ひぐまりおんを出て、ぼくらは駅へと向かった。
夜の街はきらきらしている。ほろ酔いの人々が楽しそうに騒いでいた。酔い潰れて寝転んでいるやつもいるし、飲み屋の勧誘に立っている人々はせわしなく声をかけている。新宿の夜だ。
東京にきたばかりの頃は、その人混みに気圧されたけれど、いまはもうどうってことない。慣れたのだ。なんとなく、自分が年を経るたびに鈍感になっているような気がする。それはなんだか情けなくて、もったいないような気がする。
今日の新宿は、なんだかいつもと違った。
隣に翔真がいるかからかもしれなかった。もちろん翔真はほんとうの彼氏ではない。一時しのぎの、見栄を張るためのノンケだから、直哉の結婚式が終わったらそれまでだった。期間限定ですらない偽物の彼氏だ。それでもぼくは浮き足立っていた。なにもかもがきれいだったりおかしかったりした。まるでいまぼくは、好きな人がそばにいて、守られているようにも、隣の人を守りたいとも思っていた。
ばかげたことだった。
直哉と付き合っていたときに戻ったわけではなかった。翔真は直哉ではない。だからこの気持ちも、似ているけれど、違った。
そうか、みんなこんな気持ちでいたいから、恋人が欲しいのだ。よるべなさを埋めてくれる。そしてうまくいかなかったとしても、再び誰かに恋する。
このテンションをもう一度感じたくて。
「ところで、明日は暇?」
駅の改札に近づいたとき、翔真が言った。
「えーと、夜はバイト」
「なにしてんの」
「本屋」
「ぽいな」
なにがぽい、のか。翔真が本屋にどんなイメージを抱いているのか問い詰めたいところだったけれど、黙っておいた。
「なんで明日?」
ぼくが問い返すと、
「デートいつする?」
と翔真が言った。
「デート?」
びっくりして素っ頓狂な声をあげた。まわりがぼくらをちらちらと見た。
「そらしなきゃなんないだろ」
翔真は平然としていた。なにを驚いているのかと不思議そうだった。「俺ら、付き合ってるんだから」
その言葉を聞いて、そばを歩いていた女の子たちが、
「やだー」
と口に手を当てた。「いいもん見たね〜」「眼福」なんて言い合って過ぎ去っていった。
ひどく恥ずかしい。
「そんな、べつに当日だけしてくれたら」
「ダメだね。当日に完璧に演じるためにはさ、俺たちもっと付き合ってるていにならなくちゃ」
「てい」
ですか。
「そう、だからしばらく、稽古とイメトレを兼ねて、一緒に過ごさなくちゃいかんだろ」
「そんな完璧にしないでも」
「嘘だってばれたくないだろ」
ぐうの音もでなかった
次の休みをぼくが伝えると、
「ああ、その日は俺もなんもないから、どっか遊びに行って飯食おう」
と翔真が提案した。
「わかった」
ぼくが不服そうにしていると思ったのか、
「なに? デートより先に、ゲイってエッチすんのか?」
と囁いた。
「なっ! なにを言ってるんですか!」
「動揺しすぎて丁寧な言葉遣いになってる。それも直さなくちゃな」
翔真が笑った。「そもそも設定を詰めなくちゃなんないよな。俺たちどこで出会ったの?」
「ひぐまりおんでいいんじゃない?」
シナリオライター志望とはいえ、咄嗟には思いつかなかった。
「なるほど、で、二人で店を出てそのまま一緒に朝を迎えた、と」
「早すぎる!」
「リアリティあるんじゃないか?」
「そんなわけ」
と言いながらも、たしかに直哉とは出会ってすぐにほいほいと……。もしかして推しに弱いって見抜かれているんだろうか。あるいは案外尻が軽いとか。ていうか、翔真はどうなんだろう。やっぱりモテるし、そういうふうに勢いで付き合ったりしているのだろうか。そもそもこの人、何人と付き合ってきたのかな。詩織ってコを諦めさせるためにわざわざ芝居を打つってことは、いまはいないってことだろうけど。
……彼女じゃないけどいろいろ関係ありそうなやつら(多分美人)いっぱいいそう。
そんなことを、設定そっちのけであれこれ考えていると、
「まあ、そういうのは次考えようぜ。デート終わったら部屋寄っていい?」
「部屋? なんで?」
カップルが部屋を行き来するのは普通だろ」
「いや、それはちょっと」
「汚いの? エッチなもん隠す時間が欲しいとか? むしろ資料になるから見せてよ」
「そんなん持ってないですけど」
いや、それもあるけど。
「また丁寧になってるぞ」
じゃあ、と翔真が手を差し伸べてきた。
「なに?」
「これからよろしくってこと」
ぼくは恐る恐る手を握った。
うん、握手券買わないとできないことをしている(まあ芝居のチケット買うんだけど)、とかまぬけなことを考えてしまった。
「デートもあるけど、明日の昼は一緒に飯食おう」
「昼休み?」
「付き合ってるんだし、それとなくそばにいるほうがいいだろ。べつにいちゃつく気はないよ。詩織対策」
じゃあ明日、といって翔真は人混みに紛れていった。
急に寂しくなった。翔真はジェイアールでなかったらしい。つまり、ぼくを改札まで送ってくれたのだ。
スマホが震えた。
見てみると、さっきライン交換した翔真からだった。
ちいかわのスタンプ。
「こんなかわいいスタンプ使ってんのかよ」
ぼくは思わず独り言をつぶやいた。
そりゃあんた、みんな惚れてまうやろ!
夜の街はきらきらしている。ほろ酔いの人々が楽しそうに騒いでいた。酔い潰れて寝転んでいるやつもいるし、飲み屋の勧誘に立っている人々はせわしなく声をかけている。新宿の夜だ。
東京にきたばかりの頃は、その人混みに気圧されたけれど、いまはもうどうってことない。慣れたのだ。なんとなく、自分が年を経るたびに鈍感になっているような気がする。それはなんだか情けなくて、もったいないような気がする。
今日の新宿は、なんだかいつもと違った。
隣に翔真がいるかからかもしれなかった。もちろん翔真はほんとうの彼氏ではない。一時しのぎの、見栄を張るためのノンケだから、直哉の結婚式が終わったらそれまでだった。期間限定ですらない偽物の彼氏だ。それでもぼくは浮き足立っていた。なにもかもがきれいだったりおかしかったりした。まるでいまぼくは、好きな人がそばにいて、守られているようにも、隣の人を守りたいとも思っていた。
ばかげたことだった。
直哉と付き合っていたときに戻ったわけではなかった。翔真は直哉ではない。だからこの気持ちも、似ているけれど、違った。
そうか、みんなこんな気持ちでいたいから、恋人が欲しいのだ。よるべなさを埋めてくれる。そしてうまくいかなかったとしても、再び誰かに恋する。
このテンションをもう一度感じたくて。
「ところで、明日は暇?」
駅の改札に近づいたとき、翔真が言った。
「えーと、夜はバイト」
「なにしてんの」
「本屋」
「ぽいな」
なにがぽい、のか。翔真が本屋にどんなイメージを抱いているのか問い詰めたいところだったけれど、黙っておいた。
「なんで明日?」
ぼくが問い返すと、
「デートいつする?」
と翔真が言った。
「デート?」
びっくりして素っ頓狂な声をあげた。まわりがぼくらをちらちらと見た。
「そらしなきゃなんないだろ」
翔真は平然としていた。なにを驚いているのかと不思議そうだった。「俺ら、付き合ってるんだから」
その言葉を聞いて、そばを歩いていた女の子たちが、
「やだー」
と口に手を当てた。「いいもん見たね〜」「眼福」なんて言い合って過ぎ去っていった。
ひどく恥ずかしい。
「そんな、べつに当日だけしてくれたら」
「ダメだね。当日に完璧に演じるためにはさ、俺たちもっと付き合ってるていにならなくちゃ」
「てい」
ですか。
「そう、だからしばらく、稽古とイメトレを兼ねて、一緒に過ごさなくちゃいかんだろ」
「そんな完璧にしないでも」
「嘘だってばれたくないだろ」
ぐうの音もでなかった
次の休みをぼくが伝えると、
「ああ、その日は俺もなんもないから、どっか遊びに行って飯食おう」
と翔真が提案した。
「わかった」
ぼくが不服そうにしていると思ったのか、
「なに? デートより先に、ゲイってエッチすんのか?」
と囁いた。
「なっ! なにを言ってるんですか!」
「動揺しすぎて丁寧な言葉遣いになってる。それも直さなくちゃな」
翔真が笑った。「そもそも設定を詰めなくちゃなんないよな。俺たちどこで出会ったの?」
「ひぐまりおんでいいんじゃない?」
シナリオライター志望とはいえ、咄嗟には思いつかなかった。
「なるほど、で、二人で店を出てそのまま一緒に朝を迎えた、と」
「早すぎる!」
「リアリティあるんじゃないか?」
「そんなわけ」
と言いながらも、たしかに直哉とは出会ってすぐにほいほいと……。もしかして推しに弱いって見抜かれているんだろうか。あるいは案外尻が軽いとか。ていうか、翔真はどうなんだろう。やっぱりモテるし、そういうふうに勢いで付き合ったりしているのだろうか。そもそもこの人、何人と付き合ってきたのかな。詩織ってコを諦めさせるためにわざわざ芝居を打つってことは、いまはいないってことだろうけど。
……彼女じゃないけどいろいろ関係ありそうなやつら(多分美人)いっぱいいそう。
そんなことを、設定そっちのけであれこれ考えていると、
「まあ、そういうのは次考えようぜ。デート終わったら部屋寄っていい?」
「部屋? なんで?」
カップルが部屋を行き来するのは普通だろ」
「いや、それはちょっと」
「汚いの? エッチなもん隠す時間が欲しいとか? むしろ資料になるから見せてよ」
「そんなん持ってないですけど」
いや、それもあるけど。
「また丁寧になってるぞ」
じゃあ、と翔真が手を差し伸べてきた。
「なに?」
「これからよろしくってこと」
ぼくは恐る恐る手を握った。
うん、握手券買わないとできないことをしている(まあ芝居のチケット買うんだけど)、とかまぬけなことを考えてしまった。
「デートもあるけど、明日の昼は一緒に飯食おう」
「昼休み?」
「付き合ってるんだし、それとなくそばにいるほうがいいだろ。べつにいちゃつく気はないよ。詩織対策」
じゃあ明日、といって翔真は人混みに紛れていった。
急に寂しくなった。翔真はジェイアールでなかったらしい。つまり、ぼくを改札まで送ってくれたのだ。
スマホが震えた。
見てみると、さっきライン交換した翔真からだった。
ちいかわのスタンプ。
「こんなかわいいスタンプ使ってんのかよ」
ぼくは思わず独り言をつぶやいた。
そりゃあんた、みんな惚れてまうやろ!


