「しょ……」
「あんたなにしにきたの!」
ママが大声をあげた。
「え、だって、周年パーティーでしょ。前に約束したじゃないすか。ボトル入れるって」
翔真がさらりと言って、スツールに腰掛けた。
ぼくに向かって、
「ひさしぶり」
と言った。
「ひさ……」
「だめよ! 絶対だめ!」
またママがかぶせてきた。「あんた、芸能人よ、なのに、なんで二丁目ほっつき歩いてるのよ! 見つかったら写真撮られてSNSに晒されて、大変なことに……」
「いや、べつに俺知られてないし」
「自分のことちゃんとわかって!」
ママがどん、とカウンターに雑誌を積んだ。
「あ、買ったんだ」
ぼくはすっと冷静になってしまった。
「当たり前でしょ。うちの店の出世頭よ」
まるでこの店の客だから売れたくらいの勢いである。だったらぼくももうちょっと才能を開花したいもんだ。
「そうかなあ、放送再来週だし」
「あのね、オカマ舐めちゃだめよ。すでに唾つけられてるんだから。芸能人の自覚持ちなさいよ」
唾つけてるのはママではないか。
「芸能人じゃないですよ」
翔真がむず痒そうに言った。
なるほど、自分としては俳優である、ということか。でも、一般人からしたら芸能人である。やっぱりこいつ、愛すべき抜け感があるな。
ぼくはいまだに翔真とまともに挨拶できていないし、こんなふうに再会することになったら、とずっとシュミレーションしてきたのに、全然違っていたことに驚いた。
ただ、嬉しかった。
とにかく、サインして、とママが色紙をカウンターに置いた。このカウンター、なんでもあるな。
ぼくは呆気に取られていた。
「初めてで緊張するなあ」
とサインペンのキャップを音を立てて外した。
「初めて、もらっちゃった」
ママがキモいリアクションをした。完全に舞い上がっている。というか、テンションの振れ幅が……。
サインを貰い受けるとママが急にきっとした表情を浮かべた。情緒の流れがおかしい。
「あんた、すぐ帰りなさい」
「ママ?」
ぼくはびっくりした。
「一人でこんなところふらついたらだめ。そもそも自覚がなさすぎる。事務所の人に言われてないの?」
「すみません」
ママが真剣な顔をしているので、翔真は恐縮して謝った。いや、なんでママがそんな立場に? でも突っ込める雰囲気ではない。
「これをあげるわ」
カウンターにサングラスとキャップを置いた。ほんとに四次元に繋がってるのか、このカウンター……。「和寿」
「はい」
さっきまでぼくのこと「無」扱いしていたというのに、急に振ってきた。
「店の手伝いはもういいわ。翔真くんをすぐ、避難させて。戻ってこないでいいからね」
ママがへたくそなウインクをした。
「ママさん」
翔真がまじめな顔をして、ママを見つめた。
「有名になったら、遊びにきてね。スタッフさんも連れてきてちょうだい。写真集出たらお渡し会に絶対行く。アクスタも出たら買うわ。ベッドサイドに置くようと、セリアでケース買ってカバンにつけとく」
とママが翔真の手を両手で掴んで切々と語った。
なんの愁嘆場を見せられているだろ。
ママがマスクまでつけさせたが、店を出た途端に翔真は外した。
仲通りから出て、人通りの少ない四谷のほうへとぼくらは歩いた。
前も、二人歩いたな、と気づいた。でも、あの頃とすっかりぼくらは変わってしまった。
サングラスにキャップ、という完全に不審者ないでたちの翔真がおかしかった。
「タクシー、拾おうか」
ぼくは言った。
「もうすこし歩こう。久しぶりだし、こんなふうにぶらぶらできるの」
オーディションに合格した途端、光圀さんによる熱血演技指導があり、収録は早撮りしているらしく、けっこう先の回まで撮っているという。
「そうなんだ」
そんな裏話を聞きながら(といっても話の内容や裏側のことは決して口を滑らさない。すでに翔真はプロなのだ)、ぼくは横に歩いている人が、すっかり別次元の存在に思えてきた。
ひさしぶりに会って、フィルターがかかっているのかもしれないけれど、以前よりもしゅっとしていた。
顔をもっとちゃんと見ればよかった。でかいサングラスに隠れてしまっている。
「和寿は?」
翔真が言った。
「ぼくは、なにも変わってないよ。ただ大学行ってバイトしてるだけ」
「嘘だろ」
「なにも嘘ついてない」
「脚本」
翔真に言われ、ぼくは立ち止まった。
「覚えてたんだ」
「できた?」
屈託なく笑う、いつもの翔真の笑顔をしているのが、サングラスで隠されていてもわかった。
「コンクール送ったんだけど、だめだった」
「そっか」
どんな話? と翔真が訊ねた。
「ぼくと、翔真の話。カップルの振りして、ドタバタするんだ」
「それって」
翔真が笑った。
「で、ぼくみたいなしょうもないやつが、最後翔真みたいなかっこいいやつに、告白するんだ。でも、答えを聞く前に怖くなって逃げちゃって」
「うん」
「……なぜか海に行ってたそがれる」
嘘をついた。
ぼくの書いたのは、ばかみたいに甘ったるいハッピーエンドだった。きっと下読みした人は笑ったろう。
海へ行ってたそがれるよりも嘘くさくて。
「俺みたいなやつは、きっと和寿みたいなやつに再会して、言うんじゃないかな。俺も好きだよって」
翔真が言った。
「え」
「やっと言えた」
翔真が真面目な顔をした。「前に芝居が終わったあとでさ、言おうと思ってたんだ。和寿といると楽しいからさ、偽装カップル、続けてみない? って。そしたら、直哉さんよりも俺のこと見てくれるんじゃないかなって」
そう言われて、ぼくはどうしたらいいかわからなかった。
なにをいまさら、そんなこと。
もうぼくと翔真は住むとこ違うよ。
翔真はだって。
「ゲイじゃないじゃん」
「こういうのずるいかな。和寿が好きなんだよね。ハッピーエンドの続き、どうなるか、一緒に確かめよう」
「そんなの」
ふたりはずっと一緒に楽しく暮らしましたとさ、とおとぎ話は終わるけれど、その先にはたくさん喧嘩したり、お互いのことを嫌になったりするよ。きっと。怖いよ。
でも、いまはまだ、そんな悪い未来を思い浮かべるときじゃない。
翔真はぼくを抱き寄せようとして、ぼくはすぐに身体を離した。
「ストップ!」
「え?」
ぽかんとしている翔真を無視して、ぼくは道路に向かって手を上げた。
「タクシー!」
ぼくたちは停まった車に乗り込んだ。
「どこ行くんだ」
翔真が言った。
そしてぼくの部屋に、翔真がやってきた。
「懐かしいな」
翔真がサングラスとキャップをとった。
ぼくは翔真をしみじみと眺めた。ほんとうに、いい顔をしている。
「汚いけど、適当に座って」
ぼくが足で、床に散らばっている雑誌をすみに避けていると、翔真が後ろから抱きついてきた。
「ちょっ」
なんて驚いた声をあげてしまったけれど、そうしたくって、この若手俳優を汚部屋に連れ込んだのだ。
「キスしていい?」
翔真が言った。
「お願いします……」
ぼくたちは、しばらくくっついて、そしてベッドに倒れこんだ。
「告って即って、早すぎた?」
翔真がぼくの上に乗って、困った顔で言った。
「むしろ、どんとこいっていうか」
ぼくは身体をずらして、翔真の上になった。「優しくするね」
「和寿?」
少しだけ、翔真が不思議そうな顔をした。
「ぼく、バリタチなんだけど」
「ばり?」
「ずっと、翔真を抱きたかった」
「え、ちょっと」
「大丈夫だから、ぼくに任せて」
部屋に濃密な沈黙が生まれた。
「は?」
「……だめ?」
翔真の返答を、部屋が待っている。
ぼくたちは見つめ合い、そして翔真は困った顔をしながら、
「いいよ」
と言った。「人間っておもしれえ」
「みくびったら怪我するぜ」
ぼくたちは笑った。
「ところでさ」
ぼくに脱がされながら、翔真が言った。
「なに」
「次の脚本も、俺が主役だよな」
にやりと笑った。
「欲しがるねえ」
「当たり前だろ……にしても、やりかた忘れたんじゃねーの?」
そう言われて、ぼくはしれっと、
「嘘からでたまこと、かな」
って、使い方、間違ってる?
おしまい
「あんたなにしにきたの!」
ママが大声をあげた。
「え、だって、周年パーティーでしょ。前に約束したじゃないすか。ボトル入れるって」
翔真がさらりと言って、スツールに腰掛けた。
ぼくに向かって、
「ひさしぶり」
と言った。
「ひさ……」
「だめよ! 絶対だめ!」
またママがかぶせてきた。「あんた、芸能人よ、なのに、なんで二丁目ほっつき歩いてるのよ! 見つかったら写真撮られてSNSに晒されて、大変なことに……」
「いや、べつに俺知られてないし」
「自分のことちゃんとわかって!」
ママがどん、とカウンターに雑誌を積んだ。
「あ、買ったんだ」
ぼくはすっと冷静になってしまった。
「当たり前でしょ。うちの店の出世頭よ」
まるでこの店の客だから売れたくらいの勢いである。だったらぼくももうちょっと才能を開花したいもんだ。
「そうかなあ、放送再来週だし」
「あのね、オカマ舐めちゃだめよ。すでに唾つけられてるんだから。芸能人の自覚持ちなさいよ」
唾つけてるのはママではないか。
「芸能人じゃないですよ」
翔真がむず痒そうに言った。
なるほど、自分としては俳優である、ということか。でも、一般人からしたら芸能人である。やっぱりこいつ、愛すべき抜け感があるな。
ぼくはいまだに翔真とまともに挨拶できていないし、こんなふうに再会することになったら、とずっとシュミレーションしてきたのに、全然違っていたことに驚いた。
ただ、嬉しかった。
とにかく、サインして、とママが色紙をカウンターに置いた。このカウンター、なんでもあるな。
ぼくは呆気に取られていた。
「初めてで緊張するなあ」
とサインペンのキャップを音を立てて外した。
「初めて、もらっちゃった」
ママがキモいリアクションをした。完全に舞い上がっている。というか、テンションの振れ幅が……。
サインを貰い受けるとママが急にきっとした表情を浮かべた。情緒の流れがおかしい。
「あんた、すぐ帰りなさい」
「ママ?」
ぼくはびっくりした。
「一人でこんなところふらついたらだめ。そもそも自覚がなさすぎる。事務所の人に言われてないの?」
「すみません」
ママが真剣な顔をしているので、翔真は恐縮して謝った。いや、なんでママがそんな立場に? でも突っ込める雰囲気ではない。
「これをあげるわ」
カウンターにサングラスとキャップを置いた。ほんとに四次元に繋がってるのか、このカウンター……。「和寿」
「はい」
さっきまでぼくのこと「無」扱いしていたというのに、急に振ってきた。
「店の手伝いはもういいわ。翔真くんをすぐ、避難させて。戻ってこないでいいからね」
ママがへたくそなウインクをした。
「ママさん」
翔真がまじめな顔をして、ママを見つめた。
「有名になったら、遊びにきてね。スタッフさんも連れてきてちょうだい。写真集出たらお渡し会に絶対行く。アクスタも出たら買うわ。ベッドサイドに置くようと、セリアでケース買ってカバンにつけとく」
とママが翔真の手を両手で掴んで切々と語った。
なんの愁嘆場を見せられているだろ。
ママがマスクまでつけさせたが、店を出た途端に翔真は外した。
仲通りから出て、人通りの少ない四谷のほうへとぼくらは歩いた。
前も、二人歩いたな、と気づいた。でも、あの頃とすっかりぼくらは変わってしまった。
サングラスにキャップ、という完全に不審者ないでたちの翔真がおかしかった。
「タクシー、拾おうか」
ぼくは言った。
「もうすこし歩こう。久しぶりだし、こんなふうにぶらぶらできるの」
オーディションに合格した途端、光圀さんによる熱血演技指導があり、収録は早撮りしているらしく、けっこう先の回まで撮っているという。
「そうなんだ」
そんな裏話を聞きながら(といっても話の内容や裏側のことは決して口を滑らさない。すでに翔真はプロなのだ)、ぼくは横に歩いている人が、すっかり別次元の存在に思えてきた。
ひさしぶりに会って、フィルターがかかっているのかもしれないけれど、以前よりもしゅっとしていた。
顔をもっとちゃんと見ればよかった。でかいサングラスに隠れてしまっている。
「和寿は?」
翔真が言った。
「ぼくは、なにも変わってないよ。ただ大学行ってバイトしてるだけ」
「嘘だろ」
「なにも嘘ついてない」
「脚本」
翔真に言われ、ぼくは立ち止まった。
「覚えてたんだ」
「できた?」
屈託なく笑う、いつもの翔真の笑顔をしているのが、サングラスで隠されていてもわかった。
「コンクール送ったんだけど、だめだった」
「そっか」
どんな話? と翔真が訊ねた。
「ぼくと、翔真の話。カップルの振りして、ドタバタするんだ」
「それって」
翔真が笑った。
「で、ぼくみたいなしょうもないやつが、最後翔真みたいなかっこいいやつに、告白するんだ。でも、答えを聞く前に怖くなって逃げちゃって」
「うん」
「……なぜか海に行ってたそがれる」
嘘をついた。
ぼくの書いたのは、ばかみたいに甘ったるいハッピーエンドだった。きっと下読みした人は笑ったろう。
海へ行ってたそがれるよりも嘘くさくて。
「俺みたいなやつは、きっと和寿みたいなやつに再会して、言うんじゃないかな。俺も好きだよって」
翔真が言った。
「え」
「やっと言えた」
翔真が真面目な顔をした。「前に芝居が終わったあとでさ、言おうと思ってたんだ。和寿といると楽しいからさ、偽装カップル、続けてみない? って。そしたら、直哉さんよりも俺のこと見てくれるんじゃないかなって」
そう言われて、ぼくはどうしたらいいかわからなかった。
なにをいまさら、そんなこと。
もうぼくと翔真は住むとこ違うよ。
翔真はだって。
「ゲイじゃないじゃん」
「こういうのずるいかな。和寿が好きなんだよね。ハッピーエンドの続き、どうなるか、一緒に確かめよう」
「そんなの」
ふたりはずっと一緒に楽しく暮らしましたとさ、とおとぎ話は終わるけれど、その先にはたくさん喧嘩したり、お互いのことを嫌になったりするよ。きっと。怖いよ。
でも、いまはまだ、そんな悪い未来を思い浮かべるときじゃない。
翔真はぼくを抱き寄せようとして、ぼくはすぐに身体を離した。
「ストップ!」
「え?」
ぽかんとしている翔真を無視して、ぼくは道路に向かって手を上げた。
「タクシー!」
ぼくたちは停まった車に乗り込んだ。
「どこ行くんだ」
翔真が言った。
そしてぼくの部屋に、翔真がやってきた。
「懐かしいな」
翔真がサングラスとキャップをとった。
ぼくは翔真をしみじみと眺めた。ほんとうに、いい顔をしている。
「汚いけど、適当に座って」
ぼくが足で、床に散らばっている雑誌をすみに避けていると、翔真が後ろから抱きついてきた。
「ちょっ」
なんて驚いた声をあげてしまったけれど、そうしたくって、この若手俳優を汚部屋に連れ込んだのだ。
「キスしていい?」
翔真が言った。
「お願いします……」
ぼくたちは、しばらくくっついて、そしてベッドに倒れこんだ。
「告って即って、早すぎた?」
翔真がぼくの上に乗って、困った顔で言った。
「むしろ、どんとこいっていうか」
ぼくは身体をずらして、翔真の上になった。「優しくするね」
「和寿?」
少しだけ、翔真が不思議そうな顔をした。
「ぼく、バリタチなんだけど」
「ばり?」
「ずっと、翔真を抱きたかった」
「え、ちょっと」
「大丈夫だから、ぼくに任せて」
部屋に濃密な沈黙が生まれた。
「は?」
「……だめ?」
翔真の返答を、部屋が待っている。
ぼくたちは見つめ合い、そして翔真は困った顔をしながら、
「いいよ」
と言った。「人間っておもしれえ」
「みくびったら怪我するぜ」
ぼくたちは笑った。
「ところでさ」
ぼくに脱がされながら、翔真が言った。
「なに」
「次の脚本も、俺が主役だよな」
にやりと笑った。
「欲しがるねえ」
「当たり前だろ……にしても、やりかた忘れたんじゃねーの?」
そう言われて、ぼくはしれっと、
「嘘からでたまこと、かな」
って、使い方、間違ってる?
おしまい


