家に帰ったところで妙案は浮かばなかった。
マッチングアプリを開いてみても、「これだ」というやつはいない。いいな、と思ったら「既婚」とか「ヤリモク秘密厳守」と書いてある。マスターの言う通りである。見た目魅力的なやつはすでにつがいとなっているか、遊びだ。
「あーあ」
ベッドに寝そべり、ぼくは声をあげた。
若いだけで、なんにもない・誇れるものも、自信もひとつもない。こんなやつを誰か好きになってくれるとも思えない。
そもそも、直哉と付き合った一年がミラクルだったのかもしれない。あれで自分の人生の恋愛運すべて使い果たしたのかも。
翌日、大学に向かうも、なんのやる気も起きなかった。
それにしても、キャンパスで結城翔真を見かけたことがない。いたらまずいな、と思いつつも、なんとなくあのイケメンを遠目から眺めたい、という気にさせる。陰キャなもんで声をかける勇気はない。そもそも誰かに「どこで知り合ったの?」なんて聞かれても困る。
「昨日、二丁目の冴えないゲイバーで」
なんて言えるものか。あっちが迷惑だし、こっちもバレたらめんどくさい。冴えないだと? と頭のなかでマスターの怒る顔が浮かんだ。すみません、言い過ぎました。人が少なくて居心地がいい、でした。これもディスか。
午後は授業がないので、帰ろうかな、と歩いていたとき、サークルの部室が並ぶ棟を通りかかった。
サークルか。なにか入っておけば、もう少し生活にはりができたかもしれない。映画サークルとか、文芸サークルに入ろうかな、と入学当時にいくつか顔を出してみたけれど、小難しく、知識のマウントをとってくる先輩(「タルコフスキー観たことないんだ?」「最近の××賞はなんかこじんまりしてるよなあ」etc…)に辟易し、サークル全体のなんとなく排他的な雰囲気も息苦しかった。そして彼らの書いた作品が、偉そうにプロの作品を酷評しているくせに、足元にもおよばない出来だったのも、いたらこいつらみたいになってしまう、と思った。
演劇サークルは選択肢になかった。そもそも舞台を観たことがなかったし、なんか全員貧乏そうだし、声デカそうだし、なんかヒエラルキーきつそう、と勝手に思っていたのだ。
もしあのとき、入っていたら、あんな翔真みたいなイケメンとお近づきになれたかもしれないなあ、と空想して顔をにやつかせた。
ま、ノンケだし。お仲間であったとしても、そもそもの階層が違うって感じだが。
そんなふうに自嘲しながらも、いないかな、とサークル棟をちらちらと眺めながら歩いた。
「お昼どうする? 学校でて、行きたいとこあるんだけど」
女の子の声が背後から聞こえた。
やたらと甘ったるい声だった。彼氏に話しかけているんだろう。楽しくやってんなあ、彼氏がどんなツラか見てやろう、と振り返った。
「あ」
僕はびっくりして、声をあげた。
腕にしがみついている女の子にうざったそうな男は、結城翔真だったのだ。
「ああ」
翔真のほうはべつに驚きもせず、ただ僕を見て、頷いた。
「知り合い?」
女がぼくを警戒しながら眺めた、彼氏以外の男なんて、人間でもないんだろうな、そらそうだ、こんないい男、って付き合ってるの?
「うん」
翔真が短く言った。どんな知り合いなのか、は伝える気がないんだろう。見たらわかる、と。マスター、残念だったね、翔真くんの下半身はこの女が文字通り握ってますよ。
「じゃあ、また」
ぼくはそう言って、立ち去ろうとした。
なんだよ、ちょっと、もしかしたら、なんて期待してた。かぎりなくゼロだとわかっているのに、どうしても。
「ちょっと待って、和寿!」
背後から呼ばれた。
え、なんで名前?
僕が振り返ると、翔真が駆けてきた。そして、
「彼氏のふり、するよ」
と耳打ちした。
「え?」
さっぱりわからない、と言おうとする前に、翔真がぼくの手を握った。そして、女の子に向き直った。
「詩織、ごめんな」
そばにある翔真の顔は真剣そのものだった。これから重大なことを告白する、みたいに緊張しているように見えた。
いったいなにが起きているのかわからなかったけれど、翔真がぼくの手を強く握ったので、ぼくの反射的に握り返した。
「どうしたの?」
詩織、と呼ばれた女の子が困惑気味に近づいてきた。
「いままで、黙ってたけど、いや、勇気がなくて言えなかったんだ。実は、俺、こいつのことが好きなんだ」
その言葉に、目の前に詩織ちゃんは絶句していた。ぼくも、あまりの衝撃に大口をあけ、目を見開いた。
「え、待ってよ、それってもしかして、翔真って、嘘でしょう?」
そらそうだ、さきまでべったりくっついていた男が、急にそんなこと言ったら。まるでドラマみたいなシーンが目の前で起こっている。しかも自分も参加している!
「うん。こいつのこと、大切にしたいから。詩織、わかってくれるよな」
そう言って翔真がぼくの背後に回り、背中から抱きしめた。背中に感じる暖かさに、くらくらした。
「ちょっと待って、わかんない、急すぎるし、飲み込めないし」
女の子が慌てて、道ゆく人々がぼくらをチラチラ眺めていた。
「和寿、心配させてごめんな」
翔真が僕の頭に鼻先をくっつけた。「行こう」
ぼくは翔真にひっぱられ、その場をあとにした。
「え、なんで、どういうこと?」
キャンパスを出て、ぼくは言った。まだどきどきしていた。
「いや、俺も必要だったんだ、ニセの彼氏」
翔真が言った。
「でもさっきの」
「うん、詩織はさ、昔っから俺にべったりで、困ってたんだ。そう簡単に納得してくれないから。ちょうどお前見かけたから、いまだって、思った。やっぱりこういうのって勢いだよな」
「急なタメ語……」
「だからさ、しばらく、偽装カップルってことでいい?」
翔真が言った。
「大学の人にバレてもいいの?」
「べつに。詩織もさすがにアウティングなんてしないだろうし。大丈夫だろ」
「でも」
こんな目立つ人が?
いや、多分自分に自信があるのだ。なんと言われても構わないという。
眩しすぎて、正面から見ることができない。ぼくが顔を伏せると、
「よろしくな、和寿」
と翔真がぼくの頭をくしゃくしゃに撫でた。
マッチングアプリを開いてみても、「これだ」というやつはいない。いいな、と思ったら「既婚」とか「ヤリモク秘密厳守」と書いてある。マスターの言う通りである。見た目魅力的なやつはすでにつがいとなっているか、遊びだ。
「あーあ」
ベッドに寝そべり、ぼくは声をあげた。
若いだけで、なんにもない・誇れるものも、自信もひとつもない。こんなやつを誰か好きになってくれるとも思えない。
そもそも、直哉と付き合った一年がミラクルだったのかもしれない。あれで自分の人生の恋愛運すべて使い果たしたのかも。
翌日、大学に向かうも、なんのやる気も起きなかった。
それにしても、キャンパスで結城翔真を見かけたことがない。いたらまずいな、と思いつつも、なんとなくあのイケメンを遠目から眺めたい、という気にさせる。陰キャなもんで声をかける勇気はない。そもそも誰かに「どこで知り合ったの?」なんて聞かれても困る。
「昨日、二丁目の冴えないゲイバーで」
なんて言えるものか。あっちが迷惑だし、こっちもバレたらめんどくさい。冴えないだと? と頭のなかでマスターの怒る顔が浮かんだ。すみません、言い過ぎました。人が少なくて居心地がいい、でした。これもディスか。
午後は授業がないので、帰ろうかな、と歩いていたとき、サークルの部室が並ぶ棟を通りかかった。
サークルか。なにか入っておけば、もう少し生活にはりができたかもしれない。映画サークルとか、文芸サークルに入ろうかな、と入学当時にいくつか顔を出してみたけれど、小難しく、知識のマウントをとってくる先輩(「タルコフスキー観たことないんだ?」「最近の××賞はなんかこじんまりしてるよなあ」etc…)に辟易し、サークル全体のなんとなく排他的な雰囲気も息苦しかった。そして彼らの書いた作品が、偉そうにプロの作品を酷評しているくせに、足元にもおよばない出来だったのも、いたらこいつらみたいになってしまう、と思った。
演劇サークルは選択肢になかった。そもそも舞台を観たことがなかったし、なんか全員貧乏そうだし、声デカそうだし、なんかヒエラルキーきつそう、と勝手に思っていたのだ。
もしあのとき、入っていたら、あんな翔真みたいなイケメンとお近づきになれたかもしれないなあ、と空想して顔をにやつかせた。
ま、ノンケだし。お仲間であったとしても、そもそもの階層が違うって感じだが。
そんなふうに自嘲しながらも、いないかな、とサークル棟をちらちらと眺めながら歩いた。
「お昼どうする? 学校でて、行きたいとこあるんだけど」
女の子の声が背後から聞こえた。
やたらと甘ったるい声だった。彼氏に話しかけているんだろう。楽しくやってんなあ、彼氏がどんなツラか見てやろう、と振り返った。
「あ」
僕はびっくりして、声をあげた。
腕にしがみついている女の子にうざったそうな男は、結城翔真だったのだ。
「ああ」
翔真のほうはべつに驚きもせず、ただ僕を見て、頷いた。
「知り合い?」
女がぼくを警戒しながら眺めた、彼氏以外の男なんて、人間でもないんだろうな、そらそうだ、こんないい男、って付き合ってるの?
「うん」
翔真が短く言った。どんな知り合いなのか、は伝える気がないんだろう。見たらわかる、と。マスター、残念だったね、翔真くんの下半身はこの女が文字通り握ってますよ。
「じゃあ、また」
ぼくはそう言って、立ち去ろうとした。
なんだよ、ちょっと、もしかしたら、なんて期待してた。かぎりなくゼロだとわかっているのに、どうしても。
「ちょっと待って、和寿!」
背後から呼ばれた。
え、なんで名前?
僕が振り返ると、翔真が駆けてきた。そして、
「彼氏のふり、するよ」
と耳打ちした。
「え?」
さっぱりわからない、と言おうとする前に、翔真がぼくの手を握った。そして、女の子に向き直った。
「詩織、ごめんな」
そばにある翔真の顔は真剣そのものだった。これから重大なことを告白する、みたいに緊張しているように見えた。
いったいなにが起きているのかわからなかったけれど、翔真がぼくの手を強く握ったので、ぼくの反射的に握り返した。
「どうしたの?」
詩織、と呼ばれた女の子が困惑気味に近づいてきた。
「いままで、黙ってたけど、いや、勇気がなくて言えなかったんだ。実は、俺、こいつのことが好きなんだ」
その言葉に、目の前に詩織ちゃんは絶句していた。ぼくも、あまりの衝撃に大口をあけ、目を見開いた。
「え、待ってよ、それってもしかして、翔真って、嘘でしょう?」
そらそうだ、さきまでべったりくっついていた男が、急にそんなこと言ったら。まるでドラマみたいなシーンが目の前で起こっている。しかも自分も参加している!
「うん。こいつのこと、大切にしたいから。詩織、わかってくれるよな」
そう言って翔真がぼくの背後に回り、背中から抱きしめた。背中に感じる暖かさに、くらくらした。
「ちょっと待って、わかんない、急すぎるし、飲み込めないし」
女の子が慌てて、道ゆく人々がぼくらをチラチラ眺めていた。
「和寿、心配させてごめんな」
翔真が僕の頭に鼻先をくっつけた。「行こう」
ぼくは翔真にひっぱられ、その場をあとにした。
「え、なんで、どういうこと?」
キャンパスを出て、ぼくは言った。まだどきどきしていた。
「いや、俺も必要だったんだ、ニセの彼氏」
翔真が言った。
「でもさっきの」
「うん、詩織はさ、昔っから俺にべったりで、困ってたんだ。そう簡単に納得してくれないから。ちょうどお前見かけたから、いまだって、思った。やっぱりこういうのって勢いだよな」
「急なタメ語……」
「だからさ、しばらく、偽装カップルってことでいい?」
翔真が言った。
「大学の人にバレてもいいの?」
「べつに。詩織もさすがにアウティングなんてしないだろうし。大丈夫だろ」
「でも」
こんな目立つ人が?
いや、多分自分に自信があるのだ。なんと言われても構わないという。
眩しすぎて、正面から見ることができない。ぼくが顔を伏せると、
「よろしくな、和寿」
と翔真がぼくの頭をくしゃくしゃに撫でた。


