あれから半年がたとうとしていた。
バイト先の本屋は、あれから数倍、騒がしい場所になっていた。
「あのね、しおりーん?」
村川さんが呆れて言った。
「なあに、ムーラちゃん」
詩織さんのほうはというと、なにを言われるのかわかっているが、ふてぶてしく知らぬふりをしている。
そもそも詩織さんは、遅番で一番下っ端、のはずなのに、なぜか堂々としている。
だいたい研修の時からむすっとレジに立ち、「わたしみたいななにも知らない人間、失敗するの当たり前だし、わたしを一人にするってことは、なにが起きてもかまわないってことでしょ」などと言い放った。すごい。そのマインド、逆に尊敬する。
「あんたねえ、取り置きするならさっさと買いなさいよ。在庫のデータ残ってるから、あるんじゃないかって、お客さんから電話きちゃうから」
「だって、買うことは決まってるんだけど、なんていうか踏ん切りがつかないっていうか」
レジの後ろにある取り置き雑誌コーナーに、詩織さんの取り置き雑誌が会計されるのを待っている。
「意味わかんないから! もう今日買わないと、お客さんに売るよ」
「鬼!」
「鬼でけっこう!」
二人のやりとりをそばで聞きながら、ぼくは関わらないようにモップを持って店内清掃をしようとレジから離れようとした。
「ちょっと、和寿くん」
森川さんがぼくを呼び止めた。
「……なんですか」
「きみ、わたしたちに言うことないの?」
なにもかお見通しよ、という目だ。
「べつに、ないですけど」
別になにも隠し事はしていない、はずだ。
「ふーん、しおりんの雑誌のおかげで奥に隠れちゃってるけど、定期購読のシナリオ雑誌、きてるよ」
それか……。
「帰りに買います」
ぼくは顔を伏せた。
「表紙に、新人賞一次通過者発表、ってあるよ」
村川さんがまるでトリックを見破った探偵みたいにドヤついた。
「わたしの知らぬ間にあんた、脚本なんて書いてたの?」
詩織さんが言った。自分のことをごまかそうとして、大袈裟に驚いている。こいつめ。
「ええ、まあ」
「そうよ〜、和寿くんはね、未来の山田太一だから!」
「誰それ?」
「最近のコは学がないわね。『ふぞろいの林檎たち』知らないの!?」
「知らんし」
「でた、自分の知らないものは有名じゃないって勘違いするやーつ!」
「じゃああらすじ教えてよ」
「中井貴一がね……」
「あの、レジで荒ぶるのやめてもらっていいですか……」
逃げたい。早退したい。
「じゃ、結果だけ」
森川さんが雑誌を開いた。
「いま!?」
「でしょ」
「いや、レジで商品、そんな読まないで」
「……じゃ、終わってからにする?」
残念そうに森川さんが雑誌を閉じた。
仕事が終わり、事務所で二人は待ち構えていた。
「じゃ、いきますか」
「どぅるるるるるるる」
詩織さんがドラムロールの口真似をした。こんなにコミカルな人だったのか。それ、シナリオに入れればよかった。
びっしりと2ページにわたってタイトルと作者名が並んでいる。
ぼくの左右から二人がのぞきこんだ。
「あった?」
「字が小さいわねえ」
「でた、年寄りアピ」
「うっさい」
「あの、静かにしてもらっていいですか」
ぼくは二人をたしなめたけれど、べつに関係なかった。
見栄カレ、見栄カレ、見栄カレ……。
ない。
事務所全体が妙な雰囲気になった。蛍光灯が、店より暗いのが、ホラー映画の舞台みたいに思えてきた。
気まずい。
「まあ、次があるわよ」
森川さんがぼくの肩を叩いた。
「そうよー、最初っからうまくいくわけないって!」
詩織さんが珍しくなぐさめてきた。
「三回目です」
ぼくは言った。
「……三回くらい、ねえ?」
「そうよー」
けっこう、自信あったんだけどな。そりゃ受賞とか恐れ多いけど、予選くらい通過するよな、とか。
ぼくが、名前の書かれていないページをひらいたままでいると、
「和寿くん」
森川さんが声をかけた。
「はい」
「あのね、こういうのに受賞する方法がひとつだけあるから、ね」
「なんですか」
「受かるまで書く」
「……諦めたら試合終了ですもんね」
ぼくは言った。
まだ、始まっちゃいないってことだ。
帰り道、森川さんと別れて、ぼくは詩織さんと電車を待っていた。
「これ、実家に送っちゃお」
詩織さんは紙袋を抱えていた。店で買った雑誌が入っている。
来月から、翔真が主演のヒーロー番組が始まる。なので、あちこちの雑誌でインタビューを受けていた。
「すごいね、ほんとうに遠くにいっちゃったね」
ぼくは紙袋を見て言った。
「これじゃまるで、わたしが翔真のファンみたいじゃん」
「違ったの?」
ぼくが言うと、
「昔っからの付き合いだからね」
と言って膨れっ面になった。
「べつにまだ好きだっていいじゃん」
「お前もな」
詩織さんが睨んだ。ぼくらはすっかり仲良くなった。
ホームから眺める街は、きらきらしていて、道路では車が連なっている。
「ぜんぜん、誰かを好きになれないんだよね」
詩織さんが言った。
「問題はさ、わかってるんだよ」
「わたしが悪いっていうの」
「ちがう」
ぼくは首を振った。
「言ってちょうだい」
「ぼくらのまわりに、いい男がいない」
「それな」
電車がやってきた。車内は空いていたけれど、みんなくたびれた顔をしていた。でも、ぼくたちはいつまでもお互いを罵り合って笑っていた。
バイト先の本屋は、あれから数倍、騒がしい場所になっていた。
「あのね、しおりーん?」
村川さんが呆れて言った。
「なあに、ムーラちゃん」
詩織さんのほうはというと、なにを言われるのかわかっているが、ふてぶてしく知らぬふりをしている。
そもそも詩織さんは、遅番で一番下っ端、のはずなのに、なぜか堂々としている。
だいたい研修の時からむすっとレジに立ち、「わたしみたいななにも知らない人間、失敗するの当たり前だし、わたしを一人にするってことは、なにが起きてもかまわないってことでしょ」などと言い放った。すごい。そのマインド、逆に尊敬する。
「あんたねえ、取り置きするならさっさと買いなさいよ。在庫のデータ残ってるから、あるんじゃないかって、お客さんから電話きちゃうから」
「だって、買うことは決まってるんだけど、なんていうか踏ん切りがつかないっていうか」
レジの後ろにある取り置き雑誌コーナーに、詩織さんの取り置き雑誌が会計されるのを待っている。
「意味わかんないから! もう今日買わないと、お客さんに売るよ」
「鬼!」
「鬼でけっこう!」
二人のやりとりをそばで聞きながら、ぼくは関わらないようにモップを持って店内清掃をしようとレジから離れようとした。
「ちょっと、和寿くん」
森川さんがぼくを呼び止めた。
「……なんですか」
「きみ、わたしたちに言うことないの?」
なにもかお見通しよ、という目だ。
「べつに、ないですけど」
別になにも隠し事はしていない、はずだ。
「ふーん、しおりんの雑誌のおかげで奥に隠れちゃってるけど、定期購読のシナリオ雑誌、きてるよ」
それか……。
「帰りに買います」
ぼくは顔を伏せた。
「表紙に、新人賞一次通過者発表、ってあるよ」
村川さんがまるでトリックを見破った探偵みたいにドヤついた。
「わたしの知らぬ間にあんた、脚本なんて書いてたの?」
詩織さんが言った。自分のことをごまかそうとして、大袈裟に驚いている。こいつめ。
「ええ、まあ」
「そうよ〜、和寿くんはね、未来の山田太一だから!」
「誰それ?」
「最近のコは学がないわね。『ふぞろいの林檎たち』知らないの!?」
「知らんし」
「でた、自分の知らないものは有名じゃないって勘違いするやーつ!」
「じゃああらすじ教えてよ」
「中井貴一がね……」
「あの、レジで荒ぶるのやめてもらっていいですか……」
逃げたい。早退したい。
「じゃ、結果だけ」
森川さんが雑誌を開いた。
「いま!?」
「でしょ」
「いや、レジで商品、そんな読まないで」
「……じゃ、終わってからにする?」
残念そうに森川さんが雑誌を閉じた。
仕事が終わり、事務所で二人は待ち構えていた。
「じゃ、いきますか」
「どぅるるるるるるる」
詩織さんがドラムロールの口真似をした。こんなにコミカルな人だったのか。それ、シナリオに入れればよかった。
びっしりと2ページにわたってタイトルと作者名が並んでいる。
ぼくの左右から二人がのぞきこんだ。
「あった?」
「字が小さいわねえ」
「でた、年寄りアピ」
「うっさい」
「あの、静かにしてもらっていいですか」
ぼくは二人をたしなめたけれど、べつに関係なかった。
見栄カレ、見栄カレ、見栄カレ……。
ない。
事務所全体が妙な雰囲気になった。蛍光灯が、店より暗いのが、ホラー映画の舞台みたいに思えてきた。
気まずい。
「まあ、次があるわよ」
森川さんがぼくの肩を叩いた。
「そうよー、最初っからうまくいくわけないって!」
詩織さんが珍しくなぐさめてきた。
「三回目です」
ぼくは言った。
「……三回くらい、ねえ?」
「そうよー」
けっこう、自信あったんだけどな。そりゃ受賞とか恐れ多いけど、予選くらい通過するよな、とか。
ぼくが、名前の書かれていないページをひらいたままでいると、
「和寿くん」
森川さんが声をかけた。
「はい」
「あのね、こういうのに受賞する方法がひとつだけあるから、ね」
「なんですか」
「受かるまで書く」
「……諦めたら試合終了ですもんね」
ぼくは言った。
まだ、始まっちゃいないってことだ。
帰り道、森川さんと別れて、ぼくは詩織さんと電車を待っていた。
「これ、実家に送っちゃお」
詩織さんは紙袋を抱えていた。店で買った雑誌が入っている。
来月から、翔真が主演のヒーロー番組が始まる。なので、あちこちの雑誌でインタビューを受けていた。
「すごいね、ほんとうに遠くにいっちゃったね」
ぼくは紙袋を見て言った。
「これじゃまるで、わたしが翔真のファンみたいじゃん」
「違ったの?」
ぼくが言うと、
「昔っからの付き合いだからね」
と言って膨れっ面になった。
「べつにまだ好きだっていいじゃん」
「お前もな」
詩織さんが睨んだ。ぼくらはすっかり仲良くなった。
ホームから眺める街は、きらきらしていて、道路では車が連なっている。
「ぜんぜん、誰かを好きになれないんだよね」
詩織さんが言った。
「問題はさ、わかってるんだよ」
「わたしが悪いっていうの」
「ちがう」
ぼくは首を振った。
「言ってちょうだい」
「ぼくらのまわりに、いい男がいない」
「それな」
電車がやってきた。車内は空いていたけれど、みんなくたびれた顔をしていた。でも、ぼくたちはいつまでもお互いを罵り合って笑っていた。


