「あらいらっしゃい、翔真くん」
 ママがぼくが入ってきたときの数倍高いトーンで大喜びして、やってきた男を迎えた。
「ども」
 なんとなく無愛想だが、いい男である。頭を短く刈り上げ、半袖から伸びている腕も太い。なにかスポーツをやっているのかもしれない。ガタイがいい。だからといってマッチョ、でもない。着痩せするのかもしれない。こんなレベル高い男が隣に座られたら、緊張する。趣味は筋トレか? きっとサウナとか好きなんだろうな。話が合わないに違いない、と偏見の目で僕は隣に座った男を眺めた。
「なにあんたぼーっとしてんのよ」
 ママがまるで自分のおもちゃを欲しがる児童を払うように手へひらひらさせた。「残念だけどね、翔真くんはノンケ、その気ないからね。そもそもあんたみたいな暗いコ相手にしないだろうけどね」
 ねー? とママが男に同意を求めた。絶対に譲らない、と言わんばかりだ。べつにこいつはあんたの超合金じゃあなかろうて。
「はじめまして」
 ぼくは挨拶した。
 クラブだのナイトに行けばモテモテだろうにノンケか。なんならスカウトされてGOGOにもなれるかもな。じっとりしたゲイの視線に耐えられるなら。うん、ビデオ出てたら、買うかも。
 イケメンとお近づきになる機会なんてなかなかない、とさっきまで悩んでいた気分をノンケのイケメンで浄化しようと試みた。
 彼は翔真くん。大学の三年生、とマスターが紹介した。
「借りたの、返そうと思って」
 翔真くんはリュックから袋を取り出し、マスターに渡した。
「もう観たの? どうだった?」
「面白かったです。俺あんま昔の観ないから」
「なに?」
 ぼくが横入りして訊ねると、マスターはもったいぶりながら、
「やーね、わたしと翔真くんの秘密よ」
 とのたまった。
「いや、映画。『ヴェニスに死す』」
 翔真くんがさらっと解答した。
 ママと秘密を共有する気はないらしい。
「ああ、なるほど、名画だね」
 ぼくは言った。
 ママめ……。イケてるノンケを食ってやろうと洗脳をしようとしているのかもしれない。そんな夢、いいい加減ゴミ箱に捨てたほうがいいのに。
 秘密をバラされたので諦めたのか、なぜ彼がひぐまりおんにやってきたのか、をもったいぶりながら説明した。
 先日グループで飲んでいた流れで、彼はひぐまりおんにやってきた。こんな上玉がやってきたのだ。そりゃもう店もいた客も大サービス。なんとかちょろっとお触りできないものかと下心丸出しで(←ここはぼくの想像)そのグループの飲み代を奢ってやったという。他は翔真くん以外たいしたことない(←ひどい)連中で、どうやら演劇サークルだと。
 で、なんとか話題を作りまたきてもらおうと、おすすめの映画のD V Dを押しつけたのだ。しかも『ヴェニスに死す』。うまいとこできたら死んでもいい、の暗喩だろうか。いや、できずに死んでるが。
 ここまで翔真くん、たいして会話をする気もなく、愛想笑いもせずたまに相槌打つのみ。あーあ、こいつマジでGOGOかも。バカがばれてホゲてるとこを見られたら、イベントに呼ばれないから、だいたいのGOGOは愛想が悪い。これも偏見。いけない。イケメンで浄化されるどころかなんか自分の根性の悪さばかりが目立つ。そもそも張り合える容姿でもないってのに。やだね、一般人って。憧れる人間を引き摺り落とそうと、嫉妬して。でも、馬脚あらわさないかな、こいつ、と笑顔を浮かべながら思った。
「じゃあ、同い年だね、どこ大?」
 と訊ねて。あ、まずかったかな、と思った。そこまで個人情報に踏み込むのはあんまりよくない。そもそも翔真って名前も界隈用のニックネームかもしれないし。
「ああ、××大学です」
 翔真くんが言った。さすがノンケ、とくに気にしないらしい。
「え、俺も!」
 同い年、同じ大学という共通点で、急に距離が縮まったとぼくは錯覚して、学部どこ? などと顔を近づけて訊ねた。
「経営です」
「そうなんだ、ぼく文芸。一般教養被ってるかもしれないね」
 いや、多分遭遇していない。こんな上玉が教室にいたら、ただでさえ興味ない一般教養の授業なんて聞けたもんじゃない。
「よくくるんすか」
 翔真くんが言った。
「いや、久しぶりなのよ、なのになんなの、常連ぶって、ねえ」
 ぼくが答える前にマスターが言った。
「すみません」
 ぼくは謝った。
「店の周年のときにシャンパン入れなさい。そしたら常連て認めてあげるから」
「俺、しなくちゃな」
 翔真くんが言うと、
「いいのよ! 翔真くんはいてくれるだけで店が華やかになるから。なんならうちの店子になってほしいくらい」
 そんなふうにママが大袈裟に褒め称えると、困ったように翔真くんは笑った。イケメンの余裕すご。笑顔ですます、そのあしらい方学びたい。使える場所ないけど。
「ま、次のときやりますよ」
 僕は言った。
「どうだか、またしばらく鬱になって店にもこないんじゃない? 元彼の結婚式なんて、自分で死にたくなりに行く場所にいくなんて」
「なんですかそんな、人の結婚式を東尋坊みたいに言って」
 僕は呆れて言った。
「結婚式、元彼?」
 ちょっとだけ翔真くんが興味を持ったらしい。ぼくが説明しようとするのを遮って、ママがまるで講談でも話すかのように説明してくれた。手にしているステアするための棒が咄家の扇子に見えてきそうだ。
「なるほど、大変だな」
 その他人事な軽い反応に、ぼくはちょっとむっとした。しかし、当事者でなければ、そんなものかもしれない。
「でしょう?」
 マスターが頷く。
 いや、リアクションから察するに、翔真くんからすればたいして面白くない話だったと思うよ。
 なんならこの人、なんの努力しないでも人と付き合うことができそうだ。告白したこともなさそう。いや、しても振られたことなんてないに違いない。そーだそーだ。弱者の気持ちなんてわからないハイスペック男ですよ。
 あーあ、なんか弱点あればいいのに。パンツの中、じつは超小さいとか、超マザコンとか、酔っ払ったらモー娘。歌うとか、ないかな。なんて思いながら、一気に残っていたビールを飲み干した。
 とにかく、彼氏を探さなくちゃ、ここにいたところで彼氏なんてできないんだから。一度家に帰ってない知恵絞らないと。
「おあいそ」
 僕は立ち上がった。
「もしよかったら」
 と翔真くんが肩がけしていたウエストバッグからチラシを出した。「今度出るんで」
 それは大学の演劇サークルの公演だった。
「あら、お芝居すんの? 行く!」
 マスターがぼくからチラシを奪って声をあげた。「あんたも舞台とか観て勉強なさい」
 いらんことを言いやがって、と苦い顔をしているぼくを見て、
「なんかやってるんですか?」
 と翔真くんが身を乗り出した。
「この子、シナリオ書いてるのよ」
 マスターが代わりに人の個人情報をさらりとばらしてくれた。
「すごい」
 翔真くんがまっすぐに言った。
「いや、全然才能ないんで」
 俳優やってる人にバラさないでくれよ。こいつ、演技はわからないけど、見た目からして仕上がってるじゃん。ぼくはいたたまれなくなった。なんか、みじめだ。
 ぼくは逃げるように店をあとにした。