
俺は、この期間、ずっと小説を書いていた。短編を5本と、長編にする予定の小説を5万字くらい書いた。最終選考の改稿も、結局、AIは使わず自分の手で改稿した。12月の終わりから、俺はより、小説を書くようになった。
*
だから、トーク画面の履歴は12月の待ち合わせのメッセージと、作品データの添付ファイルを最後に、時が止まっていた。
iPhoneに表示された画面をぼんやりと見ながら、リビングから自室に戻り、間接照明をつけた。一瞬で部屋は暖かな電球色になった。俺はベッドに座り、数秒間、目をつぶった。闇のなかで、どうするのが最適解なのかを自分に聞いてみた。だけど、その闇のなかでは、なにも答えなんて得られなかった。
結局、瞼を開き、元の電球色の暖かい世界に戻った。もう、自分から行動するしかないのかもしれない――。
『久々に小説読みたい』
そうメッセージを送ると、すぐに既読がついた。そして、こう返信が返ってきた。
『AI川崎じゃなくて、川崎くんの小説が読みたい』
『あれから、たくさん書いたよ 見せたいのばかり』
『私もたくさん書いたから、川崎くんに読んでほしい』
*
学校がある街の駅に着き、電車を降りた。真冬の冷たさにまだ、電車で暖めた身体が慣れていない。電車を降りた人たちに続いて、改札まで繋がる階段のほうに歩き始めた。左側に止まっている電車のドアが閉まり、ゆっくりと電車は加速し始めた。ホーム内に冷たい風に吹き込み、俺は思わず身震いした。
階段近くに来たとき、反対方向から歩いてくる山本瑠奈の姿が見え、俺は思わず、その場で立ち止まってしまった。山本瑠奈も俺に気がついたのか、その場で立ち止まった。冬休みが明けてから、学校では毎日、姿を見ていたのに、今、この瞬間、山本瑠奈を見ただけで、思わず立ち止まってしまった。それだけ、俺にとって、山本瑠奈と話さなくなった期間は長かった。
お互いにそうしているうちに、ホームから人がいなくなった。ホームにいた人たちは、階段に吸い込まれていった。山本瑠奈は学校でもよく着ている紺色のコートを着ていた。両手をポケットにつっこみ、ただ、俺の向かいで立っている姿は、いつものかわいい雰囲気とは違うように見えた。
「ここで川崎くんと会うつもりなんてなかったのに」
「同じ時間に移動してたんだね」
「川崎くん、先に言っておくけど、私だって話したかったんだよ」
「じゃあ、どうして――」
俺がそう返すと、山本瑠奈は一歩ずつゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。自動放送が流れ始めた。列車が通過するらしい。俺はあえて自分から歩み寄らずに、その場で山本瑠奈を待つ。素直になって、歩み寄ればいいんじゃないかって、一瞬、考えたけど、俺はそうする選択をしなかった。
どうしてじゃない。理由はわかっている。俺が言ったことと、そのあとの態度で彼女のことを傷つけたからだ。1ヶ月間、憂鬱な日々が続いたなかで、自分なりに考えた結果だ。24年は俺のなかではあっけなく終わり、心に穴があいたまま終わってしまった。7月に夢見ていた感触とは、程遠く、予想外のものになってしまったなと感傷的になった。
そうして、25年になり、得たものと、得た責任をぼんやりと考える日々だった。とりあえず、年明けまでに指定された最終選考用の原稿を完成させたあとは、心の穴を埋めるように書き続けた。たまにギターで適当にフレーズを弾き、どうしたら、もう一度、彼女に振り向いてもらえるかを考え続けた。
そして、今、1ヶ月ぶりに山本瑠奈は一歩ずつ、俺に近づいてくる。
山本瑠奈が俺の前にたどり着くと、山本瑠奈はなにかを考えているように両腕を組んだ。真剣そうな表情で、じっと俺を見つめてきた。なにを考えているのか、表情からは読み取れない。数秒して、両腕を組むのをやめて、右手の小指を俺の前に差し出した。
7月、夕方の横断歩道、信号待ちしていたときと情景が重なり、あの日の約束を思い出した。そう、山本瑠奈と約束をしたから小説を書き始めたということを。
「約束して。次、賞に出すときは、AI使わないって」
「最優秀賞だった」
「えっ」
山本瑠奈の表情が歪んだとき、赤い電気機関車が引っ張る貨物列車が轟音を立てて、俺の右側を通過していった。高速で駆け抜けていく、貨物列車の所為で冷え切った風を思いっきり受ける。山本瑠奈は、そんな冷たくて強い風が吹いても、右手の小指をさしだしたままだった。風で山本瑠奈のボブはみだれ、横髪が顔を覆った。長い貨物列車が通り過ぎ、轟音が遠くなっていく。ホームで強く吹き付けた風は、一気に穏やかになった。
「山本さん?」
呼びかけると、山本瑠奈は黙ったまま、顔にかかったままだった髪を左手で直した。山本瑠奈は泣いていた。目元から頬が濡れていて、山本瑠奈はそのまま左手で、左目尻を拭った。俺はどうして、山本瑠奈が急に泣き出したのか、わからなくて戸惑った。
「なんで、こんなすごいこと、簡単にしちゃうの?」
「全くすごくなんかないよ。結果、そうなってしまっただけなんだよ」
「すごいことなんだから、もっとしっかり喜んでよ。川崎くんがAIで書いた小説は嫌いだった。だけど、私、川崎くんが賞取ったことはすごく嬉しい」
「――ありがとう」
そう返すと、ふふっと山本瑠奈は小さく笑った。そして、ようやく最優秀賞を取ったことが、急に嬉しくなり、俺も同じようにふふっと笑い返した。それでふと気がついた。そうか、俺は山本瑠奈に泣いて喜んでくれているのが、嬉しいんだと。
「最終選考の改稿はAIを使わないで、手動でやったよ」
「やるじゃん」
「だから、約束するよ。自分の力もつけていくって」
「それって、自分で書いていくって――」
山本瑠奈がそう言っている途中で俺は右手の小指で、山本瑠奈の小指を結んだ。
*
午前10時半のカフェレストランは閑散としていた。店に入って、いつものように好きな席に座ってもいいと言われ、いつもと同じ席に座った。と言っても、1ヶ月ぶりに過ぎなかったから、懐かしいともなんとも思うわけでもなかった。
去年の7月に俺と山本瑠奈は、チョコレートパフェを食べた。だけど、今日はストロベリーパフェを食べた。パフェを食べている間に、ここ最近、羊文学の『more than words』をリピしまくってる話から、また音楽の話になった。俺はこの1ヶ月の小説を書く作業中のときに、TOMOOを聴いていて『Greapfruit Moon』が気に入ってるって話をしたら、最近、TikTokで流行っているSerani Pojiの『さよならいちごちゃん』もそう言えばリピしてるって話を聞いた。こういう、何気ない会話ができることが嬉しかった。山本瑠奈と1ヶ月話さなくても、別に孤独ではない。クラスには久保田翔がいるし、軽音の部室に行けば、誰かしら、仲間がいる。
ただ、山本瑠奈と話さなかったこの1ヶ月はものすごく虚しかった。休み時間とか、ふとしたときに、山本瑠奈のことをちらっと見たりした。クラスでの山本瑠奈もいつも通りの笑みを浮かべて、楽しそうに過ごしている姿を見て、余計、虚しさが胸の中に広がった。
どうして、俺のことを無視するんだろう。このまま、12月のあの日、カフェレストランでAIが書いた小説で最終選考に進んだと告げた日で、あっけなく、山本瑠奈との関係が終わってしまうではないかと思い、そんな今の状況がたまらなく嫌になっていた。
ストロベリーパフェを食べ終わり、空になったグラスを店員が片付け、そのあとホットのカフェラテを持ってきた。
「おめでとう」
山本瑠奈はそう言って、カップを手に取り、こちらに差し出して来たから、俺もカップを持ち、山本瑠奈が持っているカップに軽く当てた。
「ありがとう」
そう返し、カフェラテを一口飲み、そっとカップをソーサーの上に戻した。
「空なんて飛べない」
「え?」
「私はそっちの小説の方が好きだった。川崎くんのパッションが文章から感じ取れた。どう考えても、川崎くんにしか思いつかなそうな、言葉の組み合わせばかりで、読んでるだけで踊ってるような気持ちになれた」
「――ありがとう」
俺から先にこの話題に触れようと思ってたのに、山本瑠奈に先に触れられてしまい、自分のことがダサいなって思った。謝らなくちゃいけないのに、なんでお礼なんかを先に口に出してしまったんだろう。
「山本さん」
「あ、川崎くんダメだよ」
「え、なにが?」
「謝らないで。私は私なりに、時間が必要だと思って1ヶ月間、川崎くんに話しかけないって決めてたから。私だって、話したい気持ちを抑えられないくらい、寂しかったんだから。川崎くんが一方的に悪いわけじゃないんだよ。私が意図的にそうしていたほうが要因が大きいから」
「そうだったんだ――」
どうして? とは聞けなかった。先月は自分のことしか考えられずに、一方的に自分の気持ちをわかってもらうおうと、無意識に理解を強要していたのかもしれないと、この1ヶ月で気がついたからだ。
例えるとこういう心情だった。夜のプールの水面は、近くのLEDの街灯の白を反射して揺れている。その光の揺れ、波未満の水面のゆらぎの凹が平行世界への入口になっているのを知っているけど、飛び込む勇気が出ずにプールサイドで膝を抱えて、それをただ眺めているような歯がゆさだった。平行世界の先にお互いに、小説ダメだったんだ。悔しい、賞に落ちちゃったね。また、頑張っていこうか。15歳のふたりの未来なんて、無限にあるんだからって、笑いながら、ふたりで言い合っているほうのパラレルもあるのかななんて、虚しさのなかで考えていた。
「そうだよ。1ヶ月間、話さなかったのはね、私の心の整理がつかなかったからなんだよ。川崎くんがAIを使ったうんぬんとか、そういうことじゃなくて、ただ、AIに負けたような気がして悔しかったの。別に私は別の賞に応募したし、AI川崎くんの小説と勝負したわけではないけどね」
そう言ったあと、山本瑠奈は、目を細めて、微笑んだ。そして、再びカップを手に取り、カフェラテを一口飲んだ。
★2025年2月 ――中3の冬、授賞式の話
本の発売が、4月30日に決まった。1月の終わりくらいから、編集の永瀬さんとzoomで何度か打ち合わせをした。打ち合わせのなかでは、改稿すべきところとかのすり合わせをした。その際に、仕事の流れも説明を受けた。
どの本も、作品を元に、編集者と作家が打ち合わせをして、その内容を原稿に反映させていく作業を、Wordデータ上で行う。それが終わったら紙に印刷された『ゲラ』が自宅に送られてきて、それをチェックして出版社に送り返す作業をするのが大まかな流れみたいだ。
俺の原稿は3月28日発売の『小説八雲4月号』に掲載される。これは『小説八雲新人賞』の結果発表と共に、作品が雑誌に掲載されることになっているみたいだ。
今回の作品は、最終選考前に修正した原稿を紙面に掲載されるようで、その原稿を元に、出版社から紙に印刷された『ゲラ』というが送られてくるらしい。誤字脱字や整合性が合っているかどうかを指摘してくれる出版社の校閲部の校正者と編集者である永瀬さんが赤ペンで書いたことを、著者が確認していく作業があるらしい。
それと別に書籍用で原稿を進めるみたいだ。書籍用は書籍用で、同じ工程を踏むらしい。
あと、新人賞の授賞式の話にもなった。永瀬さんと相談して、授賞式の服装は制服で行くことになった。ブレザーにネクタイの方がインパクトを残すことができるんじゃないかって言うのが、永瀬さんのアドバイスだった。さすがに足元だけ、スニーカーってわけにもいかないと思い、安い革靴だけ買った。出版社の偉い人や、俺を選んだレジェンド級の小説家である選考委員の先生方の前で、受賞者の言葉をスピーチしなければならないらしい。写真も撮られるみたいだ。
2月の第一週は面倒な原稿のゲラをチェックをした。
2月の第二週は面倒なスピーチを準備したり、面倒な革靴の買い出しに出た。
そして、2月の第三週になり、俺は電車に乗り、東京の指定されたホテルへ向かった。
*
ホテル近くの地下鉄駅にたどり着いた。永瀬さんに指定された改札口の前のベンチに座って待っていると、永瀬さんらしき人がこちらに近づいてきた。
「川崎さんですよね?」
「お疲れ様です。よろしくお願いします」
俺は立ち上がり、永瀬さんに会釈した。
「もう、打ち合わせとかしてるから、初めましてではないけど、改めて、よろしくお願いしますね。川崎先生」
永瀬さんはzoomでの打ち合わせのときのように、明るく笑いながら、そう言った。永瀬さんは、大人っぽい黒いコートを着ていた。打ち合わせのときに28歳で入社5年目になるって言っていた。肩にかかるくらいの髪の長さで、髪色は画面越しで見たときの印象よりも明るめのブラウンだった。画面越しと違うのは、いつもはレンズが大きめの細い黒縁メガネをかけているのに、今日はコンタクトをつけているのか、メガネはかけていなかった。
それでも、接しやすいお姉さんという印象は変わらず、多少、緊張していた俺は少しだけ緊張が和らいだような気がした。
俺は歩き始めた永瀬さんの横につき、歩き始めた。
「先生って言われると仰々しいですよ」
「今のうちに慣れといたほうがいいですよ。今日は会場でたくさんの人に、言われるかもしれないから覚悟しておいてください。というのは、まあ半分冗談で、川崎さんは、この新人賞の最年少記録更新者ですし、最優秀賞受賞者ですから、会場のなかで注目度が高いのは確かです」
「そんな、せっかく緊張和らいだと思ったときに、追い打ちかけるようなこと言わないでください」
笑いながら返すと、永瀬さんも笑ってくれた。
「大丈夫ですよ。私、もう一人の受賞者の話ってしましたっけ?」
「優秀賞の人が、いるとだけで、詳しくは聞いてないです」
「あら、やっぱり私、話してなかったですね。優秀賞の瀬戸セノト(せとせのと)さんとも一緒になります。瀬戸さんは21歳みたいで、今回の『小パチ賞』はお二方とも、とても若くて、社内でも結構、話題になっています」
「そうなんですね。あまり関係ないですけど、『小パチ賞』って呼んでるんですね。賞のこと」
「うちは純文学雑誌もあってややこしいから、こういう呼び方してるみたいなんです。『小説八雲』の小説の『小』に八雲の『ハチ』の略です。純文学の方の雑誌は『八雲』なので、向こうの新人賞は、『純パチ賞』って呼ばれてます」
「そうなんですね」
正直、小山書店の社内のことなんて興味はなかった。ただ、俺はほとんどをAIで書いた小説でこんな、歴史ある賞の受賞者として、登壇することが、また怖くなってきた。
「これも、前に話したかもですが、うちの新人賞の授賞式は純文学の新人賞と合同で行っています。今回、純文学の受賞者も2名なので、合わせて4名の新人の方がいることになります」
「そうですか」
「私、川崎さんに直接、お会いしたら言おうと思ってたのですが、川崎さんの小説って、本当にミスが少ないですよね」
「えっ」
「あ、いや、これは褒めているんです。とても15歳とは思えないくらい、完成度が高く、磨かれていることに、私もそうですが、編集部内でも驚いているんです。これは前にも言ったかもですが、ストーリー構成も上手で緻密ですし、本当に感心しています」
「そうですか」
思わず、ぎゅっと両手を握りしめてしまった。もしかして、AIが書いたって、勘づかれているのだろうか――。
「ここからはちょっと真面目な話しますね。ご存知かと思いますが、うちの会社、戦前からある会社なので、レガシーに忠実である分、若い人には、堅苦しく感じることもあると思うんです。作家さんからすると、それがプレッシャーに感じることもあるみたいで、大人でもたじろいじゃうんです」
「じゃあ、子供がそんなところ行ったら、ヤバそうですよね」
「いえ、私はそうは思いません。川崎さんはまだ中学生ですから、それを盾に使ったほうが上手くいくと思います」
「盾ですか?」
「そうです。若さは盾になります。おじ様たちからも、若いから大目に見てもらえると思うので、なんとかなると思います!」
「今のうちから、深呼吸しておきます」
そう返すと、また永瀬さんは比較的大きな声で笑った。
*
授賞式は、俺の目から見ると、仰々しいように見えた。まずホテルの会場に入ると、円卓テーブルが広がっていて、すでにスーツ姿の大人たちがたくさん立っていて、いろんな人が談笑している声が響いていた。一段だけ底上げされたステージ上には、『2025年度 第六十五回八雲新人賞 第四十七回 小説八雲新人賞 贈賞式』と書かれた大きな看板があった。舞台の後ろには、金屏風が設置されていて、その金色がライトに反射し、不気味に輝いていた。
新人はとりあえず、後ろのほうの卓に座らされた。『よろしくお願いします』と言って、円卓に座ると、他の受賞者は、ボソボソと『お願いします』と言ってから、無言になった。純文学の2人は、一人は40代くらいの男性で、もうひとりが30代くらいの女性だった。そして、俺の隣に座っている瀬戸セノトは、声も出さず、ただ俺に軽く会釈をするだけだった。
さすがに大人たちから見ても、この3人の社交性が低すぎると感じたのか、すかさず、永瀬さんや、瀬戸セノトの担当編集の人、純文学の2人の担当編集の人が間を取り持ってくれて、なんとか、俺は自分の名前を伝えることができた。
こんな感じだから、円卓はあまり会話が弾んでいなかった。明らかにその様子に、編集者の人たちは、永瀬さん含めて、場を取り持つのが大変そうで、焦っているようにも見えた。なんだよ、永瀬さん。俺にテンパるなって言っときながら、永瀬さんのほうがテンパってるじゃんとかいう所感だった。
授賞式が始まり、司会に呼ばれ、この3人と一緒に俺は登壇した。俺は一番最後に壇上に上がったから、舞台の右端に立つことになった。立ったあと、司会者の呼びかけで拍手に包まれたから、俺はとりあえず頭を下げた。数秒してから、顔を上げ、ちらっと左側を見ると、3人は正面を向いたまま、立っているだけで、それが気味悪かった。
そのあと、何度も強いフラッシュを浴び、会場の薄暗闇に不自然に青い残像がしばらくの間、浮遊していた。司会者がスピーチを促し、一人ずつ、スピーチが始まった。舞台の左側に置いてあるマイクスタンドに向かって、純文学の男性の人がまず話した。スピーチの内容は『多様性の不条理さ』について持論を交えながら、話していた。次に純文学の女性の人は『ルッキズムが行き過ぎた監視社会』というテーマを思いついたときの話を交えた創作秘話のような話をしていた。
今度は、エンタメ賞の俺らに主役が変わる。まず、先に瀬戸セノトが呼ばれた。
『えー、この賞の最年少記録を本来は狙っていたのですが、今回はまさかの6歳年下の15歳の少年が受賞したとのことで、ひとつの淡い夢が消えてしまったわけであります』
瀬戸セノトのこの第一声で、会場がどっと笑いに包まれた。おじさんたちの低い笑い声が、会場中に響き渡る。それと合わせて、俺にも一気に視線が集まった。ふと、瀬戸セノトを見ると、瀬戸セノトも俺のことを見ていた。さっきの円卓での無愛想とはうって変わり、饒舌に話しだしたと思ったら、俺のことをネタにして、笑いを取られて、俺はあまりいい気がしなかった。
『よく考えてみると、私の人生はいつも二番手ということが多く――』
そう瀬戸セノトは、俺を皮肉に使いつつ、自分の人生が如何に二番手だったかを語り、日本を背負い、一番になれる作家になるとか言って、話を締めた。瀬戸セノトのスピーチが終わり、会場が拍手に包まれているなか、次に俺の名前が司会者から呼ばれたから、マイクスタンドの方へ向かった。
マイクスタンドの近くにたどり着くと、瀬戸セノトとすれ違った。その一瞬、こう耳元で囁かれた。
『お前なんか、どうせ一冊しか出せないよ。今のうちに最年少でちやほやされてろ。お前がいなければ、俺が最年少で、しかも最優秀賞だったはずだ。俺の方が話題を作る作家としてふさわしかったんだ』
ちらっと瀬戸セノトを見ると、瀬戸セノトは、ふっと鼻で笑いながら、元の立ち位置に歩いていった。俺は、胸ポケットに入れていた原稿を取り出し、スピーチを始めた。
『この度、このような素晴らしい賞をいただき、大変光栄です。まだ、私は中学生であり、右も左もわかりません。正直に申しますと、最初、賞をいただけるとお話を聞いたとき、嬉しい気持ちよりも、戸惑いの気持ちが大きかったです。
自分は本当にこの賞を受賞するのにふさわしい人間なのか。いや、ふさわしくないのではないかと思いに至り、悩む日々が続きました。ある日、最も信頼でき、この賞に応募する直接的なきかけになったに友人にカフェで聞きました。すると友人はこう答えました。
「人って前提条件で生きている生き物だと思うんだ」と。
「前提条件って、これが普通だろうとか、そういうこと?」と私が聞くと、友人は、
「たぶん、世界で初めてのことをやったんだよ。川崎くんは。ライト兄弟が飛行機を飛ばした日のように」と人類が初めて空を飛んだ日のことに例えて、私が小説を書いたことを称賛してくれていたのです。ですが、私はそれを受け入れることができず、
「自分の手でなにかを成し遂げたっていう手応えがないんだ」と答えてしまい友人を傷つけてしまいました。
その後、1ヶ月くらい話しませんでしたが、和解することができました。
和解できたとき、「川崎くんが賞取ったことはすごく嬉しい」と言ってくれました。私はこの言葉で、今回、素晴らしい賞をいただいたことの実感と、友人を喜ばすことができたという実感から、嬉しさを受け入れることができました。
なので、そんな友人に向けて、一言お伝えして、このスピーチを締めたいと思います。
それでも俺は『人生なんてろくでもない!』と叫びたいんだ!
この度は、大変感謝申し上げます。ご清聴いただきありがとうございました。』
小説のタイトルをもじった表現で締めたためか、思った以上に会場は笑った。そして、拍手を聞きながら、一礼をして、マイクスタンドを離れた。
このスピーチは影からのメッセージで贖罪を償うためのスピーチだ。もし、次の本を書くことになったら、俺は、AIではなく自分の力で、小説を作るんだ――。俺は。
★2025年3月 ――卒業式後にAIが書いた小説のゲラをやる人間の話
卒業式が終わり、2割の頭がいい奴は、地域で高偏差値の高校へ進学していった。俺らみたいに、エスカレーターで附属高校に進学するやつは、4月から、引き続き同じ場所に通学することになる。卒業式の看板の前で、山本瑠奈と二人で写真を撮った。山本瑠奈のiPhoneで久保田翔に撮ってもらった。そのあと、久保田翔に『付き合っちゃえばいいのに』ってさらっと茶化されたけど、俺はそれをさらっとスルーした。
学校の中で、俺が小説家デビューすることを知っているのは、山本瑠奈だけだった。AIで小説を書いたという事実を知っているということ以外、つまり、そういった意味でも、単純に高校生作家になるという事実も山本瑠奈だけにしか告げていない秘密だということだ。
ただ、それも時間の問題だ。3月28日の本誌発売前の2週間前くらいにネットで公表されるスケジュールになっている。学校に報告義務はないから、報告はしていない。学校関係者には誰にも見つからずに、静かに過ごしたい。ニュースには、もちろん顔写真が乗るし、紙面でも顔写真が乗ることになっている。AIで簡単に人の画像なんて、取り込める時代で、顔出しなんてリスクしかない時代なのに、嫌でも顔出ししなくちゃいけない。
ある意味、芸能人みたいなものなのかもしれない。そのことを授賞式が始まる前、宣材写真を撮影したときに、永瀬さんに聞いたら、
『昭和の時代から続く小説の売り方です。小説って、本文以外で作者のバックグラウンドを知ってもらうことも大切な要素としてあります。宣材写真で親近感を持ってもらうことが狙いです。もちろん著者さんがどうしてもというなら、顔出ししなくてもいいことにはなっています。ただ、できれば、今後の活動の幅を広げるためにも顔出しはしてほしいところです』
すでに宣材写真をカメラマンに撮ってもらったあとに、やっぱり顔出ししたくないです。って言える訳がないこともわかっているから、結局、俺は顔出しをすることに決めた。ただ、これは自発的ではない。
卒業式から3日後に書籍用のゲラが手元に届いた。2週間後に返送してほしいということだったから、熱で消せる赤いボールペンを片手に、ちまちまと作業を進めた。その間に、高校の制服を買いに行ったり、教科書を買いに学校へ行った。山本瑠奈とはたまにLINEでメッセージを送り合ったりしたけど、俺がゲラをやっていることに気を使ってくれているのか、控えめだった。本当は、卒業式後、一週間以内くらいのうちに一度、会う予定だったけど、お互いにすれ違ってしまって会うことができなかった。
*
3月20日に、『小説八雲』の4月号が届いた。家に帰ってきた母親が、大きめなクロネコヤマトの封筒を渡してくれた。宅配ボックスに入っていたらしかった。ハサミで封筒を開けると、パッキングされた雑誌が入っていた。パッキングを開けると、印刷されたばかりの紙の匂いがした。
雑誌は宅配ボックスに入っていた所為か、冷たかった。
表紙には、『小説八雲新人賞結果発表 最優秀賞 川崎圏外「人生なんてろくでもない!」』『高校1年生 史上最年少15歳デビュー!』『優秀賞 瀬戸セノト 「ショート革命のエチュード」』と大きく書かれていた。それ以外は、ベテラン作家の名前と連載作が書いてあった。
俺はページもめくらずに雑誌を机に置いた。机には、最近、セリアで買った小さなフォトフレームとゲラ原稿、そして赤ペンが置いてある。フォトフレームには、卒業式の看板の前での、山本瑠奈と俺のツーショット写真が入っている。山本瑠奈にデータを送ってもらった次の日、ローソンでプリントアウトした写真だ。
息を吐くと、急に眠くなってきた。ここ最近の俺は疲れているんだ。余計なことに囚われて。ベッドに寝転がり、目をつぶると、あっという間に入眠した。
*
目覚めると間接照明がつけっぱなしだった。手を伸ばし、机に置いたままのiPhoneを手に取ると、まだ21時12分だった。母親から封筒を受け取ったのが、19時前だったから、3時間くらい眠っていたことになる。
久々にうなされなかったような気がする。中度半端な時間に眠るといいのかもしれないとか、どうでもいいことを考えながら、起き上がり、机に置いてある2リットルのペットボトルを手に取り、ミネラルウォーターを一気飲みした。
ひどい夢を見るようになったのは、3月に入ってからだった。正確には、卒業式が終わった直後のことだった。最初は得体の知れない黒に追いかけられている夢だった。その夢は、ただ、追いかけられるだけで、夢から覚めても、俺はなにも思わなかった。ただの夢だ。よくある夢にすぎない。
だけど、3月10日を過ぎた辺りから、夢が暴走し始めた。夢の嫌な感覚で、夜中にうなされ、目覚めることが多くなった。なにでうなされているのかわからない。きっと、うなされる以前に、夢のなかで俺のことを追いかけていた黒だと思う。
その黒の正体は未だにわからない。ただ、それでも眠りは正常で、うなされて夜中に起きても、またすぐに眠りに入ることができた。これは、疲れているときの歯ぎしりと同じ現象だと、自分に言い聞かせることにした。意識して、眠りに入れば、きっと、うなされることはないと思った。
それでも状況は変わらず、覚えていない夢にうなされる日々は続いた。うなされている所為なのか、最近、寝ても寝た気にならないくらい、疲れが取れていない。そんなことがあったから、山本瑠奈と会う約束をしていた日も眠すぎたから、体調が悪いとメッセージを送って、唯一、春休みの楽しみだった予定も自分の手でキャンセルした。
水を飲み終わり、ペットボトルを机に置き、キャップを締めた。急激に腹が減ったから、俺は部屋を出て、リビングに向かった。
★2025年4月 ――入学式からいきなりスターになった人間の話
3月、モチベが上がらず、全然進まなかった書籍のゲラを無理矢理、片付け、その次の週、入学式を迎えた。
掲示板に張り出されていたクラス名簿から自分の名前を探し出し、新しいクラスに入ると、いきなりクラスメイトの視線を感じた。教室前方の窓側で付属中学で一緒だった顔なじみの一軍の4人が俺のことを指さしていた。俺は「おはよ」とその4人に言って、右手を上げた。
とりあえず、違和感は無視しようと黒板に張り出されている席の名簿を見ようとした。
「川崎先生、おはようございます。サインくださーい」
「は?」
野球部の一軍くんにそう返すと、ゲラゲラとその取り巻きが笑い始めた。そのあと、見たことない、おそらく他校からの受験で入った、一軍っぽい男子に後ろから声をかけられ、肩を叩かれた。
「これ、お前なの?」
明らかに茶化しにくるようなトーンで聞かれてげんなりした。肩をいきなり叩かれたから左側を見たけど、そもそも、お前誰だよって感じだし、普通に調子乗ってそうなタイプの人間そうだしで、お前の面みてるだけで、嫌気がさすわって感じだしで、もう、それだけで嫌になった。
「なんだよ。印税でもカツアゲする気か? クラスでの第一印象、カツアゲって、お前エグいな」と返すと、クラスがどっと笑いに包まれたから、これでバカにされるのは回避できたかなって、思いつつも、内心イライラした。
*
入学式が終わり、ホームルームも終わり、ようやく帰ることができると思ったら、放送で俺の名前が呼び出された。担任の声ではなかった。というか、担任はまだ、ホームルームが終わった直後で、教室にいるから、驚いた表情をしていた。それで、担任も一緒にいくわと言われて、半ば、38歳のおじさんに職員室に連行されるっていう、初日から嬉しくない展開になった。
俺のことを呼び出したの学年主任を名乗る50代くらいのおばさん先生で、俺のなかでの第一印象はヒステリックそうだった。職員室の奥にある小さな会議室につれていかれて、小説家デビューしたのは本当かとか、どうして学校に報告しなかったとか、附属中学のときになぜ言わなかったとか、収入は得るのかとか、いろんなことをとやかく言われた。
会話の全部の枕詞に『すごいことだけど』とか言われて、本当にすごいことだと思ってるのか? って聞き返したくなるくらい、イラついた。結局、俺のことを詰問した理由は、学校で対策や特例を検討するためだと言われた。『あなたは当校の生徒であるから、報告義務があります』とか言われたけど、入学初日に義務とか言われても、ロジックがなく、説得力、必要性に欠ける説明だった。
それで、とりあえずこの紙を書いてと言われて、用紙を渡された。用紙には《アルバイト許可申請書》だった。
*
会議室を出たあと、担任に小声で「悪かったね。それにしても、すごいね。今度サイン頂戴」って言われて、いや、もういいよって感じだったけど、担任なりにフォローしてくれたのかなと感じたから、許すことにした。
職員室を出ると、右側の壁の掲示ボードの前に立っている見慣れた女子が手を振っていた。山本瑠奈だった。
「おつかれ。やっぱり呼び出されたんだ」
「見ればわかるだろ」
そう言って、右手に持っていた《アルバイト許可申請書》を振りながら、わざとらしく山本瑠奈に見せた。山本瑠奈は数秒、用紙を凝視したあと、ゲラゲラと笑い始めた。
「小説家ってアルバイトなの?」
「とりあえず書いてって言われたから、アルバイトなんじゃない? 知らんけど」
「ふふ、めっちゃ怒ってるじゃん。めずらしく」
「制服似合うね。スカート青だからかな。やっぱり、青が似合うよ」
「ありがとう。ねえ、明日、土曜日だし、パフェ食べに行こう」
「いいよ。3月は急に断って悪かった」
「許してあげる。今日がその埋め合わせだよ」
山本瑠奈は、微笑みながらそう言った。
*
駅ビルのカフェレストランは、少しだけ、いつもより混んでいた。まだ13時過ぎで、ランチの名残が店内に残っているのかもしれない。それでも、席には余裕があり、また好きな席をどうぞと言われたから、いつもの窓側のボックス席に座った。店内のBGMは、なぜか今日はビートルズの『A Day In The Life』が流れている。抹茶パフェを待っている間、春だからクリープハイプの『栞』を聴いていたという、山本瑠奈の話から、また音楽の話が始まった。最近は、おいしくるメロンパンの『look at the sea』を聴いていたって話をすると、吉澤嘉代子の『月曜日戦争』を聴いていたと、会話が膨らんだところで、店員が抹茶パフェ、2つを運んできた。
パフェを食べている間も、そんな何気ない、会話が続いていった。そして、あっという間にパフェを食べ終えた。少ししてから、店員がそれに気がつき、空になったグラスを店員が片付けた。そのあとホットのカフェラテを持ってきた。ここまで、授賞式の話とか、ゲラの話とか、一切しなかった。そして、山本瑠奈は自分の小説の話もしなかった。
変に気を使わせているように思えた。ここ最近の山本瑠奈とのLINEのやり取りを考えると、確かに気を使わせるようなメッセージになっていたかもと思った。だから、俺が自分から触れない限り、小説の話題にならないかなと思っていたら、山本瑠奈はバッグから『小説八雲』を取り出した。
「大嫌いな作品だけど、結局、買っちゃうのどうしてだろうね」
ニヤニヤしながら、山本瑠奈はそう言ったけど、これが嫌味ではないことは、俺はわかっている。言い方に嫌味がなく、ちょっかいをかけるような言い方だったからだ。
「ここ最近、授賞式から、刺激が強すぎてさ。自分が一番追いついてないと思う」
「ねえ、受賞の言葉、掲載されてたでしょ。あれ読んで、私、泣いちゃった」
「すべてを知ってるから?」
「そう、すべての秘密を知ってるからだよ。私、この受賞の言葉読んで、嬉しかった」
「全部、山本さんのおかげだよ。ありがとう」
そう返すと、山本瑠奈はふふっと小さく笑った。だから、俺も照れくさくなって、同じように笑い返した。雑誌に掲載されている受賞の言葉は、スピーチの原稿をスマートにしたものだ。
「瀬戸セノトって人、なんか、当てつけみたいな受賞の言葉だよね。いつも二番手だとかなんとかって。AIに負けるのに、偉そうで感じ悪いよね」
「その人に授賞式で、『お前がいなければ、俺が最年少で、しかも最優秀賞だったはずだ』って耳打ちされたよ」
「本気で言ってる? やばいね。その人。可哀想な川崎くん」
先にため息を吐いたのは、山本瑠奈だった。ダメだ。やっぱり、小説家デビューの話になると、なぜか愚痴ばっかりになってしまいそうだ。せっかく触れてくれているんだから、なんか、楽しい話がしたいなと思ったけど、考えても、すぐに話題は見つかりそうになかった。
「そんなのはどうでもいいんだ。それより、3月中に会えなかくて、悪かった」
「いいよ。ゲラやってたんでしょ? お仕事してたなら、川崎くんの邪魔できないよ。私はさ、まだわからないけど、ちょっと話聞いただけでも大変そうだよ。だって、ずっと神経使ってるんでしょ?」
「それもあるけど、最近、うなされてるんだ。夢のなかで」
「眠れないの?」
「いや、寝ることはできてるんだけど、ほぼ毎日、うなされてる」
「それだけ大変な作業してるんだよ。きっと。なにか私にできることある?」
「いつも通り、話してくれるだけで嬉しいよ」
俺はそう言って、微笑んでみせた。カップを手に取り、カフェラテを一口飲んだ。今日、久々に話した久保田翔ですら、どこかよそよそしくて、腫れ物に触るみたいな感じだったのが、ショックだった。
「目立ちすぎたんだよ」
俺はカップを置きながら、話を続けた。そう、俺は最年少ってだけで目立ちすぎたんだ。
「そうだね。暇な大人に燃やされてさ。やっかまれてるよね。川崎くんって」
「SNSだけでしか、大口を叩くことができない人間に、たまたま目つけられただけだよ。顔つきで」
そうだ。俺は結果発表のニュースが出て数日で、SNSのトレンドワードの人になってしまった。
『15歳の小説』
『史上最年少』
『中3小説家』
『究極の中2病』
『文化破壊』
『中3が人生語るな』
『小説八雲』
『文学終了』
『人生なんてろくでもない!』
『人生なめるな』
『ガキが人生語るな』
他のワードもたくさんあった。それだけ俺が小説の賞を取った話題が独り歩きした。しかも、記事に掲載された俺の顔写真と一緒にポストされ、その記事を引用したポストで、トレンドワードになった悪口をたくさん書かれた。
『【悲報】文学終了 中3が小説家デビュー 人生語りはじめるwwwwwwwwwww』
『中3が小説家になる日本、終わってる』
『大御所が絶賛って、ただ話題が欲しかっただけでしょ 本なんて売れないから』
『オワコンがガキを使って汚い商売し始めた 怒りを覚える』
『お前ら、秒でガキを叩いてるの草』
『文学と人生、冒涜してて 胸くそだな なんで優秀賞の人が最優秀じゃないんだよ』
新人賞のニュースが流れたあとから、俺は日本中の暇人に叩かれまくった。ひとつのポストの表示が347万回表示され、3万5千人がいいねを押していた。他のポストも100万回以上表示されているものが多数あって、この日の俺は、そのSNSのなかで犯罪者扱いだった。このことを出版社が知っているのかはわからない。というのも、永瀬さんからこのことについて、なにも連絡をもらっていないからだ。
「俺は犯罪者なのかもしれないって思った。いや、実際にAIで全編書いてるってこと、公表してないから、天からの懲罰かもしれないな」
「川崎くん、あの日、気がつくの遅くてごめんね。私、あの日、川崎くんの傍にいてあげるべきだったって、後悔してたんだ」
「いいよ。俺から、断ったんだから。それに声かけてくれたじゃん。それだけで嬉しかったよ」
そう、あの日、炎上が本格化した3月29日、山本瑠奈から着信があった。
★2025年3月29日 ――顔の見えない大人に炎上させられていた話
一週間前にゲラを送り返してから、ぽっかりと心の中に穴が空いたような気分が続いていた。だから、俺はこういうときこそ、どんどん書いていかなくちゃと、自分にムチを打ち、次の原稿、お願いしますと言われたとき用の長編小説を書き始めていた。
すでにプロットは完成していて、1万字くらい本文を書いたところだ。今日も、夜中にうなされて、朝10時に起きた。そこから、いろいろTikTok観てうだうだしたり、ご飯食べたりして、13時を過ぎていた。
リビングから部屋に戻り、机のiMacをスリープから戻した。そして、椅子に浅く座り、とりあえずさっきご飯を食べているときに、ふと思いついたシーンから書き始めた。
そのとき、iPhoneがバイブレーションし始めた。山本瑠奈からの着信だった。
「久しぶり。今、ちょうど小説書いてるんだ」
『……』
しばらくの間、マイクが空気を捕まえている音が耳元に流れた。通信状況が悪いのかと思い、一旦、iPhoneを耳元から離し、Wi-Fiの電波表示を確認したけど、問題なさそうだったから、再び右耳にiPhoneをあてた。
「もしもし?」
『こんなのひどいよ。どうしてこうなってるんだろうね』
「え、なんのこと?」
『川崎くん、SNSで炎上してる。それもトレンドワードにもなってる』
「本気で言ってる? それ」
俺はiPhoneを左手に持ち替え、左耳にあてなおした。空いた右手でマウスを操作して、Google Chromeを立ち上げた。そして、SNSを表示した。検索欄から、トレンドを見ると、俺の悪口がたくさんならんでいた。最初は現実感がなくて、思わず、笑ってしまった。
「本当だ。炎上してるね。俺。売れるかもな」
『……』
笑いながら、そう返したけど、山本瑠奈は黙ったままだった。
「あーあ。すごい怒られてるじゃん、俺。いきなりこんなことってあるんだね。楽しいじゃん、こんだけストレートで日本中の知らない誰かに文句言われるなんて」
『川崎くん?』
「なに?」
『それ、本気で言ってる?』
「いや、その――。」
そう言われて、俺は急に何を言うべきなのか、わからなくなった。マウスをスクロールし、いろんな人のポストを流し読みする。急にマウスを持つ、右手が震え始めた。気がつくと、身体がこわばり、胸の奥も震えているような気持ち悪い感覚がし始めた。
『――すごい悔しいんだけど、私』
何度も息を整えようとしているのか、その息づかいがスピーカー越しに聞こえた。そう言えば、俺、呼吸していただろうかと思い、とりあえず、何度か呼吸を意識的にしてみた。画面はスクロールさせたままで、常に悪口がたくさん、流し読みしていく。
「なあ」
『どうしたの?』
「世界って思ったより、怖いかもって生まれて初めて思ってる」
『川崎くん、私、今、世界で一番、川崎くんの傍にいてあげたい』
「――ありがとう」
そうお礼を言うのが果たして適切なのだろうか。そんなことを考えながらも、画面のスクロールを続けている。あれ、だけど、今はひとりになりたいのかもしれない。誰も俺のことを干渉することのないベッドに横になり、毛布を被りたいのかも知れない。
「ごめん。いろんな感情、処理、しきれないや。会いたいけど、今、山本さんには会えない」
『――そうだよね。ごめんね』
「いや、教えてくれてありがとう。ごめんね、気を使わせて」
『川崎くん、気なんて使ってないんだよ、私。これだけは言わせて。どんなことがあっても、私は川崎くんのこと、ひとりぼっちにさせないよ。ずっと味方だから』
「――ありがとう。切るね」
頭が回らない。お礼が適切なのだろうか。もっと気の利いた言葉で返すべきなんじゃないだろうか。画面のスクロールは続けたまま、悪口に目を通し続けながら、俺はiPhoneを左耳から離し、通話を切った。
★2025年 7月 ――デビュー1年目。高1の夏の話
生成AIが徐々に文字を紡いでいる。そんな画面を俺はただ、眺めている。真夜中の部屋、エメラルドグリーンのスタンドライトの白い光の下、俺は作業を進めている。右手にコーラを持ち、それを一口飲む。口いっぱいに甘さが広がった。少しだけ炭酸が抜け、刺激が減っていた。コーラをデスクに置き、キャップを締めた。そのあと、再び、画面に視線を向ける。
部屋の中の32型のモニターには、ウインドウが2つ並んでいて、右側には、AIが書き出しをしている様子が映し出されていて、もう一つの画面で、Amazonプライムビデオで再生している、アイロボットが映し出されている。俺が生まれる前に作られた04年の映画。もう何度となく、作業中に何故か流している映画。若かったウィル・スミスが、機械音痴の刑事になって、ロポットと世界を救う話。
2025年から見て、2035年にロボットが普及しているかなんて怪しい。いや、見えていないだけなのかもしれない。親世代の子供の時は、インターネットどころか、スマホすらなかったらしい。いや、そんなこと武勇伝的に語られても、知らんし。って思ったりするけど、結局のところ、技術革新は日進月歩で20年ごと、いや10年ごとに世界の常識は更新されているに過ぎない。
アイロボットみたいにロボットが街の中を歩いている未来はまだ先だけど、AI生成は違った。映画の世界では、きっと、AI技術よりも先にロボット工学が発展したんだ。だから、2035年のウィル・スミスは警察署のなかで、ペンを持ち、紙に手書きをしている。
AIに書き換えさせている文章は、たぶん、日本のなか。いや、世界のなかで俺にしかまだできないことだと俺は勝手に思っている。
自惚れかもしれない。だけど、俺は本当にそう信じている。
AIで書いていても、俺の小説であることに変わりはない。むしろ、なんで大人たちが、まだAIを使わずに小説を書いているのか。多くの人たちを共感させるプロンプトを発明した俺は理解に苦しむ。
今、書き出している原稿は今年の9月末、市場に出回る予定の2作目だ。デビューしてまだ1年目。高校1年生の15歳の俺は優雅に過ごしている。
そんなことを考えているうちに、書き出しが終わった。
大人たちには、まだ信じられないことなんだと思う。小説のほぼすべての部分をAIが書いているということを。そして、人が書いているという前提のまま、接する大人たちは、今の俺のことを受け入れないかもしれない。
だから、俺は未だに、誰にもこのことを話したことがない。AIで小説を書いていることを。
いや、話してるだろ。
お前は話してるだろ。山本瑠奈に。
お前の1作目はAIで書かれているということは、いずれ世間にバレる。
お前は責められたらいい。責任を問われたらいい。
*
iPhoneの目覚ましの音で、目覚めた。手を机の方に伸ばし、iPhoneを手に取り、目覚ましを止めた。
最悪の夢だ。
俺はまたAIで小説を書いて、得意げになっていた。俺は書かなくちゃいけないんだ。自分の手で。いくらプロンプトをしっかり作れるとしても、俺は禁断の手段を使ってしまったんだ。
ダメなんだよ。ダメなんだよ。全部、ダメなんだよ。
「あー、もう!」
右手で頭を乱雑に数度平手で叩いたあと、握りこぶしを作り、太ももを思いっきり叩いた。じわっと鈍い痛みが広がり始めた。その生きてるって感じが虚しくなった。俺はここ3日、原稿を書き上げるために学校に行っていない。今日が水曜日だから、木、金曜日と休めば、1週間学校を休むことになる。これまでの人生で1週間も学校を休んだことはなかった。
学校を休まざるを得なくなったのは2作目が、9月発売になったからだ。当初は12月の予定だったが、4月に発売した『人生なんてろくでもない!』がすでに20万部超えの大ヒットになってしまい、編集部から次を急かされている。
永瀬さんが編集長に、まだ学業があるから、急ぐこともないのではと進言してくれたみたいだった。編集長も当初は同意見だったようだけど、さらに会社のなかで偉い人から、直々に、早急に取り掛かるよう指示が出されたようだ。会社の中でも発売から、たった3ヶ月ちょっとで20万部越えの脅威の売上を記録している、大型新人をもっと売り出すチャンスを逃したくないということらしい。
そういう急変で次の本を出すことが決まったから、永瀬さんにストックしている原稿はないかと聞かれ、去年の7月、AIを使わず自力で書いた『空なんて飛べない』を渡した。しかし、永瀬さんからの反応はあまりよくなかったが、それでもこの原稿で出版することになった。
だからか、改稿以来は、膨大な量に膨れ上がった。俺も言われた要求に、できるだけ答えられるように、どんな無茶な要求でも、原稿を書き換えた。その原稿のやり取りが始まったのは、5月下旬くらいからだった。6月の1ヶ月も改稿に時間を費やし、できたらデータを送り、そして指摘が入って送り返されてを何度となくした。そして、7月になり、いよいよ今週中までにしっかり作品を固めなければ、いけないデッドラインまで来てしまった。
あと『空なんて飛べない』のタイトルでは売れないと言われ、タイトルは編集部で考えることになった。一応著者だから、意見は言えるらしいけど、永瀬さんの声色的にあまり、著者からの案が通ることはないように思えた。
6月中に改稿作業をしている間に、6冊の見本誌が送られてきた。つまり、一冊目の本はもう6回も追加印刷がかけられたことになる。そのことを重版というらしい。俺はその言葉すらあまり知らなかったし、どれだけすごいことなのかぴんとこなかった。
最初に重版がかかったとき、永瀬さんから電話があった。『おめでとうございます! 重版1万2千部です』と言われたとき、なにが起きたのかわからず、俺は永瀬さんのハイテンションと裏腹に、重版のことについて聞いた。あー、言われてみれば、帯の売り文句についてるねって感じだった。
うなされるのは日に日に悪化していた。それに夢がどんどん、明確になってきた。うなされた最初の頃は、不明瞭な黒にただ追いかけられているような覚えていない夢だったけど、最近は、ほぼ毎日、自分が責められている夢をみる。俺は、やっぱり最悪な人間なんだと思う。全編AIで書いた長編小説でベストセラー作家になってしまったんだから。
エゴサをすると、読書感想サイトでも、SNSでも、一定数、感動しましたとか、衝撃でしたとか、ポジティブな感想をもらったりしている。だけど、AIで書いた負い目と、完全に自分の実力で書いたものではないからか、嬉しさはない。
一方で、ネガティブな感想もかなり多く、最近は読書感想サイトの★の数は、2.7だった。感想も荒らされているという面もあるけど、永瀬さんいわく、賛否両論がある作風だから、これはあまり気にすることじゃないと言われた。
原稿のデッドラインは近づいている。原稿の締め切りが残り5日で原稿を完成させなければならない。よりによって、ちょうど1週間後から、期末テストもある。学校も出版社も俺のことを追い詰めているように思えた。それにもともと、炎上するくらいの存在の人間がデビューだったから、感想サイト以上にSNSでの評判は最悪だった。
また、自分のことがトレンドワードになっていた日に、ちょっとだけ、そういうのを流し読みしてみたけど、どれも名誉毀損レベルのものばかりだった。さらに、この文章がキモいとか、余計な一文を添えられて、発売された単行本の小説の中身を撮影した画像と一緒にポストされているものもあった。
モヤモヤした気持ちを晴らすためにYouTubeでアンチ対策とか、アンチする人の心理とかそういうことが解説されている動画を観た。あと、面白いなって思ったのが、SNSでアンチに叩かれるだけ叩かれたあと、SNSに開示請求を出して、名誉毀損罪で立件し、示談に持ち込んだら一人あたり、100~200万円の慰謝料がとれるという話だった。その人が言うには、炎上したら開示請求で数千万円程度の慰謝料ビジネスができるのではと言っていた。俺の場合は、誹謗中傷と合わせて、著作権侵害もされているから、本文を写した画像を根拠に、著作権侵害も名誉毀損にプラスして、慰謝料取れるのではないと、そんな不毛なことを考えていた。
ベッドでそんなことを一通り思い出したあと、俺は重い身体を起こた。
★2025年 9月 ――デビュー1年目。高1の夏の話
9月18日に見本誌が届いた。実質、生まれて初めて自分の手で書いた本だ。数ページめくると、自分で書いた文字が、本の活字になっているということが、本当に嬉しかった。
一方、4月30日に発売した、本来のデビュー作である『人生なんてろくでもない!』は、AIで書かれたものだから、自分が書いたとは今でも、全く思っていない。
AIで書いた小説が、たまたま新人賞を受賞しただけにすぎない。AIで全編長編小説を書いたのが、たまたま15歳の中学3年生だっただけだ。AIで書いてしまったら、年齢だって関係ない。本文のほとんどは、心なんて持つはずがない生成AIが人間の何百倍のスピードで作られた文章にすぎない。作品への思い入れとか、そういうものなんて一切存在しない。無機質で乾いた完成物だ。
AI小説をたまたま、多くの人たちが15歳が書いた小説として、認めただけにすぎないんだ。それも、他の応募者を差し置いてデビューすることができたんだ――。
一冊目に対して、そのようなことが次々と浮かび、息苦しさを感じてしまう俺は、もしかすると、社会不適合者なのかもしれないとも思った。
元々の俺の気質は他人のことを、あれこれ天秤にかけない気質だったのに、社会との関わりが薄くなった所為か、陰キャマインドになってしまっているような気がする。
そもそも、今までは、バンドをやっていたり、クラスによっては1軍寄りのポジションの人間だったから、自分のことを社会不適合者だなんて思ったことがなかった。やっぱり、デビューしてから、一人で作業する時間が増えすぎた所為か、思考がネガティブになってしまうのかもしれない。
ノリの悪い、陰キャなんて大嫌いだったし、独特の陰気さが嫌だった。そんなジメジメ考えているなら、ギター弾いたり、音楽聴いてればいいじゃんって思っていた。つまり、俺は心のどこかで陰キャのことをバカにしていた。だけど、いざ、俺自身が陰キャ気質になって思うことは、陰キャは陰キャなりに、コンプレックスと戦っているということがわかった。
もっとも、俺が陰キャ気質になったのは、3月29日の炎上のコメントを読んでからだと思う。精神的に未熟な大人の陰キャに総攻撃され、俺の存在価値は俺自身のなかでよくわからないものになり始めていた。
相変わらず、寝ていても、うなされる。しかも最近は頭が冴えすぎて、上手く眠れなくなってきた。だから、ドラッグストアで売っている睡眠改善薬を飲んでみてはいるけど、深く眠れるような日が少なくなった。常にイライラしているからか、クラスではひとりぼっちになってしまった。4月にそれなりに立ち回りを頑張って、炎上騒ぎを自分の生活範囲のなかでは、回避できたと思ったのに、結局、自分でひとりぼっちの要因を作ってしまった。
それでも、山本瑠奈とは、中学生だったときと同じように、たまに一緒に学校から駅に向かって歩いたり、1ヶ月に一度くらい、いつものカフェレストランでパフェを食べて、音楽の話をした。ここ最近、自分のことばかりになっているような気がする。読みたいはずの山本瑠奈の小説を読めていない。お互い、腫れ物みたいに小説の話題を避けているみたいだった。だから、山本瑠奈は、今、なにかの小説の応募を目指しているとか、どんな小説を書いているかも俺は知らなかった。
去年の夏は、楽しく小説の話をしていたのが夢の出来事のように思えた。もし、出版できたらとか、淡い夢ばかり語っていた日々だ。その、もし本になったらどうする? を、リアルで現在進行している。
だから、せめて去年の夏の、あの淡い夢を消したくなかったから、俺は届いた見本誌をすぐに山本瑠奈に渡したかった。去年、自分の力で書いた『空なんて飛べない』が本になったらいいのにという淡い夢が現実になったから、この本を今すぐ、山本瑠奈に渡したい。
山本瑠奈に《明日、渡したいものがある》ってメッセージを送ると、すぐに既読がついた。
*
駅ビル五階のレストランフロアにある、いつものカフェレストランで話している。学校が終わり、そのままいつも通り、ふたりで駅まで歩き、店に入った。金曜日の16時前の店内は、閑散としていて、何組かの主婦や、老夫婦がいるだけで、俺らと同じような10代は見当たらなかった。
ふたりは今、ボックス席に向かい合っている。窓側の席で、窓から白い午後の日差しが入っている。俺と、山本瑠奈はの白い光の中に入っていて、その光の終点は、右側の通路の塩ビ製のふたりにしては広すぎるテーブルの上にグラスに入っているアイスカフェオレが2つがそれぞれの前に置いてある。グラスには、微かな浮力を持った赤色のストローがささっている。
山本瑠奈は、最近、カヒミ・カリィの『ハミングがきこえる』をリピしていて、カヒミ・カリィにハマったらしい。92年発売のアルバムのなかに入っている『mike alway's diary』という曲が特に気に入ったから聴いてほしいって言われた。俺は、ドレスコーズの『愛に気をつけてね』と毛皮のマリーズの『ビューティフル』を聴いていることを伝えた。
「渡したいものがあるんだ」
「それ、メッセージでも言ってた」
山本瑠奈はすぐにそう返して、ふふっと笑った。山本瑠奈が笑っている間に、バッグから見本誌が入った紙袋を取り出した。そして、紙袋から、見本誌を取り出し、それを山本瑠奈の前に置いた。
「2冊目、おめでとう」
「ありがとう。ようやくデビュー作ができたよ。2冊目だけど」
「タイトル変わったんだね。『空なんて飛べない』のほうが好きだったな」
「仕事だから仕方ないよ」
「そうだよね。『宙に舞う青春パズル』って真逆だよね。話の内容と」
「一作目と作風も違う小説だから、一作目の尖ったイメージじゃないくて、柔らかいイメージにするのが狙いらしいよ」
永瀬さんにこのタイトルにすると言われたときに、言われた理由をそのまま、山本瑠奈に話した。すると、山本瑠奈はふーん。と言った。そして、本を手に取り、裏側を見たあと、本を開いた。パラパラと数ページめくったあと、再び本をテーブルの上に置いた。 俺はふと、一年前、初めてこの店で山本瑠奈と話したことを思い出した。本来だったら、中学生から高校生になっただけに過ぎない変化だった。なのに、俺はなぜか今、小説家になっていた。
「帯も編集の人が書いてるんだよね?」
「そうだよ」
本の帯には、こう書いてある。
『リアル10代著者が綴る感動的センチメンタルな愛』
『小説八雲新人賞 最年少受賞後 第一作!』
この小説を書いたとき、センチメンタルさを求めて書いていなかった。つまり、感傷的に書くつもりなんて一切なかった。これが本来の俺の書き方だし、表現方法だっただけにすぎない。とにかく、作詞をするときのように、一文、一文が輝くように書いた。
そのことを編集の永瀬さんは『今回は文体が違って、センチメンタルな雰囲気ありますよね』と表現した。おそらくその感想をそのまま、帯のキャッチコピーにしたのかもしれない。
だから、AIが書いた1作目と、2作目とでは、だいぶ文体が違うから印象が違うんだと思う。AIが書いた『人生なんてろくでもない!』はセンテンスも短く、明確な表現が多かった。ただ、そのなかでも、自分の力で加筆した部分は例外だった。
『人生なんてろくでもない!』で、AIが書いた文章を改稿し、自分で加筆したところは、『空なんて飛べない』と似たような、文体にした。ただ、その部分が悪目立ちしたのか、読書感想サイトのマイナスレビューでは『ただ、文章が急に長くなったシーンは不要に思えた』とか、『中盤の一部のシーンは本筋に対して、必要性を感じられなかった』とか、『時折、詩的な表現と、韻を踏んでいる箇所があったが、ただ単に読みにくくしていて、悪目立ちしていた』とか、『主人公に共感はできなかった。老婆心で言うと、こういう人と居ると人生が狂うから、この結果は当たり前だと思った』とか、そういうことばかり書かれていた。
つまり、AIが書いた文章のほうが評価されていて、俺が自分で加筆した部分は受け入れられていないということだ。
そういう感想を書かれて、一つ星ばかりつけられると、滅入る。本を出版するまでの自分の頑張りって一体何だったのかって、虚しくなる。いくら褒められても、その虚しさの穴は埋まらないことを知った。もしかすると、作家なんて、その虚しさの繰り返しなのかもしれない。
「それでもさ、去年の夏、私が言ったこと、本当になるなんて、やっぱり川崎くんはすごいよ。本当に」
「こうやって形にはできたよ。この小説でデビューしたかったけどね」
そう返すと、山本瑠奈は優しく微笑んでくれた。その表情を見れただけで、俺はもう、この小説を本という形にした意味があったなと思った。もう、売上なんてどうでもいい。俺は山本瑠奈に喜んでもらえることだけで、もう十分だ。
「川崎くん、帰ったらゆっくり読むね。今度、感想言ってもいい?」
「読んでくれるだけでも嬉しいよ」
「わかった。絶対、感想言うから。こう見えても私、川崎くんが相当、苦労して書いたってこと、一番わかってるつもりだから」
「――ありがとう。だけど、自信ないんだ」
「えっ、どうして?」
「初稿の段階で、あまり好意的な反応じゃなかったんだ。それで、ストーリーラインを編集部好みに寄せたんだ。つまり、オーダーを受けたから、そのオーダーに寄せるってことしたんだ。もう、一冊目は、50万部も刷ってもらったから、期待に答えなくちゃって、自分なりに苦しんで頑張ったつもりだよ。俺はもしかすると、作品を褒めてほしいんじゃなくて、頑張ったことをただ褒めてほしいのかもしれないな」
すっと息を吐き、俺はグラスを手に取り、ストローを咥えた。そして、アイスカフェオレを一口飲んだ。
「気に病まないでって言うのも、慰めにならないかもね。それだけ進んでるんだよ。川崎くんは」
「それでも、その頑張りや、疲弊したことなんて、誰にも知られないで、また無条件に叩かれるのかなって思うと、とても自信なんて持てないよ。どう受け入れられるかなんて、わからないから」
「――持つ必要ないよ。だって、自分のために文章を書いてるんでしょ?」
「――覚えてくれてたんだ」
「当たり前でしょ。だって私、川崎くんの推しだよ?」
もう一度、山本瑠奈は微笑んだ。
★2026年 1月 ――世間からすると順風満帆にみえる話
iPhoneの通話を切り、俺はため息を吐いた。永瀬さんからの電話だった。なんでこんなタイミングでこんな連絡が来るんだろうと、がっかりした。次作の刊行を4月に雑誌で、読み切りの長編を一本出すのが決まっていて、今はそれを書いている。ただ、電話で伝えられた内容は、そのことではなかった。読み切りのちょっとした連絡かと思ってたから、より嫌気がさした。
書店小説大賞にノミネートが内定したらしい。永瀬さんが言うには、この賞にノミネートされること自体、すごいことのようだ。書店員の人たちによる人気投票がなされ、順位付けがされるようだ。普段、あまり本屋に行かない俺は、あまりピンと来なかった。そんなことよりも、2月中旬までに原稿を完成させなくちゃならないから、そのことのほうが気が気じゃなかった。
読み切りの長編の話が来た時は嬉しかった。自分で書いたプロット案が通り、雑誌のなかで一枠もらえることになったからだ。それは、自分のネームバリューではなく、初めて自分の実力で勝ち取った仕事のように思えたからだ。
ただ、原稿が思ったよりも進んでいなかった。さっき、永瀬さんに締め切りギリギリになるかもと伝えると『目一杯、時間使って大丈夫です。まだ、1ヶ月弱ありますし。おっと、伝え忘れてました。また2冊とも重版決まったので、近いうちに見本誌お送りしますね』と返された。
最近は、毎月2回、3回の重版も当たり前になってきた。重版し始めた最初の頃は、永瀬さんも毎回、『おめでとうございます!』と言ってくれていたけど、気がついたら、言ってもらえなくなった。というか、もう、重版が当たり前になりすぎていて、『重版します』は、事務連絡化していた。
相変わらず、うなされる日々だ。毎日飲んでいる睡眠改善薬もあまり効いていないように思えた。相変わらず、AIで書いた『人生なんてろくでもない!』がAIで書いていることがバレて、バッシングされる夢とか、自分がAIを使って、得意げになっている夢とか、本当に見たくもない夢ばかりを見る。
そのたびに思う。俺は、ずるいことをしていると。そして、少なからずいる、俺のことを好意的に捉えて読んでくれている読者の人たちのことを、サイレントに裏切っていることへの罪の意識が『重版します』と聞くたびに胸を締め付けられているように感じた。
そして、書店小説大賞にノミネートまでされてしまった。俺は、もう、いろんな人たちのことを裏切り続けているんだ。影に隠れて。
*
原稿が一段落し、iMacをスリープした。iPhoneを手に取り、ロック画面を見ると、0時を過ぎていた。明日も学校なのに、こんな時間まで労働してしまったと思いながらも、俺はとりあえず、疲れたから、ベッドに横になった。
昨日、父親と大喧嘩をした。その要因は父親が俺に向けているやっかみだった。父親は会社でなにかあったらしい。リビングを通り、キッチンにコーラを取りに行ったとき、ソファに座る父親が『いいよな。学校行きながら俺より稼ぐんだから。父さんなんてもういらないだろ』とぼそっと言われたことがきっかけだった。母親が『やめて。息子にあたる父親なんて最低だよ』と強めに父親に返してから、言い争いが始まった。
最初、俺はコーラのペットボトルを持ったまま、静観を決め込んでたけど、そのうちに父親の攻撃が俺に向いた。
『俺の若い頃、ベンチャー立ち上げたときは朝から晩まで休み無しで働いた。だけど、お前より稼ぐことはできなかった。なのに、非生産的で、ただの娯楽に過ぎない小説家のほうがなんで、あまり仕事しないで稼げるんだよ。半年で1億も稼ぎやがって』
そう、すでに2冊合わせて、80万部分の印税が入っている。単行本の定価が1700円で、そのうちの10%が著者印税だ。だから、俺の口座には、すでに印税だけで1億3千万円くらい、振り込まれている。
『俺はどんなに頑張っても、部長クラスですよ。どうせ。逆立ちしたって勝てないわ。いいよな努力しないで稼げるなんてよ。もう、一生安泰じゃん』
その言葉で俺は、心の中で何かが切れてしまった。父親の尊厳とか、そんなのなんて、もうどうでもいい。知った口で、俺のことを叩くな。俺のことを批判するな。俺のことをひがむな。
「父さんは若い時、ベンチャーで挫折したんだろ。どうせ、最初からその程度の器の小さい人間だったんだよ。だから、今、サラリーマンなんだよ。しょせん、凡人なんだよ」
俺のその言葉で完全に口喧嘩に発展した。そして、口喧嘩の結果、近いうちに俺は自立して、家を出ていくことになった。
★2026年 3月 ――引っ越した翌日
見慣れた街を24階の高さから、 一望している。この街で唯一のタワーマンションの最上階は見晴らしがよかった。7000万円くらいの中古の角部屋を一括購入した。17歳で俺は自立することができたし、自分の家を持つことができた。
2LDKのこの物件は18畳のリビング・キッチンに、7畳の洋室が2つある作りだ。リビングは、白い大理石調のフロアタイルが張り巡らされている。前のオーナーが、リフォームでフロアタイルを張ったらしい。
一人暮らしをするには十分すぎる設備だ。2005年に建築された物件で、築21年になるらしい。まだ、家具を買っていないから、リビングには自分の部屋から持ってきた机と椅子しかない。リビングから一番近い方の部屋を寝室にすることにした。昨日、引っ越しが終わり、買った家電も一緒に搬入してもらった。
インターホンが鳴ったから、俺は外を見るのをやめて、インターホンの方へ歩き始めた。
*
「成功者って感じだね」
山本瑠奈は、がらんとした白い部屋のなかを落ち着きなさそうに、うろうろとしていた。
「YouTubeできそうでしょ?」
「確かに、みんなこういう感じの家住んでるけど、タワーマンションみたいなところに住んでるんだね」
山本瑠奈は、窓の前に座った。白いTシャツに、青いワンピースを着ていた。いつか見たことあるセットアップだけど、最高に似合っていた。
「ねえ、どうやって買うの?」
「一括だよ。全額振り込んだ」
「未成年でもそんなことできるんだ」
「金があれば、信用される世界みたい」
悪者みたいなことを言うと、山本瑠奈は笑ってくれた。別にここまで大きな物件を買う必要なんてない。だけど、お金を持ったままより、さっさと資産にしたほうがいいと発信している誰かの動画をたまたま観て、それだったら、早いうちに資産作っちゃうかと思い、この部屋を買った。それに法的な書面を作れば、誰にだって、こんなのあげることができる。来週、その書面を作りに行く予定になっている。
家を出てほっとしたのか、俺は本当に久しぶりに熟睡することができた。珍しくうなされることもなかったし、夢すら見れないほど、深い眠りだった。
俺は机に向かい、引き出しに入れていた鍵を取り出した。そして、山本瑠奈の方まで、歩き、山本瑠奈の隣に座った。
「なあ、親と喧嘩して、ここ買ったって言ったじゃん」
「そうだね。可愛そうだけど、大先生の川崎くんになっちゃったからね」
「もう、親のこと、信用できないんだ。だから、これ持ってくれないか。手出して」
そう言うと、山本瑠奈は素直に右手を出してくれた。だから、俺はこの部屋の鍵をそっと、山本瑠奈に渡した。
「そんなに私のこと信用してるんだ」
「当たり前だろ。だって、小説を書かないかって誘っただろ」
山本瑠奈は、じっと俺のことを見つめてきた。いつもの何を考えているのかよく読み取れない、表情だ。山本瑠奈は目を細め、すっと息を吐いた。そして、山本瑠奈は鍵をそのままぎゅっと握った。俺は左手の小指を山本瑠奈に差し出した。
「約束してほしい」
「――わかった。何かあったら、走ってここに来るから」
そう言って、山本瑠奈は左手で小指を結んだ。
★2026年 4月 ――書店小説大賞 受賞作発表会
『この度、書店小説大賞をいただき、大変光栄です。まだ、私は高校生であり、右も左もわかりません。正直、つい最近まで、書店小説大賞にノミネートされることがどのようなことなのかを、完全にわかっていなかったと思います。そういった意味でも、自分は本来、このような賞を受賞するのにふさわしい人間ではありません。
この本が刊行されてから一年ほど経ちました。
今でも、この作品が自分にとっては小説家として、スタートするきっかけになった本ですし、学校に行きながら、自分のもののように文章にすることができた経験はよかったのかなと考えています。デビューしてからの、この一年は一生、忘れることがないくらい非常に多くの感情を味わった一年でした。
中学3年生の夏休み、大切な友人に誘われて、本格的に小説を書き始めました。友人にこう言われて小説を書きました。
「夏休み、お互いに応募する作品、読みあおうよ。そして、それぞれ別の賞に応募しよう。ふたりだけの、今年の夏休みの宿題にしよ?」
その夏休みの宿題が、まさか1年後にこのような結果になっているとは、そのとき、思いもしませんでした。この夏休みの宿題で、ときに友人を傷つけたこともありました。しかし、今の私にとって、欠かせない大切な友人です。友人には大変感謝をしています。
そんな友人に向けて、一言お伝えして、このスピーチを締めたいと思います。
『書くきっかけを与えてくれてどうもありがとうございました』
この度は、大変感謝申し上げます。ご清聴いただきありがとうございました』
俺のスピーチが終わり、ホールの会場中に拍手が鳴り響く。自分の文章だと偽り、頂きに立った、俺にとって、その拍手は虚しく、苦しいものだった。
*
ドアを閉め、鍵を閉めた。一度、U字ロックをつい、前の家の癖でしてしまったけど、U字ロックを元に戻し、革靴を脱ぎ始めた。俺はもう、ふらふらだ。頭のなかで無駄な言葉が響き続けている。
タワーマンションの俺の部屋に戻った。がらんとしたリビングの空気は冷たかった。カーテンがされていない窓から、街の青白い夜景が星みたいで、きれいだった。電気をつけるとあっという間に、それらは部屋の反射で見えなくなり、スーツ姿の間抜けな俺が立っているだけだった。
机の引き出しから、あらかじめ書いておいた書類をまとめた封筒を出した。
そして、がらんとしたリビングの真ん中に座った。こんなのすら意味がない気がした。
発表会に行けば、気分がよくなる可能性もあるかもと思ったけど、俺の気分は最悪だった。AIで書いた小説でみんなを騙す気分はどうだ? って頭のなかで何度も、誰かに言われているような気さえした。ただ、それは気の所為なのはわかっている。もしかしたら、自分が夢のなかで作った黒が、囁いているだけなのかもしれない。
ただ、それが頭のなかで、何百回も囁かれた。
『お前はもうじきバレて、罰を受ける』
『AIで小説書いたのに、公表しないのは詐欺師と同じだ』
『中3が小説家になる日本、終わってる』
『大御所が絶賛って、ただ話題が欲しかっただけでしょ 本なんて売れないから』
『オワコンがガキを使って汚い商売し始めた 怒りを覚える』
『人生なめるな』
『ガキが人生語るな』
次々に頭のなかでいろんな声が再生され始めた。だけど、俺はすべてを無視することにした。この会場で発狂したら、俺は終わりだ。発狂してはいけないんだ。
ぐるぐる回る声を無視するために、俺は自分に言い聞かせた。その心の声と、再生される無数の悪口、そして、会場で淡々と進行されるプログラム。
『若干17歳での受賞となります。もちろん、これは最年少記録です。おめでとうございます』と司会がアナウンスする間も、悪口が頭のなかで囁きつづけた。
永瀬さんは俺の異変に気がついたみたいで、『大丈夫ですか?』って心配そうに聞いてくれた。だけど、俺は、『ここで変なことしたら終わりですから』とか、受け答えになっているのかわからない返答をした。
この賞は幸い、発表会だけで記者会見とかないから、発表会さえ上手く乗り切れば、大丈夫だった。本当は、祝賀会もあるらしかったけど、永瀬さんが手配してくれて、祝賀会は中止になった。
そのまま、会場からタクシーで帰ってきた。長距離であることと、高校生っぽいのに、お釣りはいりませんって言って、メーターに表示された以上の万札を渡すと驚かれたけど、黙って受け取ってくれた。
俺はリビングの真ん中に倒れ込んだ。右頬をべったりと床にくっつけると、冷たかった。
ふと、一年前の授賞式の光景が浮かぶ。瀬戸セノトにこう囁かれた。
『お前なんか、どうせ一冊しか出せないよ。今のうちに最年少でちやほやされてろ。お前がいなければ、俺が最年少で、しかも最優秀賞だったはずだ。俺の方が話題を作る作家としてふさわしかったんだ』
「そうだよ。お前がなればよかったんだよ。俺に最年少記録なんて荷が重すぎたんだよ」
AIで受賞したくせに。
AIでデビューしたくせに。
AIで金儲けしたくせに。
AIでタワーマンションの部屋買ったくせに。
自分の実力じゃないくせに。
皆が絶賛するなんて、史上最低最悪の作家だね。
俺は叫んだ。何度も、何度も、叫んだ。そして、床を何度も叩いた。痛みと床の冷たさが右手に響く。
『夏休み、お互いに応募する作品、読みあおうよ。そして、それぞれ別の賞に応募しよう。今年の夏休みの宿題にしよ? 私たちふたりの』
やがて、夜のプールの水面がふと見えた。それは、いつか想像したしたか、うなされる夢のなかで見た光景だ。
近くのLEDの街灯の白を反射して揺れている。その光の揺れ、波未満の水面のゆらぎの凹が平行世界への入口になっているのを知っているけど、飛び込む勇気が出ない。
『小説ダメだったね。悔しい、賞に落ちちゃった。また、頑張っていこうか』
『15歳のふたりの未来なんて、無限にあるんだから』
と笑いながら言う、山本瑠奈の声が聞こえた。
『ねえ、川崎くん。また読ませてよ。川崎くんの小説』
「山本さんもね」
『――川崎くん、もったいないよ。人の心に響く文章書けるのに』
『約束だよ』
山本瑠奈がそう言っている途中で俺は右手の小指で、山本瑠奈の小指を結んだような気がした。
ただ、それは気がしただけで、俺は未だに叫び続けていた。スーツのポケットから、iPhoneSE2を取り出した。そして、朦朧とするなか、メッセージを打ち込んだ。
《こわれた たすけて》
メッセージを送信して、俺はiPhoneを床に置いた。
*
お願い、間に合って――。エレベーターに乗り、24階のボタンを押している最中に扉が閉まり、昇り始めた。
私は、川崎くんから合鍵を預かった日、ふと頭のなかでよぎった。
もしかして、川崎くんが消えてしまうんじゃないかって。
中継された発表会のメッセージでわかった。
本当は、会場まで迎えに行きたいくらいだったけど、まったく川崎くんと連絡がつかなかった。
エレベーターはどんどん加速し、10階を超える。
私は川崎くんが壊れるきっかけになった3月29日に決めたんだ。
どんなことがあっても、私は川崎くんのこと、ひとりぼっちにさせないよ。ずっと味方だから。



